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関連審決 異議1999-73618
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審判番号(事件番号) データベース 権利
平成17行ケ10189特許取消決定取消請求事件 判例 特許
平成20行ケ10196審決取消請求事件 判例 特許
平成17行ケ10445審決取消請求事件 判例 特許
平成20行ケ10065審決取消請求事件 判例 特許
平成15ワ16055損害賠償請求事件 判例 特許
関連ワード 進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  一致点の認定 /  相違点の判断 /  公知技術 /  技術常識 /  パリ条約 /  優先権 /  優先日 /  数値限定 /  技術的意義 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  移転登録 /  変更 /  取消決定 /  異議申立 / 
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事件 平成 14年 (行ケ) 301号 特許取消決定取消請求事件
原告 アーチケミカルズ、インコーポレイテッ ド
同訴訟代理人弁理士 浅村皓
同 浅村肇
同 小池恒明
同 岩井秀生
同 長沼暉夫
同 池田幸弘
被告 特許庁長官今井康夫
同指定代理人 岩瀬 眞紀子
同 板橋一隆
同 森田 ひとみ
同 涌井幸一
同 一色 由美子
同 大橋良三
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2003/09/10
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
請求
特許庁が、平成11年異議第73618号事件について、平成14年1月25日にした異議の決定を取り消す。
事案の概要
本件は、後記本件各発明の特許権者である原告が、特許庁から、特許取消しの決定を受けたので、同決定の取消しを求めた事案である。
1 争いのない事実 (1) 訴外オリンコーポレイションは、平成3年3月28日、アメリカ合衆国への出願に基づくパリ条約による優先権を主張して(優先権主張日平成2年5月3日、以下「優先日」という。)、発明の名称を「ピリチオン塩と銅塩とを高濃度に含有するペイント」とする発明につき、特許出願をし(特願平3-507611号)、平成11年1月8日、特許権の設定の登録を受けた(特許第2873085号、以下「本件特許」という。)が、異議申立人吉冨ファインケミカル株式会社から、平成11年9月24日付けで特許異議の申立てがなされた。
原告は、平成12年3月17日、訴外オリンコーポレイションから本件特許の移転登録を行った。
特許庁は、上記異議申立てを平成11年異議第73618号事件として審理した上、平成14年1月25日、「特許第2873085号の請求項1ないし12に係る特許を取り消す。」との決定(以下「本件決定」という。)をし、その謄本は、同年2月18日、原告に送達された。
(2) 本件特許の請求項1ないし12記載の発明(以下「本件発明1」ないし「本件発明12」といい、全部を併せて「本件各発明」という。)の要旨は、本件決定に記載された以下のとおりである。
【請求項1】錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず、向上した殺生物効力を特徴とするペイント又はペイント基剤組成物であって、ピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅とを含有し、前記ペイント又はペイント基剤組成物の全重量基準で、該ピリチオン塩は5〜50%の量存在し、該銅塩又は酸化第一銅は5〜50%の量存在し、且つ該ピリチオン塩と該銅塩又は酸化第一銅とを併せた全量は10〜75%の量存在する、上記ペイント又はペイント基剤組成物。
【請求項2】ペイント又はペイント基剤組成物の全重量基準で、ピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅とを併せた全量が20〜75%である、請求項1記載のペイント又はペイント基剤組成物。
【請求項3】ビニル樹脂、アルキド樹脂、エポキシ樹脂、アクリル樹脂、ポリウレタン樹脂及びポリエステル樹脂、およびこれらの組み合わせから成る群から選択される樹脂を更に含有する、請求項1記載のペイント又はペイント基剤組成物。
【請求項4】天然粘土、合成粘土、天然ポリマー及び合成ポリマーの膨潤剤から成る群から選択される膨潤剤1〜5%を更に含有する、請求項1記載のペイント又はペイント基剤組成物。
【請求項5】膨潤剤が、カオリン、モンモリロナイト(ベントナイト)、粘土雲母(白雲母)、クロライト(ヘクトナイト)、及びこれらの混合物から成る群から選択される、請求項4記載のペイント又はペイント基剤組成物。
【請求項6】銅塩はチオシアン酸第一銅である、請求項1記載のペイント又はペイント基剤組成物。
【請求項7】錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まないペイント又はペイント基剤に対して殺生物効力を付与する改良された方法において、前記ペイント又はペイント基剤にピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅とを添加し、ペイント又はペイント基剤組成物の全重量基準で、該ピリチオン塩が5〜50%の量添加され、そして該銅塩又は酸化第一銅が5〜50%の量添加され、該ピリチオン塩と該銅塩又は酸化第一銅とを併せた全量が10〜75%であることを特徴とする、前記殺生物効力付与方法。
【請求項8】ペイント又はペイント基剤組成物の全重量基準で、ピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅とを併せた全量が20〜75%である、請求項7記載の方法。
【請求項9】ビニル樹脂、アルキド樹脂、エポキシ樹脂、アクリル樹脂、ポリウレタン樹脂及びポリエステル樹脂、及びこれらの組み合わせから成る群から選択される樹脂を更に含有させる、請求項7記載の方法。
【請求項10】天然粘土、合成粘土、天然粘土及び合成ポリマーの膨潤剤から成る群から選択される膨潤剤1〜5%を更に含有させる、請求項7記載の方法。
【請求項11】膨潤剤が、カオリン、モンモリロナイト(ベントナイト)、
粘土雲母(白雲母)、クロライト(ヘクトナイト)、及びこれらの混合物から成る群から選択される、請求項10記載の方法。
【請求項12】銅塩はチオシアン酸第一銅である、請求項7記載の方法。 (3) 本件決定は、別添異議の決定書写し記載のとおり、本件発明1ないし5及び7ないし11が、刊行物1(甲3、特開昭53-27630号公報、以下「引用例1」という。)に記載された発明(以下「引用発明1」という。)に基づいて、
本件発明6及び12が、引用発明1及び刊行物2(甲4、特公昭40-8141号公報、以下「引用例2」という。)に記載された発明(以下「引用発明2」という。)に基づいて、いずれも当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとしたものである。
2 原告主張の本件決定の取消事由の要点 本件決定は、引用発明1の認定を誤った結果、本件発明1と引用発明1との一致点の認定を誤り(取消事由1)、本件発明1と引用発明1との相違点に関する判断を誤り(取消事由2)、同様に本件発明6についての一致点の認定及び相違点の判断を誤り(取消事由3)、本件発明7ないし12についての進歩性の判断を誤った(取消事由4)ものであるから、違法として取り消されるべきである。
(1) 一致点の認定誤り(取消事由1)について 本件決定は、引用発明1について、「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず、ピリチオン塩と酸化第一銅とを含有する水中防汚塗料」(甲1第5頁36〜37行)であると誤って認定した上、本件発明1と引用発明1との一致点について、「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず、向上した殺生物効力を特徴とするペイントであって、ピリチオン塩と酸化第一銅とを含有するペイント」(同5頁39行〜6頁2行)として一致すると誤って認定したものである。
ア 「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず」の点について 本件決定が、引用例1(甲3)のHとして引用するピリジン系化合物の単独使用例は、毒性に対する配慮のある防汚性化合物であるとしても、引用例1のGの箇所においては、法律で使用が禁止された有機錫化合物についても、毒性に対する配慮なく併用の可能性が言及されている。したがって、引用例1において、Gの箇所中に列挙されている「亜酸化銅」を含む他の公知の防汚性化合物を併用したペイントについて、「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず」と認定することはできない。
被告は、本件発明1の優先日において我が国でもフェニル系有機錫化合物が法規制を受ける物質として指定されているから、有機錫化合物の毒性や環境汚染性は優先日技術常識であると主張するが、後記化審法等において、フェニル系有機錫化合物が特定化学物質として指定されたからといって、その使用が全く禁止されるわけではなく、一定の基準の下で使用することは可能である。実際に、本件各発明の優先日当時である平成2年においても、有機錫の使用量は850トンであり、依然として極めて多く、当該業界において、有機錫系船底防汚塗料の使用全廃を決定したのは、平成9年に至ってからのことである。
イ 「向上した殺生物効力を特徴とするペイント」の点について 本件発明1で規定する「向上した殺生物効力」とは、例えば、当ペイント業界で従来最も一般的に使用されてきた「有機錫含有のインターラックス処方物」等に対してより向上した殺生物効力を有するという意味である。
これに対し、引用例1のGの箇所は、ピリチオン塩に対して単に他の公知の防汚性化合物との併用の可能性を示唆するにすぎず、それら化合物一般との併用例における「向上した殺生物効力」については開示も示唆もされていない。事実、上記Gに列挙されている「亜鉛華」は、向上した殺生物効力を有するものではなく(甲10の2、クレイグ・ワルドロン作成の「実験成績証明書」参照、以下「原告実験証明書」という。)、また、亜酸化銅との併用についても、その向上した殺生物効力はデータから読み取ることができない。
ウ 「ピリチオン塩と酸化第一銅とを含有する」の点について 引用例1において、Gの箇所には、ピリチオン塩に対して亜酸化銅(酸化第一銅)だけでなく具体的に実証された併用例が一例も開示されていないこと、
亜酸化銅単独使用例がピリジン系化合物単独の使用例よりも防汚性能において劣るデータが示されていること、併用効果のない亜鉛華も併用効果のある亜酸化銅も互いに区別することなく併用可能成分として列挙されていることからみて、引用発明1は、ピリジン系化合物と他の公知の防汚性化合物との併用の可能性を示唆するにすぎず、ピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅との併用を特異的に開示しているものではない。
しかも、亜酸化銅は、防汚性能が劣るばかりでなく、チオシアン銅塩に比べ分散性も劣ることが知られていた(甲4、引用例2)にもかかわらず、本件各発明に係る願書に添付した明細書(以下「本件明細書」という。)の表1(以下「本件表1」という。)から明らかなとおり、ピリチオン塩との併用に際し、銅オキサイドとの併用例(試料番号2、4)の方がチオシアン酸銅との併用例(試料番号3)より優れていることが実証されているから、引用発明1は、「ピリチオン塩と酸化第一銅とを含有する水中防汚塗料」を開示しているとは到底解することができない。
エ 被告の仮定主張に対して 引用発明1は、防汚剤としてピリチオン塩と酸化第一銅を併用することを特異的に開示していないから、両者を併用することは当業者の容易に想到し得るところではない。
すなわち、引用例1には、「本発明に係る水中防汚塗料は動植物に対する選択性が少なく」と記載されており、同第1表にもピリジン系化合物がその防汚性能において完全無欠な化合物として示されている。したがって、引用発明1は、
他の公知の防汚性化合物と組み合わせることなく、ピリジン系化合物単独であることを特徴とし、動植物に対する選択性が少ないものであり、生物に対する選択性を相補う効果(相加効果)を求めて他の公知の防汚性化合物と組み合わせることをそもそも予定していない。
(2) 相違点の判断誤り(取消事由2)について 本件決定が、相違点(当事者間に争いがない。)の判断において、「配合量の範囲は、当業者が実施に際し適宜設定しうる範囲と認められる。」(甲1第6頁11〜12行)、「該配合量の範囲により格別の効果を奏するものとも認められない。」(同頁21〜22行)と判断したことは、いずれも誤りである。
ア 化合物の併用に関する数値限定の発明において、当該数値の権利範囲の内外を比較して、そこに格別の効果がなければ特許性が認められないとする、いわゆる「臨界的意義」が必要とされるのは、両化合物の具体的な併用を開示した先行公知技術がある場合に限定される。本件の場合、引用発明1は、前記のとおり、ピリジン系化合物の単独使用例しか開示しておらず、ピリチオン塩と酸化第一銅を併用することを特異的に開示していないから、本件発明1が臨界的意義を有する必要はない。
しかも、ピリチオン塩と酸化第一銅とを併用した本件発明1が、引用例1に列挙された他の公知の防汚性化合物である「亜鉛華」との併用例に対して、同じ数値範囲内において向上した殺生物効力を有することは、原告実験証明書(甲10の2)等により十分に証明されているから、本件発明1で規定する数値範囲の内外の臨界的意義が証明されなくとも、その特許性は十分に肯定し得るものである。
イ 本件発明1が、ピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅とを併用し、両成分の配合量を限定したことによる相乗効果は、本件表1に示されている。すなわち、
銅塩単独ではフジツボに対しての有効性は認められるものの、汚れ全面積については良好な結果が得られず(試料番号6、9。なお、試料番号9における銅(I)オキサイド「0」が「454」の誤記であることは、試料番号6の同じ化合物が「454」であることから明らかである。)、ピリチオン塩単独ではフジツボに対しても汚れ全面積についても効果が劣っている(試料番号5、7、8)ところ、併用するとフジツボにも汚れ全面積にも極めて優れた効果を示している(同試料番号2〜4,10〜12)。
本件決定は、本件表1について、本件発明1で規定する数値範囲から逸脱する試料番号4、11があるとする(甲1第6頁17〜21行)が、そのことで本件表1が無効となることはない。試料番号4、11が本件発明1で規定する数値範囲を逸脱したのは、本件特許の審査段階で審査官の拒絶理由に従って「約」を削除したためである。
また、本件発明1は、単独では特に喫水線試験で防汚性能が低いことが分かっている酸化第一銅をあえてピリチオン塩と併用したことにより、全浸漬試験のみならず、喫水線試験においても優れた防汚効果を発揮させることに成功したのであるから、単独使用例の組合せから予想される防汚スペクトルよりも広い防汚スペクトルが得られたことになり、明らかに相乗効果といえるものである。
ウ 仮に、数値限定に臨界的意義が必要との立場によるとしても、本件発明1で規定する数値は、上限値のみならず下限値についても格別な効果が証明されている(甲13の2、クレイグ ウオルドロン作成の「最終報告書」参照、以下「原告最終報告書」という。)。この原告最終報告書について、本件決定は、単独例のNo.12と本件発明1以外の併用例であるNo.7とを対比して、本件発明1の構成からなるNo.8の効果を必ずしも構成の差によるものとは認められないとして否定している(甲1第6頁28〜36行)が、実験的実証の裏付けを欠く独自の推論に基づくものである。
また、原告最終報告書での塗料配合物の全組成に関して、当業者であれば、表2では亜酸化銅や亜鉛ピリチオンの配合量のみを変えて、他の成分は表1と同様の配合量を添加し、残りは溶媒混合物を追加して100gとしたことが容易に判断できるから、配合物の組成に不明な点はない。
(3) 本件発明6の一致点認定及び相違点判断の誤り(取消事由3)について 引用発明2に関して、本件決定が摘示するLの箇所は、引用発明1と同様、「塩化チオシアン銅」単独の使用に基づく実施例であること、引用発明1と異なり、引用例2の明細書には、ピリジン系化合物と他の公知の防汚性化合物とを組み合わせることについては全く記載も示唆もされておらず、このため本件決定も、引用例1のGの記述を媒介することにより容易性を判断していること、当該明細書の「試験方法 5.浸漬結果」は、対フジツボについてだけであり、引用例1の明細書のような他の海藻類については全くその結果が示されていないことが認められる。その余の取消事由の主張は、本件発明1について述べたところと同様である。
(4) 本件発明7ないし12の判断誤り(取消事由4)について 以上のように、本件発明1の「ペイント又はペイント基剤組成物」については、その判断に誤りがあるから、該組成物に対応する本件発明7の「(ペイント又はペイント基剤組成物に対する)殺生物効力付与方法」についての判断も誤りであり、したがって、本件発明8ないし12についての判断にも誤りがある。
3 被告の反論の要点 本件決定の認定・判断は正当であり、原告主張の取消事由はいずれも理由がない。
(1) 取消事由1について ア 「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず」の点について 引用例1には、毒性に対する配慮が記載されている(甲3第1頁左下欄〜右下欄)ことから、本件各発明の技術的意義、目的と引用発明1のそれとは一致している。もっとも、引用例1には、フェニル系有機錫化合物が記載されているが、それは、引用発明1の出願当時にフェニル系有機錫化合物の毒性や環境汚染性が認識されていなかったからと推測される。しかし、本件各発明の優先日当時には、我が国でも、「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」及び「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律施行令」(以下「化審法」及び「化審令」といい、両者を併せて「化審法等」という。)によりフェニル系有機錫化合物が法規制を受ける物質として指定されている(乙1の1ないし3)から、有機錫化合物の毒性や環境汚染性は、優先日当時の技術常識である。
したがって、引用例1の記載全体及び本件各発明の優先日当時の技術常識からみて、引用発明1を「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず」とした本件決定の認定に誤りはない。
なお、現場の塗料業界において有機錫化合物の使用が全廃されてはいなかったことなどは、引用発明1の認定に無関係である。
イ 「向上した殺生物効力を特徴とするペイント」の点について 引用例1には、ピリジン系化合物を含有する水中防汚剤塗料が向上した殺生物効力を有することが記載されている(甲3第2頁左上欄13〜16行)から、ピリチオン塩と酸化第一銅とを含有する水中防汚塗料(ペイント)が向上した殺生物効力を有するといえ、引用発明1がピリジン系化合物の単独使用例であるとする原告の主張は、誤りである。
原告実験証明書の「結果の要約」の表によれば、亜鉛ピリチオンと酸化亜鉛(亜鉛華の化合物名)の併用も「対照」のものよりは向上した殺生物効力を有しており、それが亜鉛ピリチオンと酸化第一銅との併用よりも効果が劣るとしても、「向上した殺生物効力」の程度に多少の差があることを示すに留まり、そのことをもって、引用発明1に、併用に関して「向上した殺生物効力」が開示されていないということはできない。なお、亜鉛華は、殺生物能は小さくむしろ顔料として配合されるものである(乙6)のに対し、酸化第一銅は、優れた防汚性化合物であることが当業者の周知の技術事項であるから、両者を亜鉛ピリチオンに配合した場合の効果に差があることは、当然予想されることである。
ウ 「ピリチオン塩と酸化第一銅とを含有する」点について 引用発明1は、従来の水中防汚塗料の活性成分のうち、亜酸化銅(酸化第一銅)との併用成分であるトリアルキル錫化合物やDDTの毒性、環境汚染に問題があるので、それらに代わる低毒性の防汚性物質を配合した塗料の発明であり、
該低毒性の防汚性物質として、本件発明1のピリチオン塩に該当するものを含む化合物を提供したものである。
そして、船底に付着し除去の対象となる生物は、動物、植物の多種にわたるものであるところ、防汚性化合物がそれら全ての生物に対して同等に効果があるとはいえず、多かれ少なかれ効果に差を持つものであることは、当業者に周知の技術的事項であり(甲3、乙2)、そのような個々の生物に対する選択性を相補うために複数の防汚性化合物を併用することは技術常識である(甲3、乙3ないし5)から、亜酸化銅単独での防汚効果がピリジン系化合物の単独の例より劣るからといって、両化合物の組合せが否定されるわけではなく、引用発明1には、組合せが開示されているのである。
エ 仮定主張 仮に、引用発明1にピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅の組合せの開示が認定できないとしても、本件発明1は引用発明1に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。
すなわち、引用発明1の目的及び解決手段は、前述したように、従来使用されていた水中防汚塗料の活性成分(混合成分)のうち、亜酸化銅(酸化第一銅)との併用成分であるトリアルキル錫化合物やDDTに代わる低毒性の防汚性物質を配合した新しい防汚塗料として、本件発明1のピリチオン塩に該当するものを含む化合物を提供したことであり、ピリジン系化合物(ピリチオン塩等)と亜酸化銅(酸化第一銅)とが併用し得るものとされているのであるから、防汚剤としてピリチオン塩と酸化第一銅を併用することは当業者が容易に想到しうることである。
そして、個々の防汚性化合物の効果の選択性を相補うために、複数の防汚性化合物を併用すること、それにより向上した効果を奏することは、技術常識であり、上記併用により、生物に対する選択性の少ない向上した効果を奏することも、当業者の予想することである。しかも、引用発明1には、ピリチオン塩が亜酸化銅と従来から併用されていたトリアルキル錫化合物より防汚効果が優れることも開示しているから、上記併用が、従来の有機錫化合物との併用より効果を奏するであろうことも当業者の予想するところである。
したがって、本件発明1は引用発明1に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。
(2) 取消事由2について ア 本件決定は、本件発明1での数値範囲の限定に技術的意義があるか否かを判断しているのであって、範囲逸脱があるから本件発明1が不明瞭であるとも、
数値限定は必ずその臨界的意義を必要とするとも判断しているわけではない。もっとも、数値限定は、必ずその臨界的意義(臨界的効果)を必要とするものではないが、本件発明1のように効果に基づかない限定には技術的意義が認められず、進歩性の判断において考慮されないのである。
イ 本件表1には、相乗効果ではなく、防汚性化合物の個々の生物に対する選択性を相補う効果(相加効果)が示されているだけであって、これは当業者の予想するところである。すなわち、殺生物剤を含有しない対照(試料番号1)と比較して、亜鉛ピリチオンはフジツボ以外の生物に対する効果が大きく(試料番号5、
7、8)、銅オキサイドはフジツボに対する効果が大きい(試料番号6)。そして、本件発明1の実施例は、それら両防汚性化合物を、各々の単独使用時の量をそのまま相加する形で併用しており、併用によりフジツボ付着面積も汚れ全面積も減少することは、生物に対する選択性を相補う効果(相加効果)であり、予想を超える相乗効果ではない。つまり、ピリチオン塩単独、酸化第一銅単独の使用では生物に対する選択性を有することは、当業者の技術常識であり、併用による相加効果は当業者が予想するところである。
ウ 原告最終報告書における防汚効果の評価方法は、本件表1の前提となる本件発明1の実施例1のそれと異なるものであり、塗料配合物の組成も配合物3以外は不明であるから、このような報告書の結果を、本件表1のデータを補完するものとして採用することはできない。
(3) 取消事由3について 本件発明1についての一致点の認定及び相違点の判断の誤りに係る反論と同様の理由により、本件発明6についての一致点の認定及び相違点の判断にも誤りはない。
そして、「刊行物2での、上記J.Kに摘示した記載から明らかなように、チオシアン銅塩は船底防汚塗料の防汚性物質として公知であり、亜酸化銅(酸化第一銅)などに比して秀れた性質を有することが知られているものであるうえ、
刊行物1にはピリチオン塩が酸化第一銅以外の公知の無機防汚性化合物と併用しうることも開示されている(上記摘示事項G)のであるから、引用発明1での酸化第一銅に代え、チオシアン酸第一銅を用いることは当業者の容易に想到し得るところである。」(甲1第8頁1〜7行)とした、本件決定の判断にも誤りはない。
(4) 取消事由4について 以上のとおり、本件決定において、本件発明1の「ペイント又はペイント基剤組成物」についての判断に誤りはないので、発明のカテゴリーが異なるだけであって、他の構成において差違のない本件発明7ないし12に係る「(ペイント又はペイント基剤組成物に対する)殺生物効力付与方法」についての判断にも、誤りがない。
当裁判所の判断
1 一致点の認定誤り(取消事由1)について (1)ア 本件決定が認定した本件発明1と引用発明1との一致点のうち、両発明がピリチオン塩を含有するペイントであることは、当事者間に争いがない。原告は、まず、「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず」の一致点の認定が誤りであると主張するので検討する(なお、原告は、本件発明2ないし5に関しても、本件発明1に関する取消事由と同様の主張をする。)。
イ 引用発明1が、本件発明1のピリチオン塩に該当するピリジン系化合物を含有する水中防汚塗料であることは争いがないところ、引用例1(甲3)には、
「さらにこれらのピリジン系化合物は他の公知の無機または有機の防汚性化合物例えば亜酸化銅、亜鉛華、・・・有機錫化合物(例えばトリフエニルチンハイドロオキサイド、トリフエニルチンクロライド、トリフエニルチンフルオライド、トリフエニルチンアセテート)等の化合物を加えて混合して、通常の塗料原料および塗料製造法に従って水中防汚塗料を製造することも可能である。」(甲3第2頁左上欄17行〜左下欄3行)と記載され、併用できる防汚性化合物として、亜酸化銅(酸化第一銅)などとともにフェニル系有機錫化合物が明示されている。
これに対し、本件各発明は、その発明の要旨から明らかなように、
「錫、鉛及びバナジウム」を実質的に含まないことが必須の構成であり、また、本件明細書において、「商用の舶用ペイントには大抵錫のような金属が殺生物剤として含まれている。最近、毒性に対する配慮から、ある種の金属、例えば、鉛及び錫をペイント及びいわゆる「ペイント基剤」(すなわち、顔料添加前の部分的処方のペイント)に使用することを厳重に制限する法規制が施行された。他の重金属にも、例えば、米国特許第4,918,147号明細書の実施例27に開示の含バナジウム組成物によって示されるような、ペイント及びペイント基剤に使用のために開示のバナジウムにも、毒性に対す配慮が行われる。」(甲2第2頁3欄37行〜46行)と記載されるように、毒性に対する配慮を重視して「錫、鉛及びバナジウム」を含まないことが、本件各発明の本質的要素の1つであると認められる。
したがって、引用発明1が、本件発明1と同様に「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず」と認定することは、誤りといわなければならない。
ウ 被告は、引用発明1の実施例において、「錫、鉛及びバナジウム」を含むものが例示されておらず(本件決定の摘示事項H)、引用例1には毒性に対する配慮が記載されている上、本件各発明の優先日当時には、化審法等によりフェニル系有機錫化合物が法規制を受ける物質として指定され、有機錫化合物の毒性や環境汚染性が優先日時の技術常識であることからみて、引用発明1を「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず」とした本件決定の認定に誤りはないと主張する。
確かに、引用発明1の実施例は、ピリチオン塩の使用例として、「錫、
鉛及びバナジウム」を含むものが例示されておらず、また、引用例1には、「本発明の水中防汚塗料は低毒性であり、環境汚染もない点に特徴がある。」(甲3第1頁右下欄)との記載があり、毒性に対する配慮が開示されていると認められる。しかし、前示のとおり、本件各発明が、毒性に対する配慮から「錫、鉛及びバナジウム」を含まないことを発明の本質的要素の1つとするのに対し、引用発明1では、
併用できる防汚性化合物としてフェニル系有機錫化合物が明記されている以上、フェニル系有機錫化合物を積極的に排除するという技術思想を欠いており、このような引用例1の記載全体を統一的に解釈すると、引用発明1について、「錫・・・を実質的に含まず」と認定できないことは明らかである。
また、化審法2条3項は、「この法律において『第二種特定化学物質』とは、次の各号の一に該当し、かつ、その製造、輸入、使用等の状況からみて相当広範な地域の環境において当該化学物質が相当程度残留しているか、又は近くその状況に至ることが確実であると見込まれることにより、人の健康に係る被害を生ずるおそれがあると認められる化学物質で政令で定めるものをいう。」として、「第二種特定化学物質」に関する規制を定めており、その具体的な化合物を規定する化審令1条の2に、平成元年12月27日付けで、「トリフェニルスズ=フルオリド、トリフェニルスズ=アセタート、トリフェニルスズ=クロリド、トリフェニルスズ=ヒドロキシド」などのフェニル系有機錫化合物が追加されたことが認められる(乙1の1ないし3)。しかし、「第二種特定化学物質」に関する規制としては、
化審法23条以下で、製造数量等の届出等が義務付けられるが、その製造輸入等が全面的に禁止されるものではない。そうすると、被告の主張するように、引用発明1の認定解釈において、本件各発明の優先日までの技術常識を考慮するとしても、
上記のような法令等の規制の内容によって、引用発明1が具体的に明示している有機錫化合物について、これを意図的に排除したものまでもが開示されているとして引用発明1の技術思想を認定することは許されないといえる。
したがって、被告の上記主張は採用することができず、本件決定は、引用発明1の認定を誤った結果、本件発明1が「錫、鉛及びバナジウム」を実質的に含まないのに対し、引用発明1が「有機錫化合物」を含む点で相違することを看過したものといわなければならない。
(2) 「向上した殺生物効力を特徴とするペイント」の点について ア 原告は、本件発明1で規定する「向上した殺生物効力」が、従来一般的に使用されてきた「有機錫含有のインターラックス処方物」等に対してより向上した殺生物効力を有するという意味であり、この点で引用発明1と一致するものではないと主張する。
イ 本件明細書(甲2)には、本件各発明の効果に関して、「試験結果は、
表1に示される。比較として、商用の舶用ペイントを用いて同じような方法で試験パネルを調製し、試験を行った。商用ペイントの一つは、トリブチル錫メタシア、
ネートポリマーとチオシアン酸銅との殺生物剤成分(インターラックス(INTERLUX)として市販)を含有するものであり、別の商用ペイントは、その中に殺生物剤として酸化銅を高濃度に含有するものであった。」(6欄40〜47行)、「表1に記載の結果が示すのは、フジツボ及び微生物を含む広範囲の海洋生物に対する改良された殺生物効力が本発明の殺生物剤組成物を用いて得られるということである。より詳しく言えば、これらの結果が示すのは、ピリチオン塩を第一銅塩と一緒に用いると、フジツボの成長並びにファイバーグラス製のパネルのペイント表面上にフジツボと微生物の成長を最小にするということである。この殺生物効力は、従来の、より毒性のあるフジツボ殺害剤、例えば、有機錫化合物を使用しないで得られるのであるから特に顕著である。実際のところ、有機錫含有のインターラックス処方物に対する比較を試みると、この処方物は、喫水線浸漬試験において全汚れ比率はパネルの表面の10%(青色ペイントに対して)及び60%(黒色ペイントに対して)であったが、以下の表1に示されるデータによって明白となるように、本発明の殺生物剤組成物は一般にこれにより改良された殺生物活性を示した。」(6欄50行〜8欄8行)と記載されており、表1の実施例に対する比較例(試料番号5〜8)としては、亜鉛オマジン(ピリチオン塩)及び銅(I)オキサイド(酸化第一銅)の各単独使用例が記載されている。
ウ 以上の記載によれば、本件発明1では、その効果を比較する対照例として、有機錫を成分とするインターラックスを含有する商用ペイントのみならず、酸化銅を高濃度に含有する商用ペイントを示すとともに、本件発明1の実施例による比較対照試験では、亜鉛オマジン(ピリチオン塩)単独、銅(I)オキサイド(酸化第一銅)単独の各比較例に対して、改良された効力を有するとされているものと認められる。
したがって、本件発明1の「向上した殺生物効力」とは、本件明細書に基づく限り、必ずしも有機錫含有のインターラックス処方物のような併用例と対比した効果のみならず、酸化銅を高濃度に含有する商用ペイントや、本件発明1の処方成分であるピリチオン塩及び酸化第一銅の単独の各処方例に対して、向上した効果をいうものと解され、これに反する原告の上記主張は、採用することができない。
他方、引用発明1においても、ピリチオン塩を使用する実施例等と、従来使用されていたトリアルキル錫化合物単独や亜酸化銅(酸化第一銅)単独との比較試験が行われ、殺生物効力において卓越した効果を有することが開示されている(甲3第4頁第1表、第2表)から、前示のような、本件発明1における「向上した殺生物効力」と同様の効果を有するものと認められる。
したがって、本件決定が、引用発明1について、「向上した殺生物効力を特徴とするペイント」と認定したことに誤りはなく、この点に関する本件発明1と引用発明1との一致点の認定にも誤りはない。
(3) 「ピリチオン塩と酸化第一銅とを含有する」の点について ア 原告は、引用例1において、Gの箇所には、ピリチオン塩に対して亜酸化銅だけでなく具体的に実証された併用例が開示されていないこと、亜酸化銅単独使用例がピリジン系化合物単独使用例よりも防汚性能が劣るデータが示されていること、併用効果のない亜鉛華も併用効果のある亜酸化銅も互いに区別することなく併用可能成分として列挙されていること、ピリジン系化合物がその防汚性能において完全無欠な化合物として示されており、生物に対する選択性を相補う効果を求めて他の公知の防汚性化合物と組み合わせることを予定していないこと等が示されているから、引用例1は、ピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅との併用を特異的に開示しているものではないと主張する。
イ しかし、引用発明1においては、前示のとおり、ピリチオン塩に対して併用できる防汚性化合物として、亜酸化銅(酸化第一銅)が明示されている。したがって、併用例が具体的に実証されておらず、また、亜酸化銅単独の使用例の防汚性能が劣るデータが示されているとしても、当業者は、引用例1の記載に基づいて、ピリチオン塩に対して併用できる防汚性化合物として、亜酸化銅を当然認識できるものといえる。また、亜鉛華が亜酸化銅に対して殺生能力が低いことは、後記のとおり周知のことといえるから、併用効果の低い亜鉛華が併用可能成分として列挙されていたとしても、これによって他の公知の防汚性化合物の併用が否定されるものでもない。さらに、引用例1を精査しても、引用発明1のピリジン系化合物が防汚性能において完全無欠な化合物であるとする記載はなく、他の公知の防汚性化合物との組合せを予定していないと認めることもできない。
いずれにしても、原告の上記主張を採用する余地はない。
ウ なお、原告は、引用発明1がピリチオン塩と酸化第一銅を併用することを開示していないことを前提として、ピリチオン塩と酸化第一銅とを選択して併用した本件発明1が、引用例1に列挙された他の公知の防汚性化合物である「亜鉛華」との併用例に対して、同じ数値範囲内において向上した殺生物効力を有することは、原告実験証明書(甲10の2)等により十分に証明されていると主張するので、一応検討する。
原告実験証明書は、ピリチオン塩と酸化第一銅を併用した本件発明1の実施例と、引用発明1に列挙された他の化合物である「亜鉛華」とピリチオン塩との併用例とを比較し、本件発明1が向上した殺生物効力を有するとするものであるところ、亜鉛華については、「白色顔料として塗料用に最も多量に使用される」と記載されている(乙6、「化学大辞典1」共立出版株式会社発行)ように、殺生物剤としてよりむしろ顔料として用いられるものであると認められるのに対し、亜酸化銅(酸化第一銅)は、従前から、水中防汚塗料として毒性の強い防汚剤であることが周知であったと認められる(乙3、特開昭51-129435号公報、乙4、
特開昭62-156173号公報、乙5、特開昭49-36727号公報)。そうすると、亜鉛華を配合した場合と比較して亜酸化銅(酸化第一銅)を配合した場合の殺生物効力が高いことは、当業者が当然に予想することといえる。
したがって、原告実験証明書に基づいて、本件発明1がピリチオン塩と酸化第一銅とを選択したことにより格別の効果を有するものとは認められず、原告の上記主張は採用できない。
エ そうすると、本件決定が、引用発明1について、「ピリチオン塩と酸化第一銅とを含有する」と認定したことに誤りはなく、この点に関する本件発明1と引用発明1との一致点の認定にも誤りはない(なお、仮に原告主張のとおり、引用例1にはピリチオン塩と酸化第一銅との併用の点が開示されていないとしても、引用例1にはピリジン系化合物に加え混合することによって水中防汚塗料を製造することが可能な化合物の例として酸化第一銅が記載されていることや、本件発明1の優先日当時、酸化第一銅が防汚有効成分の1つとして周知であったこと(乙3ないし5)を勘案すると、上記酸化第一銅を併用するという構成は、当業者が容易に想到できたというべきである。)。
(4) 一致点の誤認について ア 以上のとおり、本件決定が認定した本件発明1と引用発明1との一致点のうち、両発明が「向上した殺生物効力を特徴とするペイントであって、ピリチオン塩と酸化第一銅とを含有するペイント」であることは、正当といえるが、「錫、
鉛及びバナジウムを実質的に含まず」とした点は誤りであるので、この点について更に検討する。
イ 引用発明1は、前示のとおり、「低毒性であり、環境汚染もない点に特徴がある」と記載され、毒性に対する配慮が開示されていると認められるところ、
本件各発明の優先日までの間に、化審法等により、地域の環境汚染や人の健康被害を生ずるおそれがある化学物質として、フェニル系有機錫化合物が追加指定され、
その製造等に規制が行われることとなったのであるから、当業者は、当該優先日前に、引用発明1で併用可能とされたフェニル系有機錫化合物が、環境や人体等に有害な化合物であると認識していたものと推認するのが相当であり、したがって、毒性に対する配慮が開示されている引用発明1の水中防汚塗料において、人体等に有害なフェニル系有機錫化合物を積極的に排除する構成に変更することは、当業者にとって容易に想到できることであると認められる。
そうすると、前記のような、本件決定における本件発明1と引用発明1との一致点の誤認によって、本件発明1の進歩性が裏付けられるものではない。
2 相違点の判断誤り(取消事由2)について (1) 本件決定が、相違点(当事者間に争いがない。)の判断において、「該配合量の範囲により格別の効果を奏するものとも認められない。」(甲1第6頁21〜22行)と判断したことに関して、原告は、引用発明1がピリジン系化合物の単独使用例しか開示していないから、本件発明1が臨界的意義を有する必要はないと主張する。
しかし、引用発明1がピリジン系化合物の単独使用例のみを開示したものでないことは、前示のとおりであるから、原告の主張はその前提を欠き、理由がないばかりでなく、本件決定も、本件発明1で規定する数値範囲の内外の臨界的意義が必要であるとはしていないから、原告の同主張は、それ自体失当といわなければならない。
(2) 原告は、本件発明1が、ピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅とを併用し、
両成分の配合量を限定したことによる相乗効果は、本件表1に示されていると主張する。
ところで、本件表1に示されるパネル試験は、本件発明1の実施例の有効性を確認するための比較対照試験であるから、対象となる有効成分以外の成分については、できるだけ同一に組成すべきことが技術常識と解されるところ、本件表1において、添加剤である二酸化チタン、タルク57、ベントナイト及びベントン27については、各試料における処方量が同一ではない例が含まれている。しかも、
本件明細書に、「舶用ペイント製造する場合は、膨潤剤を含ませ、ペイントが海水環境中に次第に『溶け去る』ようにして、海水環境の水媒体と接触しているペイントの表面に殺生物成分(すなわち、ピリチオン塩と銅塩又は酸化第一銅とを併せたもの)を新しく露出させてその殺生物効果を更新させることが好ましい。好ましい膨潤剤は、天然又は合成の粘土で、例えば、カオリン、モンモリロナイト(ベントナイト)、粘土雲母(白雲母)、及びクロライト(ヘクトナイト)などである。」(甲2、4欄43行〜5欄2行)と記載されているように、殺生物効果に及ぼす添加剤の影響が無視できないと認められる。実際にも、対象となる有効成分である亜鉛オマジン(ピリチオン塩)、銅(I)オキサイド(酸化第一銅)、
チオシアン酸銅(I)(銅塩)の組成割合が同一でありながら、添加剤の組成割合のみが異なる試料番号5及び7(全殺生物剤装薬量の記載に不備があるのは、後記のとおり)の間では、とりわけ全浸漬試験の結果(フジツボ以外の生物の付着面積比=28:4)において、客観的に無視できない数値の相違が生じている。
そして、本件表1において、上記添加剤が同一なのは、実施例である試料番号2、3及び10に対して試料番号1及び7、実施例である試料番号12及び13に対して試料番号9のみとなる。このうち試料番号9については、原告が、銅(I)オキサイド「0」が「454」の誤記であることは、試料番号6の同じ化合物が「454」であることから明らかであると主張するが、この点について、本件異議申立事件の担当弁理士は、「試料番号9のチオシアン銅(I)のデータは『0(g)』となっていますが『454(g)』の間違いでした」と述べ(甲11)、
上記主張と矛盾する上、いずれの主張についても、何らの客観的根拠も示されておらず、試料としての信用性を欠くから考慮できない。また、試料番号7についても、全殺生物剤装薬量が「0」とされる不備があるが、この点を誤記と認めるとしても、結局、本件表1において、添加剤の種類及び配合量が一致していて、比較対照が可能であるのは、実施例である試料番号2、3及び10に対して、ピリチオン塩、銅塩及び酸化第一銅を全く含有しない試料番号1と、亜鉛オマジン(ピリチオン塩)単独使用例である試料番号7のみということになる。
したがって、本件表1は、比較対照の試料として不正確なものが含まれており、これに基づいて直ちに原告の主張する相乗効果を裏付けることはできないといえる。
さらに、原告は、本件表1に基づき、銅塩単独ではフジツボに対しての有効性は認められるものの、汚れ全面積については良好な結果が得られず(試料番号6、9)、ピリチオン塩単独ではフジツボに対しても汚れ全面積についても効果が劣っている(試料番号5、7、8)ところ、併用するとフジツボにも汚れ全面積にも極めて優れた効果を示している(同試料番号2〜4,10〜12)と主張する。
しかし、前示のとおり、本件表1において、実施例との比較対照が可能であるのは、試料番号1及び7のみであると認められるところ、ピリチオン塩、銅塩及び酸化第一銅を全く含有しない試料番号1と、亜鉛オマジン(ピリチオン塩)単独使用例である試料番号7とを比較すると、喫水線試験では、フジツボ(フジツボが付着した面積、以下同じ。)について、前者が55に対し後者が50、汚れ全面積(フジツボが付着した面積とフジツボ以外の生物が付着した面積の合計、以下同じ。)について、前者が80に対し後者が53、全浸漬試験では、フジツボについて、前者が50に対し後者が35、汚れ全面積について、前者が85に対し後者が39であり、いずれについても亜鉛オマジン(ピリチオン塩)単独使用例の効果が劣っているわけではないことが明らかであるから、原告の上記主張は、その前提を欠き理由がない。なお、試料番号1では、喫水線試験における汚れ全面積-フジツボが80-55=25、全浸漬試験における汚れ全面積-フジツボが85-50=35であるのに対し、試料番号7では、喫水線試験における汚れ全面積-フジツボが53-50=3、全浸漬試験における汚れ全面積-フジツボが39-35=4であるから、亜鉛オマジン(ピリチオン塩)単独でフジツボ以外の生物の付着防止に効果があることが、喫水線試験、全浸漬試験のいずれにおいても認められる。
そして、原告が主張するように、銅塩単独では、フジツボに対して有効性が認められるだけであり、汚れ全面積(フジツボ以外の生物に対する効果を含む。)について良好な結果が得られないとしても、前記のとおり、ピリチオン塩単独ではフジツボ以外に対して効果があることが認められるのであるから、本件発明1が、両成分を併用することによってフジツボにもフジツボ以外の生物にも優れた効果を示したとすれば、これは、両成分が互いの選択性を相補ったためと理解するのが相当であり、相乗効果と解すべき客観的根拠は認められない。
したがって、原告の前記主張を採用する余地はない。
(3) また、原告は、本件発明1が、単独では特に喫水線試験で防汚性能が低いことが分かっている酸化第一銅をあえてピリチオン塩と併用したことにより、全浸漬試験のみならず、喫水線試験においても優れた防汚効果を発揮させることに成功したのであるから、単独使用例の組合せからの予想を超える相乗効果があると主張する。
確かに、本件表1では、銅(I)オキサイド(酸化第一銅)の単独使用例である試料番号6において、フジツボに対して、喫水線試験3、全浸漬試験1であり、ともに良好な付着防止効果を示す一方、喫水線試験における汚れ全面積-フジツボは75-3=72、全浸漬試験における汚れ全面積-フジツボは10-1=9で、特に喫水線試験におけるフジツボ以外の生物の付着防止効果が劣ることが認められる。しかし、前記のとおり、亜鉛オマジン(ピリチオン塩)単独でフジツボ以外の生物の付着防止に効果があることが喫水線試験、全浸漬試験の両方から認められるのであるから、酸化第一銅をピリチオン塩と併用することによって、喫水線試験及び全浸漬試験のいずれにおいても優れた防汚効果が得られたのは、ピリチオン塩が、酸化第一銅の喫水線試験におけるフジツボ以外の生物の付着防止効果が劣る点を補ったためと理解するのが相当である。
したがって、上記試験結果をもって相乗効果と認めることはできず、原告の上記主張は採用できない。
(4) さらに、原告は、原告最終報告書(甲13の2)に基づき、本件発明1で規定する数値に関して、上限値のみならず下限値についても格別な効果(臨界的意義)が証明されていると主張する。
しかし、この原告最終報告書は、表1に配合物3の組成が記載されているものの、他の塗料配合物については「上記と同様にして次のペイントを調製した。」と記載されているだけで、具体的な組成が記載されていない。この点について、原告は、当業者であれば、表2では亜酸化銅や亜鉛ピリチオンの配合量のみを変えて、他の成分は表1と同様の配合量を添加し、残りは溶媒混合物を追加して100gとしたことが容易に判断できると主張するが、表1の組成において、亜酸化銅、亜鉛ピリチオン、溶媒以外の成分の合計量は、2.8+2.1+15.3+2.5+5.0=27.7グラム(総計の27.7%)となり、これと同様の配合量を添加すると、例えば表2の塗料配合物No.9のように亜酸化銅40重量%、
亜鉛ピリチオン40重量%で配合することは不可能となるから、原告の主張は誤りといわなければならない。
そして、本件表1で検討したように、殺生物効果に及ぼす添加剤の影響は無視できず、実際にも、添加剤の組成割合のみが異なる試料間での試験結果において、客観的に無視できない数値の相違が生じている(試料番号5及び7)のであるから、塗料配合物の具体的な組成が不明である原告最終報告書の試験結果に基づいて、本件各発明の効果(臨界的意義)を立証することは許されないものといわなければならない。
したがって、この点に関する原告の上記主張も採用することができない。
3 本件発明6の一致点認定及び相違点判断の誤り(取消事由3)について 原告は、引用発明2に関して、本件決定が摘示するLの箇所は、引用発明1と同様、「塩化チオシアン銅」単独の使用に基づく実施例であること、引用発明1と異なり、引用例2には、ピリジン系化合物と他の公知の防汚性化合物とを組み合わせることについては全く記載も示唆もされておらず、このため本件決定も、引用例1のGの記述を媒介することにより容易性を判断していること、引用例2における「試験方法 5.浸漬結果」は、対フジツボについてだけであり、引用例1の明細書のような他の海藻類については全くその結果が示されていないことを指摘する。
しかし、本件決定は、引用発明1に本件発明1と同様のピリジン系化合物と酸化第一銅を併用したペイントが開示され、他の公知の防汚性化合物と組み合わせることについての記載があることを前提として(この認定が正当であることは、前示のとおりである。)、当該酸化第一銅に代えて、引用発明2に開示される同様の船底防汚塗料であるチオシアン酸第一銅塩(塩化チオシアン銅)を用いることが、
当業者にとって容易であると判断したものである。したがって、引用発明2自体がチオシアン酸第一銅塩の単独の使用例であることや、他の公知の防汚性化合物とを組み合わせることについての明示の記載がない(ただし、引用発明2においても、
添加物及び化合物は広い範囲で変更し得るとされる。甲4第2頁左欄25ないし27行)ことは、本件決定の上記判断に影響を及ぼすものではない。また、引用例2には、「貝類のごとき水棲生物や藻類に対する毒性は極めて低濃度で効果を現し」(甲4第1頁右欄10ないし12行)と記載されているから、その効果を確認する浸漬結果が、対フジツボのみを明示しているとしても、フジツボ以外の水棲生物や藻類に対する効果を有するものとされていることは明らかであり、本件発明1及び6と異なるところはない。
いずれにしても、原告の上記主張は誤りであり、これを採用する余地はない。
4 本件発明7ないし12の判断誤り(取消事由4)について 原告は、本件発明1の判断に誤りがあるから、該組成物に対応する本件発明7についての判断も誤りであり、本件発明8ないし12についての判断にも誤りがあると主張するが、本件発明1の判断に誤りがないことは、前示のとおりであるから、この主張もその前提を欠き、理由がない。
5 結論 (1) 以上のとおり、本件決定は、引用発明1について「錫、鉛及びバナジウムを実質的に含まず」と認定した点を除いて誤りはなく、この誤認があっても、当業者が引用発明1及び技術常識に基づいて本件発明1を容易に発明することができたものと認められるから、本件発明1は、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないといえる。
(2) 原告は、本件発明2ないし5に関して、本件発明1に関する取消事由と同様の主張をするのみであるから、これらがいずれも採用できないことは、前記判断と同様である。そして、本件発明6ないし12に関する本件決定の判断が正当であることは前記のとおりである。
そうすると、本件各発明は、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものとなり、これと同旨の本件決定に誤りはなく、その他本件決定にこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
(3) よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 北山元章
裁判官 青柳馨
裁判官 清水節