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関連審決 審判1998-35662
関連ワード 製造方法 /  新規性 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  一致点の認定 /  相違点の認定 /  相違点の判断 /  周知技術 /  公知技術 /  技術常識 /  発明の概要 /  優先権 /  優先日 /  技術的意義 /  置き換え /  置換 /  容易に想到(容易想到性) /  特許発明 /  実施 /  加工 /  構成要件 /  設定登録 /  請求の範囲 /  拡張 / 
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事件 平成 12年 (行ケ) 429号 審決取消請求事件
原告 マルコンアイウェア インコーポレーテッド
訴訟代理人弁護士 中村稔
同 熊倉禎男
同 辻居幸一
同 宮垣聡
訴訟代理人弁理士 井野砂里
同 平野誠
被告 大同特殊鋼株式会社
訴訟代理人弁理士 須賀総夫
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2003/11/27
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める
事実及び理由
当事者の求めた裁判
1 原告 (1) 特許庁が,平成10年審判第35662号事件について,平成12年6月22日にした審決中,「特許第2574833号発明の明細書の特許請求の範囲第1項に記載された発明についての特許を無効とする。」との部分を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする 2 被告 主文1項及び2項と同旨
当事者間に争いのない事実等
1 特許庁における手続の経緯 原告は,発明の名称を「形状記憶要素を備えためがねフレーム」とする特許(特許第2574833号,昭和62年6月18日出願(優先権主張日昭和61年6月19日,優先権主張国アメリカ,以下「本件出願」といい,これに添付された明細書を「本件明細書」という。),平成8年10月24日設定登録。以下「本件特許」という。発明の数は2(請求項1とその従属項である,請求項2ないし11,20並びに請求項12とその従属項である,請求項13ないし19が,それぞれ一つの発明をなす。)の特許権者である。
被告は,平成10年12月24日,本件特許を上記いずれの発明に関しても無効にすることについて,審判を請求した。特許庁は,これを,平成10年審判第35662号事件として審理し,その結果,平成12年6月22日,「特許第2574833号発明の明細書の特許請求の範囲第1項に記載された発明についての特許を無効とする。特許第2574833号発明の明細書の特許請求の範囲第12項に記載された発明についての審判請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,平成12年7月19日,原告に送達した。
2 特許請求の範囲 (1) 請求項1 めがねフレームの少くとも一部分が,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金で作られ,前記一部分は加工硬化された擬弾性の冶金学的状態にあり,前記一部分は,軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数を有し,かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有するようにするため 加工硬化 と熱処理 を受けている ことを特徴とするめがねフレーム。
(下線部は,平成10年3月11日付け訂正請求書(甲第3号証)により付加された部分である。以下,請求項1の発明を,「本件第1発明」という。) (2) 請求項2 前記めがねフレームが一対のつるを含み,前記一部分が前記つるを含むことを特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム。
(3) 請求項3 前記めがねフレームがブリッジを含み,前記一部分が前記ブリッジを含むことを特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム。
(4) 請求項4 前記めがねフレームが,一対のレンズリムと一対の鼻当てとを含み,各鼻当てが鼻当てワイヤにより夫々のリムに結合され,前記一部分が前記鼻当てワイヤを含むこと,を特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム。
(5) 請求項5 前記めがねフレームの前記一部分が,4%より大きい弾性を有することを特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム。
(6) 請求項6 前記めがねフレームの前記一部分が,0℃より高い温度において3%より大きい弾性を有することを特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム。
(7) 請求項7 前記めがねフレームの前記一部分が,-10℃より高い温度において3%より大きい弾性を有することを特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム (8) 請求項8 前記めがねフレームの前記一部分が,MSとM dとの間の温度において3%より大きい弾性を有することを特徴とする請求の範囲第1項に記載されためがねフレーム。
(9) 請求項9 前記めがねフレームの前記一部分が,MSより低い温度において3%より大きい弾性を有することを特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム。
(10)請求項10 前記めがねフレームの前記一部分が,少なくとも30%加工硬化されて,そして400℃以下の温度で部分的に焼鈍されていることを特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム。
(11)請求項11 前記めがねフレームの前記一部分が,少なくとも45%加工硬化されていることを特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム。
(12)請求項12 めがねフレームの少くとも一部分が,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金で作られ,前記一部分は少なくとも30%加工硬化され続いて400℃以下の温度で部分的に焼鈍とを受けた加工硬化及び熱処理された組織であり,少なくとも3%の熱回復し得る形状記憶特性と,30,000psi(207MPa)より大きい降伏強度と,少なくとも3%の弾性とを有することを特徴とするめがねフレーム。
(13)請求項13 前記めがねフレームが一対のつるを含み,前記一部分が前記つるを含むことを特徴とする請求の範囲第12項に記載のめがねフレーム。
(14)請求項14 前記めがねフレームがブリッジを含み,前記一部分が前記ブリッジを含むことを特徴とする請求の範囲第12項に記載のめがねフレーム。
(15)請求項15 前記めがねフレームが,一対のレンズリムと一対の鼻当てとを含み,各鼻あてが鼻当てワイヤにより夫々のリムに結合され,前記一部分が前記鼻当てワイヤを含むこと,を特徴とする請求の範囲第12項に記載のめがねフレーム。
(16)請求項16 前記めがねフレームの前記一部分が,4%より大きい弾性を有することを特徴とする請求の範囲第12項に記載のめがねフレーム。
(17)請求項17 前記めがねフレームの前記一部分が,少なくとも30%加工硬化されていることを特徴とする請求の範囲第12項に記載のめがねフレーム。
(18)請求項18 前記めがねフレームの前記一部分が,少なくとも45%加工硬化されていることを特徴とする請求の範囲第12項に記載のめがねフレーム。
(19)請求項19 前記めがねフレームの前記一部分が,少なくとも30%加工硬化されて,続いて部分的に焼鈍されていることを特徴とする請求の範囲第12項に記載のめがねフレーム。
(20)請求項20 前記めがねフレームの前記一部分が,めがねの使用温度範囲の上方部分において擬弾性を示し,使用温度範囲の下方部分において超弾性特性を示すものであることを特徴とする請求の範囲第1項に記載のめがねフレーム。
3 審決の理由 審決の理由は,別紙審決書の写し記載のとおりである。そのうち,本件第1発明に関する部分は,要するに,本件第1発明は,甲第4号証(特開昭58-186719号公報,以下「甲4公報」という。),甲第5号証(特開昭61-84361号公報,以下「甲5公報」という。)及び甲第6号証(特開昭58-217834号公報,以下「甲6公報」という。)に記載された発明から,当業者が容易に発明できたものであるから,特許法29条2項の規定に該当し,特許を受けることができない,というものである。
審決が上記結論を導くに当たり認定した本件第1発明と甲4公報の発明との一致点・相違点は,次のとおりである。
(一致点) 「めがねフレームの少くとも一部分が,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金で作られ,前記一部分は,軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数を有し,少なくとも3%の弾性を有するようにするため加工硬化と熱処理を受けていることを特徴とするめがねフレーム」である点(審決書8頁4行目〜7行目) (相違点) 「A本件第1発明では,一部分は加工硬化された擬弾性の冶金学的状態にあるのに対して,甲第1号証(判決注・甲4公報を指す。)記載の発明では,その点の記載が無い点, B本件第1発明では,かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたりであるのに対して,甲第1号証記載の発明では,その点の記載が無い点」(審決書8頁8行目〜12行目) (以下,上記Aの点を「相違点A」といい,Bの点を「相違点B」という。)
原告の主張の要点
審決は,本件第1発明の構成要件を誤解して,甲4公報の発明との一致点の認定を誤り,また,甲5公報と甲6公報の理解を誤り,相違点Bの判断を誤った。
その結果,本件第1発明は,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと誤って判断したものであり,違法として取り消されるべきものである。
1 一致点の認定の誤りについて 審決は,本件第1発明と甲4公報の発明とを対比し,「少なくとも3%の弾性を有するようにするため加工硬化と熱処理を受けている点」において一致する,と認定するが,誤りである。
(1) 「少なくとも3%の弾性を有する」との構成について ア 本件第1発明の「前記一部分は,軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数を有し,かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有する(ようにするため加工硬化と熱処理を受けていること)」という構成要件は,本件第1発明の対象物が有する性質を示すものとして,不可分一体の要件である。すなわち,本件第1発明は,加工硬化と熱処理の結果,i)軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数を有し,かつ,ii)-20℃から+40℃までの温度範囲内のどの温度条件下でも,少なくとも3%の弾性を有するものでなければ,前記の構成要件を充足するものには該当しないのである。当該一部の温度範囲において部分的に前記構成要件に該当すると考えることはできない したがって,例えば,-20℃から+40℃までの温度範囲のうち,一部の温度範囲において3%の弾性を有するにすぎないめがねフレームは,本件第1発明の前記構成要件を充足したことにはならない。
イ 形状記憶合金の弾性には極度の温度依存性があることは,技術常識である。この技術常識に照らせば,「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり,少なくとも3%の弾性を有するようにするため」という箇所を,「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」と「少なくとも3%の弾性を有するようにする」という部分に分断して甲4公報の発明と対比することは,前記技術常識に反するものであることが明らかである。
(2) 「加工硬化と熱処理を受けている」との構成について ア 本件第1発明の「加工硬化と熱処理を受けている」という構成要件は,「加工硬化」と「熱処理」との相乗効果により,-20℃から+40℃までの温度範囲で少なくとも3%の弾性を実現するためのものである。したがって,本件第1発明においては,「加工硬化」と「熱処理」において一方が他方の効果を減殺するものであってはならないことは当然である。
この点は,本件明細書においても,「めがねの着用者に快適な感じを与え得るように,めがねフレーム構成要素に所望のレベルの弾性と弾性係数を与えるためには,めがねフレーム構成要素中に十分な加工硬化が残存することが不可欠である。」(甲第2号証12欄23行〜26行)と説明されている。
イ 本件明細書に開示された加工例は,いずれも高温の熱処理をした後(600℃で15分間,600℃で15分間,400℃で30分間),つるをプレスして加工硬化を行っている点で共通している。このように加工することにより,本件第1発明においては,「熱処理」と「加工硬化」の相乗効果が生じる(例えば,400℃で30分間の熱処理を行う例では,プレスの後に250℃の温度で8時間焼鈍している。この程度の焼鈍は加工硬化の効果を失わせるものではなく,加工硬化の効果を均一に広めるためになされるものである。)。
ウ これに対して,甲4公報の実施例1では,甲第9号証(Aの宣誓供述書)に示されているとおり,素材をプレス加工することにより,加工硬化させた後にアルゴンガス雰囲気中で600℃,30秒熱処理しており,この加工工程では,加工硬化後に600℃という高温により熱処理をしていることから,加工硬化の効果が失われてしまうことになる(甲4公報5欄16行目〜6欄5行目)。
すなわち,本件第1発明においては,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有するようにするため「加工硬化と熱処理」がなされるのに対し,甲4公報の発明の「熱処理」は,「加工硬化」の効果を喪失させるものであり,本件第1発明の「加工硬化と熱処理」とは異なるものである。
エ 被告は,乙第4号証を提出し,-20℃および0℃の場合には,超弾性能が得られていないが,室温では,加工硬化の効果が発現し,超弾性能が発揮されているのであるから,加工硬化の効果を喪失してしまうというわけではない,と主張する。
しかし,そもそも,加工硬化の効果は温度の変化によって現れたり,喪失したりするものではない。乙第4号証の実験に示されているとおり,甲4公報の実施例1では-20℃から0℃の温度範囲において十分な弾性が得られないのは,加工硬化の効果が存在しないことによるものであり,乙第4号証の実験結果は,まさに甲第9号証の実験結果を確認するものである。
(1)で述べたとおり,少なくとも-20℃から0℃までの温度範囲において加工硬化の効果が喪失され,「3%の弾性」が得られていないのであれば,それは,本件第1発明の「加工硬化と熱処理」と当たるものではない。
20℃から+40℃までの温度範囲においてしか擬弾性能が得られないものは,本件特許明細書に従来技術として記載されているめがねフレームにすぎないのである(本件明細書第2C図)。
(3) 本件明細書の記載について 本件訴訟において,36条4項違反は争点となっていない。しかし,被告は,本件明細書の記載に不備な点があるとして,これを根拠に,温度範囲と弾性値の不可分性や,加工硬化と熱処理の関係についての原告の主張を論難する。しかし,被告の論難は失当である。
ア 被告は,本件明細書の第1の実施例は,加工硬化後の熱処理という工程を欠いているから,本件第1発明の実施例ではない,と主張する。しかし,本件第1発明の「加工硬化と熱処理」という要件は,「加工硬化後の熱処理」だけを意味するものではない。
イ 被告は,本件明細書の三つの実施例(本件明細書14欄9行目〜16行目,14欄48行目〜15欄9行目,15欄10行目〜19行目)が,室温における測定データだけを示しただけであり,それでは,本件特許発明実施例を開示したということはできない,と主張する。
そもそも,第2及び第3の実施例に関する記載は,本件第1発明ではなく,請求項12の発明に関するものである(本件明細書第2G図参照)。第2の実施例においては加熱前に3.7%の弾性的ばね復帰と加熱後に3.8%の形状記憶回復,第3の実施例においては加熱後に5.0%の弾性ばね復帰と2.25%の形状記憶回復があり,いずれも「少なくとも3%の弾性」を有している。
ウ 第1の実施例は,0℃の変態温度を有する形状記憶合金を用いた例であり(本件明細書14欄9行),この場合,Ms温度は約-10℃になる。この場合,約-10℃であるMsを境にして,それより低い温度においては第2F図に示すばね性の挙動を,また,M S加工硬化された擬弾性的挙動を持つから,-20℃から+40℃の温度範囲全体にわたり,少なくとも3%の弾性を有することは明らかである。
その他,本件明細書における-20℃から+40℃の温度範囲までの具体的記載は十分である(本件明細書10欄39行目〜12欄9行目参照)。
エ 以上のとおり,被告の指摘は,その前提自体誤っている。
2 相違点Bについての判断の誤り (1) 甲5公報の認定の誤り ア 審決は,甲5公報の「第1図はTi-51.0at%Niよりなる合金を冷間加工後(冷間加工率51%)370℃で1m/10分(炉均熱帯1m)の巻取りスピードで焼鈍を行なった0.7mmφの素材を,0〜40℃の温度範囲で測定した応力‐歪み曲線」(6欄19行目〜7欄4行目)との記載及びその第1図からみて,本件第1発明の「かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」という構成の一部が甲5公報に開示されていると認定している。しかし,審決のこの認定は誤りである。
イ 既に述べたとおり,本件第1発明の「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり,少なくとも3%の弾性を有する」との構成は一体不可分なものであり,「-20℃から+40℃までの温度範囲」中,どの温度においても,少なくとも3%の弾性を有することを必須の構成要件としているから,温度範囲を「-20℃〜0℃」と「0℃〜+40℃」の二つの範囲に分け,後者は開示されているから,該構成要件の一部が開示されていると認定することはできない。
しかも,形状記憶合金の弾性は,強く温度に依存するものであることは当業者の技術常識である。この点は,本件明細書にも,「従来提案されている形状記憶合金を使用しためがねフレームは,温度範囲が約20℃以下のとても狭い温度範囲でのみ使用可能であるにすぎず・・・温度差が20℃以上ある環境下ではめがねとして全く使い物にならなかった」(5欄39目〜49行目),「例えば,使用温度の下限が0℃の気温でめがねとして機能する擬弾性ニッケル―チタニウム形状記憶合金でめがねを作れば,気温が20℃以上になるとバネ性を失い始めてめがねが顔から外れてしまうことになる。逆に使用温度の上限が30℃の気温でバネ性を持っためがねを作れば,気温が10℃以下ではやはり,バネ性を失い,めがねとして使用できなくなる。」(5欄50行目〜6欄6行目)との記載により,明確に示されているところである。
(2) 甲6公報の認定の誤り ア 審決は,甲6公報の「第8図(A)ないし(H)は本実施例による超弾性ばねの使用温度ごとの応力‐ひずみ特性を示したものであつて」(7欄12行目〜14行目)との記載及び第8図からみて,本件第1発明の「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」という構成が開示されていると認定するが,誤りである。
甲6公報の第8図(A)ないし(H)はせん断歪みを開示しているのであって,本件第1発明のように垂直歪みすなわち引張り歪みを開示するものではない。
イ 本件第1発明の「少なくとも3%の弾性」が垂直歪みに対する弾性であること,及び,甲6公報は,せん断歪みに対する弾性を開示することは,被告も認めている。
被告は,甲6公報の第8図に示されたせん断歪み6.1%を垂直歪み3.5%に換算することは,当業者にとって周知ないし自明であり,甲6公報の第8図には,本件第1発明の構成要件が開示されていると主張する。
しかし,甲6公報に「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有する」との構成要件が記載されているというためには,当業者が本件特許出願前に同号証の開示に接した際に,第8図のせん断歪み6.1%を垂直歪み3.5%に直ちに換算できることが必要である。
乙第2号証(三重大学工学部機械工学科教授 B作成の見解書)では,「議論は確立された非弾性変形理論に基づくものであり,大学での教科書レベルである」とされている。しかし,大学での教科書レベルのものであれば,多数の教科書を証拠として提出できるはずである。しかし,被告から,このような証拠は提出されていない。また,乙第2号証に記載された,せん断歪みの垂直歪みへの換算方法は,被告の指摘する乙第3号証及び甲第7号証に記載されていない事項を含み,これらによって,裏付けられているともいい難い。
また,被告の主張するせん断歪みの垂直歪みへの換算の式は,形状記憶合金に対しては適用することのできないものである。形状記憶合金には,同式を適用するための前提条件ないし必要条件が欠けているからである。
ウ 被告は,めがねフレームに負荷される歪みの種類と甲6公報のコイルばねに負荷される歪みの種類とはともにせん断歪みが中心であると主張する。しかし,実際のめがねフレームにおいては,せん断歪みだけでなく,垂直歪み等各種の歪みが生じ得るのであって,必ずしもせん断歪みが中心であるということはできない。本件第1発明は,このように実際に生じ得る各種の歪みのうち垂直歪みに対する弾性値をその要件としたものである。
(3) 甲4公報と甲5公報の組合せによる進歩性判断の誤り ア 審決は,当業者が,甲4公報の発明に甲5公報の発明を組み合わせて,本件第1発明を想到することは容易であると認定するが,誤りである。
仮に,甲5公報に,本件第1発明の「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」という構成要件の一部が開示されている旨の認定が正しいとしても,極めて温度依存性が高い形状記憶合金の弾性については,0℃から+40℃までの温度範囲の弾性が-20℃から0℃の温度範囲においても維持されているとの保証はなく,むしろ,-20℃から0℃の温度範囲においては弾性が劣化しているとみるのが通常である。
また,ばね製品と,バネ性のある眼鏡フレームのテンプルとを同視することはできず,前者に適用することが可能であることは,後者にも適用することが可能であることを予測させるものではない。
とりわけ,甲5公報に記載された歯列矯正ワイアやカテーテルは,体温(約35℃)の温度環境下で使用されるものであるから,同公報の記載は,そこに記載された形状記憶合金を-20℃という低温で使用することができることまで示唆するものではない。そもそも,形状記憶合金は,温度によって応力‐歪み特性が著しく変化するものである。したがって,体温(約35℃)で使用するカテーテルとしての用途に耐え得る形状記憶合金であっても,-20℃〜+40℃で使用するめがねフレームとしての用途に耐え得ることは全く予測できないのである。
このような状況の下で,当業者が,甲4公報の発明に甲5公報の発明を組み合わせて,-20℃から0℃までの温度範囲についての弾性が少なくとも3%という構成に想到することは,決して容易ではないのである。
イ 容易推考性は,引用例に開示された具体的技術内容に基づいて検討すべきである。「形状記憶合金」といっても,加工条件次第で,ある温度における応力-歪み特性が大きく変化するものであるから,いずれも「形状記憶合金」という範疇に属しているからといって,甲4公報の発明と甲5公報の発明との組み合わせが容易であることになるわけではない。また,甲5公報が,そこに開示された形状記憶合金を種々の「ばね製品」に適用することが可能であると開示し,甲4公報が「ばね性のある形状記憶合金」をめがねフレームに使用することを開示し,形状記憶合金をめがねフレームに使用することが知られていたとしても,形状記憶合金のうち,いかなる特性のものをめがねフレームに使用するのか,また,その場合の作用効果についての示唆ないし開示がなければ,めがねフレームとしての構成には想到し得ない。
したがって,甲4公報の発明と及び甲5公報の発明とを組み合わせる「原理的な可能性」が存在する,というだけで,本件第1発明の容易推考性が認められるものではない。
ウ 被告は,現実のめがねの使用条件を考えれば,-20℃という低温はごくまれな場面でしか生じないから,-20℃という下限近くの低温で使用することが可能であるということは,それほど重要な性質とは考えられない,と主張する。
しかし,例えば,スキー場では,0℃をはるかに下回る温度条件でめがねを使用することは,経験則上明らかである。
被告の主張は,独自の見解にすぎず,これが本件第1発明の作用効果や進歩性に影響を与えるものでないことは,明らかである。
エ 被告は,甲5公報は0℃以下の温度における弾性を否定していないから,常温で使用可能であることが明確であれば,より低い温度での使用可能性についての期待を当業者は当然に持ち,甲5公報の記載を甲4公報に適用するという動機付けが普通に生じる,と主張する。
甲5公報が,0℃以下の温度における弾性を否定していないからといって,-20℃から0℃までの温度範囲においても3%以上の弾性を持たせるという本件第1発明の課題が示唆されているわけではない。このような主張は,形状記憶合金の特性が温度範囲に依存し,擬弾性を示す温度範囲が狭いという性質を無視したものである(本件明細書5欄25行目〜6欄13行目参照)。
甲4公報の発明及び甲5公報の発明からは,本件第1発明の技術的課題である-20℃〜+40℃という広範な温度範囲で少なくとも3%の弾性を有するめがねフレームを得るという技術的課題は導かれないのであり,かつ,形状記憶合金が擬弾性を示す温度範囲は狭いことから,両者を組み合わせて,-20℃から0℃までについても3%を超える弾性を有するめがねフレームを得ようとの動機付けが容易に生じることはないというべきである。
(4) 甲4公報と甲6公報の組合せによる進歩性判断の誤り 審決は,当業者が甲4公報の発明に甲6公報の発明を組み合わせて本件第1発明を想到することは容易であると認定するが,誤りである。
仮に,被告の主張するとおり,甲6公報に開示されたせん断歪みに対する弾性の値が垂直歪みに対する弾性の値に換算し得るものであるとしても,この換算を本件特許出願の優先日前の周知技術に基づくものとすることはできない。
また,ばね製品と,ばね性のある眼鏡フレームのテンプルとを同視することはできないから,前者に適用することが可能な形状記憶合金であるからといって,これを後者にも適用することが可能である,ということが示唆されるものではない。とりわけ,甲6公報記載の試験品は「線径0.4mm」というごくごく細い線径のコイルばねを対象としており,その線径及び強度からして眼鏡フレームのテンプルの使用に供され得るようなものではない。
被告の主張の要点
1 一致点の認定の誤りに対して (1) 「少なくとも3%の弾性を有する」という構成について ア めがねフレームが有すべき弾性の値と,その値が保たれるべき温度範囲とは,技術的には別の事項であって,両者を一体不可分と考えねばならない理由はない。それゆえ審決は,まず物性の要件について検討したのであり,審決が採用した甲4公報の技術内容の認定手法に,誤りはない。
イ 発明の新規性進歩性を判断するために通常行われている手法は,請求項に記載された諸事項をできるだけ細分し,得られた各事項を構成要件とし,それらと公知技術とを対比するものであり,審決もそれに従って判断している。原告が主張する構成要件のとらえ方は,発明の新規性進歩性を判断する通常の手法と異なる,恣意的なものである。
ウ 審決は,通常の手法に従って,本件第1発明の構成要件は次のとおりであると認定している。
@「めがねフレームの少なくとも一部分がニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金で作られ」 A「前記一部分は,軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数を有し」 B「かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」 C「少なくとも3%の弾性を有するようにするため」 D「加工硬化と熱処理を受けている」 これに対し,原告は,このA〜Dをまとめてひとつの構成要件であると主張している。
上記構成要件A〜Dを一まとまりに考えるべきであるという原告の主張は,その根拠を,これらが「発明の対象物が有する性質を示すもの」であるということに求めている。AおよびCは対象物の性質である。しかし,Dは対象物の加工履歴であり,BはCが発現すべき温度範囲を限定したものである。このような異種の要件を一括して一つの構成要件として把握せよとする原告の上記主張は,独自のものであって採り得ないことが明らかである。
エ 形状記憶合金にとって温度が重要であることは確かである。しかし,それだからといって,そのことから直ちに,物性を論じるときは常に温度を前提にしなければならない,ということになるわけではない。「-20℃から+40℃まで」という温度範囲は,めがねフレームにとって絶対的なものではない。
本件明細書7欄16行目〜27行目の記載から,本件第1発明には,使用温度範囲が60℃幅より低いが30℃幅以上である,実用に十分供することのできるめがねフレームが含まれていることが分かる。また,そのようなめがねフレームは,理想的な温度範囲のめがねフレームと同様な技術で実現できることも明らかである。このことは,観点を変えてみれば,実用的な温度範囲のめがねフレームの技術を延長したところに,理想的な温度範囲のめがねフレームが存在するということを意味する。
「実用に十分供する温度範囲(30℃幅)」の上限および下限の温度が,それぞれ何℃であるかは明らかでないが,めがねフレームが人間の肌に接して装着されることを考えれば,上限が30℃台を下回るとは思えない。そうなれば,下限は当然に0℃を上回ることになる。したがって,実用的な性能のめがねフレームの使用温度は0℃〜+40℃の範囲にあって,理想的な性能のめがねフレームの使用温度は,それを-20℃に向けて拡張したものとみてよい。0℃〜+40℃の範囲と-20℃〜+40℃の範囲とは,量的な範囲の広狭の差があるだけであって,質的に異なる領域ではない。
本件明細書の記述をみても,第1の実施例(14欄9行目〜20行目)において,「室温において完全な弾性的ばね復帰を示す。」という記述があるだけで,所望の弾性を示す温度範囲がどうであるかについての説明はない。第2の実施例(14欄第48行目〜15欄9行目)についても,第3の実施例(15欄10行目〜22行目)についても,弾性の温度範囲に関する言及はない。-20℃〜+40℃の範囲において3%の弾性を示すことがそれほど重要であるならば,実施例の一つ一つにおいて,その弾性が得られる温度範囲が確認されていなければならないはずである。
形状記憶合金において,温度条件は,相対的で付随的な存在である。形状記憶合金の特性を論じるに当たり,まず物性を問題とし,次にそれがどのような温度条件の下で成り立つかを問題とするという形で,2段階に分けて検討すべきである,とした審決の取扱いは正しい。
(2) 「加工硬化と熱処理を受けている」との構成について ア 甲4公報の実施例1でも,「この加工硬化した素地を熱処理する」という説明があるから,この熱処理は,当然に加工硬化による効果を維持しつつ行うものと理解するのが自然である。
実際に,甲4公報の実施例1における熱処理によっては加工硬化の効果は失われない。
加工硬化の効果が焼鈍によりどの程度失われるかは,そこに投入されたエネルギーの量,具体的には温度の高低と加熱時間の長短によって決定される。温度が低ければ,消失はゆっくり進むし,時間が短ければ,わずかな程度にとどまる。乙第1号証(本橋嘉信らによる「Ti-Ni系形状記憶合金の結晶粒微細化とその変態特性に及ぼす影響」と題する研究報告)の焼鈍条件とそれによる影響をまとめれば,次のようになる。
焼鈍温度 時間 (秒) 結 果 乙第1号証 600℃ 18,000 Hv400→295 675℃ 120 再結晶未完了 675℃ 45 再結晶ほとんど認められない 甲4公報 600 ℃ 30 ? 乙第1号証のデータと,甲4公報の実施例1の熱処理条件とを対比すると,後者は温度も低く時間も短いのであるから,加工硬化の効果が熱処理により失われる程度は,実質上ゼロであるか,あってもごくわずかにとどまることが明白である。
イ 甲4公報に開示された「熱処理」が加工硬化の効果を失わせるとして,原告は甲第9号証を提出する。しかし,甲4公報の条件で熱処理した資料は,室温において超弾性能を示しているから,加工硬化の効果が失われたということはできない。
乙第4号証によれば,加工硬化の効果の存在は一層明らかである。
ウ 甲4公報の実施例1の条件による熱処理を行なったNiTi合金は,0℃を超えて+20℃までの間のある温度から,少なくとも+40℃に至る領域において,5%程度の弾性を有するということが明らかである。この温度範囲は,通常のめがね使用の温度条件と一致しており,甲4公報のめがねフレームは,実用上十分な超弾性能を有する。
エ 超弾性能をもたらす加工硬化の効果(正確には,それに熱処理の効果が加わったもの)は,その形状記憶合金が置かれた温度によって異なる。すなわち,温度により,超弾性能が見られたり見られなかったりする。乙第4号証のデータは,0℃又はそれ以下では見られなかった超弾性能が,室温及び+40℃においては見られることを示している。
原告は,甲4公報の実施例1では-20℃から0℃の温度範囲において十分な弾性が得られないのは,加工硬化の効果が存在しないことによる,という。
しかし,加工硬化の効果が存在しなくなったのであれば,あらゆる温度で弾性が認められないはずであるのに,実際には,室温及び+40℃においては明確な超弾性能が認められている。したがって,「-20℃から0℃の温度範囲においては十分な弾性が生じないが,0℃から+40℃の温度範囲においては弾性が生じるような」効果が存在しているのである。
オ 原告は,甲4公報の実施例1の処理では,少なくとも-20℃から0℃までの温度範囲において,加工硬化の効果が失われ,「3%の弾性」が得られていないから,これを本件第1発明の「加工硬化と熱処理」に当たるものということはできない,と論じている。しかし,そのことは,本件第1発明の進歩性を評価する資料としての,甲4公報の価値を減じるものではない。
そもそも,甲4公報に開示された処理により,-20℃から+40℃の温度範囲における3%以上の弾性が得られるのであれば,本件第1発明は新規性すら否定されなければならない。
審決は,甲4公報に,「加工硬化と熱処理」が開示されていると認定したのであって,それが本件第1発明の「加工硬化と熱処理」と同じであるとまではいっていない。本件第1発明の進歩性が否定される上で,両者が同じである必要もない。
(3) 本件明細書の記載の不備について ア そもそも,本件明細書の第1の実施例は,加工硬化後の熱処理という工程を欠いているから,本件第1発明の実施例ではない。
イ この点はおくとしても,第1の実施例において,「完全な弾性的ばね復帰を示す」ことが確認されているのは,「室温において」だけである。第2および第3の実施例においても,弾性的ばね復帰を測定した温度については,言及がない。
このように,本件明細書では,実施データとして室温における測定値だけを示して,-20℃〜+40℃という温度範囲のデータを代表させている。ところが,室温で超弾性能を発揮するNiTi合金の加工品であっても,-20℃から0℃の温度範囲で超弾性能が得られるという保証はない(甲第9号証,乙第4号証)。
第2及び第3の実施例の製品は,どちらも「3%の弾性」を有していない。第2の実施例においては,「加熱されたとき3.8%の形状記憶回復を与える」とあり,第3の実施例においては「加熱されたとき」と断っていないが,「2.25%の形状記憶回復を与える」のは,やはり加熱後のことであると解される。
3%の弾性を有するということについては,本件明細書の13欄25行目〜29行目に,「“3%の弾性”を有するということはめがねフレーム構成要素が,その構成要素を3%以上の歪によって変形を生じさせ,また力を除去すると原形に復し得るということを示すものである。」と定義されている。応力を除いただけでは原形に戻らず,加熱してはじめて原形に復するというのでは,弾性を有することにならない。
ウ 以上のとおり,原告は超弾性特性の温度依存性を強調するが,その根拠となるはずの明細書の記載は,この程度の詳しさでしかなく,構成要件BおよびCが一体不可分であるという主張を支持する記載は,本件明細書中に求めることができない。
2 相違点の判断の誤りに対して (1) 甲5公報の認定の誤りに対して ア 「少なくとも3%の弾性を有する」という物性上の要件が,0℃から+40℃までの温度範囲で満たされているからといって,そのことから,-20℃から0℃の温度範囲においても満たされることを,当然に導き出せるわけではないことは,事実である。
しかし,形状記憶合金の物性は温度に依存するとはいえ,0℃から+40℃までの温度範囲で観測される物性が,0℃から-20℃に向かう範囲で臨界的に変化するという蓋然性は,余り高くない。当業者の常識からすれば,0℃から+40℃までの温度範囲で満たされた物性の要件は,-20℃から0℃までの温度範囲においても本質的な変化なしに満たされるであろう,という予測の方が,受け入れられる。
イ このような予測が成立する蓋然性が高いか否かはしばらくおくとしても,「少なくとも3%の弾性を有する」という要件が,-20℃〜+40℃という温度範囲のうち,0℃〜+40℃までの範囲(量的には2/3に相当する)で満たされることが開示されているとき,これをもって「構成要件の一部が開示されている」とするという審決の認定に,誤りはない。
甲5公報に「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」という構成が「全く」開示されていない,という原告の主張は,「全部は」開示されていないという限度において正しいが,それ以上のものではない。
ウ めがねフレームが,少なくとも3%の弾性を有すべき温度範囲は,そのめがねが使用される環境によって左右される。極寒の環境を除けば,使用温度範囲が「0℃から+40℃まで」であっても,そのめがねは十分な実用性を持つ。「-20℃から+40℃まで」の全範囲を使用温度としないものは無意味である,というかのような原告の主張は,審決の適否を論じる上で正しくない。
(2) 甲6公報の認定の誤りに対して ア 審決が,甲6公報を本件第1発明にとって適切な引用例として取り上げたのは,そこに,使用可能な温度範囲が-20℃から+80℃と,本件特許の-20℃から+40℃を包含する,超弾性バネが開示されているからである。
イ 甲6公報が,本件第1発明の進歩性を評価する上で適切な資料であることは,次の対比によっても,確認することができる。
(ア) 発明の対象において,本件第1発明は「めがねフレーム」であり,甲6公報は「超弾性バネ」である。両者は,バネ性を要求される材料,という点では同じである。
(イ) 従来技術の問題点として挙げていることは,共に,使用できる温度範囲が狭いことであり,したがって,発明の目的は,どちらも,使用温度範囲が広い超弾性特性を示す製品を提供することにある。
(ウ) 課題解決策として両者が共通に採用したのが,加工硬化により永久歪みが残留する超弾性材料を用いることである。その具体的手段を実施例にみると,次のように一致又は近似しており,製品の性能も当然に近い。
第一発明 甲6公報 の発明 減面率 少なくとも30% 永久歪みを10%以上 (歪みとしては22%) (例えば20%) 焼 鈍 400℃以下×1時間以上 350℃以下でなるべく長時間 焼鈍の省略 可能 可能 弾性率 3%以上(垂直歪み) 3.5%(垂直歪みに換算) 使用温度 - 20 ℃〜+ 40 ℃ - 20 ℃〜+ 80 ℃ ウ 線形歪み成分も非線形歪み成分も含めて,「垂直歪み」と「せん断歪み」との間には, e=√(2/3){ex2+ey2+ez2+(1/2)(γyz2+γzx2+γxy2)}1/2(以下「本件元換算式」という。) から導かれる, 垂直歪み = 1/√3×せん断歪み の関係が成立する(乙第2号証)。超弾性材料の線形領域および非線形領域のいずれにおいても,上記の「垂直歪み」と「せん断歪み」との関係が成立するのである。
この見解にしたがって計算すると,6.1%のせん断歪みは3.5%の垂直歪みに相当する。
エ 原告の審決に対する非難は,専ら,本件第1発明でいう「3%の弾性」が垂直歪みのそれであるのに対し,甲6公報の第8図に結果を示された試験が,コイルばねを使用した,せん断歪みのデータであることに向けられている。
しかし,めがねフレームに加わる応力は主として“ねじれ”であり,生じる歪みはせん断歪みであることが多いにもかかわらず,本件特許明細書で問題にした歪みは垂直歪みである。これは,せん断歪みと垂直歪みとの対応関係は当業者に分かっている,ということを前提に,明細書が構成されているにほかならない。
オ 審決が甲6公報に開示されているとしているのは,前記構成要件B「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」である。ひずみの種類を問題としているのではない。甲6公報の第8図には,形状記憶合金の応力-ひずみ曲線が,-20℃から80℃の範囲にわたって(すなわち-20℃,-10℃,0℃,10℃,20℃,40℃,60℃,80℃)示されている。これをもって「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」ということに何の問題もない。
カ 原告は,審決は,甲6公報におけるごくごく細いコイルばねのせん断ひずみについての記載を,誤ってめがねフレームの垂直ひずみについてのものと同一視している,という。しかし,審決は,両者を,誤って同一視したわけではなく,線径の差は物性に実質的な影響がなく,せん断歪みと垂直歪みとの対応関係は知られていたことから,甲6公報における応力-歪み曲線の開示が-20℃から80℃の温度範囲にわたっていることを指摘したのである。
3 甲4公報に甲5公報を組み合わせることの容易性について (1) めがねフレームの使用温度域に関して,原告は,-20℃〜+40℃という範囲,特に低温側の-20℃を強調している。しかし,現実のめがねの使用条件を考えると,このような低温における使用はごくまれな場面でしか生じない。それゆえ,-20℃という下限近くの低温で使用可能であるということは,それほど重要な性能とは考えられない。
甲5公報は0℃以下の温度における弾性を否定しているわけではないので,少なくとも常温において使用可能であることが明確であれば,より低い温度においても使用可能であろうという期待は,当業者が当然持つところである。甲5公報に記載された事項を甲4公報の技術に適用してみようという意欲が,当業者にはごく普通に生じる。低温で使用可能であるとの確証は得られていなくても,そのことが上記適用を断念させるほどの影響を有しているわけではない。甲5公報に例示された用途が低温における性能を要求しないものであるということをもって,低温における性能を必要とする用途への類推が妨げられるとするいわれはない。
(2) 甲4公報はめがねフレームへの形状記憶合金の使用を開示しており,甲5公報はばね製品としての形状記憶合金の使用を,少なくとも0℃から+40℃の温度範囲のデータとともに開示しているのであるから,前者に後者を組み合わせれば本件第1発明に至るというのは,自然な思考であり,それによって本件第1発明の進歩性が否定されることも,自然の成り行きである。
(3) 当業者が甲4公報の技術に甲5公報の開示を適用することを考えたとき,そこで考えられる製品の特性に関して,-20℃から0℃の温度範囲について,直ちに確信を持つことはできないにしても,ある程度の期待は持てるはずであり,したがってそれを試みようという動機付けは,十分に存在する。その動機付けに促されて試験をすれば,本件第1発明のめがねフレームに至るわけであるから,甲4公報と甲5公報の組み合わせにより本件第1発明の進歩性を否定した審決の判断は,正当である。
4 甲4公報と甲6公報の組み合わせることの容易性について (1) 原告は,甲6公報のコイルばねが線径0.4mmの細いものであり,このような細い線材はめがねフレームのテンプルに使用されるものではないという。しかし,めがねフレームの材料は,このような細いものではないといっても,たかだか直径1〜2mmの線であり,この程度の差であれば,両者の間の物理的性質に直径の差が影響するわけではない。原告の主張に根拠はない。
甲6公報に開示されている超弾性ばねは,「また本発明はコイルばねは勿論のこと,板ばねやトーションバーその他のばね製品に適用可能である。」(3頁右下欄8行目〜10行目),と記載してあるので,線径0.4mmのコイルばねだけが甲6公報に取り上げられているわけではない。
(2) せん断歪みに対する弾性の値と,垂直歪みに対する弾性の値との相互の換算は,当業者の常識であるという以前に,工学上の常識である。
この点をおくとしても,これが本件特許出願の優先日前に当業者に知られていなかったとなると,そもそも,本件明細書が理解できないことになる。
「ねじれ(kinking)に対し高度に抵抗性があ」る(6欄16行目〜17行目)めがねフレームを提供するという目的を提示する本件明細書において,弾性の値として垂直歪みだけのデータしか示してないということは,上記の換算が可能であること,そしてそれが当業者には知られていたことを,当然の前提として要求するものである。
(3) 原告はまた,ばね製品と,ばね性のあるめがねフレームのテンプルとは同視することはできず,前者に適用することが可能な形状記憶合金であることは,後者にも適用することが可能であることを示唆するものではない,とも主張している。
「ばね性のあるめがねフレームのテンプル」は「ばね製品」の1種にほかならないし,そのような議論をしなくても,甲4公報も甲6公報も同様なNi-Ti形状記憶合金を材料として使用しており,審決認定のとおり,形状記憶合金をめがねフレームに用いることは,従来周知の技術手段であるから,ばね製品に適用することが可能な形状記憶合金がめがねフレームに適用することが可能であることは,当業者にとって自明の事項である。
(4) 甲6公報に記載された応力-歪み曲線は温度範囲が-20℃〜+80℃の範囲に及び,本件第1発明の-20℃〜+40℃の範囲を包含している。甲4公報の技術に甲6公報の教示を組み合わせれば本件第1発明に至るとする審決の認定に,誤りはない。
当裁判所の判断
1 本件第1発明の認定と審決の認定構造について (1) 本件第1発明を特定する特許請求の範囲の記載は,前記のとおり「めがねフレームの少くとも一部分が,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金で作られ,前記一部分は加工硬化された擬弾性の冶金学的状態にあり,前記一部分は,軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数を有し,かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有するようにするため加工硬化と熱処理を受けていることを特徴とするめがねフレーム。」,というものである。
すなわち,本件第1発明は,特定の種類の材料が少なくとも部分的に用いられており,全体が製造された状態において,上記部分が一定の物性を持つめがねフレーム,の発明である。その製造方法でも,ましてや上記材料自体ないしその製造方法でもない。本件で考案の対象とされる本件第1発明は,上記のようなめがねフレームそのものであって,上記製造方法,材料自体ないしその製造方法容易想到性や,実現の困難性は,基本的に本件において問題になるものではない。
本件第1発明の進歩性を,上記の構成のめがねフレーム自体の容易想到性の有無の観点から判断することが許されることは,当然である。
(2) めがねフレームとして,@剛性や弾性が大きすぎないこと(かけ心地を軟らかくするためである。),並びに,A少なくとも部分的に(例えばつる,テンプル等において)ある程度の弾性を持つこと(かけたとき容易にずれたり外れたりしないようにするためである。),の二つの性質は,好ましいというより,むしろ当然備えるべきものであり,そのことは,当業者のみならず,単なる消費者であっても容易に思い付く,一般常識といってもよいことである。
このことは,審決が以下のとおり摘示している,甲4公報の記載からも認められる。
「甲第1号証(判決注・甲4公報)(特開昭58-186719号公報)) a,眼鏡フレームのテンプル(発明の名称) b,(1)眼鏡フレームにおいて,超弾性材料からなるテンプルであり,テンプルの延長部に対する耳掛部の断面形状の変化あるいは部分熱処理を含む加工により,耳掛部に低荷重でたわむ特性を付与せしめたことを特徴とする眼鏡フレームのテンプル(特許請求の範囲第1項) c,(2)超弾性材料はNi-Ti金属間化合物を主体とする合金からなる特許請求の範囲第1項記載の眼鏡フレームのテンプル。(特許請求の範囲第2項) d,延長部はフレームが顔に対し固定するために顔側面に向けてわずかに弾性的に押さえるためにバネ性を必要とし,耳掛部は耳から外れないように形状的には耳形状に合わせた略半円状となされ,延長部に比して極めて軽い荷重で大きなたわみが得られることを必要としている。(第1頁右欄第13〜18行)」(審決書3頁35行目〜4頁8行目) 本件第1発明の構成要件中の,「軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数」及び「少なくとも3%の弾性を有する」の文言は,それぞれ上記2要素に係るものと認められる。そして,「軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数」の文言につき,「軟らかくばねの感じを与える」ようにするということ以上に,どのような技術的意義があるかを示す記載は,本件明細書中に見いだし得ない。「少なくとも3%の弾性を有する」の文言についても,その数値に具体的にどのような使用上等の意義があるかは,本件明細書中に全く開示されていないから,結局,単に,一定数値以上の弾性を有すべきことを述べたにすぎない,と解するほかない。そうである以上,上記各文言は,めがねフレームとして一般的に必要とされる性質を表現しただけのものにすぎない,というべきである。
(3) 本件第1発明は,少なくとも3%の弾性を有する温度範囲として,「-20℃から+40℃」を,その構成要件としている。
めがねフレームに用いられる形状記憶合金は,その使用態様上,常に一定の形状と弾性を保ち続けなければならないことはいうまでもない。したがって,それが,一定の擬弾性ないし超弾性を保ち得る温度範囲が広ければ広いほど,優れているものとなることは当然である。
例えば,日本における使用を考えた場合,日本の気候では,最高気温が40℃を超えることはほとんどなく,また,高地や北海道などの北国の冬季においては,真冬日(最高気温が0℃を上回らない日)が多くあり,最低気温が-20℃前後にまで下がることも珍しくないこと,しかし,たいていの人にとって,-20℃を下る気温の中にいることが多くないことは,周知の事実である。そうすると,-20℃から+40℃までの温度範囲で所定の弾性を保ち続けることができれば,めがねフレームに用いられる形状記憶合金として実用上十分であることは,当業者はもとより,単なる消費者であっても極めて容易に想到できることである。この温度範囲の設定自体を想到することが困難であるなどということは,およそあり得ないことである。
(4) ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金も,その加工の方法としての,「加工硬化と熱処理」も,本件優先権主張日当時周知であったことは,前記の甲4公報の記載及び以下の甲5公報及び甲6公報の記載から,優に認めることができる。
ア 甲5公報は,「擬弾性バネの製造方法」に関するものである。そこには, 「Ni50.5at%(残部Ti)からなる熱弾性型マルテンサイト変態を示すTiNi合金を冷間加工(加工率30%)後,300℃〜450℃の温度範囲で,張力をかけながら連続焼鈍を行ない,体温(35℃)近傍の温度で擬弾性特性を高応力で示す連続直線状バネを得ることを特長とする擬弾性バネの製造方法」(特許請求の範囲), 「第1図にはTi-51.0at%Niよりなる合金を冷間加工後(冷間加工率51%)370℃で1m/10分(炉均熱帯1m)の巻取りスピードで焼鈍を行なった0.7mmφの素材を,0〜40℃の温度範囲で測定した応力-歪み曲線。」(6欄19行目〜7欄4行目) との記載がある。
イ 甲6公報は,「超弾性ばね」の発明に関するものである。そこには, 「本実施例ではばね材としてTi-Niの超弾性合金を使用し,この超弾性合金を,第6図に示した材料製造工程1あるいはばね成形工程2において,超弾性領域S1を超えるひずみ(例えば20%程度)を与えて塑性変形させ,第7図に示されるように永久ひずみを10%以上(例えば20%程度)残留させる。」(2頁左下欄8行目〜15行目) 「以上のように超弾性合金に超弾性領域を超える大きなひずみを与えると,すべり変形による加工硬化領域に入り,加工硬化を生じるとともに,すべりによる塑性変形のために除荷後に永久ひずみが残留する。この永久ひずみは,負荷を与えて例えば20%程度のひずみを与えた場合,除荷後に18%程度残留する。
そして上記のように永久ひずみをもたせたばね材を,低温熱処理工程3において,例えば350℃以下の低温で加熱する。この加熱により,ばね材の永久ひずみが一部(数%程度)回復されるため,ばねの使用温度が加工・成形時の温度を超える場合にばねの変形を防ぐことができる。なお上記低温熱処理工程3は,ばね形状の安定化を図る上でなるべく長時間実施することが望ましい。また上記熱処理工程3は治具によつてばねを所定の形状に固定した状態で行なうようにしてもよい。
上記低温熱処理工程3を経たばねは,第7図に示すようにひずみの一部tが回復するが,大部分の永久ひずみは残留したままとなる。従つてこれに負荷を与えた場合の弾性領域は+3〜5%となり,超弾性が維持される。
しかして上記のように永久ひずみを残留させた超弾性ばねは,非常に優れた性能を発揮するものである。すなわち第8図(A)ないし(H)は本実施例による超弾性ばねの使用温度ごとの応力-ひずみ特性を示したものであつて,試験品として,線径0.4mm,コイル平均径2.5mm,有効巻数10巻のものを用い,最大撓みを30ks一定(6.1%のせん断ひずみに相当)として試験を行つた結果である。」(2頁右下欄7行目〜3頁左上欄18行目) との記載がある。
(5) ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金をめがねフレームとして用いることもまた,本件優先権主張日当時,周知であったと認められる。すなわち,本件明細書には,「米国特許第4,472,035号,特公昭57-115517号,及び日本特許第84714号,特開昭56-66816号,特開昭56-99317号,特開昭56-95215号,特開昭58-186719号,及び特許出願公表61-500639号,のような多数の引用例は,”超弾性(superelastic)”又は”擬弾性(pseudoelastic)”の性質によりフレーム構成要素として使用するための形状記憶合金,特にニッケル-チタニウム合金の使用を示唆している。」(甲第2号証4欄28行目〜35行目)との記載がある。本件明細書自体が,めがねフレームに,超弾性又は擬弾性を有するニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金を用いることは,周知技術であったことを前提としているのである。
(6) 以上のとおり,本件優先権主張日当時,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金も,それを用いた用いためがねフレームも周知であり,製造工程で,形状記憶合金に,一定の温度範囲における一定の弾性を持たせるため,加工硬化と熱処理を施すこともまた周知であった,と認められる。
そして,本件第1発明においてこの形状記憶合金ないしめがねフレームが備える物性として挙げられている「軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数」も,「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有する」ことも,前記のとおり,めがねフレームとして備えるべき当然の性質を表現したもの(一定値以上の,しかし大きすぎない弾性値)にすぎないか,めがねフレームとして望まれ当業者なら容易に思い付く,あるいは当業者が適宜設定し得る性質(一定の弾性値を保ち得る温度範囲)を表現したものにすぎない。
したがって,本件第1発明は当業者が容易に想到できるものであり,進歩性がないことは,その余について検討するまでもなく,明らかである。
(7) 原告が本件審決を取り消すべき事由として主張するところは,要するに,甲4公報ないし甲6公報の形状記憶合金が,本件第1発明のそれと異なる,ということであり,甲6公報の形状記憶合金を,甲4公報の発明のめがねフレームに用いることはできない,ということである。
しかし,本件第1発明は,前記のとおりのものであり,要するに,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金を用いて,これに加工硬化と熱処理を加え,めがねのフレームとして具えていることが好ましい特性を,実用性の面からみて好ましい温度幅の全体にわたって維持するようにしてあるめがねフレーム,というものであり,それ以上のものではない。ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金及びそれに対する加工硬化と熱処理という周知技術の下で,これをみれば,つまるところ,これらの技術を用いて達成すべき課題をそのまま構成要件としただけのものであり,それ以上に具体的な要素は何ら有するものではない(このような課題を実現する具体的手段に想到することは困難であり得ても,このような課題に想到することには何らの困難もない。両者の区別は明確に認識されなければならない。)。このようなとき,甲4公報ないし甲6公報の各発明の形状記憶合金の個々の点を取り上げて論じることに,何らの意味をも認めることはできない。これに関する原告の主張は,それ自体失当である。
(8) 他方,前記(1)ないし(6)のような理由付けを採らず,甲4公報ないし甲6公報の各発明の形状記憶合金の物性を検討した上で,それらから本件発明に至ることが容易かどうかを検討している本件審決の判断構造(論理構成)も,本件第1発明そのものというより,それに属する特定の発明を想定してそれを進歩性判断の対象とするものであり,そのため,結論を導くための,本来必要のない判断過程を経なければならなくなっており,上記のように把握されるべき本件第1発明の進歩性についての判断構造として,極めて能率の悪いものとなっている。
しかし,本件審決が,証拠により認定した前提事実の中には,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金,それを用いためがねフレーム,製造方法としての加工硬化と熱処理のいずれもが周知であることが現われており,さらに,一定程度以上の弾性と軟らかいかけ心地が,めがねフレームとして好ましい性質であることも現われている。
本件審決が認定した上記前提事実からは,「当業者なら,甲第2号証ないし甲第3号証(判決注・甲5公報ないし甲6公報)に記載された事項を甲第1号証(判決注・甲4公報)に適用することは,容易であるといえる。」(審決書9頁26行目〜28行目),「本件特許の請求項1〜11,20に記載された発明は,甲各号証に記載の事項から当業者が容易に発明できたものであり」(審決書11頁10行目〜11行目)との本件審決の結論に至ることは十分に可能である。
したがって,結果的に,本件審決に誤りがあるとはいえない。
そうである以上,本件審決は,本来する必要のない検討をした上でなければ結論に至ることができない判断構造を採用した,という点で,極めて能率のよくない方法を選んだという批判を免れないとはいえ,結果的に,その判断に誤りはないということができる。
(9) 審決の採用した判断構造(論理構成)は,上記のとおり,本件第1発明については極めて能率の悪いものである。しかし,その点を別とすれば,判断構造(論理構成)自体としては正当なものであり,その個々の判断の過程に結論に影響を及ぼす誤りがなければ正しい結論に導くものである。そして,審決の採用した判断構造(論理構成)をそのまま採用とするとしても,それによって得られた結論に誤りがあると認めることはできない。
念のため,以下にその理由を述べる。
2 一致点の認定の誤りについて (1) 原告は,審決が,本件第1発明と甲4公報の発明とを対比し,「少なくとも3%の弾性を有するようにするため加工硬化と熱処理を受けている」点において一致する,と認定した点を誤りであると主張する。
(2) 本件明細書には,「発明の背景」として, 「以上のように従来提案されている形状記憶合金を使用しためがねフレームは,温度範囲が約20℃以下のとても狭い温度範囲でのみ使用可能であるにすぎず,そのような製品は,商業的にものになるような,めがねとして使おうとしても実際には使かいものにならない。
即ち,従来,形状記憶合金がめがねに利用されようとして提案されたものは,室温で擬弾性を示す形状記憶合金が最もめがねフレームに適すると考えられたが,上記のようにめがねとして使用できる温度範囲がせいぜい20℃しかないため,温度差が20℃以上ある環境下ではめがねとして全く使い物にならなかった。
例えば,使用温度の下限が0℃の気温でめがねとして機能する擬弾性ニッケル-チタニウム形状記憶合金でめがねを作れば,気温が20℃以上になるとバネ性を失い始めてめがねが顔から外れてしまうことになる。逆に使用温度の上限が30℃の気温でバネ性を持っためがねを作れば,気温が10℃以下ではやはり,バネ性を失い,めがねとして使用できなくなる。
かくして,形状記憶合金の弾性的性質と記憶的性質との両方がめがねのフレームに潜在的に有用なものとして議論されたけれども,従来の職人達は,これらの材料の使用についての限界を十分に理解しなかったし,またフレームの構成要素として形状記憶合金を利用するのに必要な正しい熱-機械的処理についての情報を少しも明らかにしなかったことが明白である。」(5欄39行目〜6欄13行目) と記載され,「発明の概要」として, 「 本発明の目的は, 1) 周囲温度の全範囲にわたり,永久変形又は“ねじれ(kinking)に対し高度に抵抗性があり,又は 2) 変形に対し十分に抵抗力があると共に,加熱により変形前の形状に容易に回復することができ,又は 3) 分解や再組立てが容易であり,又は 4) ヒンジ内にねじを必要としない, ような,めがねフレームを提供することである。」(6欄15行目〜22行目), 「本発明の一つの局面は,めがねが,従来提案されていた使用可能温度範囲(約20℃)よりもはるかに広い温度範囲で使用できる,超弾性特性を有するめがねを製作するために,加工硬化した擬弾性材料,即ち[最適化さた弾性」を用いることである。ニッケル-チタニウムベース合金では,最高60℃の使用温度範囲が得られ,完全な実用めがねを本発明は可能にしたものである。この60℃と言う温度範囲は,むしろ理想的すぎる程のもので,常にこの温度範囲のめがねが必要とする訳ではない。」(6欄46行目〜7欄4行目) と記載されていることが認められる。
また,形状記憶合金は,温度によって擬弾性が大きく変化すると認められるから,擬弾性を要件とするに当たっては,適用対象となる温度を摘示することは不可欠である,と認められる。
(甲4ないし甲6公報) (3) 以上のとおり,「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有する」ことを構成要件の一つとする本件第1発明は,従来の形状記憶合金から成るめがねが,使用可能な温度範囲が20℃程度と狭く,温度差の大きな環境下では,場合によってバネ性を失い使い物にならなかったことを問題点とし,これを解決するため,60℃という広い温度範囲で最適化された弾性を有するめがねを提供することを目的とするものである。
形状記憶合金の擬弾性は,温度に強く依存するものであるから,上記目的を実現する本件第1発明においても,「-20℃から+40℃までの温度範囲」のいずれの温度においても「少なくとも3%の弾性を有する」ことが要求されるものとして,すなわち,この特定の温度範囲と擬弾性とを,一体のものとして,考えるべきことは当然である。
本件第1発明の構成要件「・・・前記一部分は,軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数を有し,かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有するようにするため加工硬化と熱処理を受けている」も,加工硬化及び熱処理は「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有する」という性質を達成するために行われるものと解釈すべきであることは,当然である。
換言すると,「少なくとも3%の弾性を有する」ことと,その弾性を持ち得る温度範囲は,いずれも特定の形状記憶合金の性質であるから,いずれかが異なる以上,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金という点では一致しても,具体的な形状記憶合金として別物である。したがって,上記のいずれかが異なる場合には,そのことを相違点として認識すべきである。
(4) 甲4公報の発明において,「少なくとも,3%の弾性を有する」温度範囲が,-20℃から0℃を含むものか否かは,明らかでない。したがって,同発明における「加工硬化と熱処理」も,本件第1発明と同じ温度範囲において,同じ値以上の弾性値を持たせ得るか否かも,明らかではない。
(甲第9号証,乙第4号証)。
そうすると,本件第1発明と甲4公報の一致点は,「めがねフレームの少なくとも一部分が,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金で作られ,前記一部分が,軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数を有している」との限度でのみ認定されるべきである。
審決の一致点の認定には,この点で誤りがある。
(5) もっとも,「少なくとも3%の弾性を有する」という物性についてだけ着目すれば,本件第1発明と甲4公報の発明とは一致する。本件第1発明と甲4公報の発明とにおける相違点は,相違点Aの点を除けば,用いられているニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金が,少なくとも3%の弾性を有する温度範囲が,後者では明らかでない点である。そして,この点は,相違点Bとして,「本件第1発明では,かつ,-20℃から+40度までの温度範囲にわたりであるのに対し,甲第1号証記載の発明では,その点の記載が無い点」(審決書8頁10行目〜11行目)として正しく摘示されている。審決は,相違点の認定において,本件第1発明のニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金と,甲4公報の発明のそれとの物性の違いについて,正しく認識している。
(乙第1号証,第4号証) その上で,審決は, 「相違点Bの判断について検討すると,甲第2号証(判決注・甲5公報を指す。)f,の「第1図はTi-51.0at%Niよりなる合金を冷間加工後(冷間加工率51%)370℃で1m/10分(炉灼熱帯1m)(判決注・「炉均熱帯」の誤記と認める。)の巻取りスピードで焼鈍を行なった0.7mmφの素材を,0〜40℃の温度範囲で測定した応力-歪み曲線。」との記載及び第1図からみて,本件第1発明の「かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」という構成の一部が甲第2号証に開示され,また,甲第3号証(判決注・甲6公報)e,の「第8図(A)ないし(H)は本実施例による超弾性ばねの使用温度ごとの応力-ひずみ特性を示したものであって,」との記載及び第8図からみて,本件第1発明の「かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」という構成が甲第3号証に開示されている。」(審決書8頁34行目〜9頁4行), 「最後に,甲第2号証ないし甲第3号証に記載された事項を甲第1号証に適用できるか否かを検討すると,甲第2号証d,の「この性質は医療用として歯列矯正ワイア,カテーテル等のバネ用材料として注目されている。」との記載および甲第3号証の「また本発明はコイルばねは勿論のこと,板バネやトーションバーその他のばね製品に適用可能である。」(第3頁右下欄第8〜10行目)との記載からみて,甲第2号証及び甲第3号証記載の形状記憶合金が種々のばね製品に適用可能なことが開示されている。・・・ ところで,本件特許掲載公報第4欄第28行目〜35行目に「米国特許第4472035号・・・のような多数の引用例は,”超弾性(superelastic)”又は”擬弾性(pseudoelastic)”の性質によりフレーム構成要素として使用するための形状記憶合金,特にニッケル-チタニウム合金の使用を示唆している。」との記載があるように,形状記憶合金をめがねフレームに用いることは従来周知の技術手段(例えば,上記米国特許第4472035号明細書〔1984年9月18日特許〕,特公表61-500639号公報〔昭和61年4月3日公表〕,実願昭58-31343号{実開昭59-136619号}のマイクロフイルム〔昭和59年9月12日公開〕,舟久保編『形状記憶合金』産業図書,第210頁〔昭和59年6月7日発行〕,財団法人 大阪科学技術センター 形状記憶合金用途開発委員会『形状記憶合金の用途開発に関する調査研究報告書II』第142頁〔1984年3月〕などを参照。)であるから,当業者なら,甲第2号証ないし甲第3号証に記載された事項を甲第1号証に適用することは,容易であるといえる。」(審決書9頁5行目〜28行目) と説示している。
(6) 審決の上記説示によれば,審決は,本件第1発明と甲4公報の発明とでは,一定の弾性値を持ち得る温度範囲が異なることから,用いられているニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金が異なることを認識しつつ,甲5公報及び甲6公報記載のニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金を,甲4公報の発明において採用することが,当業者にとって容易か否かを検討しているものと理解することができる。審決は,甲4公報の発明で用いられている形状記憶合金に,「-20℃〜+40℃までの温度範囲」で,少なくとも3%の弾性を持つとという物性だけを付与できる,などと認定しているものではない。
(7) 前記のとおり,審決には,一致点の認定の誤りがある。しかし,これが,相違点の認定,ひいては相違点についての認定判断の構造それ自体(甲5及び甲6公報記載の形状記憶合金を,甲4公報のそれと置換することが容易想到か否か)に影響しているとは認められない。したがって,この点が独立して取消事由となるとは認められない。
3 相違点の判断について (1)ア 原告は,審決の甲5公報の認定に誤りがある,と主張する。
甲5公報記載の形状記憶合金は,前記1(4)アに摘示した記載及び第1図から,ニッケル-チタニウムベースのものであり,加工硬化とその後の熱処理とにより,少なくとも0℃から+40℃の温度範囲で,3%を超える弾性を持つものである,と認められる。
審決は,「本件第1発明の「かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」という構成の一部が甲第2号証に開示され」(審決書8頁38行目〜39行目)と認定している。この意味は,本件第1発明の形状記憶合金と,その性質(3%の弾性を持ち得る温度範囲)において一部重なるもの,という趣旨に理解できるものであるから,このように,甲5公報の発明の内容を認定したこと自体については,その限りでは,誤りがあるということはできない。
イ ただし,0℃から+40℃までの温度範囲において,少なくとも3%の弾性を有していることから,-20℃から0℃までの温度範囲においても,同じ弾性を持つとか,その蓋然性があるとか認めることはできない(被告はその旨主張するが,これを認めるに足りる証拠はない。)。
そうすると,仮に,甲5公報の「擬弾性バネ」のニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金を,甲4公報の発明に用いたとしても,甲4公報の発明の構成になることはない。
ウ これに加え,-20℃から0℃の範囲で少なくとも3%の弾性を有するニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金を引用例としたとしても,やはり本件第1発明の構成には至らない。なぜなら,本件第1発明の形状記憶合金が,2種類の異なる性質の形状記憶合金を組み合わせるものとは認められないからである。
甲5公報の内容の認定に誤りがあるとは認められないものの,これを,本件第1発明の進歩性の判断をするための引用例として適切なものとすることはできない。
(2) 甲6公報の認定の誤りについて ア 原告は,審決が,甲6公報に,本件第1発明の「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」という構成が開示されていると認定したのは誤りである,と主張する。その理由は,甲6公報の第8図(A)ないし(H)はせん断歪みを開示しているのであって,本件第1発明のように垂直歪みすなわち引張り歪みを開示するものではない,ということである。
イ 本件第1発明の「弾性」については,本件明細書に,次のような記載がある。
「めがねフレームの少くとも一部分が,ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金で作られ,前記一部分は加工硬化された擬弾性の冶金学的状態にあり,前記一部分は,加工硬化を受けていて,軟らかくばねの感じを与える低い有効弾性係数を有し,前記一部分は-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有するようにするため加工硬化と熱処理を受けていることを特徴とするめがねフレーム。」(特許請求の範囲第1項) 「発明の背景 金属製のめがねフレームを作るために歴史的に用いられてきた金属は,通常,大部分は,製作の容易さの目的に合うように選択された。ニッケル銀,モネル,及び燐青銅のような金属は,かなり高い降伏強度を有するが加工硬化は極めて低く,この低い加工硬化のために,製造中大きい変形を受けることができる。然しながら,使用中,これらの金属は,もしも降伏強度を超過するならば,極めて局部的な部分で突然に幾分曲がる傾向がある。この鋭い曲がりは,曲がった部分に”ねじれ(kinking)”を残さずに除去するのが非常に困難である。高強度ステンレス鋼やベリリウム銅のようなより高い強度のフレーム材料は,永久変形なしにはるかに高い弾性歪に耐えることができる。然し,これらは依然として約1%の弾性歪に制限され,そしてもしも降伏強度を超過するならば,除去するのが困難な曲げが形成される。」(甲第2号証4欄12行目〜27行目), 「本発明の目的は,1) 周囲温度の全範囲にわたり,永久変形又は”ねじれ(kinking)”に対し高度に抵抗性があり,又は・・・」(甲第2号証6欄15行目〜17行目), 「本発明において,”低い有効弾性係数(low effective elastic modulus)”とは,めがねフレームのその部分が低い剛性(low stiffness)を有することを言う。また,”3%の弾性”を有するとは,そのめがねフレーム構成要素が耐え得る弾性歪が最大3%であることを意味する。而して,”低い有効弾性係数”を有するということは,そのめがねフレーム構成要素が軟らかいバネのような感じを示すということである。”3%の弾性”を有するということはめがねフレーム構成要素が,その構成要素を3%以上の歪によって変形を生じさせ,また力を除去すると原形に復し得るということを示すものである。
ジョージ イー. ディエーター,ジュニア(George E. Dieter. Jr.)(Dieter)"機械的冶金学(Mechanical Mettallurgy)"と題する1961年の刊行物からの抜粋によれば,弾性係数(Modulus of elasticity)とは,材料の剛性の尺度であり,機械的性質の内では,最も安定した特性の一つで,合金元素の添加,熱処理又は冷間加工することにより僅かに影響を受けるに過ぎないものである。然しながら,温度を上げると弾性係数が低下するというのは周知の事実である。ディエーターはまた,弾性係数が大きい程,所定の圧力を加えることにより生ずる弾性歪が小さい,ということも指摘している。従って,より大きい弾性係数は,より剛性の大きい材料に対応する。例えば,ステンレス鋼の室温に於ける弾性係数は28.0×106であるが,他方,チタニウム合金のそれは,室温に於いて16.5×106にしか過ぎず,遙に小さい。従って,ステンレス鋼に比較して,ニッケル-チタニウム合金の有効弾性係数は小さいものである。
加工硬化(work hardening)”という用語は,この技術分野においては,”歪硬化(strain hardening)”又は”冷間加工(cold work)”を言うものと理解されている。特に,ディエーターの文献の他の部分に示されているように,予め加えられた塑性変形のため,一定の剪断を引き起こすのに必要な応力が増大する現象は,歪硬化又は加工硬化として知られている。更に,歪硬化が除去されないような温度と時間間隔で行われる塑性変形は冷間加工と呼ばれている。」(甲第2号証13欄18行目〜14欄5行目) ウ 本件第1発明の特許請求の範囲においては,その弾性を垂直歪みに限定する文言は使用されていない。すなわち,垂直歪みであるか,せん断歪みであるかについては,何も述べられていない。のみならず,上記のとおり,本件第1発明の発明の目的は,むしろ「ねじれ」に対して抵抗性を有するめがねフレームを提供することにあり,さらに,本件明細書では,加工硬化は,技術上,せん断に対する応力を増大させるものと理解されていると紹介していることからは,本件第1発明における「弾性」とは,せん断歪みに対する弾性のことであると理解する方がより合理的であるというべきである。少なくとも,このような状況の下で,せん断歪みに対する弾性を排除しているものとするには,それを正当化する明確な根拠を要するものというべきである。
エ 本件明細書には,「好ましい実施態様の説明」として,「フレーム構成要素の機械的性質を特性表示するために一軸方向の引張り性質を述べる。何故ならば,この一軸方向の引張り性質は,最も容易にテストされ,他の材料や他の結果と比較されるからである。問題のフレーム構成要素をテストするために,均一な横断面をもつつるの真直なブレードが標準試験機で引張られ,その間,研究中の実際の試験片に固定された伸び計を用いて歪が測定され,試験機により荷重が測定された。」(甲第2号証10欄13行目〜20行目),と記載されている。
この記載は,好ましい実施態様の説明として,そこに記載されている理由により垂直歪み(引張り性質)の計測値を用いたことを意味するにすぎない,とみることができる。その他,本件明細書の中に,本件第1発明の「弾性」が垂直歪みに対するものに限定されると解するための根拠となる記載はない。
被告は,本件第1発明の「少なくとも3%の弾性」が,垂直歪みに対する弾性であることを争わない,といっている。しかし,これによって,本件第1発明の請求の範囲の解釈に対する裁判所の解釈が拘束されるものではない。
オ 甲6公報で開示されている弾性が,せん断歪みに対するものであることは,当事者間に争いがない。
そして,前記1(4)イで摘示した甲6公報の記載から,同公報には,「-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり少なくとも3%の弾性を有するようにするため加工硬化と熱処理を受けていることを特徴とする」ニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金が開示されているものと認めることができる。
カ 審決の「「かつ,-20℃から+40℃までの温度範囲にわたり」という構成が甲第3号証に開示されている。」との認定は,どのような種類の歪みに対して,いかなる値の弾性率を有しているかを明示しておらず,説示が不十分である。
しかし,前記のとおり,審決は,「甲第2号証及び甲第3号証記載の形状記憶合金が種々のばね製品に適用可能なことが開示されている。」と説示しており,実質的には,甲6公報記載の形状記憶合金の物性の条件が,本件第1発明のそれを満たすことを前提に,上記形状記憶合金を甲4公報の発明の形状記憶合金に置き換えることが可能か否か検討している。
したがって,甲6公報の認定に,原告主張のような誤りはない。
(3) 進歩性の判断について ア 前記1(5)に記載したとおり,本件明細書は,めがねフレームに,擬弾性を有するニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金を用いることが周知技術であったことを前提としている。
イ 甲4公報には,前記1(2)のとおりの記載があり,一定の弾性を持つニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金を用い,耳掛部の当たりが軟らかいめがねフレームが開示されている。
前記のとおり,日本においても,北海道等北国の冬季は,真冬日(最高気温が0℃を上回らない日)が決して珍しくなく,また,最低気温が-20℃近辺になることもあることは,周知の事実である。そうすると,甲4公報の発明に,一定の擬弾性を持つ温度範囲がより広い(0℃以下の低温域でも擬弾性を保ち得る)甲6公報の発明のニッケル-チタニウムベースの形状記憶合金を適用することは,動機付けもあり,当業者にとって容易なことである,と認めることができる。
原告は,甲6公報に実施例として開示されているばねが線径0.4mmの細いものであり,めがねフレームのテンプルには使用できない,と主張する。しかし,甲6公報は,この線径0.4mmの細いばねについてのみ言及しているものではない。甲6公報では,そこに記載された「超弾性ばね」が,「コイルばねは勿論のこと,板ばねやトーションバーその他のばね製品に適用可能である」(10欄8行目〜10行目)とされている。原告の主張は,甲6公報の一実施例のみを取り上げて,めがねフレームの材料としての使用の可能性を論じるものであり,失当である。
ウ 審決は,「当業者なら,甲第2号証ないし甲第3号証に記載された事項を甲第1号証に適用することは,容易である」(審決書9頁26行目〜27行目)と説示する。前記のとおり,そもそも,甲5公報に開示された「擬弾性バネ」を甲4公報の発明と組み合わせても,本件第1発明の構成には至らない。甲4公報と甲6公報を組み合わせるために,甲5公報に開示された何らかの技術が必要であるとも認められない。甲5公報は,不要な証拠である。
しかし,甲4公報の発明に甲6公報を組み合わせることにより,本件第1発明に想到することができ,かつ,それが当業者にとって容易であることは前記認定のとおりである。審決の上記説示は,適切さを欠くとはいえ,これを誤りとすることはできない。
4 結論 以上のとおりであるから,原告主張の取消事由は,いずれも理由がなく,その他,審決には,取消しの事由となるべき誤りは認められない。そこで,原告の本訴請求を棄却することとし,訴訟費用の負担,上告及び上告受理の申立てのための付加期間について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,96条2項を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 山下和明
裁判官 阿部正幸
裁判官 高瀬順久