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審判番号(事件番号) データベース 権利
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平成16ワ14321特許権譲渡代金請求事件 判例 特許
平成13ワ7196特許権譲渡対価請求事件 判例 特許
平成16ワ11060職務発明の対価請求事件 判例 特許
平成5ネ723 判例 特許
関連ワード 特許を受ける権利 /  承継 /  発明者 /  考案者 /  職務発明 /  業務発明 /  業務範囲 /  無償の通常実施権 /  相当の対価(相当な対価) /  協議 /  反復(反復可能性) /  反復実施 /  技術的思想 /  創作性(創作) /  新規性 /  進歩性(29条2項) /  技術的範囲 /  特許の有効性 /  技術的手段 /  発明の詳細な説明 /  優先権 /  着想 /  実施料相当額 /  優先日 /  実施 /  加工 /  業として /  差止請求(差止) /  侵害 /  損害額 /  実施料 /  不法行為(民法709条) /  実施権 /  通常実施権 /  実施許諾(実施の許諾) /  設定登録 /  移転登録 /  発明の範囲 /  対価 /  拒絶査定 /  拒絶理由通知 /  請求の範囲 /  変更 / 
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事件 平成 14年 (ワ) 3694号 特許権侵害差止等請求事件
原告A
訴訟代理人弁護士 土谷喜輝
補佐人弁理士 蔦田正人
被告 大昭和精機株式会社
訴訟代理人弁護士 山上和則
同 藤川義人
同 冨來 真一郎
裁判所 大阪地方裁判所
判決言渡日 2003/09/11
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
請求
1 被告は、原告に対し、別紙特許目録記載の特許権について、被告から原告への移転登録手続をせよ。
2 被告は、別紙製品目録記載の各製品を製造し、販売し、販売のために展示してはならない。
3 被告は、原告に対し、金5000万円及び平成14年4月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
事案の概要
本件は、原告が、「スパナ」に関する発明を行い、被告にはその発明について特許を受ける権利を譲渡していないにもかかわらず、同発明について被告が特許権者として設定登録され、かつ、被告が同発明の実施品である製品の製造、販売等をしているとして、被告に対し、@特許権の移転登録手続を求めるとともに、A移転登録が認められる場合には特許権に基づき、被告製品の製造販売等の差止めを求め、B主位的に不当利得返還請求権に基づき、予備的(その1)に不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、予備的(その2)に特許法35条3項の規定による相当の対価請求権に基づき、金員の支払を求めている事案である。
1 争いのない事実等(証拠の掲記のないものは当事者間に争いがない。) (1) 当事者 ア 被告は、工作機械保持工具の製造販売等を業とする株式会社である(乙第5号証)。
イ 原告は、昭和50年9月被告に入社して大阪工場製造部研磨班に配属され、製造部の班長を経て、平成元年3月大阪工場製造部第2ブロック研磨グループのグループリーダーに、平成3年9月大阪工場製造部製造2課研削Aブロックのブロックリーダーにそれぞれ就任し、平成6年7月製造2課組立Cチーム勤務となった後、同年8月4日被告を退職した。
(2) 本件特許等 ア 本件特許 被告は、平成6年7月8日、原告及びBを発明者として、次の特許出願(以下、この出願を「本件出願」といい、この出願に係る発明を「本件発明」という。)を行った。本件出願に基づき、被告を特許権者とする特許権(以下「本件特許権」という。)の設定登録がされている(甲第2、第3号証)。
特許番号 第3155888号 発明の名称 スパナ 出願日 平成6年7月8日 公開日 平成7年3月14日(特開平7-68473号) 登録日 平成13年2月2日 優先権主張番号 特願平5-193106号 優先日 平成5年7月8日 優先権主張国 日本 特許請求の範囲 別紙特許公報該当欄記載のとおり イ 先の出願 被告は、平成5年7月8日、本件出願に先立ち、原告を発明者として、
発明の名称を「スパナ」とする特願平5-193106号の特許出願(以下「先の出願」という。)をした(乙第1号証の2、3)。
先の出願における、特許請求の範囲は、次のとおりである(乙第1号証の3)。
【請求項1】締結部材をその軸周りに回転させることにより締結部材を他の部材に対して締め付けるためのスパナであって、前記締結部材の外周に装着される内周面を有し、この内周面にはスパナ本体の少なくとも一方向への回転により締結部材の外周と前記内周面との間に喰い込むくさび部材が配置されたスパナ。
【請求項2】前記内周面にはくさび部材を収納する溝が形成され、この溝は遊び領域とくさび領域が連続的に形成されることにより構成され、くさび部材は、スパナ本体の前記一方向への回転によりくさび領域に位置して締結部材の外周と該くさび領域の壁面との間に喰い込むように構成された請求項1記載のスパナ。
【請求項3】くさび部材は、スパナ本体が前記一方向と逆方向に回転することにより、遊び領域に移動するよう構成された請求項2記載のスパナ。
【請求項4】前記溝は、くさび領域が遊び領域の周方向両側に連続的に形成され、くさび部材はスパナ本体の前記一方向またはその逆方向への回転により遊び領域からいずれかの一方向のくさび領域に移動して締結部材の外周面と該くさび領域の壁面との間に喰い込むように構成された請求項2記載のスパナ。
なお、先の出願の明細書では、実施例として、スパナをチャックの回転筒に装着して時計回りに回転させることによりくさび部材が遊び領域からくさび領域に転動するとともに、ばねの付勢力によりくさび領域に押し込まれてスパナと回転筒が一体化されるもの(実施例1。乙第1号証の3図4参照)と、遊び領域の周方向両側にくさび領域を設け、スパナを回転筒に装着して回転させることによりくさび部材がくさび領域に転動するとともに、板ばねに付勢された円柱の突出力によりくさび領域に押し込まれてスパナと回転筒が一体化されるもの(実施例2。乙第1号証の3図9参照)が示されている。
ウ 本件出願以降本件特許権設定登録がなされるまでの経緯 (ア) 本件出願 本件出願は、先の出願を優先権主張の基礎としてされた。本件出願における当初の特許請求の範囲は次のとおりである(乙第2号証の3)。
【請求項1】締結部材をその軸回りに回転させることにより締結部材を他の部材に対して締め付けるためのスパナであって、前記締結部材の外周に装着される内周面を有し、この内周面にはスパナ本体の少なくとも一方向への回転により締結部材の外周と前記内周面との間に喰い込むくさび部材が配置されたスパナ。
【請求項2】前記内周面にはくさび部材を保持する保持手段が設けられ、この保持手段は、くさび部材を収容する遊び領域とくさび領域を形成し、くさび部材は、スパナ本体の前記一方向への回転によりくさび領域に位置して締結部材の外周と該くさび領域の壁面との間に喰い込むよう構成された請求項1記載のスパナ。
【請求項3】くさび部材は、スパナ本体が前記一方向と逆方向に回転することにより、遊び領域に移動するよう構成された請求項2記載のスパナ。
【請求項4】前記保持手段は、スパナ本体の内周面に配置され、くさび部材を周方向に一定の範囲で移動可能に保持するリテーナと、スパナ本体の内周面に形成され、前記遊び領域と前記くさび領域の深さを決定する溝と、備えている請求項2または3記載のスパナ。
【請求項5】リテーナは、スパナ本体の内周面に固定され、かつくさび部材が遊び領域とくさび領域の間を移動するのを許容する保持部を有している請求項4記載のスパナ。
【請求項6】リテーナは、スパナ本体の内周面に対して周方向に一定の範囲で移動可能に取り付けられることにより、くさび部材が遊び領域とくさび領域の間を移動するのを許容するよう構成されている請求項4記載のスパナ。
【請求項7】前記くさび領域は遊び領域の周方向両側に連続的に形成され、くさび部材はスパナ本体の前記一方向またはその逆方向への回転により遊び領域からいずれかの一方向のくさび領域に移動して締結部材の外周面と該くさび領域の壁面との間に喰い込むよう構成された請求項2記載のスパナ。
【請求項8】前記くさび部材を遊び領域からくさび領域に向かって付勢する付勢手段を備えた請求項2乃至7のいずれかに記載のスパナ。
なお、本件出願において、先の出願における実施例1(本件出願の実施例1)、先の出願における実施例2(本件出願の実施例4)のほか、スパナの内周面にリテーナを固定し、くさび部材の付勢手段として板ばねを使用するもの(実施例2。乙第2号証の3図9参照)と、スパナ本体にリテーナを固定せずに、リテーナを回動することによりくさび部材を遊び領域からくさび領域に移動させる構成をとり、付勢手段をリテーナに設けるもの(実施例3。乙第2号証の3図10)が付け加えられた。
(イ) 平成10年補正 特許庁審査官は、平成10年6月23日付けで、ワンウェイクラッチを利用したスパナについての引用文献の存在を理由に、本件発明は進歩性を欠くとする拒絶理由通知を発した(乙第2号証の14)。そこで被告は、同年8月17日付け手続補正書を提出して、特許請求の範囲について次のとおり補正した(以下「平成10年補正」という。)(乙第2号証の18、19)。
【請求項1】締結部材をその軸回りに回転させることにより締結部材を他の部材に対して締め付けるためのスパナであって、
前記締結部の外周に装着される内周面を備えたスパナ本体を有し、当該スパナ本体の内周面には、くさび部材と、当該くさび部材を保持すると共に、前記くさび部材を収容する遊び領域とくさび領域を形成する保持手段が設けられ、
当該保持手段は、前記くさび部材を周方向に一定の範囲で移動可能に保持するリテーナと、スパナ本体の内周面に形成され、前記遊び領域と前記くさび領域の深さを決定する溝と、を備え、
前記くさび部材は、スパナ本体の少なくとも一方向への回転によりくさび領域に位置して、前記締結部材の外周と該くさび領域の壁面との間に喰い込むよう構成され、かつ前記スパナ本体が前記一方向と逆方向に回転することにより、
遊び領域に移動するスパナ。
【請求項2】リテーナは、スパナ本体の内周面に対して周方向に一定の範囲で移動可能に取付けられることにより、くさび部材が遊び領域とくさび領域の間を移動するのを許容するよう構成されている請求項1記載のスパナ。
【請求項3】前記くさび領域は、遊び領域の周方向両側に連続的に形成され、くさび部材はスパナ本体の前記一方向またはその逆方向への回転により遊び領域からいずれかの一方向のくさび領域に移動して締結部材の外周面と該くさび領域の壁面との間に喰い込むよう構成された請求項1記載のスパナ。
【請求項4】前記くさび部材を遊び領域からくさび領域に向かって付勢する付勢手段を備えた請求項1ないし請求項3のいずれか一項に記載のスパナ。
(ウ) 平成11年補正 しかし、平成10年補正に対しても、特許庁審査官は、前記(イ)と同じ理由で、平成11年5月31日付けで拒絶査定を行った(乙第2号証の21)。
そこで、被告は、同年7月2日付けで手続補正書を提出し、特許請求の範囲についてさらに次のとおり補正を行った(以下「平成11年補正」という。)(乙第2号証の22、23)。
【請求項1】締結部材をその軸回りに回転させることにより、締結部材を他の部材に対して締め付けるためのスパナであって、
前記締結部材の外周に装着される内周面を備えたスパナ本体を有し、
当該スパナ本体の内周面には、くさび部材と、当該くさび部材を保持すると共に、前記くさび部材を収容する遊び領域とくさび領域を形成する保持手段が設けられ、
当該保持手段は、前記スパナの周方向に回動すると共に、当該回動によって、前記くさび部材を周方向に一定の範囲で移動可能に保持するリテーナと、
当該リテーナを前記くさび部材が前記遊び領域からくさび領域の方に移動する方向に付勢するばねと、スパナ本体の内周面に形成され、前記遊び領域と前記くさび領域の深さを決定する溝と、を備え、
前記くさび部材は、スパナ本体の少なくとも一方向への回転によりくさび領域に位置して、前記締結部材の外周と該くさび領域の壁面との間に食い込むよう構成され、かつ前記スパナ本体が前記一方向と逆方向に回転することにより、
遊び領域に移動するスパナ。
【請求項2】前記くさび領域は、遊び領域の周方向両側に連続的に形成され、くさび部材はスパナ本体の前記一方向またはその逆方向への回転により遊び領域からいずれか一方向のくさび領域に移動して締結部材の外周面と該くさび領域の壁面との間に食い込むよう構成された請求項1記載のスパナ。
(エ) 平成12年補正 これに対して、特許庁審査官は、「請求項2において『ばね』がどのように取り付けられるのかが不明確」であり、特許法36条5項及び6項の要件を満たしていないとして拒絶理由通知を平成12年7月11日付けで発した(乙第2号証の25)。そこで被告は、同年8月10日付けで手続補正書を提出し、平成11年補正における請求項2を削除する補正を行った(乙第2号証の26、27)(以下「平成12年補正」という。)。
平成12年補正の結果、特許査定がなされた(乙第2号証の32)。
(3) 本件和解契約 ア 本件和解契約の締結 原告と被告は、平成7年3月6日付けで、別紙出願目録記載の先の出願及び実用新案登録出願6件(以下、併せて「本件和解対象出願」という。)について、次のような和解契約(以下「本件和解契約」といい、その際作成された和解契約書を「本件和解契約書」という。)を締結した(甲第1号証)。
本件出願は、先の出願を優先権主張の基礎としてされた出願であるから、後記Bにより、当然に本件和解対象出願に含まれる。
@ 被告は、本件和解対象出願により被告が受けるべき利益の額並びに本件和解対象出願がなされるについて被告が貢献した程度を考慮した上、発明(考案)時対価・出願対価・登録時対価・実績(実施)時対価として、本件和解契約締結後7日以内に、金300万円を原告の指定する銀行口座に送金して支払う(第1条第1項)。
A 本件出願が登録されたときは、被告は、原告に対し、被告が権利者として登録原簿に登載されてから1か月以内に、前項記載の各対価として、さらに金200万円を前項と同様の方法により支払う(第1条第2項)。
B 原告は、上記@、Aの対価が、本件和解対象出願に関する優先権主張、分割特許、継続出願特許、一部継続出願特許、再発行特許、再審査特許、更新特許、確認特許などの国内外の関連特許、実用新案、意匠等に対する、上記@記載の各対価をも含むものであることを了承する(第1条第3項)。
C 本件和解対象出願のうち、別紙出願目録3及び4記載の実用新案登録出願(実願平3-113340号〔センタ研磨装置〕、実願平5-518号〔センタ研磨工具〕)が登録されたときは、各登録時以降、被告は、原告に対して、各実用新案について、センタ研磨工具を製造、使用及び販売する無償の通常実施権(再実施権の付与、下請への製造委託を含まない。)を付与する(第2条)。
D 本件和解対象出願が権利化されるか否かにかかわりなく、原告は被告が自ら実施し、又は第三者に実施許諾することに対し、何ら異議を唱えず、また上記@ないしB記載の各金員以外、何らの対価も請求しない(第3条)。
イ 本件和解契約締結後の金員の支払状況 被告は、本件和解契約後上記ア@に従い、原告に対して、300万円を支払った(乙第64号証)。また、被告は、平成13年2月2日に本件出願が登録原簿に登載されたために、同年10月26日付けで、上記アAに従って200万円及び遅延損害金を支払う旨通知したが(甲第4号証)、原告は、本件和解契約は錯誤により無効であると主張して、当該金員の受領を拒んだ。
ウ 実用新案権について 本件和解対象出願のうち実願平3-113340号の実用新案については、平成7年2月14日付けで実用新案法3条2項を理由とする拒絶理由通知書が発送され、結局権利として成立しなかった(甲第9、第10号証)。実願平5-518号の実用新案については、その後、被告が原告に実用新案登録を受ける権利を譲渡し(乙第70号証の1ないし3)、平成8年9月10日、原告を実用新案権者として設定登録された(甲第8号証)。
(4) 被告は、別紙製品目録記載の製品(以下「被告製品」という。甲第6号証)を製造販売している。被告製品は、本件発明の技術的範囲に含まれる。
2 争点 (1) 原告は、被告に対し、本件特許権について原告への移転登録手続を求めることができるか。
ア 原告は、本件発明の発明者か。
イ 原告は、本件発明の特許を受ける権利を被告に譲渡したか。
ウ 原告は、被告に対し、本件特許権について、原告への移転登録手続を請求できるか。
(2) 原告は、被告に対し、被告製品の製造販売等の差止めを求めることができるか。
(3) 本件和解契約は錯誤により無効か。
(4) 原告は、被告に対し、被告が本件発明を実施したことにつき、不当利得返還請求をすることができるか。
(5) 原告は、被告に対し、被告が本件発明を実施したことにつき、不法行為に基づく損害賠償請求をすることができるか。
(6) 本件発明の特許を受ける権利が被告に承継されているとすれば、原告は、
被告に対し、特許法35条3項に基づく相当の対価の請求ができるか。
争点に関する当事者の主張
1 争点(1)(原告は、本件発明の発明者として、被告に対し、本件特許権について原告への移転登録手続を求めることができるか)について (1) 争点(1)ア(原告は、本件発明の発明者か)について 【原告の主張】 ア 本件発明の発明者は原告である。
原告は、平成5年初めころ、被告のFA事業部(ファクトリーオートメーション事業部の略で、工場自動化に関する事業を行う。)担当の常務取締役であるCに対し、ナットからスパナ掛け部を取り除き、かつ締め付け作業を容易にするためのレンチ(=ナットやボルト又は管などをねじ回すのに用いる工具。スパナ。
(広辞苑[第5版]))として、甲第7号証の2図1(ただし、本体枠と開閉枠に分割するとの部分は除く。)、図2、図6、図9のような内容を手書きで作成した図面を示した。被告は、それに基づいて先の出願及び本件出願を行ったのであるから、本件発明の発明者は原告である。
イ 被告は、本件発明の本質は付勢ばねの存在であり、その発明者は被告従業員Dであって原告ではないから、原告は本件発明の発明者ではないと主張する。
しかし、この主張は次のとおり失当である。
(ア) 本件発明の特徴は、締付用工具の開口部にナット等が係合するようにスパナをナットのエッジや係合溝に係合させる手間を省くため、締結部材を従来のような角柱状ではなく円柱状にし、しかもスパナ掛け部を省く点にある。付勢ばねは、そのための一要素にすぎない。拒絶理由通知が出された後に請求項にある要素を追加し、発明の範囲を限定したからといって、その追加された要素がその発明の本質的要素になるとは限らない。
(イ) 付勢ばねを組み入れる着想をした者も原告である。原告は、当初から付勢ばねの利用の可能性についても説明していた。このことは、先の出願の時点において、その実施例において付勢ばねの使用が記載されていることからも裏付けられる。
(ウ) リテーナに付勢ばねをつける構造についても、当初から被告に説明していた。先の出願にその構造が示されていないのは、被告がこれを除外して先の出願を行ったからである。
【被告の主張】 本件発明の発明者は、被告従業員Dであって、原告ではない。
ア 先の出願及び本件出願の出願経緯からすると、スパナにおいて、一方向に回転した場合に締め付け、他方向に回転した場合に遊ぶという機構自体は、一般によく知られているワンウェイクラッチでしかなく、これを実現するためにスパナに保持手段、くさび部材、リテーナを用いたとしても、それだけでは進歩性があるとはいえない。したがって、先の出願に係る発明は進歩性を欠くものであった。本件発明が進歩性を有するとされたのはリテーナに付勢ばねを設けた点にあり、この構成こそが本件発明の本質的要素というべきであって、このような構成に限定したことによって、ようやく特許が認められたのである。すなわち、本件発明の発明者は、ワンウェイクラッチスパナのリテーナに付勢ばねを組み入れる着想をした者というべきである。
イ 「リテーナに付勢ばねを設ける」という着想は、平成5年8月以降スパナの開発業務に加わった被告従業員Dが、トルクレンチの開発業務中に得た「リング状の付勢ばねを取り付ける」という着想(乙第39号証の1ないし4、第40号証の1ないし6参照)を、スパナの開発において取り入れた(乙第44号証の1ないし11、第45号証の1ないし5、第46号証の1ないし19)ものであるから、本件発明の発明者はDである。
ウ 先の出願の明細書(乙第1号証の3)の実施例には、くさび部材を、遊び領域からくさび領域に向かって付勢するばねについて記載されている。しかし、
「リテーナに付勢ばねを設ける」ことについては実施例を含めて何ら記載されておらず、そのような技術的思想は同明細書のどこにも見当たらない。先の出願の段階では、「リテーナに付勢ばねを設ける」という本件発明の本質的な技術思想は生まれていなかった。
エ 原告は、平成5年ころCに対して、図面等を持参して本件発明を説明したと述べている。しかし、Cは原告からスパナの図面等を見せられたことはない。
Cは、平成5年1月頃、原告から相談を受けたことはあるが、それは、スパナに関する事柄ではなく、市販されているワンウェイクラッチを利用してミーリングチャックができないか、ということであった。
(2) 争点(1)イ(原告は、本件発明の特許を受ける権利を被告に譲渡したか)について 【被告の主張】 先の出願にかかる発明は、原告による職務発明であるところ、被告は、原告の口頭での承諾を得て、先の出願に係る発明について特許を受ける権利を譲り受けて出願した。本件発明は、原告の発明ではないが、これについても特許を受ける権利を原告の了解により被告は譲り受けており、本件和解契約はそのことを前提として締結されたものである。
【原告の主張】 原告は、被告に対し、本件発明について特許を受ける権利を、明示にも黙示にも、譲渡したことはない。
(3) 争点(1)ウ(原告は、被告に対し、本件特許権について、原告への移転登録手続を請求できるか)について 【原告の主張】 原告は、被告に対し、本件発明について特許を受ける権利を譲渡していないことを理由として、本件特許の無効審判請求をすることもできるが、これによっても原告の権利が回復されるわけではない。原告被告間には、本件特許の新規性進歩性には争いがなく、単にその帰属について争いがあるだけであるから、裁判所において、移転登録手続の請求が認められるべきである(最高裁平成13年6月12日第三小法廷判決・民集55巻4号793頁参照)。
【被告の主張】 争う。
2 争点(2)(原告は、被告に対し、被告製品の製造販売等の差止めを求めることができるか)について 【原告の主張】 原告は、本件発明について、現時点では特許権者として登録されていないが、本訴で被告に対し本件特許権の移転登録手続を求めており、移転登録が認められた後に、再度差止請求訴訟を提起しなければならないとすると、原告にとって過大な負担となる。したがって、移転登録手続が認められる場合には、原告に特許権者としての地位が認められるのであるから、特許権者としての権利である差止請求も認められるべきである。
【被告の主張】 争う。
3 争点(3)(本件和解契約は錯誤により無効か)について 【原告の主張】 原告は、本件和解契約締結時、本件発明が職務発明であること、本件和解対象出願の発明及び考案の相当な対価額は合計500万円程度であること、実用新案権の譲渡を受けることができること、以上の点を信じていた。しかし、真実は、本件発明は職務発明ではなく、本件和解対象出願の発明及び考案の対価額が500万円というのは不当に低い金額であり、また、センタ研磨装置の実用新案権の譲渡を受けることはできなかった。これらの点はいずれも本件和解契約締結の要素というべきであるから、本件和解契約は要素の錯誤により無効である。
(1) 本件発明が職務発明であることは要素の錯誤であること ア 本件発明は職務発明ではないこと 被告において、新製品の発明を行うのは技術部であるところ、原告は、
本件発明を行った時もそれ以前も、技術部に所属したことはなく、製品の製造を行う製造部に所属していた。また、原告は、本件発明に関する図面やサンプルをすべて自宅で製作し、被告の協力、援助等は全く得ていない。
被告の社内提案制度は、主に業務の効率化等の提案に対して適用されており、特許の出願等に適用されていたものではない。原告は、被告在職当時、多数の発明・考案を行ったが、社内提案制度に基づき褒賞金を受けたことは一度もない。したがって、原告が、被告在職中に被告の事業に関してした発明が職務発明であるということはできない。
イ 本件発明が職務発明であることは、本件和解契約に表示されており、かつ、この点の錯誤は要素の錯誤であること 本件発明が職務発明に該当するかどうかは、本件和解契約における対価を算定する上で非常に重要な要素であり、この点について錯誤があれば、要素の錯誤に当たる。
そして、本件和解契約書においては、第1条1項(上記第2、1、(3)、
ア、@)が特許法35条4項の規定をそのまま用いているところから、本件発明が職務発明であることが表示されていたと解される。
ウ 原告が本件発明は職務発明であると誤解していたこと 原告は、被告の、会社内でした発明は会社に権利が帰属するので、本件発明に係る特許を受ける権利も会社に帰属するとの説明が正しいと信じていた。
被告は、内容証明郵便(乙第3号証)において、本件発明が職務発明ではないと明記されていること、本件和解契約交渉中も「職務発明」か否かの議論があったこと、本件和解契約に関して原告は弁護士に相談していたことなどを指摘して、原告が「職務発明」の意味を理解していたと主張する。しかし、内容証明郵便は依頼した弁護士が書いたものであって原告は見ておらず、また本件和解契約交渉中「職務発明」について弁護士が説明してくれず、さらに、弁護士が「特許に詳しくない」と述べたため本件和解契約締結に関しては弁護士に相談しなかった。したがって、原告が「職務発明」の意味を理解して本件和解契約を締結したということはできない。
(2) 原告は、本件発明の価値、相当な対価額について誤信していた。
本件発明の価値は本件和解契約の重要な要素である(本件和解契約第1条参照。上記第2、1、(3)、ア、@ないしB)。しかるに、原告は、被告から、本件発明について特許権が成立する可能性は少なく、それほど価値もないという説明を聞かされ、本件和解対象出願の発明及び考案に対する対価は500万円が相当であると誤信して、本件和解契約を締結した。
本件発明は、結局特許権が成立し、しかも、被告の主力商品であるメガチャックシリーズ(年間数十億円は売れているはずである。)に不可欠な価値のある発明であった。原告が本件発明の実際の価値について説明を受け、それを理解していれば、本件和解契約は締結しなかった。
(3) 本件和解契約書上は、別紙出願目録3(センタ研磨装置)及び4(センタ研磨工具)の実用新案については、原告に通常実施権を認めることとされている。
しかし、実際は、被告側は、通常実施権でなく、実用新案権を原告に譲渡すると説明しており、現に、センタ研磨工具に関する権利は原告に譲渡されている。原告は、これらの実用新案権の譲渡を受けられると信じて本件和解契約を締結したものである。
しかるに、被告は、センタ研磨装置の実用新案(実願平3-113340号)について、平成7年2月14日時点で既に拒絶理由通知が発せられているにもかかわらず、この事実を原告に秘匿し、原告をして、実用新案を譲り受けることができると誤信させて、本件和解契約を締結させた。
【被告の主張】 仮に本件発明の発明者が原告であるとしても、原告と被告は、本件発明に係る特許を受ける権利が被告に譲渡されていることを前提に、本件発明等に関する報奨金として、被告が原告に対して合計500万円の金員を支払う旨、その余の債権債務は存在しない旨の本件和解契約を締結している。
原告は、本件和解契約が要素の錯誤により無効である旨主張するが、次のとおり失当である。
(1) 仮に本件発明の発明者が原告であるとしても、本件発明は職務発明である。そして、原告はその点を認識しており、錯誤はない。
ア 本件発明が職務発明であること 被告は、平成5年以前より、社内提案制度を設けており(乙第59号証)、被告従業員が、被告の業務上有利な技術及び新製品の開発に関する提案等を行うことを推奨すると同時に、価値のありそうな提案には褒賞金を出し、被告の事業に利用できそうな提案に関しては特許等の出願を行っていた。また、このような制度を採用したことから、被告は、社内でされた発明等を製品や方法として完成させるために、材料を購入したり、部内や他部署の協力を得て現物を試作したりすることについて、日常の本来的業務に支障を来さぬ限り、了解していた。
原告も、このような制度や環境の下、職場における治具、工具、測定具等の改良や改善に関し、多くの提案を行ってきた。一例として、原告は、平成4年12月5日に開催された被告の「3Cサークル成果発表会」(乙第67号証)で3C提案社長賞を受賞し、副賞として金員を受領した。なお、この表彰の対象になった「センター研磨加工機」は、実願平3-113340号に係るものである。
以上からすれば、平成5年当時製造部研削グループのリーダーであった原告がスパナに関してした先の出願に係る発明は、被告の業務の範囲内の技術及び製品に関する発明であって、被告の出費で購入された資材や営業時間内で研究実験され、原告の部下や他部署の協力を得た中で、被告の了解の下にされたものであるから、職務発明というべきである。
イ 原告は、平成6年8月4日付けで被告を退職した後、本件に関する法律相談をした際、弁護士に対し、職務発明業務発明の違いを教えてほしい、法律的に原告のものになるなら取り返して欲しい旨述べた。そして、相談した弁護士を通じて、被告に対し、本件は職務発明ではないと主張する平成6年8月10日付け内容証明郵便(乙第3号証)を発送している。また、本件発明に関する第1回目の交渉の席上、原告と被告の間で職務発明に関する話が出ていたが、第2回目の交渉以降は、専ら金額と特許の有効性が話題となった。以上のような経過からすれば、本件和解契約は、本件発明が職務発明に該当するか否かにかかわらず、すべてを解決しようとして締結されたものであり、本件発明が職務発明であることを前提として締結されたものではないから、要素の錯誤があったという原告の主張は失当である。なお、原告は、本件和解契約締結に関して、最後まで弁護士との連絡を取り合っていた。
(2) 原告が関与した先の出願に関して、他社の先願やアメリカ製の商品等があるため、機構的に踏み込んだ補正をしなければならなかったことは、先の出願や平成6年7月になされた本件出願に関し、拒絶理由通知や補正が繰り返された後ようやく特許査定に至った経過(上記1、(2)、ウ参照)から明らかである。原告は、被告側の説明を聞いた上で、まず300万円、次いで本件出願が登録されたときには200万円を支払うという内容で納得し、300万円については異議なく受領したのである。したがって、原告に金額の点で錯誤があったということはできない。
(3) センタ研磨工具にかかる実用新案については、当初は本件和解契約どおり、原告に通常実施権を付与することとしていたが、被告ではこの実用新案の実施品を製作しない上、実用新案登録費用や年金の支払コストが生じるだけであり、これを保有・維持するメリットがなかったため、原告に譲渡することにした。原告も、当初は通常実施権だけであったのが、実用新案権自体を譲り受けることができ、より有利な内容となったため、何ら異存なく譲り受けた(乙第70号証の1ないし3)。
したがって、この点が本件和解契約の要素の錯誤となって同契約が無効となることはない。
4 争点(4)(原告は、被告に対し、被告が本件発明を実施したことにつき、不当利得返還請求をすることができるか)について 【原告の主張】 原告は、被告に対して、本件特許を受ける権利を譲渡しておらず、本件発明は原告を特許権者として設定登録されるべきであった。本件発明が原告を特許権者として設定登録されていれば、被告は、原告に対し、被告製品の製造及び販売のための実施料を支払う必要があった。ところが、被告は自己が権利者でないにもかかわらず、自己を特許権者として本件発明の設定登録を行ったことにより、かかる実施料を支払わずにすんでおり、実施料相当の利益を得ている。
また、被告は、本件特許の特許権者として設定登録することにより、他の競合企業が同様の製品を製造・販売することを防いで、本件製品を製造・販売することができたのであり、この販売による利益を得ている。
これらの利得は、被告が特許を受ける権利の譲渡を受けていないにもかかわらず特許権者として本件特許の設定登録を行ったことにより生じたものであり、法律上の原因を欠く利得である。
他方で原告は、被告が自己を特許権者として本件特許の設定登録を行ったことにより、実施料を得ることができなかった。仮に原告を特許権者とする本件特許が設定登録され、被告が原告に対する実施料の支払に応じない場合には、原告が他社に本件特許の使用許諾を与え、実施料を受領した蓋然性は極めて高い。
被告の年間売上高約100億円のうち、被告製品の占める割合10パーセント以上であり、本件特許権に基づく実施料は5パーセント以上である。よって、これらを乗じた5000万円が、本件特許権の1年間の実施料である。本件特許権設定登録後1年半経過しているので、原告の損失は、金7500万円を下らず、被告は7500万円以上の利益を得ていると解される。原告は、本訴において、被告に対し、不当利得の内金と して、5000万円の支払を求める。
【被告の主張】 争う。
5 争点(5)(原告は、被告に対し、被告が本件発明を実施したことにつき、不法行為に基づく損害賠償請求をすることができるか)について 【原告の主張】 本件発明の真の発明者は原告であり、これは職務発明に該当しない。また、
原告は、本件特許を受ける権利を被告に譲渡していない。被告は、かかる事実を十分認識していたにもかかわらず、自己の名義で先の出願及び本件出願を行い、自己を特許権者とする設定登録を行っている。被告のかかる行為は原告の権利を侵害することを知りながら行ったものであり、民法709条不法行為に該当する。
原告が被告の上記不法行為によって被った損害額は、上記4同様の計算により、7500万円を下らないが、原告は、本訴において、被告に対し、損害の内金として5000万円を請求する。
【被告の主張】 争う。
6 争点(6)(本件発明の特許を受ける権利が被告に承継されているとすれば、原告は、被告に対し、特許法35条3項に基づく相当の対価の請求ができるか)について 【原告の主張】 仮に本件発明についての特許を受ける権利が原告から被告へ承継されたものと認められるとしても、原告は、この承継について相当の対価の支払を受ける権利を有する。
すなわち、職務発明の場合における特許を受ける権利承継については、特許法第35条3項において従業者に相当の対価の支払を受ける権利が認められている。本件発明は、職務発明ではなく、業務発明というべきであるが、業務発明であっても、かかる権利は当然に認められるべきである。
そして、その対価の額を算定するに当たっては使用者等の貢献度が考慮されるべきところ(同法同条4項)、原告は被告の何らの協力も受けずに本件発明を行っており、本件発明に対する被告の貢献度は皆無である。したがって、被告が本件和解契約において定めた500万円という金額は本件発明の相当の対価としては著しく低いと考えられる。使用者が従業者に対し支払った対価が過小な場合は、従業者はなおその差額について請求権を有するものである。
本件発明についての特許を受ける権利承継に対する相当の対価は、実施料相当額を下回ることなく、本件発明の実施料相当額は、上記4のとおり年間5000万円を下らない。よって、原告は、本件発明についての特許を受ける権利承継対価として、5000万円を被告に請求する。
【被告の主張】 争う。
争点に対する判断
1 認定事実 前記第2、1の争いのない事実等と証拠(甲第1号証ないし第4号証、第6号証、第8号証ないし第10号証、第12号証、乙第1号証の1ないし4、第2号証の1ないし32、第3号証ないし第6号証、第9号証ないし第17号証、第39号証の1及び2、第40号証の1ないし6、第58号証ないし第60号証、第61号証の1及び2、第62号証ないし第69号証、第70号証の1ないし3、第71号証、証人C、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認定することができる。
(1) 原告が被告を退職するまで ア 原告は、昭和50年9月から平成6年8月まで、被告大阪工場製造部にて、工作機械、保持工具の製品加工を行っていた。原告は、平成5年の初めころはミーリングチャックのナットの製造も行っていた。
イ(ア) 原告は、被告在職中、治具、工具、測定具の改良や改善に積極的であり、多くの改善や提案を行っていたが、その場合には、平成元年ころまで技術部(被告において新製品の開発設計等を担当し、特許権や実用新案権の出願を行う。)の部長であったCに相談や提案をしていた。原告は、CがFA事業部担当の常務取締役となった後も、新しい技術部の部長には話しにくいという理由から、Cに対して相談や提案していた。
CがFA事業部担当常務取締役となった後に原告がCに提案したもののうち、センタ研磨装置に関する考案や測定工具に関する考案などについては、被告が、原告を考案者とする実用新案出願を行った。原告は、後日これらの実用新案出願が行われていることを知ったが、被告に対して権利侵害である等述べた事実は窺われない。
(イ) 被告には、「能率の増進、原価の引下げ、品質の安定及び安全の向上などの改善に関する従業員の創意工夫を広く奨励し活用することによって生産性の向上職場士気の昂揚をはかり、社業発展の一助とすること」を目的とする社内提案制度が設けられており、「機械治具装置等の改善」や「その他業務上有利な技術及び新製品の開発」といった技術上の提案や「管理販売等の事務上の改善」といった事務上の提案など幅広い内容が提案対象となっていた(乙第59号証)。
被告従業員が、同制度において提案したときには、審査の上、審査基準に基づいて褒賞が決定され、年1回の3C発表大会において審査委員会表彰が行われる。
原告は、積極的にこの制度に積極的に提案を行い、平成4年12月5日に開催された「3Cサークル成果発表会」において、「センター研磨加工機」に関する考案(実願平3-113340号)について社長賞を受け、副賞として10万円を受領した(乙第67、第68号証)。
ウ 原告は、平成5年に行っていたミーリングチャックのナット製造において、従前の被告の製品ではナットにスパナ掛け部分があるため、ナットが高速回転するときに振動でぶれるという問題を、ナットのスパナ掛け部分をなくすことで解決しようと考えた。そして、そのようなスパナ掛け部分のないナットを締結するためのスパナも併せて考えた。
原告は、平成5年7月ころ、Cに対し、ナットのスパナ掛け部分をなくすことを前提として、そのようなナットを締結するためのスパナについて、自ら作成した図面などを示しながら、説明した。具体的には、ニードルピンを使用して、
一方向に回すと締め付け、反対方向に回すと空回りするようなスパナであることを、図面を用いて説明した。このとき、原告は、ニードルピンすなわちくさび部材が、一方向に向かうような構成を採ることは説明したが、リテーナをばねによって付勢するという構成ないし技術思想は説明していない。
エ Cは原告の説明を聞き、即座に、値段が高くなり製品化には不向きであると答えた。しかし、Cは、被告技術部の責任者でもある被告代表者に対しては原告の説明を報告した。被告技術部において検討した結果、被告は、原告のスパナの説明に基づき、平成5年7月8日に先の出願を行った。
先の出願の内容は、スパナ本体が一方向に回転することにより、くさび部材が遊び領域からくさび領域に移動する際に締結部材を締結し、スパナ本体が反対方向に回転することにより、くさび部材がくさび領域から遊び領域に移動する際に締結部材から離れる、という、いわゆるワンウェイクラッチ式のスパナであった。そして、実施例には、スパナの断面円形状の開口部の内周面に、くさび部材を収容する溝を設け、コイルばねによって、あるいは板ばねに付勢された円柱によって、くさび部材に付勢力を与えるスパナが挙げられていた。先の出願の明細書においては、くさび部材を一定範囲で移動可能に保持するリテーナを設け、このリテーナにばねで付勢力を与えるとの構成は示されていなかった。
オ 原告は、Cに対してスパナの提案を行った約1か月後、提案したスパナについて、被告が特許出願をしないならば自ら特許出願を行う旨、Cに対して述べた。
Cは、平成5年8月に開催された第2回開発会議(乙第57号証の1)に出席し、先の出願がなされたことを知っていた。そこで、原告に対して、既に原告を発明者として、被告名義で先の出願がなされていることを告げた。原告は、このとき、Cや被告に対して、特許を受ける権利は原告にある旨、あるいは原告名義で出願すべきである旨述べなかった。
カ 平成5年8月、被告のスパナ開発業務担当に、トルクレンチを開発していたDが加わった。Dは、トルクレンチ開発において得た「リテーナに付勢ばねを取り付ける」という着想を、スパナにも応用することを考え、検討を行った。そして、被告は、平成6年7月8日、先の出願を優先権主張の基礎として、くさび部材を保持するリテーナと、くさび部材を遊び領域からくさび領域に向かって付勢する手段を設けることを特許請求の範囲に明確に記載した上で、発明の詳細な説明には、実施例1及び4として先の出願において示されたものを挙げ、さらに、リテーナを固定して板ばねを用いるスパナ(実施例2)のほか、リテーナを固定せず、リテーナに付勢手段を設けるスパナ(実施例3)を明記して、本件出願を行った。
先の出願と比較した本件出願の特許請求の範囲変更内容である、リテーナに付勢手段を設けるという構成は、本件出願において新たに追加されたものであった。
被告は、本件出願の際、発明者として、原告のほか、先の出願から本件出願への内容の一部変更に当たって貢献した被告従業員らの代表者としてBの名前を願書に記載した。
キ 原告は、平成6年8月4日、約300万円を退職金として受け取って被告を退職した。
原告は、退職に際して、Cに対し、原告が行った本件発明に係る特許権あるいは特許を受ける権利を原告に返してほしいと述べた。これに対して、Cは、
初めは原告が諸手続費用を支払うことを求めたが、結局職務に関係してなされた発明であり、被告が特許を受ける権利を有すると述べて、原告の申し出を拒絶した。
(2) 原告の被告退職後、本件和解契約成立前後の経緯 ア 原告は、被告退職直後、市役所の法律相談に行って、E弁護士に、職務と関係なく発明をした場合と職務に関連して発明をした場合の違いについて教えて欲しい、仮に本件発明に係る特許を受ける権利は原告が有するのであれば、被告から取り返したい、といった内容の法律相談を行った。その後原告はE弁護士の事務所に行って、同弁護士とF弁護士とで打ち合わせを行った。
F弁護士は、打ち合わせにおいて、原告から、スパナの発明は原告の職務とは関係なくなされたものであること、その発明に基づいて被告が製品生産準備を行っていることなどの説明を受け、@本件発明が職務発明には当たらないこと、
A被告は、原告の許可なく、本件発明に係る製品の生産準備や特許出願を行っているが、これは原告の権利を違法に侵害するものであること、B原告は、生産の取止めと特許出願名義人の原告への変更手続を求めること、Cただし、金銭的な解決にも応じる余地はあること、を内容とする通知書(乙第3号証)を作成した。同弁護士は、原告に対し、「職務発明」の特許法上の意味について説明した上で、同通知書の内容について原告の了解を得て、平成6年8月10日付けで被告に対して発送した。
イ 上記通知書を受け取った被告は、G弁護士に相談した。G弁護士は、F弁護士に対し電話をし、金銭的な解決に応じる余地があるということだが、具体的な金額を提示して欲しいと述べた。F弁護士は、具体的な金額はまだ考えていないと答え、後日連絡する旨回答した。そして、平成6年9月14日、大阪弁護士会館にて、原告及びF弁護士と、C、被告常務取締役H及びG弁護士が会談を行うこととなった。
当日、原告側は、本件発明は、原告が製造部の社員として行った発明であるからいわゆる職務発明には当たらない、したがって、本件発明に係る特許を受ける権利を原告に返すか、本件発明の対価を支払って欲しいと要求した。これに対して、被告側は、原告を発明者又は考案者とする発明や考案は、すべて被告において社業として活動している業種に含まれていること、原告は、被告の出費で購入した資材や業務時間内で研究を実施し、部下や他部署の協力を得て試作していること、日常業務で差し支えない範囲で行う業務改善や発明・考案などは被告が認めた業務であること、などの理由により、本件発明はいわゆる職務発明に当たることを主張した。
この日は、互いの主張が平行線をたどったため結論が出せず、次回の会談日を決めて散会した。
ウ 被告は、原告の在職中の功績をある程度考慮の上、功労金という形で相応の金額を支払うこととし、金額の検討を行った。
スパナに関する発明の価値を決めるために調査したところ、株式会社不二越が、ミーリングチャックの外周のローレットやスパナ掛け用溝をなくして円筒状とし、この円筒面をベルトレンチで締結することを内容とする、チャックに関する実用新案を出願していたことや、頭部の丸いナットをワンウェイクラッチを利用して締結する工具がアメリカ合衆国で市販されており、既に日本でも輸入販売されていることなどが判明した。
被告は、先の出願あるいは本件出願(平成10年補正前)のままでは特許として成立する見込みが低いと判断した。また、本件発明については被告技術部の貢献度が大きいこと、出願費用はすべて被告が負担していることなども考慮して、解決金として原告に対し150万円を支払うという提案を行うことにした。
エ 平成6年9月30日、大阪弁護士会館にて、同月14日と同じ出席者で2回目の会談が行われた。
この会談においても1回目と同様のやりとりがあったが、被告側は解決金として150万円を提示し、その金額の根拠として、本件発明に近いものとして、株式会社不二越の出願に係る考案が存在すること、アメリカ合衆国では本件発明に類似する物が市販されていること、本件発明については被告技術部の貢献度が大きいこと、本件出願が特許されるかどうかが不確実であるにもかかわらず、現時点で解決金を支払うこと、出願費用はすべて被告において負担してきたことなどを説明した。
これに対し、原告側は、持ち帰って検討することとした。
オ 被告は、平成6年10月3日、G弁護士を通じて、F弁護士に対して、
株式会社不二越の実用新案先願に関する資料やアメリカ合衆国で市販されている類似品に関する資料を送付した(乙第60、第61号証の1・2)。また同月25日には、同様にG弁護士を通じて、本件発明の国内外の出願に要する費用の明細書をF弁護士に対して送付した(乙第62号証)。
カ F弁護士は、平成6年11月29日、原告が金額に不満をもっている旨G弁護士に対して連絡した(乙第4号証)。
G弁護士からその旨の連絡を受けた被告は、一連の紛争を解決するために、過去の原告の被告在職中の功績等も考え、報奨金として300万円を提示することとし、原告に対して直接連絡を取った。原告が300万円では納得しなかったので、F・G両弁護士を交えずに、原告、C及びHのみで金額の交渉を行うこととなった。
キ 2回の交渉の後、平成7年2月、原告、C及びHの間で、本件発明について被告が原告に対して報奨金として300万円支払うこと、本件発明が特許として成立した段階で200万円追加して支払うこと、原告が考案したセンタ研磨装置及びセンタ研磨工具については被告が原告に通常実施権を付与すること、を内容とする合意が成立した。
C及びHは、原告に対し、弁護士に和解契約書を2通作成してもらい、
それを原告宛に送付するので、署名押印の上1通を被告に返送してもらいたいと述べた。これに対して、原告は、作成された和解契約書は、F弁護士を経由して原告に渡して欲しいと要請した。
Cは、G弁護士に、合意の内容と、作成された和解契約書をF弁護士を経由して原告に渡して欲しい旨の原告の要請を伝えた(乙第71号証)。
G弁護士は、平成7年2月28日、成立日を平成7年3月6日とし、和解条項をまとめた本件和解契約書を作成して、被告に渡した(乙第63号証)。
被告は、本件和解契約書の和解条項の内容を確認の上、被告代表者印を捺印し、原告宛に2通送付した(甲第1号証、乙第66号証)。原告は、条項について異議を述べることなく、このうち1通に署名押印をして被告に返送した(乙第66号証)。
ク 被告は、本件和解契約で定められたとおり、平成7年3月7日、原告に対して、300万円を支払った(乙第64号証)。
ケ 原告は、本件について和解が成立した後、F弁護士に対してその旨報告した。
コ Cは、平成7年3月7日付けで、原告に対し、出願番号が実願平3-113340号のセンタ研磨装置の実用新案について拒絶理由通知書(甲第9号証)が実用新案登録出願人代理人より被告に送付されたこと、及び拒絶理由の内容に関する調査結果等を知らせるとともに、この拒絶に対する意見書(提出期限平成7年4月14日)を出すかどうかを同出願人代理人と相談されたい旨通知した(甲第12号証)。結局、同実用新案は拒絶査定され、権利として成立しなかった。
なお、この通知を受け取った原告は、本件訴訟提起前、被告に対して、
拒絶通知理由書が出されたこと、あるいは権利として成立しなかったことを原因として本件和解契約が錯誤無効であると述べたことはない。
サ 原告は、本件和解契約成立後、センタ研磨工具の実用新案(実願平-518号)を自分に譲渡して欲しい旨述べた。被告は、検討の結果、平成7年3月29日、同実用新案の登録を受ける権利を原告に譲渡した(乙第70号証の1ないし3)。
シ 被告は、スパナ掛け部のないミーリングチャックを「メガチャックシリーズ」として平成7、8年ころから製品化し、販売している。被告製品のスパナは、メガチャックシリーズの付属品である。メガチャックシリーズは、年間総売上額が数億円の商品である。
(3) その後、本件特許が成立するまで 前記第2、1、(2)、ウ、(イ)ないし(エ)記載のとおり、被告は特許庁審査官からの拒絶通知を受けて、平成10年、11年、12年各補正を行い、平成12年補正後に特許査定がされるに至った。これらの補正により、本件発明の特許請求の範囲は、くさび部材を保持する保持手段が、「スパナの周方向に回動すると共に、当該回動によって、前記くさび部材を周方向に一定の範囲で移動可能に保持するリテーナ」と、「リテーナを前記くさび部材が前記遊び領域からくさび領域の方に移動する方向に付勢するばね」を備えるという構成を必須のものとする請求項のみになったが、この限定された内容に対応する実施例は、先の出願の明細書には記載されておらず、本件出願において実施例3として加えられたものであった。
2 争点(1)(原告は、被告に対し、本件特許権について原告への移転登録手続を求めることができるか)のア、イについて (1) 争点(1)ア(原告は、本件発明の発明者か)について ア 技術的思想としての発明は、着想、課題の設定、課題解決のための技術的手段の構成、それによる効果の確認という段階を経て、その技術分野における通常の知識・経験をもつ者であれば何人でもこれを反復実施してその目的とする技術効果を上げることができる程度にまで具体化され、客観化された時点で発明として完成されたものとなる。前記認定事実によれば、先の出願に係る発明については、
発明完成に至る過程において、ナットにスパナ掛け部がなくとも締結できるスパナという着想、その際の課題の設定、課題解決のための技術的手段の構成を、原告が一人で行い発明を完成させたものである。そして、本件発明は、原告によってなされた発明を基礎として、被告技術部、とりわけDが、技術的手段の1つとして、リテーナに付勢手段を設ける構成を加え、被告が先の出願を優先権主張の基礎として、発明者の一人として原告の氏名を願書に記載した上で出願をし、その後、出願人である被告において、特許庁審査官の拒絶通知に対応して特許査定時の特許請求の範囲のように補正していったものである。これらの事実によれば、本件発明が発明として完成に至る過程で、原告が発明の創作行為の重要な部分に加担したものということができる。したがって、原告も本件発明の発明者の一人であると認められる。
イ 被告は、平成5年に原告がCに相談したのはミーリングチャックに関するものであって、スパナに関するものではなかったと主張し、乙第58号証(Cの陳述書)や証人Cの証言中には、その旨の記載や供述がある。しかしながら、上記認定のとおり、原告が従前より技術上の提案は技術部ではなくCに対して行っていたことや、被告が先の出願にも本件出願にも発明者として原告の名前を挙げていることなどからすれば、これらの記載ないし供述部分は採用できず、その他前記認定を左右するに足りる証拠はない。
なお、原告は、平成5年にCに説明したときに、リテーナに付勢ばねを付ける構造についても説明した旨主張するが、これを裏付けるに足りる証拠はない(原告も本人尋問でこの点は否定している。)。
(2) 争点(1)イ(原告は、本件発明の特許を受ける権利を被告に譲渡したか)について 前記認定事実によれば、原告は、被告製造部に従事する中で生じた発明・考案を、被告の新製品開発や特許出願等を行う技術部に、直接あるいは相談しやすいCを通じて、示しており、その際、その発明・考案に基づいて被告技術部から特許出願あるいは実用新案登録出願がなされること、その結果特許権や実用新案権が被告に帰属することを了承していたものと認めるのが相当である。すなわち、原告は、その職務に属する発明ないし考案をして、これをCに示した段階で、その発明・考案に関して特許を受ける権利や実用新案登録を受ける権利を被告に対して譲渡することを、少なくとも黙示的には承諾をしていたということができる。また、
原告は、平成5年当時ミーリングチャックのナットの製造を職務としており、その職務において当該ナットを締結するスパナについて発明をしたものであるから、原告による先の出願に係る発明は、被告の業務範囲に属し、かつ、被告の従業員であった原告のその当時の職務に属する行為によってなされた発明として、職務発明(特許法35条1項)に当たるものということができる。したがって、先の出願に係る発明については、その発明をCに示した段階で、原告から被告に対し、特許を受ける権利を譲渡したものというべきである。そして、本件出願は、先の出願を優先権主張の基礎としてされたものであり、先の出願をした後、新たな創作行為を原告自身が行っているとは認められないから、本件出願に係る発明である本件発明についても、先の出願に係る発明についての特許を受ける権利の譲渡の効力が及ぶものと解すべきである。
さらに、上記1、(1)、オ認定のとおり、原告は、被告が特許出願しないならば原告個人で出願すると述べたり、先の出願が被告名義でなされたことを知りながら、被告に異議を述べなかったりしているのであり、これらの事実からも、先の出願及び本件出願については、特許を受ける権利を被告に譲渡することを原告が了承していたものということができる。原告本人尋問の結果中上記認定に反する部分は採用できず、その他上記認定を覆すに足りる証拠はない。
3 争点(3)(本件和解契約は錯誤により無効か)について (1) 原告は、本件発明は職務発明ではないのに、職務発明であると誤解して本件和解契約を締結したものであるから、本件和解契約には要素の錯誤がある、本件和解契約締結当時、原告は「職務発明」の言葉の意味がわからなかったなどと主張し、甲第10号証(原告の陳述書)や原告本人尋問の結果中にはその旨の記載ないし供述がある。
しかしながら、先の出願に係る原告のした発明が特許法35条1項所定の職務発明に当たることは、前記2、(2)で認定したとおりであり、先の出願を優先権主張の基礎としてされた本件出願に係る発明である本件発明もまた、原告にとって職務発明に当たることは前記認定事実から明らかである。したがって、本件和解契約締結の際に原告が本件発明を職務発明と認識していたとしても、誤解とはいえず、原告の意思表示に錯誤があるとはいえない。さらに、前記認定事実によれば、
本件和解契約締結に至る原告側と被告側との交渉過程において、原告は本件発明が職務発明でないことを主張し、被告は職務発明に当たると主張して、職務発明の点をめぐって双方の主張が衝突していたものであり、結局、双方が互譲の上で本件和解契約の締結に至ったものである。本件和解契約締結に至る交渉経過や、本件和解契約書の内容・表現に照らすと、本件和解契約締結に際して、本件発明が職務発明であることが和解契約の前提とされていたとは認められず、本件発明が職務発明に該当するかどうかの争いも含めて、本件和解契約によって解決されたものとみるべきである。そうすると、原告は、本件発明が職務発明でないことを理由として本件和解契約が錯誤により無効であると主張することはできない筋合いである。
なお、原告は、退職直後にあえて弁護士を依頼してまで本件発明の特許を受ける権利を原告に帰属させたいとの希望を有していたのであるから、例えば通知書を発送するときに、あるいはF弁護士とG弁護士が同席した平成6年9月14日の会談のときに、「職務発明」の語の意味がわからないまま放置していたというのは不自然であって、F弁護士から説明を受けるなどしてその意味を十分理解していたとものと推認できる。
(2) 原告は、本件発明についてその後特許が成立したこと、メガチャックシリーズの販売業績などからすれば、本件発明は5000万円以上の価値のある発明であったところ、本件和解契約締結当時、本件発明について特許は成立せず、発明としても価値がないから、500万円が相当であると誤信して本件和解契約を締結した旨主張し、甲第10号証(原告の陳述書)や原告本人尋問の結果中にはその旨の記載ないし供述がある。
しかしながら、原告の行った発明のみでは特許が成立し得なかったであろうことは、前記認定事実中の本件発明の出願から特許査定に至るまでの経過から明らかであり、原告の本件発明に対する寄与度がさほど大きいとはいえないことや、
メガチャックシリーズが相当の売上を得ているといっても、本件発明は、同シリーズの付属品のスパナに用いられているにすぎないことなどを考慮すれば、本件発明についての特許を受ける権利を被告に譲渡したことによって原告が受けるべき相当の対価の額を客観的に算定したとしても、原告主張のような高額になることはあり得ないと考えられる。また、本件和解契約締結に至る交渉経過をみても、原告は被告に対し、本件発明の対価を支払ってほしいと要求し、被告側から、本件発明の価値について調査検討した上で、報奨金としての金銭を支払う旨返答し、被告が調査した資料も原告の弁護士に送付しており、原告は、被告から渡された資料等を受領して十分な検討期間を置いた後、弁護士とも相談して、本件発明に対する対価が300万円では不相当であるとの結論を出しているのであるから、原告の行った発明の意義及び原告の行った発明について特許権が成立しない可能性については十分認識できていたと推認される。そして、原告は、本件発明について未だ特許が成立していないこと、メガチャックシリーズや被告製品の製造準備がなされていることなどの事情を認識した上で、原告のスパナに関する発明を含め、原告が被告在職中の発明及び考案の対価として合計500万円が相当であり、それ以外に対価を請求しないとした本件和解契約を締結しているのである。したがって、原告が、本件和解契約当時、本件発明等の価値を誤信したということはできないし、原告が支払を受ける金額について、双方で協議して互譲の上で和解に至ったのであるから、この点について錯誤があったとすることはできない。その後、被告技術部の補正により本件発明について特許が成立したことや、メガチャックシリーズ及びその付属品としての被告製品の販売業績が好調であったことなどの事情をもって、本件和解契約締結時に原告に相当金額について誤信があったということはできない。
原告は、被告から脅されてやむなく本件和解契約を締結することとしたとも述べるが(甲第10号証、原告本人)、本件和解契約に関して原告は弁護士を依頼していたのであるし、原告の供述を裏付ける証拠はないから、そのような事実を認定することはできない。
(3) 原告は、本件和解対象出願のうち、別紙出願目録3(センタ研磨装置)及び4(センタ研磨工具)の実用新案出願について、実用新案権の譲渡を受けられると信じて本件和解契約を締結したのに、前者の実用新案は拒絶理由通知書が本件和解契約締結直前に発送されていたとして、本件和解契約は錯誤により無効であると主張し、甲第10号証や原告本人尋問の結果中には、同主張に沿う趣旨の記載ないし供述がある。
しかしながら、本件和解契約書上は、上記各実用新案については、設定登録後に無償の通常実施権を原告に付与する旨が明記されているのであって(前記第2、1、(3)、アC)、原告主張のような権利の譲渡の合意が本件和解契約締結時に存在した事実を認めるに足りる証拠はない。のみならず、出願中の実用新案が権利となるか否か不明であることは当然のことであるから、拒絶理由通知書が発せられたり、拒絶査定により権利が成立しなかったりしたことをもって、同実用新案の通常実施権の付与や権利の譲渡に関する和解が要素の錯誤により無効となることはない。しかも、原告は、拒絶理由通知書が発せられたことを被告から知らされた平成7年3月以降本件訴訟提起に至るまで、拒絶理由通知書が発せられたことや権利として成立しなかったことを理由として本件和解契約が要素の錯誤により無効であるとの主張を被告に行った事実は証拠上認められない。したがって、原告の主張は採用できない。
(4) 以上によれば、本件和解契約が錯誤により無効であるとの原告の主張は理由がない。
4 以上のとおり、原告は、本件発明について特許を受ける権利を被告に譲渡したものであり、また、本件出願ないし本件特許権を対象とした本件和解契約を締結しているところ、本件和解契約が錯誤により無効とはいえないから、原告は、本件特許権につき被告に対し移転登録手続を求めることや、本件発明の実施行為の差止めを求めることはできず、本件和解契約で合意された金員以外の支払を被告に請求することもできない。
よって、その余の点を判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 小松一雄
裁判官 中平健
裁判官 大濱寿美