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事件 令和 1年 (ネ) 10082号 損害賠償請求控訴事件

控訴人(一審原告) ビック工業株式会社
同訴訟代理人弁護士 梅本弘 井上彰 高橋英伸
同訴訟代理人弁理士 内山邦彦 岡田充浩 辻忠行
被控訴人(一審被告) 株式会社塩
同訴訟代理人弁護士 知念芳文 飯島秀明 片山輝伸 奥澤順子
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2020/03/25
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
請求
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人に対し,7425万円及びこれに対する平成29年12月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
事案の概要
1 本件は,発明の名称を「流体吐出管構造体」とする発明に係る特許権(本件特許権)を有する控訴人が,被控訴人が製造,販売する加工液改良装置又は加工液せん断装置(被告各製品)が本件特許の請求項1及び3に係る各発明(本件各発明)の技術的範囲に属するとして,被控訴人に対し,本件特許権侵害不法行為による損害賠償請求として,損害賠償金7425万円及びこれに対する不法行為後の日である平成29年12月10日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
原判決が,被告各製品は本件各発明の技術的範囲に属しないとして,控訴人の請求を棄却したため,控訴人が控訴した。
2 前提事実(証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実) 原判決3頁9行目の「9月25日」を,「9月27日」に改めるほかは,原判決「事実及び理由」の第2の2のとおりであるから,これを引用する。
3 争点及びこれに関する当事者の主張 次のとおり,当審における当事者の主張を付加するほかは,原判決「事実及び理由」の第2の3及び第3のとおりであるから,これを引用する。
(1) 当審における控訴人の主張 ア 「フリップフロップ現象発生用軸体」の意味の判断の誤り 本件発明1における構成要件E及びFの「フリップフロップ現象発生用軸体」について,原判決は,「単に部材の名称として用いられているのではなく,フリップ フロップ現象を発生させる軸体を意味する。」と判断したが,この判断は誤りである。
控訴人は,ひし形凸部を設けた軸体によって,クーラント液が「乱流となり無数の微小な渦を発生」した状態が効果に寄与していることは間違いないことから,これをフリップフロップ現象と呼んでいる。そして,中心となる軸体について「一端部を裁頭円錐形に形成するとともに他端部を円錐形に形成し,この両端部の間である軸部の外周面に多数のひし形凸部を所定の規則性を以って形成したもの」(構成要件F,G)という構成を採ることによって,従来以上に刃物や工作物を効果的に冷却する効果を発揮していることから,こうした構成をもった軸体を「フリップフロップ現象発生用軸体」と呼んでいるにすぎない。
原判決は,「フリップフロップ現象」に関し,本件明細書(甲2)の【0037】の記載に基づき,本件発明1が「フリップフロップ現象」を解決原理としていると誤解しているが,電子回路の用語を参考に記載しているだけであって,解決原理としているわけではない。
イ 「フリップフロップ現象」の意味の理解の誤り (ア) 原判決は,本件明細書の【0007】及び【0037】の記載を基に,「フリップフロップ現象」の語は,「流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れる現象」として定義される(【0037】)とともに,フリップフロップ現象発生用軸体を通過することにより当該現象の結果として「クーラント液等」が「乱流となり無数の微小な渦を発生」した状態を指す語としても使用されているとしており,二つの意義を並列的に捉えている。
しかし,本件明細書には,「上記の構成により,最適にフリップフロップ現象を発生させて微小な無数の渦の含んだクーラント液等を効果的に得ることができる。」(【0011】)や,「最適にフリップフロップ現象を発生させて微細な無数の渦を発生させることができる。」(【0043】)との記載もある。また,本件明細書では,【課題を解決するための手段】は,「上記構成により,・・・さらにフリ ップフロップ現象発生用軸体を通過することによって乱流とともに無数の微小な渦を発生させ」(【0007】)とされている。これらのことからすると,フリップフロップ現象とは,「フリップフロップ現象発生用軸体を通過することにより当該現象の結果として『クーラント液等』が『乱流となり無数の微小な渦を発生』した状態」を指すことを基本としている。原判決のように両者の意義を並列的に捉えるのは誤りであり,本件発明1におけるフリップフロップ現象とは,「『クーラント液等』が『乱流となり無数の微小な渦を発生』した状態」を指すものである。
(イ) 本件特許の出願当時における当業者の理解の判断の誤り a 原判決は,本件特許の出願日(平成14年7月5日)以前の文献である乙14〜21では,「フリップフロップ現象の語は,渦の形成に着目した説明がされている場合がみられるものの,おおむね,流体の流れの周期的な振動ないし方向転換を意味するものとして使用されていることがうかがわれる。」として,本件特許の出願当時における当業者は,「『フリップフロップ現象』につき,本件明細書の表現によれば『流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れる現象』の意味に理解するものと思われる。」と判断した。
しかし,乙14及び17〜21は,A(以下「A」という。)が,乙15及び16は,B(以下「B」という。)が関与したものであり,「フリップフロップ現象」の語は単に2名の研究者,発明者に使用されているにすぎないから,本件特許の出願時における当業者の理解として認定することはできない。
上記(ア)のとおり,本件明細書では,「フリップフロップ現象」という語は,乱流や渦の形成の意味で使用されている。
b 本件発明1は,「外周に螺旋羽根を有して上記筒本体の入口側接続部材寄りに内蔵する螺旋羽根本体」(構成要件D)を有しており,本件明細書の図4に示されるように,フリップフロップ現象発生用軸体の軸心に対してひし形凸部が傾きを持っていて,非対称であるから,当業者は,本件明細書の【0037】の括弧内の記載の流れ(流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れる現象) が生じないことを理解できる。
(ウ) 以上によると,本件明細書に使用されている「フリップフロップ現象」の語が,基本的には,「流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れる現象を意味する。」との原判決認定は誤りである。
なお,被控訴人が作成したウェブサイト(甲3)では,周期的に方向変換して流れる現象が「フリップフロップ流れ」と記載されているが,これは,被控訴人が本件発明1の内容を理解していないことの証左にすぎない。控訴人は当該ウェブページの内容に一切関知していなかった。
(エ) 以上のとおり,本件明細書における「フリップフロップ現象」は,「『クーラント液等』が『乱流となり無数の微小な渦を発生』した状態」を指す語と理解される。被告各製品においてこうした状態が生じていることは明らかである(乙40)から,原判決の判断は誤りである。
ウ 被控訴人の対応について 被控訴人は,原審における平成30年1月12日の第1回弁論準備手続期日や同年2月8日の第2回弁論準備手続期日において,いずれも和解を申し出,控訴人が後日,拒否の回答を行った。
また,被控訴人は,原審において,被告各製品が本件発明1の構成要件E及びFを充足しないことについては,平成30年5月11日付け被告第1準備書面から同年7月20日付け被告第3準備書面まででは一切主張,立証せず,同年9月28日付け被告第5準備書面で初めて主張,立証した。被控訴人が特許無効の抗弁や技術的範囲に属しない旨の防御を出し尽した後に,苦し紛れに本件明細書の【0037】の括弧内の記載を主張したことに対し,原判決が誤った認定判断をしたものである。
こうした原審における被控訴人の主張,立証その他の訴訟態度から総合的に判断しても,原判決の「フリップフロップ現象」の認定判断が誤りであることは明らかである。
(2) 当審における被控訴人の主張 ア 「フリップフロップ現象発生用軸体」の意味について 控訴人は,構成要件F及びGという構成をもった軸体を「フリップフロップ現象発生用軸体」と呼んでいるにすぎないと主張する。
しかし,仮に,「フリップフロップ現象発生用軸体」という文言が,単に部材の名称として用いられているだけであり,「フリップフロップ現象」を発生させない軸体をも含むと解釈するのであれば,控訴人は,原審では,「フリップフロップ現象発生用軸体」は,「フリップフロップ現象」を発生させるために使用する軸体であると主張しながら,控訴審になって従前の自らのクレーム解釈を覆したことになる。
また,控訴人は,本件各発明において,電子回路の用語を参考にしているだけであるなどと主張するが,本件明細書において「フリップフロップ現象発生用軸体」の語が電子回路の用語を参考にしているだけであるなどの記載は一切ないし,当該解釈の根拠は何も示されていない。
控訴人の主張するクレーム解釈は誤りであり,本件発明1に係る特許請求の範囲請求項1の「フリップフロップ現象発生用軸体」という文言は,単に部材の名称として用いられているのではなく,フリップフロップ現象を発生させる軸体を意味する。
イ 「フリップフロップ現象」の意味について (ア) 「フリップフロップ現象」とは,基本的には,@「流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れる現象」を意味し,ただ,文脈によっては,この意味でのフリップフロップ現象の結果として生じた,A「クーラント液等」が「乱流となり無数の微小な渦を発生」した状態を指す語としても使用されることがあるものと解される。そして,本件発明1に係る特許請求の範囲請求項1に記載された「フリップフロップ現象発生用軸体」の「フリップフロップ現象」の意味は,上記@の意味を有するものとして理解される。
控訴人は,本件明細書の【0011】及び【0043】に「微小な無数の渦」や 「微細な無数の渦」といった記載があることを取り上げて,本件明細書の記載では,乱流や渦の形成に着目した定義が記載されているなどと主張するが,控訴人の主張は,「フリップフロップ現象」が上記Aの「クーラント液等」が「乱流となり無数の微小な渦を発生」した状態を指すことがある理由にはなり得たとしても,上記@の「流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れる現象」の意味を排斥する理由にはならない。
(イ) 本件特許の出願当時における当業者の理解について a 控訴人は,乙14〜21で用いられている語は,2名の研究者,発明者が使用しているにすぎないと主張するが,乙14〜21には,上記2名の研究者,発明者以外にも多数の関係者の氏名,名称が記載されているから,控訴人の上記主張は誤りである。
b 控訴人は,フリップフロップ現象発生用軸体の軸心に対してひし形凸部が傾きを持っていて非対称であることから,当業者は,本件明細書の【0037】の括弧内の記載の流れが生じないことを理解できるなどと主張するが,控訴人の主張する「非対称」の意味内容が不明確であるし,「非対称」であることから,なぜ当業者が本件明細書の【0037】の括弧内の記載の流れが生じないことを理解できるのかも不明確である。
また,本件明細書の【0029】及び図5の記載によると,本件特許の出願時の控訴人の認識としては,円柱部材の長手方向に対して75度ないし76度の角度をもって傾く螺旋方向に走る線を軸として,円柱部材に形成される「ひし形凸部」の形状や配置が対称になり得るものであり,本件明細書の【0037】の括弧内の記載の流れが生じ得るとの認識であったものと推測される。そして,この場合,本件特許の出願時の当業者も,控訴人の認識と同様に,本件明細書の記載から,本件明細書の【0037】の括弧内の記載の流れが生じ得ると理解せざるを得ない。
(ウ) 控訴人及び被控訴人は,本件訴訟の提訴前の平成21年頃の時点で,甲3及び6に記載されているとおり,本件各発明における「フリップフロップ現象」 の意義を,「管体から噴出する液体が,左右に規則正しくスイッチングする現象」であると認識していた。そして,ウェブページ(甲3)は,平成21年頃に,控訴人からの説明に基づき被控訴人が作成したものであり,本件訴訟提起後の平成29年頃にその記載を削除するまで,約8年間にわたり継続して掲載され続けていた。
その間,当該ウェブページは一般に公開されていたし,被控訴人から当該ウェブページの存在や記載内容を伝えられていた控訴人が,被控訴人に対して記載内容の訂正等を求めたことはなかった。かえって,控訴人は,その顧客に対して,被控訴人のウェブページ(甲3)の記載内容を見てフリップフロップ現象の技術的意義を確認するように推奨していた。そのため,控訴人が甲3のウェブページの内容に一切関知していないというのは事実と異なる。
そして,控訴人は,平成29年11月15日付け訴状5頁の(注1),同訴状11頁15行〜同頁16行及び後になって主張を撤回した平成30年11月12日付け原告第4準備書面(乙41)において,本件各発明における「フリップフロップ現象」が,甲6に記載される「管体から噴出する液体が,左右に規則正しくスイッチングする現象」であることを前提として,被告各製品が当該「フリップフロップ現象」を利用している旨主張していた。
このように,控訴人及び被控訴人は,本件訴訟の提訴前及び本件訴訟係属中,本件各発明における「フリップフロップ現象」が「管体から噴出する流体が,左右に規則正しくスイッチングする現象」の意味を有すると認識していた。
ウ 被告各製品の第2の軸体8は,「フリップフロップ現象発生用軸体」に該当しないこと 控訴人は,被告各製品において,「クーラント液等」が「乱流となり無数の微小な渦を発生」した状態が生じていることは明らかである(乙40)などと主張するが,乙40のどこから「こうした状態が生じている」ことを確認したかは何ら示されておらず,控訴人は,被告各製品の第2の軸体8が本件発明1に係る特許請求の範囲請求項1に記載された「フリップフロップ現象発生用軸体」に該当することを 直接的に裏付ける根拠や証拠を何ら示すことができていない。
当裁判所の判断
1 当裁判所も,控訴人の請求は棄却すべきものと判断する。その理由は,次のとおり原判決を補正し,当審における控訴人の主張に対する判断を付加するほかは,原判決「事実及び理由」の第4の1〜3のとおりであるから,これを引用する。
2 原判決の補正 (1) 原判決28頁1行目の「うかがわれる」を,「認められる」と改める。
(2) 原判決31頁14行目の「【0018】」を,「(【0018】)」と改める。
(3) 原判決32頁3行目から15行目まで及び23行目の「ないし便宜的」を削る。
(4) 原判決35頁22行目の「菱型」を,「菱形」と改める。
3 当審における控訴人の主張に対する判断 (1) 「フリップフロップ現象発生用軸体」の意味について ア 控訴人は,本件発明1における構成要件E及びFの「フリップフロップ現象発生用軸体」について,「フリップフロップ現象を発生させる軸体を意味する。」との原判決の判断には誤りがあると主張する。
しかし,本件発明1における構成要件E及びFの「フリップフロップ現象発生用軸体」は,その文言からフリップフロップ現象を発生させる軸体を意味することは明らかである。また,本件明細書を見ても,本件発明1はクーランド液が「フリップフロップ現象発生用軸体」を通過することによってフリップフロップ現象を発生させるなどして,その課題を解決するものである(本件明細書の【0006】,【0007】,【0041】〜【0045】)から,「フリップフロップ現象発生用軸体」がフリップフロップ現象を発生させる軸体であることは明らかである。
したがって,控訴人の上記主張を採用することはできない。
イ 控訴人は,本件明細書の【0037】は,電子回路の用語を参考に記載 しているだけであるのに,原判決は,本件発明1が「フリップフロップ現象」を解決原理としていると誤解していると主張する。
しかし,本件明細書の【0037】の記載が,電子回路の用語に基づく参考記載にすぎないと認めることができないことは,原判決の「事実及び理由」の第4の2(1) また,上記アのとおり,本件発明1は,「フリップフロップ現象」を解決原理としているものである。
したがって,控訴人の上記主張を採用することはできない。
(2) 「フリップフロップ現象」の意味について ア 控訴人は,本件明細書の【0011】,【0043】及び【0007】の記載によると,フリップフロップ現象とは,「フリップフロップ現象発生用軸体を通過することにより当該現象の結果として『クーラント液等』が『乱流となり無数の微小な渦を発生』した状態」を指すことを基本としていると主張する。
しかし,本件明細書の【0037】に,「フリップフロップ現象(フリップフロップ現象とは,流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れる現象)」と記載されている上,本件各発明と共通する技術分野において,本件特許出願前に「フリップフロップ現象」の語が,おおむね,流体の流れの周期的な振動ないし方向変換を意味するものとして使用されていること(原判決の「事実及び理由」の第4の2(1)イ(ウ))からすると,本件発明1におけるフリップフロップ現象は,基本的には,@「流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れる現象」を意味すると解釈することができ,A「クーラント液等」が「乱流となり無数の微小な渦を発生」した状態を指す語としての使用は,上記@の意味におけるフリップフロップ現象の発生を前提とした,派生的な使用と位置づけられるべきである。控訴人が指摘する本件明細書の【0011】,【0043】及び【0007】の記載は,この判断を左右するものではない。
イ 控訴人は,本件特許の出願当時の当業者の理解について主張する。
まず,乙14〜20は,いずれも公開特許公報であるが,これらの特許において は,A及びBのほか,C(乙16),D(乙17),E(乙18,20),F(乙19)も共同発明者とされていることが認められるから,単に,A及びBの2名の研究者,発明者がフリップフロップ現象を「流体の流れの周期的な振動ないし方向転換を意味するもの」として使用しているとは認められない。
また,控訴人は,本件発明1の構成要件Dの記載によると,当業者は,本件明細書の【0037】の括弧内の記載の流れ(流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れること)が生じないことを理解すると主張する。
しかし,本件発明1の構成において,ひし形凸部がフリップフロップ現象発生用軸体の軸心に対してどのような傾きをもって設置されているかは特定されておらず,上記軸心に対してひし形凸部が傾きを持っていて非対称となっているかは明らかではないから,当業者が,本件明細書の記載や,「フリップフロップ現象」の語についての当業者の一般的な理解に反して,本件明細書の【0037】の括弧内記載の流れ(流体の流れる方向が周期的に交互に方向変換して流れる現象)が生じないことを理解すると認めることはできない。
したがって,控訴人の上記主張を採用することはできない。
ウ 控訴人は,被控訴人の原審における訴訟態度などを主張するが,その主張によって,原判決を引用して判示した前記1の判断が左右されることはない。
4 まとめ以上によると,控訴人の請求には理由がない。
結論
よって,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。