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関連審決 不服2002-14641
関連ワード 技術的思想 /  製造方法 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  周知技術 /  技術常識 /  発明の詳細な説明 /  援用権(援用) /  技術的意義 /  実施 /  加工 /  請求の範囲 / 
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事件 平成 15年 (行ケ) 165号 審決取消請求事件
原告 日本精工株式会社
訴訟代理人弁護士 久保田 穣
同 増井和夫
同 橋口尚幸
被告 特許庁長官今井康夫
指定代理人 町田隆志
同 村本佳史
同 高木進
同 伊藤三男
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2003/11/19
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 特許庁が不服2002−14641号事件について平成15年3月18日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
請求
主文と同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 原告は,平成5年8月31日,発明の名称を「トロイダル形無段変速機」とする特許出願(特願平5-238710号)をし,平成12年8月29日及び平成14年4月25日,その願書に添付した明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載等を補正した(以下,これらの補正に係る明細書を「本件明細書」といい,その特許請求の範囲の請求項1に係る発明を「本願発明」という。)が,本件特許出願について同年6月28日に拒絶の査定を受けたので,同年8月1日,これに対する不服の審判の請求をした。特許庁は,同請求を不服2002-14641号事件として審理した結果,平成15年3月18日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同年4月1日,原告に送達された。
2 本願発明の要旨 入力軸に設けられた入力ディスクと,出力軸に設けられた出力ディスクと,前記両ディスクに係合して前記入力軸の動力を前記出力軸に伝達するパワーローラと,を含んで構成したトロイダル形無段変速機において,前記両ディスク及びパワーローラは,浸炭処理及び研削仕上げが施されてなるか,あるいは,浸炭窒化処理及び研削仕上げが施されてなり,前記両ディスク,パワーローラの少なくとも一方の有効硬化層深さが,2.0o以上,4.0o以下であることを特徴とするトロイダル形無段変速機。
3 審決の理由 審決は,別添審決謄本写し記載のとおり,本願発明は,実公平2-49411号公報に記載された発明(以下「引用例発明」という。)及び周知技術又は周知慣用手段に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により,特許を受けることができないとした。
原告主張の審決取消事由
1 審決は,周知技術の認定を誤った(取消事由)結果,本願発明の進歩性に関する判断を誤り,本願発明は特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとの誤った結論に至ったものであるから,違法として取り消されるべきである。
2 取消事由(周知技術の認定の誤り) (1) 審決の認定判断 審決は,本願発明と引用例発明とを対比した上,一致点として,「『入力軸に設けられた入力ディスクと,出力軸に設けられた出力ディスクと,前記両ディスクに係合して前記入力軸の動力を前記出力軸に伝達するパワーローラと,を含んで構成したトロイダル形無段変速機』である点」を認定し,相違点として,「本願発明が『前記両ディスク及びパワーローラは,浸炭処理及び研削仕上げが施されてなるか,あるいは,浸炭窒化処理及び研削仕上げが施されてなり,前記両ディスク,パワーローラの少なくとも一方の有効硬化層深さが,2.0o以上,4.0o以下である』なる構成を有しているのに対して,引用例に記載される発明(注,引用例発明)は,かかる構成を積極的に具備していない点」(審決謄本2頁,「3,対比」)を認定した。
審決は,上記相違点の検討において,「一般的に,特に大動力を高速で伝達する箇所に適用される伝動装置においては,それに用いられる伝動部品にも十分な強度と耐久性とが少なくとも求められるから,伝動部品の特にその接触部に表面硬化層を設けることは慣用手段であって,その有効硬化層深さを2.0o以上4.0o以下とすることも,例えば,大和久重雄著,『JIS使い方シリーズ 熱処理技術マニュアル』,第1版,(財)日本規格協会,1988年2月15日(注,甲3,以下「甲3文献」という。),p.94において,『このために,高周波焼入れや炎焼入れ,あるいは浸炭肌焼きや窒化などを施したり,ショットピーニングやローラ仕上げなどのストレッシング(注,ストシッシングとあるのは誤記と認める。)(stressing)を行うことが賞用されるのである。』として,ギヤ歯面やローラを例に採り,『その硬化層深さは浅すぎるよりは深いほうが安全であるが,さりとて深すぎるのも考えものである。通常,2〜5oが適当である。』と教示してもいるが,周知技術である」(審決謄本2頁最終段落〜3頁第1段落),「金属材料の表面硬化に際し浸炭処理及び研削仕上げを施すことも,例えば,特開平1-98711号公報(注,甲4,以下「甲4公報」という。),特開昭62-2058号公報に記載されてもいるが,熱処理分野で周知・慣用である」(同第2段落)と認定した上,「上記相違点に係る本願発明の構成は,摩擦車伝動装置の伝動部品たる両ディスク及びパワーローラに上記の周知・慣用手段を適用し,且つ周知技術に属する有効硬化層深さを得ているものに相当する。そもそも,特に大動力を高速で伝達する箇所に適用される摩擦車伝動装置に何らかの熱処理を施すことは避けて通れない技術的事項であるから,それ自体知られた形式の摩擦車伝動装置に『有効硬化層深さが,2.0o以上,4.0o以下である』なる伝動装置の分野における周知技術を適用する程度のことは,当業者であれば容易になし得たものであり,その具体的表面硬化手段に就いてみても,『浸炭処理及び研削仕上げを施す』という熱処理分野の単なる周知・慣用手段を用いたものに過ぎない」(同第3,第4段落)と判断した。
しかしながら,審決の上記認定判断は,有効硬化層深さに関する周知技術の認定を誤り,その結果,本願発明の進歩性の判断を誤ったものである。
(2) 甲3文献の解釈の誤り 審決は,上記(1)のとおり,有効硬化層深さを2.0o以上,4.0o以下とすることが周知技術に属するとしているが,これは,審決に引用されている甲3文献の解釈を誤ったものであって,失当である。
ア 審決が引用するのは,甲3文献の94頁の「7.2.2 残留応力と疲労強度」と題する項の一部であるが,当該項を含む「7.2 耐疲労性が要求されるとき」という節(90頁以下)全体を見ると,「HB500までは硬いものほど疲労強度は大きい。しかし,それ以上硬くなると・・・疲労強度は急低下する。つまり,硬すぎてはいけないということである。その限界はHB500,HRC45ということになる」(91頁6行目〜8行目),「疲労強度を高めるにはまず硬くすることが必要で,次は表面が平滑で腐食や肌アレを伴わないときはHRC45,その他一般の場合にはHRC38〜40にするのがよい。ただこの硬さを確保する深さ,いいかえれば硬化層は何oあったらよいかが問題である。・・・この決定はなかなか難しいが,一般的には丸棒の場合は半径の0.3〜0.4と考えてよい」(94頁1〜6行目)等と記載され,その後,審決引用の「硬化層深さは浅すぎるよりは深いほうが安全であるが,さりとて深すぎるのも考えものである。通常,2〜5oが適当である」(94頁20〜22行目)との記載が続いている。以上の記載を総合すれば,審決引用の箇所でいう「硬化層」が,HRC45(場合によりHRC38〜40)の硬さの層を意味することは明らかである。
他方,本件明細書(甲2)は,発明の詳細な説明において,「本発明(注,本願発明)でいう『有効硬化層深さ』とは,ビッカース硬さHv550以上の硬化層の表面からの深さのことをいう」(段落【0014】)と定義しているところ,HRC(ロックウェルCスケール)45は,Hv447に相当し,Hv550以上は,HRCでは52.5以上に対応する(甲3文献の255頁の換算表参照)から,甲3文献の上記箇所に於ける「硬化層」が,本願発明における有効硬化層に該当しないことは明らかである。また,本願発明における有効硬化層,すなわちHv550以上の硬さの層は,甲3文献によれば疲労強度が極端に落ち込む硬さに該当するのであり,これは,本願発明のトロイダル形無段変速機が,甲3文献に記載された疲労強度に関する一般論が成り立たない場合であったことを意味している。
したがって,審決が,甲3文献を引用して,本願発明にいう「有効硬化層深さが,2.0o以上,4.0o以下である」との構成が周知技術に属するとしたことは,明らかな誤りである。
イ なお,浸炭焼入れの深さに関しては,昭和57年4月財団法人日本規格協会発行,大和久重雄著「熱処理のおはなし」(甲15)に,「浸炭層は浅すぎてもいけなければ,深すぎてもいけません。普通1〜2oが適当な浸炭深さというところでしょう」(27頁)と記載され,同著者による昭和39年8月地人書館発行「金属材料と加工技術講座10 熱処理技術と材料および試験」(甲16)にも同旨の記載がある(245頁)。また,昭和59年4月大河出版発行,日本熱処理技術協会編著「熱処理ガイドブック-応用編-」(甲18)には,有効硬化層深さを0.6o,1.2o,2.4oと3通りに変化させて疲労強度を測定した結果,硬化層深さが2.4oの場合には疲れ強さが低下していること(103頁〜104頁)が記載され,平成2年3月丸善発行,日本金属学会編「金属便覧」(甲19)には,「低合金鋼(浸炭鋼)を,COやCH4などを含む雰囲気中で1300K(1000℃)付近に加熱し,表面から1o程度の深さまでCを拡散浸透させてから焼入れる処理を浸炭(carburizing, case hardening)という」(551頁左欄)と記載されている。
以上に加え,浸炭焼入れの深さに関するその他の証拠(甲20,21,22,25,26)を見ても,本件特許出願当時の当業者の一般的理解では,浸炭深さ(通常は有効硬化層深さより深い。)を1〜2o程度とすることが技術常識であったことは明らかである。
ウ 被告は,審決の上記引用箇所ではなく,甲3文献の95頁「7.2.4 耐疲労性を向上させるためには」の項の「表面硬化熱処理のときは表面硬さ(HRC50〜60)と硬化層深さ(2〜5o)に注意することが大切である」(95頁17行目から19行目)との記載を援用し,審決の引用箇所における硬さについてもHRC50〜60と見て差し支えない旨主張するが,誤りである。
上記アのとおり,耐疲労性のための基本はHRC45であるから,甲3文献の95頁でいう硬化層深さとは,HRC45を確保する深さを指す。他方,「表面硬さ(HRC50〜60)」とは,文字どおり「表面」だけの硬さを意味し,「硬化層深さ」全体の硬さを意味しているのではない。ちなみに,本願発明においても,表面硬さはHRC60〜63程度である(本件明細書の発明の詳細な説明,段落【0034】)とする一方で,有効硬化層深さ(HRC52.5以上)は2〜4oと規定されているのであって,表面(例えば0.5o以内)と2o以上も内部に入った領域の硬さとを同視することはできない。
(3) 甲4公報について ア 被告は,審決が「金属材料の表面硬化に際し浸炭処理及び研削仕上げを施すこと」が周知慣用手段であることを示す根拠として掲げた刊行物である甲4公報において,有効硬化層深さ4oの例が記載されており,この例も,本願発明において「有効硬化層深さを2.0o以上,4.0o以下とすること」が周知技術に属することを示す一例である旨主張する。
確かに,甲4公報の特許請求の範囲の請求項2には,「有効浸炭深さ(HRC52.3までの深さ)が0.8〜4.0oである」との記載がある。しかしながら,甲4公報の発明の詳細な説明には,「産業上の利用分野」として,「本発明は圧延機ロールネック軸受装置などに用いる浸炭軸受体及びその製造方法に関する」(2頁左上欄11行目〜12行目)と記載されており,本願発明のトロイダル形無段変速機とは,対象となる技術が全く異なる。また,甲4公報に係る特許出願は,途中で補正され,特許公報(甲4の2)においては,甲4公報の請求項2の上記記載は削除されている。削除の理由は明らかでないが,発明の詳細な説明に開示がない点を考慮したものと推測され,このような,発明として開示されていたのではない事項は,特許法29条に規定する「公知発明」に該当しないというべきである。
イ また,甲4公報の発明の詳細な説明には,「転送面Aの有効浸炭深さも使途に応じて異なるが図例の軸受装置の場合は研削完了后で1.5〜2.5o程度であり」(4頁右上欄5行目〜7行目)との記載があるが,第2図の実施例においては研削前の転送面Aの有効硬化層深さは約2.3oであると見られるところ,「約0.5oにわたって旋削し続いて僅かな厚みについて研削して製品を得た」(5頁左上欄10行目〜12行目)というのであるから,製品における有効硬化層深さは1.8o以下となる。さらに,甲4公報には,「転送面Aの硬度分布曲線aは深さ1.5oに渡って高い硬度(HRC58〜62)を維持している。従って,A,B両面について切削代を最高1.5oに渡って取っても両面A,Bに必要な目標硬度範囲が得られる」(4頁左下欄11行目〜15行目)と記載されているが,上記のとおり,実施例の第2図における研削前の有効硬化層深さは2.3oであるから,切削代1.5oを取ると,転送面Aの有効硬化層深さは0.8oとなって,1.5〜2.5oを満たさないことになる。
以上からすると,甲4公報における,有効浸炭深さが0.8〜4.0oという記載,転送面Aの有効浸炭深さは研削完了后で1.5〜2.5o程度である旨の記載は,十分な検討ないし技術的裏付けを伴ってされたものではないというべきである。
ウ より本質的な点は,甲4公報記載の発明において,転送面Aと作用面Bとで浸炭処理を変えていることの技術的意味である。甲4公報には,転送面Aには硬くて深い浸炭をしてよいが,作用面Bには,そのような浸炭は適しないことが明記されており,作用面Bの浸炭の程度をコントロールすることを目的とした発明である。したがって,転送面Aと類似の機能を有する部分に関して,硬くて深い浸炭を施すことの公知例として引用することはともかく,作用面Bと類似の機能を有する部分について,甲4公報の転送面Aに関する記載を周知技術として引用することは,甲4公報記載の発明自体の技術的思想に照らし,誤りであるといわなければならない。本願発明のパワーローラーと入力ディスク,出力ディスクの接触面は,引張ストレスによるフリクションクラックの発生が予想される面という意味で,甲4公報における作用面Bと類似した引張応力の生ずる面であり,摩損しないための耐摩耗強度のみが必要となる転送面Aとは明確にその機能が異なる。
したがって,甲4公報の転送面Aに関する記載は,本願発明の有効硬化層深さに適用できるものではないから,これを根拠として,浸炭処理に関する周知技術として認定することは誤りである。
(4) 特開平1-116053号公報(乙1,以下「乙1公報」という。)について 被告は,本訴において,審判手続では検討されていない刊行物である乙1公報を提出した。乙1公報をもって周知技術の立証手段の一つとする趣旨であると解されるが,審判手続で検討されていない文献に基づく周知技術の判断は,審決を取り消した上で,特許庁の再審理にゆだねるべきものであるのみならず,乙1公報のみから周知技術を認めることは適当でないというべきである。
なお,乙1公報では,開発した材料の浸炭焼入れ性を調べるために,合計25の発明例と比較例とが記載されているが,その中で有効硬化層深さが2oを超えているのは,本発明例24のみであり,他は全部2o以下である。しかも,24番の試料は,当初の炭素含有率が0.41%と高いことから,浸炭後の炭素量も多く,その結果,有効硬化層深さも深くなったものであるが,本件明細書(甲2)の発明の詳細な説明に,「前記素材に含有されるベース炭素量が,0.35重量%を越えると,心部のビッカース硬さがHv550以上となり,本発明(注,本願発明)に必要な有効硬化層深さの定義から外れてしまうと共に,疲労割れが生じやすくなる」(段落【0029】)と記載されているとおり,24番の試料は,内部に靱(じん)性を持たせることを意図する浸炭処理用の鋼としては,不適当なものである。
被告の反論
1 審決の認定判断は正当であり,原告の取消事由の主張は理由がない。
2 取消事由(周知技術の認定の誤り)について (1) 甲3文献の解釈の誤りについて ア 原告は,甲3文献にいう「硬化層」は,本願発明にいう「有効硬化層」とは全く実質が異なると主張するが,甲3文献にいう「硬化層」の全部あるいはかなりの部分が,本願発明の「有効硬化層」となるものである。
確かに,甲3文献の第7.7図(92頁)によれば,HRC約45付近で疲労強度が急激に落ち込んでいることが認められる。しかし,これは,本体全体(必ずしも中心部までを意味しない。)の硬さをHRC45を越えて硬くしすぎると疲労強度が低下するということを示しているものであり,他方,甲3文献の審決引用箇所は,「浸炭処理」などの表面処理について記載しているもので,甲3文献の95頁の「7.2.4耐疲労性を向上させるためには」の項をも参照すれば,硬さはHRC50〜60と見て差し支えない。原告は,審決における引用箇所の「硬化層」の硬さはHRC45より小でなければつじつまが合わなくなると主張するが,内部は強じんなままで表面は硬くするというのがここでいう「浸炭処理」なのである。
イ 本願発明にいう「有効硬化層深さ」が,「ビッカース硬さHv550以上の硬化層の表面からの深さ」を指すことについては,争わない。
(2) 甲4公報について 有効硬化層深さを1〜2oとすることが周知,慣用であったことを否定するものではないが,有効硬化層深さを2.0o以上,4.0o以下とすることが周知技術であったことも事実である。
審決引用に係る甲4公報には,特許請求の範囲の請求項2において,「転送面の有効浸炭深さ(HRC52.3までの深さ)が0.8〜4.0o」と記載されており,HRC52.3(Hv550に相当)以上の硬化層を4.0o形成することが示されている。そうすると,仮に,研削代を1.5o取ったとしても(研削代が0.5oであれば,なおさらである。),「有効硬化層」が2.5o残ることが開示されているということができる。そして,軸受は,伝動装置に必ずといってよいほど用いられる伝動部品であって,本願発明の属する技術分野に極めて近いものということができるから,まさに,この例も,本願発明において「有効硬化層深さを2.0o以上4.0o以下とすること」が周知技術に属することの一例であるといえる。
当裁判所の判断
1 取消事由(周知技術の認定の誤り)について (1) 本件の争点は,本願発明に係る「有効硬化層深さが,2.0o以上,4.0o以下である」との構成が,本件特許出願時において周知技術に属していたか否かである。なお,本願発明における「有効硬化層深さ」とは,Hv(ビッカース硬さ)550以上(ロックウェルCスケールに換算すると,HRC52.5以上に相当)を有する硬化層の表面からの深さのことであることは,当事者間に争いがない。
審決は,この点について,「有効硬化層深さを2.0o以上4.0o以下とすることも,例えば,大和久重雄著,「JIS使い方シリーズ 熱処理技術マニュアル」,第1版,(財)日本規格協会,1988年2月15日(注,甲3文献),p.94において,『このために,高周波焼入れや炎焼入れ,あるいは浸炭肌焼きや窒化などを施したり,ショットピーニングやローラ仕上げなどのストレッシング(stressing)を行うことが賞用されるのである。』として,ギヤ歯面やローラを例に採り,『その硬化層深さは浅すぎるよりは深いほうが安全であるが,さりとて深すぎるのも考えものである。通常,2〜5oが適当である。』と教示してもいるが,周知技術である」(審決謄本2頁最終段落〜3頁第1段落)と説示して,「有効硬化層深さを2.0o以上4.0o以下とすること」は周知技術に属すると認定しているところ,上記説示から明らかなとおり,審決において周知技術を認定するための証拠として引用されているのは甲3文献のみである。
(2) そこで,まず,甲3文献の記載の意義について検討する。
ア 審決が引用する上記部分は,甲3文献の94頁の「7.2.2 残留応力と疲労強度」と題する項の一部であるが,当該項を含む「7.2 耐疲労性が要求されるとき」という節(90頁以下)全体を見ると,まず,「7.2.1 硬さと疲労強度」の項に,「引張強さは硬さと比例関係にあるので,疲労強度も当然硬さと比例関係にあることはいうまでもない。図7.6はブリネル硬さとの関係を示すもので,HB500までは硬いものほど疲労強度は大きい。しかし,それ以上硬くなると,図7.7に示すように疲労強度は急低下する。つまり,硬すぎてはいけないということである。その限界はHB500,HRC45ということになる。この関係は図7.7に見るように材質とは無関係である」(91頁4行目〜9行目),「疲労破損は疲労き裂の発生とこれが進展することによって起こる分断の二つの合成結果による。き裂の発生だけでは怖いことはなく,き裂が進展しなければ疲労破損も起こらない。したがって,き裂の進展を防ぐことが疲労破損を防止することになる。
き裂の進展は衝撃的に行われるので,衝撃値を高くしておくことが疲労き裂の進展,ひいては疲労破損を防ぐことにつながるのである。このために,表層を硬くして疲労き裂の発生を防ぎ,母体を粘くしてき裂の進展を防ぐことが大切になるのである。それにはよく焼入・焼戻してHRC45を確保することが必要である。また,オーステンパによってHRC45の母体硬さを確保することもよい方法である。もちろん,表層だけを硬焼入れ(高周波焼入れ又は浸炭肌焼入れ)して残留圧縮応力を活用するとともに母体を強じんなものにすれば,鬼に金棒で耐疲労性を向上するには申し分のない対策といえる。以上のように,HRC45材は疲労強度は高いが,これは表面平滑材のときであって,腐食を伴う場合やノッチやツールマーク(バイト目)がついたり,黒皮つきの場合には多少低目にしてHRC38〜40にするのがよい」(91頁下から7行目〜93頁9行目),「要するに,疲労強度を高めるにはまず硬くすることが必要で,次は表面が平滑で腐食や肌アレを伴わないときはHRC45,その他一般の場合にはHRC38〜40にするのがよい。ただこの硬さを確保する深さ,いいかえれば硬化層は何oあったらよいかが問題である。それは外力によるストレスの分布を考えて,適当な硬化深度にしなければならない。この決定はなかなか難しいが,一般的には丸棒の場合は半径の0.3〜0.4と考えてよい」(94頁1行目〜6行目)と記載された後,それに続けて,「7.2.2 残留応力と疲労強度」の項に,審決引用の上記記載がされていることが認められる。
甲3文献の上記記載のうち,「7.2.1 硬さと疲労強度」の項の記載を総合すれば,甲3文献に接する当業者は,@疲労強度は硬さと比例関係にあるが,硬さがHB500,HRC45以上になると,疲労強度は急低下すること,A疲労破損は疲労き裂の発生とこれが進展することによって起こる分断の二つの合成結果であり,表層を硬くし,母体を粘くすることが大切であるから,HRC45を確保すべきこと,B表面平滑材のときはHRC45でよいが,腐食を伴う場合等はHRC38〜40にするのがよいこと,Cこの硬さを確保する深さは外力によるストレスの分布を考えるべきであり,一般的には丸棒の場合は半径の0.3〜0.4であること,D疲労破損は部品の表面から生ずるから,表層部を硬くし圧縮の残留応力を付与すれば有効であることの各知見を得ることができる。そして,それに続く「7.2.2 残留応力と疲労強度」の項の記載は,表層部を硬くし圧縮の残留応力を付与するための具体的手段を挙げた上,さらに,表面焼入硬化の硬化層深さについて,ギア歯面やローラなどは,はく離を防止するために,浅すぎるよりは深い方が安全であるが,さりとて深すぎるのも考えものであり,通常,2〜5oが適当であるとしているのであるから,審決の引用する「硬化層深さは浅すぎるよりは深いほうが安全であるが,さりとて深すぎるのも考えものである。通常,2〜5oが適当である」との記載が前提とする硬化層の硬さは,HRC45(表面平滑材の場合)であると解するのが相当である。
イ これに対し,被告は,甲3文献の95頁「7.2.4 耐疲労性を向上させるためには」の項を参照すれば,審決引用の箇所の記載においても,硬さはHRC50〜60であると見て差し支えがない旨主張する。
そこで検討すると,同項には,「疲労強度を高めるには,材質よりはむしろ熱処理にポイントを置くべきである。つまりHRC45が得られるように熱処理することが大切である。・・・なお,部品の疲労強度は残留圧縮応力によって著しく向上するものであるから,高周波焼入れや炎焼入れ,あるいは浸炭肌焼きなどの表面硬化熱処理やショットピーニングなどのストレッシング法を大いに活用すべきである。表面硬化熱処理のときは表面硬さ(HRC50〜60)と硬化層深さ(2〜5o)に注意することが大切である」(95頁7行目〜19行目)と記載されている。そして,この項においても,まず,「7.2.1 硬さと疲労強度」の項における上記各記載と同様,HRC45を確保すべきことが記載され,それに続けて,上記「7.2.2 残留応力と疲労強度」の項における記載と同じ「硬化層深さ」という用語を用い,同じ「2〜5o」という数値が記載されているのであるから,「7.2.4 耐疲労性を向上させるためには」の項における「硬化層深さ(2〜5o)」との記載も,前同様,HRC45以上の層の深さを意味し,他方,同項における「表面硬さ(HRC50〜60)」との記載は,文字どおり,表面の硬さがHRC50〜60であることを意味していると解するのが相当である。被告の上記主張は,採用することができない。
ウ 以上によれば,審決の引用する甲3文献の記載は,Hv550以上(ロックウェルCスケールに換算すると,HRC52.5以上に相当)の硬化層の表面からの深さを意味する,本願発明の「有効硬化層深さ」について,「有効硬化層深さを2.0o以上,4.0o以下とすること」が,本件特許出願時において周知技術に属していたことの根拠にはならないというべきである。
(3) また,被告は,甲4公報には,特許請求の範囲の請求項2に,「転送面の有効浸炭深さ(HRC52.3までの深さ)が0.8〜4.0o」と記載されており,研削代を1.5oとしても,有効硬化層が2.5oであることが開示されているから,「有効硬化層深さを2.0o以上4.0o以下とすること」は周知技術であったといえる旨主張する。
ア そこで検討すると,甲4公報には,@「コロ,球等の高荷重転動体の転走面及びフリクションクラックの発生が予期される作用面につき夫々浸炭硬化層が形成されている鋼製の軸受体であって,このうち転走面の浸炭硬化層が比較的高硬度で深く作用面のそれが比較的低硬度で浅く夫々調製され,浸炭処理直后に於て作用面の浸炭硬化層の硬度分布が表面からの深さに対応して比較的緩やかな勾配をもって漸減変化を呈示してなる浸炭軸受体」(特許請求の範囲の請求項1),A「転送面の有効浸炭深さ(HRC52.3までの深さ)が0.8〜4.0oである特許請求の範囲第1項記載の浸炭軸受体」(同請求項2),B「外輪4と内輪2の円錐コロ3との転走面Aは摩損しないための相応の耐摩耗強度が必要となり,一方ロール軸1が転接する内輪2の内径面,場合によっては更に幅面(これを総して作用面とす)B及び外輪4の外径面には通常フリクションクラック・・・の発生が予想される。即ち,このロール軸1と作用面Bとの間にはハメアイのためのミクロクリアランスCが設けられているのが一般的であり,このクリアランスのためにロール軸1が回転する際滑りを生じてこれが作用面Bに引張ストレスを原因とするフリクションクラック・・・を誘発する。対策として転走面Aの耐摩耗性改善を主眼として転走面Aに浸炭焼入処理を施し作用面Bに対しては浸炭を行なわず・・・例えばC約0.2%程度の浸炭用低炭素鋼素材を用いた場合,転走面Aには相応な浸炭硬化層が得られるものの作用面BはなおHRC35〜48程度の硬度しか得られず作用面Bの耐摩耗性が劣るという点で不十分であった。一方,作用面Bに転走面Aと同様な浸炭処理を行なった場合,耐摩耗性も有し,かつフリクションクラックの防止にも有効となる表面硬度(HRC48〜55)を得ようとすると浸炭処理后,表面仕上げのため,製品の表面を或る厚み範囲に渡って切削(施削と研削)する必要があるが,この場合その切削代は製品の寸法,形状によって異別する。従って,作用面Bに浸炭焼入を行なった場合は,その浸炭硬化層内の硬度分布・・・即ち厚みの変化に対する硬度の変化が急峻の場合は切角浸炭処理によって硬度を改善しても切削表面のあるべき硬度範囲が切削範囲如何によっては所期した範囲に発現し得ない・・・作用面の硬度分布には急勾配をもって硬度が低下するゾーンがあり,今切削后の表面硬度(HRC)が48〜55の範域が必要な場合,切削代T(o)はHRC48〜55に対応する深さl1,l 2の範囲内に置かねばならない・・・つまり,切削代T(o)が硬度分布によって厳格に制約を受けることになり・・・本来必要な切削代がとれなかったり,切削代の誤差によっては表面硬度の著差となると云う品質のバラツキや生産性の悪さの直接の原因となる懼れがあったのである」(発明の詳細な説明,2頁左上欄下から2行目〜同右下欄下から6行目),C「本発明は従って軸受体の転走面はもとよりそれ以外の作用面・・・についても浸炭硬化層を有してフリクションクラック防止に用益すると共に作用面の浸炭硬化層の硬度分布が緩やかな勾配をもって変化し切削代の選定の厳格性を緩和出来る浸炭軸受対並びにその製造方法をこゝに提供する。・・・第1段階としては軽浸炭法を行ないこの間転走面Aには原則的には浸炭防止処理が講ぜられ,第2段階として標準浸炭焼入法が実施されこの間作用面Bには浸炭防止処理が採られ標準浸炭の加熱によって軽浸炭硬化層の硬度分布が緩やかなものに変化する。このような処理に於て軽浸炭硬化層内の硬度は素材の硬度より幾分高い程度に,また表面に於ける炭素含有量も素材のそれより稍々高い程度に夫々調整される」(同2頁右下欄下から4行目〜3頁左上欄下から6行目),D「第1工程として作用面Bに先ず軽浸炭を施しこの間転走面Aには原則的には浸炭防止処理を行なう。・・・処理時間は素材の鋼種や表面硬さによって決定されるが一つの比較目標として下記のA部に対する標準浸炭時間の1/4〜1/6となる(たゞしA部の有効浸炭深さが1.5〜2.5oの場合)」(同4頁左上欄5行目〜13行目),E「第3工程として作用面Bに浸炭防止処理を行なって転走面Aに標準浸炭を行なう。この標準浸炭は必要な耐摩耗性を得る硬度範囲を目標にした従来の浸炭と変りがないが,この標準浸炭の加熱サイクル中に軽浸炭焼入層中の炭素を深部に拡散させこれによって硬度分布を比較的緩やかな勾配で漸減する点が特徴である。転走面Aの有効浸炭深さも使途に応じて異なるが図例の軸受装置の場合は研削完了后で1.5〜2.5o程度であり,処理時間もこの浸炭深さに対応して適宜選択するものとするが,一例として940℃〜950℃で15時間程浸炭の目的で実施し,これに後続し炉内の炭素量を低減して同程度の温度で8時間,浸炭処理を実施する」(同4頁左上欄下から3行目〜右上欄下から9行目),F「第2図は浸炭焼入れ,焼戻し后の断面硬度分布であり作用面Bの目標硬度範囲HRC48〜55とした場合,この範囲の硬度分布曲線bは比較的緩やかな勾配をもって漸減しており,切削代Tの許容範囲は1.5oに至る広い深さ範囲に渡っている。転走面Aの硬度分布曲線aは深さ1.5oに渡って高い硬度(HRC58〜62)を維持している。従って,A,B両面について切削代を最高1.5oに渡って取っても両面A,Bに必要な目標硬度範囲が得られることが判る」(同4頁左下欄6行目〜下から6行目),G「(ハ)の処理后A,B両面につき厚み約0.5oにわたって旋削し続いて僅かな厚みについて研削して製品を得た」(同5頁左上欄10行目〜12行目),H「本発明にあっては作用面のフリクションクラックの防止が充分に図られるために従来の浸炭軸受体の適性の増大に寄与し,寿命のより永い軸受機能を発揮する。また,作用面に於ける硬度分布と切削代との厳格な相対関係が緩和されるので切削代の決定に幅が与えられ品質保証性及び生産性が改善される」(同5頁左上欄下から4行目〜右上欄3行目)との記載がある。
上記記載によれば,甲4公報に記載された発明は,耐摩耗強度が必要な転走面Aの表面硬度を高い硬度(HRC58以上)とし,フリクションクラックの発生が予想される作用面Bの表面硬度を比較的低い硬度(HRC48〜55)とする浸炭軸受体に関するものであって,従来,転走面Aだけに浸炭焼入処理を施すと作用面Bの硬度が得られず,作用面Bに転走面Aと同様な浸炭処理を行うと作用面の硬度分布が急勾配をもつため,所定の表面硬度を得ようとすると切削代の決定が困難であったとの問題点を解決すべく,作用面Bに軽浸炭法を行なった後,転走面Aに標準浸炭焼入法を実施することにより,作用面Bの硬度分布を緩やかなものとし,切削代の決定に幅が与えられ,作用面のフリクションクラックの防止が十分に図られるために軸受の寿命が永くなるという作用効果を奏するものであると認められる。
イ ところで,甲4公報の発明の詳細な説明には,上記のとおり,実施例の第3工程に関する説明として,「転走面Aの有効浸炭深さも使途に応じて異なるが図例の軸受装置の場合は研削完了后で1.5〜2.5o程度であり」との記載(上記アE,以下「研削後の有効浸炭深さ1.5〜2.5o程度との記載」という)があることから,この記載が,「有効硬化層深さを2.0o以上4.0o以下とすること」は周知技術であったとする根拠の一つとなるかどうかが問題となり得るところである。
しかしながら,熱処理工程終了後の断面硬度分布を示す甲4公報の第2図には,転走面Aの硬度分布曲線aにおいて,切削前の有効浸炭深さが約2.3oであることが示されているところ,他方で,「A,B両面について切削代を最高1.5oに渡って取っても両面A,Bに必要な目標硬度範囲が得られることが判る」(上記アF),「A,B両面につき厚み約0.5oにわたって旋削し続いて僅かな厚みについて研削して製品を得た」(上記アG)とあるとおり,切削代を0.5〜1.5o取るとすると,切削完了後の有効浸炭深さは0.8〜1.8oとなるから,研削後の有効浸炭深さ1.5〜2.5o程度との記載は,この部分の記載と整合しないというべきである。
また,甲4公報の発明の詳細な説明中,第2図を説明した箇所においては,「転走面Aの硬度分布曲線aは深さ1.5oに渡って高い硬度(HRC58〜62)を維持している。従って,A,B両面について切削代を最高1.5oに渡って取っても両面A,Bに必要な目標硬度範囲が得られることが判る」(上記アF)と記載されているところ,この記載によれば,転走面Aは切削後の表面硬度が目標硬度であるHRC58以上であればよく,有効浸炭深さが約2.3oのところ切削代を最大1.5oとし,切削後の有効浸炭深さが約0.8oという比較的薄い厚さになることも当然に許容しているものと解されるから,これとの関係で見れば,研削後の有効浸炭深さ1.5〜2.5o程度との記載が唐突な印象を与えることは否めない。さらに,実施例の作用面Bに軽浸炭を施す第1工程については,「処理時間は素材の鋼種や表面硬さによって決定されるが一つの比較目標として下記のA部に対する標準浸炭時間の1/4〜1/6となる(たゞしA部の有効浸炭深さが1.5〜2.5oの場合。)」(上記アD)と記載されているところ,A部の有効浸炭深さに関する上記括弧書き部分には「研削完了后」との記載はなく,標準浸炭時間は,切削前の有効浸炭深さを決定するものであることからすると,少なくとも,同部分の記載については,第3工程における転走面Aの切削前の有効浸炭深さが1.5〜2.5oであることを示していると解するのが相当である。
以上検討したところによれば,研削後の有効浸炭深さ1.5〜2.5o程度との記載については,上記の第1工程に関する括弧書き(上記アD)と同様,「切削前」の有効浸炭深さが1.5〜2.5o程度であるとの誤記である可能性が非常に強いというべきである。もとより,そのように解しても,具体的実施例における切削代は0.5oであり(上記アG),第2図に例示されているように,切削前の有効浸炭深さが約2.3oであれば,切削代を1.5oとした場合でも表面硬度はHRC58を超えるのであるから,切削前の有効浸炭深さが最低限1.5o確保されれば,切削代を0.5oとした場合における表面硬度は,HRC58以上になるものと考えてよく,転送面Aの表面硬度に関する甲4公報記載の発明の技術的思想とは何ら矛盾しない。また,従来の標準浸炭において,有効硬化層深さを1〜2oとすることが周知慣用であったことは被告も認めているところ,甲4公報は,第3工程について,「この標準浸炭は必要な耐摩耗性を得る硬度範囲を目標にした従来の浸炭と変りがない」(上記アE)としており,切削前の有効浸炭深さが1.5〜2.5o程度であれば,切削代を0.5o取るとすると,切削後の有効硬化層深さは1〜2oとなるから,甲4公報記載の発明は,第3工程につき,周知慣用の標準浸炭に関する技術を適用したものであるといえることになり,この点でも符合する。
以上によれば,研削後の有効浸炭深さ1.5〜2.5o程度との記載は,「切削前」の有効浸炭深さが1.5〜2.5o程度であるとの誤記である可能性が非常に強く,仮にそうでないとしても,甲4公報中の他の記載と矛盾し,信用性に乏しいというべきであるから,同記載をもって周知技術認定の基礎とすることは困難である。
ウ また,上記のとおり,甲4公報の特許請求の範囲の請求項2には,「転走面の有効浸炭深さ(HRC52.3までの深さ)が0.8〜4.0oである」(上記アA)と記載されている。
しかしながら,上記記載のうち,下限の0.8oについては,発明の詳細な説明中,第2図に関する説明から,切削前の転走面の有効浸炭深さが約2.3oであり,切削代を1.5oとすると,切削後の有効浸炭深さが約0.8oになるとの趣旨であることは読み取れるとしても,上限の4.0oについては,切削前,切削後を問わず根拠となる記載は何ら認められない。そうすると,上記の記載は,明細書に根拠がなく,技術的意義も不明なものというほかはないから,これをもって周知技術認定の基礎とすることは到底できないというべきである。
エ 以上によれば,甲4公報の記載によって,「有効硬化層深さを2.0o以上4.0o以下とすること」が,本件特許出願時において周知技術であったとの認定をすることはできないから,被告の上記主張は採用の限りではない。
(4) さらに,被告は,本訴において,「有効硬化層深さを2.0o以上4.0o以下とすること」が周知技術であったことを立証しようとする趣旨で,審判段階で検討の対象とされていなかった乙1公報を証拠として提出しているところ,原告は,審判手続で検討されていない文献に基づく周知技術の判断は許されない旨主張するが,審決において審理判断された特定の周知技術の立証のために,新たな技術文献等の証拠を提出することは許されるというべきであるから,進んで,乙1公報について判断する。
ア 乙1の記載によれば,乙1公報に係る発明は,発明の詳細な説明の〔発明が解決しようとする問題点〕の欄に記載されているように,「浸炭時における浸炭異常層の発生を抑制できる浸炭異常層の少ない浸炭用鋼を提供する」(2頁右上欄下から5行目〜下から4行目)ことを目的とし,Bi,Seなどを微量含有させることにより問題点を解決したものであり,発明の効果を示すために,本発明例16個及び比較例9個の供試鋼を試料として実験し,それぞれについて,化学成分が第1表に掲載され,有効硬化深さ,浸炭異常層厚さ及び焼割れ発生の有無を測定・調査したものが第2表に掲載されているものと認められる。
そして,本発明例24には,炭素含有率が0.41重量%である試料について,有効硬化深さが2.5oであることが示されているものの,他方,本発明例として記載されているその他の試料No.2〜14,23及び25は,いずれも炭素含有率が0.11〜0.21%であり,有効硬化深さは0.7〜1.3oである。比較例である試料No.15〜18は,いずれも炭素含有率が0.24〜0.25%,有効硬化深さはすべて1.6oであり,他の比較例のうち有効硬化深さが記載されているものは0.3o及び1.2oである。なお,比較例である試料No.20は,炭素含有率が0.62%であるが,有効硬化深さは記載されておらず,後記のごとく鋼の心部までHRC52.3を越えているから有効硬化深さを定義できないものと認められる。
イ 他方,本件明細書(甲2)には,「心部のビッカース硬さ(有効硬化層より内部のビッカース硬さ)Hv550以下とするためには,素材に含有されるベース炭素を,0.35重量%以下とすることが望ましい。前記素材に含有されるベース炭素量が,0.35重量%を越えると,心部のビッカース硬さがHv550以上となり,本発明に必要な有効硬化層深さの定義から外れてしまうと共に,疲労割れが生じやすくなる」(段落【0029】)と記載されており,実施例及び比較例においてはすべて,炭素含有率が0.2重量%の浸炭鋼が使用されている。また,日本熱処理技術協会編集「熱処理ガイドブック-基礎編」(甲17)の18頁,図1・17には,鋼の炭素量と最高焼入硬さとの関係が図示され,炭素量0.2%では最高焼入硬さは約HRC50であり,炭素量0.35%では最高焼入硬さは約HRC58,炭素量0.41%では最高焼入硬さはHRC60を越えることが示されている。
ウ 以上を前提に,以下,乙1公報の本発明例24について検討すると,上記アのとおり,そもそも,乙1公報に記載された本発明例及び比較例は,Bi,Seなどを微量含有させると浸炭異常層の発生を抑制できることを示すためのものであることからすると,靱(じん)性など機械部品に使用することができる他の特性を有するか否かについて十分に検討したものとは解されない。このことは,本発明例24についても同様であり,特に,同発明例における試料が炭素を0.41重量%含有し,本件明細書に規定する0.35重量%を越えていることにかんがみると,疲労割れの原因となる靱(じん)性に関して問題点を有する蓋然性が高いものと認められる。
そうすると,乙1公報において,本発明例24につき,炭素含有量が0.41重量%のものを実験した結果,有効硬化深さが2.5oであったとの記載があるからといって,その記載をもって,直ちに,当該有効硬化深さのものを機械部品等に使用することができることを示すものであるとは解することができないというべきである。むしろ,乙1公報に記載されている本発明例16個のうち14個において,炭素含有率は0.19〜0.21%の範囲内にあり,その有効硬化深さは0.7〜1.3oであることは,これらの浸炭鋼が一般的に用いられるものであることを推認させるものとも解されるところであり,この解釈は,本願発明の実施例のすべてが炭素含有率0.2重量%の素材を用いていることとも符合する。
以上によれば,乙1公報記載の本発明例24は,単に,炭素含有率の高い浸炭鋼を実験例に加えてみたというにすぎず,機械部品に使用する素材についての周知技術を認定する根拠とはならないというべきであるから,結局,乙1公報の記載は,「有効硬化層深さを2.0o以上,4.0o以下とすること」が周知技術であるとの認定の根拠とはならないというほかはない。
(5) 以上のとおり,審決が周知技術認定の根拠として掲げる甲3文献はもとより,甲4公報及び乙1公報の記載を考慮しても,本願発明の「有効硬化層深さが,2.0o以上,4.0o以下である」との構成が,本件特許出願時において周知技術に属していたと認めることはできないから,審決の周知技術に関する認定は誤りといわざるを得ず,この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
2 以上によれば,原告主張の取消事由は理由があるから,審決は,違法として取消しを免れない。
よって,原告の請求は理由があるから認容し,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 篠原勝美
裁判官 岡本岳
裁判官 早田尚貴
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