関連審決 |
無効2016-800021 |
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審判番号(事件番号) | データベース | 権利 |
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平成29行ケ10165 審決取消請求事件 平成29行ケ10192 審決取消請求事件 | 判例 | 特許 |
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事件 |
平成
29年
(行ケ)
10106号
審決取消請求事件
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当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり | |
裁判所 | 知的財産高等裁判所 |
判決言渡日 | 2018/10/22 |
権利種別 | 特許権 |
訴訟類型 | 行政訴訟 |
主文 |
1 特許庁が無効2016−800021号事件について平成28年12月27日にした審決を取り消す。 2 訴訟費用(補助参加の費用を含む。)は被告の負担とする。 3 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。 |
事実及び理由 | |
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請求
主文同旨 |
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事案の概要
本件は,特許無効審判請求に対する不成立審決の取消訴訟である。争点は,新規性判断,進歩性判断の誤りの有無である。 1 特許庁における手続の経緯 被告は,名称を「抗-ErbB2抗体による治療」とする発明について,平成12年5月9日に特許出願(特願2000-617920号,パリ条約に基づく優先権主張,優先日・平成11年5月14日〔以下, 「本件優先日」という。,優先権主 〕張国・米国)をし,平成26年10月3日,その設定登録を受けた(特許第5623681号。請求項の数9。以下,「本件特許」という。甲22)。 原告が,平成28年2月15日付けで本件特許の請求項1〜9に係る発明についての特許無効審判請求(無効2016-800021号)をしたところ(甲23),被告は,同年6月21日付けで明細書を訂正する訂正請求をした(以下,本件訂正」 「という。甲25)。 特許庁は,平成28年12月27日, 「特許第5623681号の明細書を平成28年6月21日付け訂正請求書に添付された訂正明細書のとおりに訂正することを認める。請求項1〜9に係る特許についての本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,平成29年1月10日,原告に送達された。 2 本件特許発明の要旨 本件特許の請求項1〜9に係る発明(以下,請求項の番号に従って「本件特許発明1」のようにいい,本件特許発明1〜9を合わせて「本件特許発明」という。)の特許請求の範囲の記載は,次のとおりである(なお,本件訂正後の本件特許の明細書及び図面〔甲22,25〕を「本件訂正明細書」という。) (1) 本件特許発明1【請求項1】 ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬であって,該治療が(a)該医薬によって患者を治療する, (b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行うことを含む治療である,医薬。 (2) 本件特許発明2【請求項2】 工程(a)が,更に治療的有効量の化学療法剤によって患者を治療することを含む,請求項1の医薬。 (3) 本件特許発明3【請求項3】 工程(c)が,請求項1に記載の医薬によって患者を治療することを含む,請求項1の医薬。 (4) 本件特許発明4【請求項4】 工程(c)が,更に治療的有効量の化学療法剤によって患者を治療することを含む,請求項3の医薬。 (5) 本件特許発明5【請求項5】 腫瘍がErbB2タンパク質を過剰発現する,請求項1の医薬。 (6) 本件特許発明6【請求項6】 化学療法剤がタキソイドである,請求項2の医薬。 (7) 本件特許発明7【請求項7】 タキソイド(taxoid)がパクリタキセル(paclitaxel)又はドセタキセル(docetaxel)である,請求項6の医薬。 (8) 本件特許発明8【請求項8】 化学療法剤がタキソイドである,請求項4の医薬。 (9) 本件特許発明9【請求項9】 容器と,該容器内に収容される請求項1の医薬と, (a)該医薬によって患者を治療する, (b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療する工程を順次行うことによって基本的に患者を治療することを該組成物の使用者に指示するパッケージ挿入物とを含んでなる製造品。 3 審判における請求人(原告)の主張(無効理由) (1) 無効理由1(甲1に基づく新規性欠如) 本件特許発明1〜8は,甲1に記載された発明(以下,「甲1発明」という。)であるから,特許法29条1項3号に該当し,特許を受けることができない。 甲1:Genentech,Inc.,HERCEPTIN(R)(Trastuzumab)の添付文書,1998年(平成10年)9月25日 (2) 無効理由2(甲2に基づく新規性欠如) 本件特許発明1〜8は,甲2に記載された発明であるから,特許法29条1項3号に該当し,特許を受けることができない。 甲2:Valero V.,Seminars in Oncology,1998年(平成10年)4月,25巻2号・別冊3号36頁〜41頁 (3) 無効理由3(甲1を主引例とする進歩性欠如) 本件特許発明1〜9は,甲1〜6に基づいて,出願前に当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項により特許を受けることができない。 甲3:Perez E.A.,The Oncologist,1998年(平成10年),3巻6号373頁〜389頁 甲4:Gradishar W.J.,Oncology[online],1997年(平成9年)8月1日,[2015年(平成27年)8月10日検索],インターネット,URL:http://(以下省略) 甲5:Pegram M.外9名,Oncogene,1999年(平成11年)4月1日,18巻13号2241頁〜2251頁 甲6:Ross J.S.外1名,The Oncologist,1998年(平成10年),3巻4号237頁〜252頁 (4) 無効理由4(甲2を主引例とする進歩性欠如) 本件特許発明1〜9は,甲1,2,5,6又は甲1〜3,5,6に基づいて,出願前に当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項により特許を受けることができない。 (5) 無効理由5(甲3を主引例とする進歩性欠如) 本件特許発明1〜9は,甲1,3,5,6に基づいて,出願前に当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項により特許を受けることができない。 4 審決の理由の要点 (1) 無効理由1(甲1に基づく新規性欠如)について ア 本件特許発明1について (ア) 本件特許発明1に係る無効理由1の論旨は,次のとおりである。 a 甲1には,次の甲1発明が記載されている。 「HER2が過剰に発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のハーセプチン抗体を含有してなる医薬であって,該治療が(a)該医薬によって患者を治療する工程を含み,該工程(a)は,該医薬,又は,該医薬及び治療的有効量のパクリタキセル,アントラサイクリン,シクロホスファミド,ドキソルビシン,エピルビシン等の化学療法剤によって患者を治療する工程である,医薬」 b 本件特許発明1と甲1発明とを対比すると,次の一致点で一致し,次の相違点1で一応相違する。 (一致点)「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬」である点(相違点1) 該医薬を,本件特許発明1では,(a)該医薬によって患者を治療する,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療に適用するのに対し,甲1発明では,このような工程を順次行う治療に適用することが特定されていない点 c 乳がんの治療の一般的な工程として,手術前の医薬投与による治療,手術による腫瘍の除去,及び手術後の医薬投与による治療を行うことは,出願時の技術常識である(甲2,4)。 また,特許・実用新案ハンドブック,附属書B,第3章,2.2(3) (3-2-2)によると,新規性が認められるためには,特定の用法又は用量が,その化合物の属性に基づくものでなければならない。 そうすると,投与する医薬の種類にかかわらず,一般的に行われる用法に係る事項である相違点1は,本件特許発明1に係る医薬の有効成分であるヒト化4D5抗ErbB2抗体の属性に基づくものではなく,この用法上の相違点は本件特許発明1の新規性の有無の判断のための考慮の対象とはならない。 d したがって,相違点1は実質的な相違点ではない。 (イ) しかし,本件特許発明1は,治療有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有する医薬を,ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒト患者において,外科的な腫瘍除去の前に上記医薬で上記患者を治療する上記(a)の工程と,それに引き続く上記(b)及び(c)の工程を含む,特定の用法で上記腫瘍に適用するという医薬用途を発明特定事項に含むものである。そして,上記医薬用途は,上記抗体の属性に基づくものにほかならない。 一方,甲1発明は,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有する医薬を,上記特定の用法でErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍に適用するものでなく,また,甲1の記載の全体をみても,上記抗体を含有する医薬を上記特定の用法で用いることは記載されていない。 したがって,相違点1は実質的な相違点であり,本件特許発明1が,甲1発明であるとはいえない。 イ 本件特許発明2〜8について 本件特許発明2〜8は,本件特許発明1を引用して更に限定した発明であるから,本件特許発明1に係る前記アと同様の理由により,それらについての特許を無効理由1によって無効にすることはできない。 (2) 無効理由2(甲2に基づく新規性欠如)について ア 本件特許発明1について (ア) 本件特許発明1に係る無効理由2の論旨は,次のとおりである。 a 甲2には,次の発明(以下,「甲2発明-1の1」という。)が記載されている。 「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬であって,該治療が(a)該医薬によって患者を治療する工程を含む,医薬」 b 甲2の「進行中の研究では,組換えヒトHER2モノクローナル抗体を,ドキソルビシン,シスプラチン,およびパクリタキセルなどの他の薬剤と組み合わせており,そして,フェーズTTTの無作為化試験では,転移性疾患のための第一選択治療として,組換えヒトHER2モノクローナル抗体を伴うかまたは伴わない,ドキソルビシンおよびシクロホスファミドを対象としている」との記載によると,甲2には,次の発明(以下,「甲2発明-1の2」という。)が記載されている。 「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬であって,該治療が(a)該医薬によって患者を治療する工程を含み,該工程(a)は,該医薬及び治療的有効量のドキソルビシン,シスプラチン,パクリタキセル又はシクロホスファミド等の化学療法剤によって患者を治療する工程である,医薬」 c 前記a及びbをまとめると,甲2には,次の発明(以下, 「甲2発明-1」という。)が記載されている。 「HER2が過剰に発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のハーセプチン抗体を含有してなる医薬であって,該治療が(a)該医薬によって患者を治療する工程を含み,該工程(a)は,該医薬,又は,該医薬及び治療的有効量のドキソルビシン,シスプラチン,パクリタキセル若しくはシクロホスファミド等の化学療法剤によって患者を治療する工程である,医薬」 d 以上に加えて,甲2の「一次化学療法と組み合わせたこれらの新たな戦略の役割は,早期乳がんの患者で評価する」「生物学的-遺伝学的な新たな治 ,療」との記載及びその余の記載によると,甲2には,次の発明(以下, 「甲2発明-2」という。)が記載されている。 「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬であって,該医薬を化学療法と組み合わせて,術前療法,手術,術後療法の順で行う乳がん患者の治療に適用し,前記化学療法で用いる化学療法剤が,ドキソルビシン,シスプラチン,パクリタキセル又はシクロホスファミド等の化学療法剤である,医薬」 e 本件特許発明1と甲2発明-2を対比すると,両者は, 「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬」である点で一致し,また,本件特許発明1の(a)該医薬によって患者を治療する, (b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療は,該医薬を化学療法と組み合わせて,術前療法,手術,術後療法の順で行う乳がん患者の治療に適用する治療と実質的に相違しない。 (イ) しかし,甲2には,甲2発明-1の1が記載されているものの,前記(ア)bの「進行中の研究では,組換えヒトHER2モノクローナル抗体を,ドキソルビシン,シスプラチン,およびパクリタキセルなどの他の薬剤と組み合わせており,そして,フェーズTTTの無作為化試験では,転移性疾患のための第一選択治療として,組換えヒトHER2モノクローナル抗体を伴うかまたは伴わない,ドキソルビシンおよびシクロホスファミドを対象としている。 との記載は, 」 単に進行中の試験の存在を紹介しているにすぎないもので,当業者が実施可能な医薬発明を開示するものではないから,甲2発明-1の2(及び,これを前提とする甲2発明-1)が記載されているとはいえない。 また,前記(ア)dで請求人(原告)が根拠とする甲2の記載の一部は,化学療法剤のみを用いる術前補助療法を記載したものであって,甲2発明-1の1や甲2発明-1の2に係る記載とは別個の記載であるから,これを甲2発明-1の1や甲2発明-1の2と組み合わせて,甲2発明-2が記載されているということはできない。 したがって,本件特許発明1が,甲2発明-2であるとはいえない。 イ 本件特許発明2〜8について 本件特許発明2〜8は,本件特許発明1を引用して更に限定した発明であるから,本件特許発明1に係る前記アと同様の理由により,それらについての特許を無効理由2によって無効にすることはできない。 (3) 無効理由3(甲1を主引例とする進歩性欠如)について ア 本件特許発明1について (ア) 本件特許発明1に係る無効理由3の論旨は,次のとおりである。 a 構成の容易想到性について 仮に相違点1が実質的な相違点であるとしても,乳がんの治療の一般的な工程として,手術前の医薬投与による治療,手術による腫瘍の除去,及び手術後の医薬投与による治療を行うことは,出願時の技術常識である(甲2,4)。 また,甲2には,ヒト化4D5抗ErbB2抗体が,乳がん患者の手術を伴う治療において使用されることが記載されている。 さらに,甲3にも,ヒト化4D5抗ErbB2抗体が,HER2受容体を過剰発現させる乳がん患者の,手術を伴う治療において使用されることが記載されている。 そうすると,乳がんの治療に用いられる医薬の発明である甲1発明の医薬を,手術を伴う治療において使用すること,そして,その際に,手術を伴う乳がん治療の一般的な工程にしたがって用いることは,当業者が容易に着想し得ることである。 すなわち,甲1発明の医薬を,(a)該医薬によって患者を治療する,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療に適用することは,当業者が,容易に着想し得ることである。 b 効果について (a) 本件訂正明細書【0119】には, 「上記の治療方法に従って治療された患者は,全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう」ことが記載されているが,この記載は未来形であり,単に,希望又は予想に関する記載であって,本件特許発明1の効果を裏付ける記載ではない。 また,甲1の記載によると,甲1発明が「病勢進行の期間が著しく長期化し,全奏効率(ORR)が全体に高まり,反応期間中央値が長期化し,そして,1年間の生存率が高まる」という効果を奏することが認められるから,本件訂正明細書【0119】記載の効果が,甲1発明と比較した当業者が予想できない有利な効果であるとはいえない。 (b) 本件訂正明細書【0118】には, 「腫瘍の大きさを減じる又は除去する」という目的が記載されているが,これは効果を奏することを示す記載ではない。しかも,甲5の記載によると,化学療法剤と組み合わせたハーセプチン処置により,腫瘍の大きさを生体内で減じることは実証されており,仮に上記目的が達成されるとしても,この効果は,化学療法剤及びハーセプチンの組合せの医薬が有している固有の性質を示すものと認められ,引用発明と比較した当業者が予想できない有利な効果であるとはいえない。 (c) 本件訂正明細書【0119】には,課題として「疾患の再発の可能性を減じる」という目的が記載されているが,これは効果を奏することを示す記載ではない。しかも,甲6には,ハーセプチン単剤による治療又はハーセプチンと化学療法剤とを組み合わせた治療により再発までの時間を延長することが記載されており,仮に上記課題が達成されるとしても,この効果は,ハーセプチンが有している固有の性質を示すものと認められ,引用発明と比較した当業者が予想できない有利な効果であるとはいえない。 (d) 被請求人は,意見書において,出願後に公開された甲17〔審判乙1〕(Buzdar A.U.外19名,Journal of Clinical Oncology,2005年〔平成17年〕6月1日,23巻16号3676頁〜3685頁)に基づいて,当業者の予測を上回る格別の効果がある旨を主張し,「手術前の化学療法にトラスツズマブを加えることにより,鬱血性心不全の臨床的な発現を伴わずに,病理学的完全奏効(pCR)を有意に増加させることができた」ことを主張する。 しかし,出願後に意見書等で主張された効果については,明細書に引用発明と比較した有利な効果が記載されているとき,及び引用発明と比較した有利な効果は明記されていないが明細書又は図面の記載から当業者がその引用発明と比較した有利な効果を推論できるときは,意見書等において主張・立証(例えば実験結果)された効果を参酌するが,明細書に記載されてなく,かつ,明細書又は図面の記載から当業者が推論できない意見書等で主張・立証された効果は参酌すべきでない。鬱血性心不全の発現を抑える効果は,本件明細書には記載がないから,出願後に意見書で主張された「鬱血性心不全の臨床的な発現を伴わずに,病理学的完全奏効(pCR)を有意に増加させる」という効果は,進歩性の判断において参酌されるべきものではない。 仮に参酌したとしても,この効果は,ハーセプチンが有している固有の性質を示すものと認められるから,引用発明と比較した当業者が予想できない有利な効果であるとはいえない。 また,甲17〔審判乙1〕の抄録は,安全性について確立したものではないと指摘しており,甲1と比べて症例数も少なく,甲17〔審判乙1〕が,被請求人が意見書で主張した効果について,引用発明と比較した当業者が予想できない有利な効果であることを裏付けるものとはいえない。 (イ) しかし,本件特許発明1は,相違点1,すなわち,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬を,(a)該医薬によって患者を治療する,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療に適用する点で,甲1発明と相違する。 そして,本件特許発明1は,この点を採用することにより,本件訂正明細書記載の「全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。( 」【0119】)という効果を奏するとされるものであり,これらの効果は,甲17〜21〔審判乙1〜5〕において実際に確認されているといえるから,甲17〜21〔審判乙1〜5〕で示されたトラスツズマブの効果は,本件特許発明1の効果として参酌すべきものである。 甲17〔審判乙1〕には,手術可能乳がんを有する患者におけるpCRの改善幅が41.7%(66.7%〔トラスツズマブ+化学療法群,n=16〕-25%〔化学療法群,n=18〕 や, ) 40.4%(66.7%〔トラスツズマブ+化学療法群,n=23〕-26.3%〔化学療法群,n=19〕)であったことが示され,甲19〔審判乙3〕 (Gianni L.外19名,Lancet,2010年〔平成22年〕1月30日,375巻9712号377頁〜384頁)には,局所進行又は炎症性乳がん患者におけるpCRの改善幅が,乳房組織において21%(43%〔トラスツズマブ併用〕-22%〔非併用〕)であったことや,乳房組織及び腋窩リンパ節の全体において19%(38%〔トラスツズマブ併用〕-19%〔非併用〕)であったこと,及び,3年無イベント生存率の改善が示されている(なお,著者及び記載内容からみて甲19〔審判乙3〕と関連する,甲18〔審判乙2〕にも「NOAH試験」なる研究における甲19〔審判乙3〕と類似の結果が記載されている。。 ) これに対し,甲1記載の,転移性乳がん患者に対する臨床試験における全奏効率,奏効期間及び1年間生存率,甲2記載の,甲2発明-1の1に係るステージTXの乳がん患者に対する試験における「目的の奏効率」 (甲2が引用する甲2の2の対応する記載〔表4等〕に照らし,全奏効率を意味するものと推認される。また,甲2の2の上記記載において,11.6%である全奏効率のうち完全奏効率は2.3%〔1例〕である。,甲3記載の,転移性乳がん患者に対する臨床試験における全奏 )効率,進行までの時間の中央値,及び,甲6記載の,転移性乳がん患者に対する第3相臨床試験における再発までの時間の増加及び全奏効率は,いずれも転移性乳がん患者に対する治療成績であり,甲17〔審判乙1〕や甲19〔審判乙3〕において治療効果が示された手術可能乳がんとは病期が異なる。 そして,この手術可能乳がんは,上記甲1〜3及び甲6において治療効果が示された転移性乳がんに比べて早期の病期ではあるものの,41.7%とか40.4%などといった上記pCRの改善幅や3年無イベント生存率の改善といった効果が得られることまでを,完全奏効率2.3%などの上記各甲号証における治療効果から当業者といえども予測し得たとはいえない。 また,甲5記載の,HER2/neu形質転換MCF7ヒト乳がん細胞が移植された胸腺欠損マウスに対する試験における,異種移植片体積の低減は,動物実験における結果であるから,なおのこと,甲17〔審判乙1〕や甲19〔審判乙3〕に示された治療効果が得られることまでを,当業者といえども予測し得たとはいえない。 イ 本件特許発明2〜9について 本件特許発明2〜9は,本件特許発明1を引用して更に限定した発明であるから,本件特許発明1に係る前記アと同様の理由により,それらについての特許を無効理由3によって無効にすることはできない。 (4) 無効理由4(甲2を主引例とする進歩性欠如)について ア 本件特許発明1について (ア) 本件特許発明1に係る無効理由4の論旨は,次のとおりである。 a 本件特許発明1と,甲2発明-1とを対比すると,次の一致点で一致し,次の相違点2で相違する。 (一致点)「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬」である点(相違点2) 医薬を,本件特許発明1では,(a)該医薬によって患者を治療する,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療に適用するのに対し,甲2発明-1では,このような工程を順次行う治療に適用することが特定されていない点 b 甲2には, 「一次化学療法」が「術前化学療法」を意味することが記載されており,乳がん患者が,術前化学療法,手術,術後化学療法の順で治療されることは技術常識であることを踏まえると,甲2の「一次化学療法と組み合わせた新たな戦略の役割は,早期乳がんの患者で評価されるべきものである。との記載は, 」化学療法と組み合わせたヒト化4D5抗ErbB2抗体による治療が,手術前の療法,手術による腫瘍除去,手術後の療法がその順で行われる乳がん患者において,評価されるべきことを意味しており,当業者が,甲2発明-1の医薬を,早期乳がんの患者に適用し,手術前の医薬による治療に用いることを試みる動機付けを与える。 したがって,甲2発明-1において,上記記載に基づき,甲2記載の術前療法,手術,術後療法の順で乳がん患者を治療する方法に当該医薬による治療を適用して,手術前及び手術後に,ヒト化4D5抗ErbB2抗体,化学療法剤で治療を行うことは当業者が容易になし得ることである。 また,手術後の補助的治療を,化学療法単独で行うことは,甲2記載のとおり,本件特許に係る出願の出願時の技術常識であるから,当業者が容易になし得ることである。 c 甲2発明-1の医薬は,転移性乳がんの患者への適用に成功したものであるが,甲3には,転移性状況で成功することがわかっていれば,術後補助状況下や術前状況下でも成功が期待できるとの認識が示されているから,甲2発明-1において,甲2及び甲3の記載に基づいて,医薬を(a)該医薬によって患者を治療する, (b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療に適用することは,当業者が容易に想到し得ることである。 d 無効理由3と同様の理由により,本件特許発明1による作用効果が,引用発明と比較した有利な効果であるとはいえず,当業者の予測し得る範囲を超える有利な効果も確認できない。 (イ) しかし,前記(2)のとおり,甲2には,甲2発明-1の2(甲2発明-1)が記載されているとはいえないから,この発明に基づいて本件特許発明1に進歩性がないとする無効理由4は採用できない。 また,事案に鑑み,甲2発明-1の1に基づいて検討しても,本件特許発明1に進歩性がないとはいえない。 すなわち,本件特許発明1と甲2発明-1の1とを対比すると,本件特許発明1は,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬を, (a)該医薬によって患者を治療する, (b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療に適用する点で,甲2発明-1の1と相違する。 そして,本件特許発明1は,この点を採用することにより,本件訂正明細書記載の「全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。( 」【0119】)という効果を奏するとされるものであり,これらの効果は,甲17〜21〔審判乙1〜5〕において実際に確認されている。また,上記効果を各甲号証の記載から予測し得たものといえないことは,前記(3)と同様である。 イ 本件特許発明2〜9について 本件特許発明2〜9は,本件特許発明1を引用して更に限定した発明であるから,本件特許発明1に係る前記アと同様の理由により,それらについての特許を無効理由4によって無効にすることはできない。 (5) 無効理由5(甲3を主引例とする進歩性欠如)について ア 本件特許発明1について (ア) 本件特許発明1に係る無効理由5の論旨は,次のとおりである。 a 甲3には,次の発明(以下,「甲3発明」という。)が記載されている。 「HER2が過剰に発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のハーセプチン抗体を含有してなる医薬であって,該治療が(a)該医薬によって患者を治療する工程を含み,該工程(a)は,該医薬及び治療的有効量のパクリタキセルによって患者を治療する工程である,医薬」 b 本件特許発明1と甲3発明とを対比すると,次の一致点で一致し,次の相違点3で相違する。 (一致点)「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬」である点(相違点3) 医薬を,本件特許発明1では,(a)該医薬によって患者を治療する,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療に適用するのに対し,甲3発明では,このような工程を順次行う治療に適用することが特定されていない点 c 甲3には,ハーセプチン抗体と化学療法との組合せ治療について,転移性状況で良好な結果が得られていたことが記載されている。 そして,甲3には,転移性状況で成功することがわかっていれば,術後補助状況下や術前状況下でも成功が期待できるとの認識が示されている。 したがって,HER2が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のハーセプチンを含有してなる医薬による治療に関する甲3発明において,甲3の記載に基づき,手術前及び手術後に,ハーセプチンと化学療法剤の投与を行うことは当業者が容易になし得ることである。 d 無効理由3と同様の理由により,本件特許発明1による作用効果が,引用発明と比較した有利な効果であるとはいえず,当業者の予測し得る範囲を超える有利な効果も確認できない。 (イ) しかし,本件特許発明1は,相違点3,すなわち,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬を,(a)該医薬によって患者を治療する,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療に適用する点で,甲3発明と相違する。 そして,本件特許発明1は,この点を採用することにより,本件訂正明細書記載の「全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。( 」【0119】)という効果を奏するとされるものであり,これらの効果は,甲17〜21〔審判乙1〜5〕において実際に確認されている。また,上記効果を各甲号証の記載から予測し得たものといえないことは,前記(3)と同様である。 イ 本件特許発明2〜9について 本件特許発明2〜9は,本件特許発明1を引用して更に限定した発明であるから,本件特許発明1に係る前記アと同様の理由により,それらについての特許を無効理由5によって無効にすることはできない。 |
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原告及び補助参加人(以下,「原告ら」という。)主張の審決取消事由
1 取消事由1(甲1に基づく新規性判断の誤り〜原告ら主張の取消理由1) (1) 審決は,本件特許発明1と甲1発明との相違点1が実質的な相違点であると判断したが,誤りである。 本件特許発明1が,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬を, 「(a)該医薬によって患者を治療する, (b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う」治療に適用するものとして特定したことは,あくまでこの医薬を用いて医師が行う治療方法を付記したにすぎず,本件特許発明1に係る物について新たな構成を開示したものではない。 したがって,この点は,本件特許発明1に係る物を特定する要素ではなく,甲1発明との相違点とはなり得ないから,本件特許発明1は,甲1発明との相違点を有するものではなく,新規性を欠く。 また,本件特許発明1が(a)〜(c)の各工程を順次行う治療に適用するものとして特定したことは,本件特許発明1に係る物の非公知の性質(属性)を見いだしたものではなく,本件特許発明1が用途発明に該当するということもできない。 なお,上記特定は,時間的な流れによって生じる行為の組合せであるから,本件特許発明1は,実質的には方法(医療方法)の発明であるが,我が国の特許法上,医療行為(医療方法)に関する発明は,産業上利用することができる発明に当たらないと解されている。 本件特許発明2〜4,6〜8は,本件特許発明1の(a)〜(c)の工程を更に特定したにすぎないから,本件特許発明1と同様に,新規性を欠く。 本件特許発明5は,本件特許発明1について, 「腫瘍がErbB2タンパク質を過剰発現する」と更に特定したものであるが,本件優先日前において,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬が,ヒト上皮増殖因子受容体2蛋白(HER2)の細胞外領域に結合し,HER2蛋白を過剰発現する腫瘍を有した転移性乳がん患者に対する治療効果があることが既に知られていたから,本件特許発明5も,本件特許発明1と同様に,新規性を欠く。 (2) 本件無効審判においては,本件特許発明が甲1に基づき新規性を欠くとの無効理由1が,具体的に特定された無効原因として現実に争われ,かつ,現実に審理判断されたものであるところ,前記(1)は,上記無効理由1について審理を求めるものであるから,審決取消訴訟の審理範囲の逸脱は存在しない。 (3) 被告主張の「ErbB2タンパク質を発現した乳がんと診断されたヒト患者の,ヒト化4D5抗ErbB2抗体の術前(手術前)投与を含む工程(a) (c) 〜を伴う治療レジメンによる治療において,この医薬が効果的に用いられ得るという事実」は,あくまでその医薬を用いて医師が行う治療方法を単に選択したにすぎないのであり,物の属性ではない。手術との先後関係において,どのタイミングでその医薬を投与しようが,本件特許発明1に係る物の性質(属性)としては,ヒト上皮増殖因子受容体2蛋白(HER2)の細胞外領域に結合するため,HER2蛋白を過剰発現する腫瘍を有した転移性乳がん患者に対する治療効果があるということに尽きているのであり,本件特許発明1は,物についての非公知の性質(属性)を見いだしたものではない。 2 取消事由2(甲2に基づく新規性判断の誤り〜原告ら主張の取消理由2) (1) 審決は,甲2には,甲2発明-2が記載されているとはいえないと判断したが,誤りである。 甲2には, 「・・・成長因子受容体がインタクト(intact)でない限り,成長因子は細胞分裂を刺激できないため,これらの受容体が,治療の新たな標的となった。 アプローチの1つとしては,受容体をブロックする抗体を作出することである。・ ・・HER2/neu受容体に対するモノクローナル抗体の臨床試験の有望な結果が,最近発表された。 ・・・進行中の研究では,組換えヒトHER2モノクローナル抗体を,ドキソルビシン,シスプラチン,およびパクリタキセルなどの他の薬剤と組み合わせており,そして,フェーズVの無作為化試験では,転移性疾患のための第一選択治療として,組換えヒトHER2モノクローナル抗体を伴うかまたは伴わない,ドキソルビシンおよびシクロホスファミドを対象としている。一次化学療法と組み合わせたこれらの新たな戦略の役割は,早期乳がんの患者で評価されるべきものである。(下線は,原告らが付した。 」 )との記載がある。 甲2の記載によると,上記「一次化学療法」は, 「手術前の化学療法」を指し,上記「これらの新たな戦略」は,組換えヒトHER2モノクローナル抗体を用いた治療を指す。このように,上記下線部分は,手術前の化学療法と組み合わせた組換えヒトHER2モノクローナル抗体を用いた治療の役割は,早期乳がんの患者で評価されるべき旨を述べている。 そして,甲2の記載によると,早期乳がん患者は,手術前の化学療法,手術,手術後の化学療法の順に治療するのが一般的であった。 そうすると,上記下線部分は,手術前の化学療法,手術,手術後の化学療法で行われる早期乳がん患者の治療において,手術前の化学療法とともに組換えヒトHER2モノクローナル抗体を用いた治療を実施することを述べているから,甲2発明-2が記載されている。 本件特許発明1の,(a)医薬によって患者を治療する,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療は,甲2発明-2の,医薬を化学療法と組み合わせて,術前療法,手術,術後療法の順で行う乳がん患者の治療に適用する治療と実質的に相違しないから,本件特許発明1は,甲2発明-2と同一であり,新規性を欠く。 本件特許発明2〜8も,前記1(1)と同様の理由により,本件特許発明1と同様に新規性を欠く。 (2) 甲2の「生物学的-遺伝学的な新たな治療」の項目には,局所性乳がん患者に対する治療方法として確立された一次化学療法(すなわち,術前化学療法)と,転移性乳がん患者に対する治療方法としてヒトHER2モノクローナル抗体と組み合わせて用いられている新たな戦略(すなわち,ヒトHER2モノクローナル抗体を化学療法剤と組み合わせて投与する乳がんの治療方法)は,早期乳がん患者においても評価されるべきものである,との筆者の意見が記載されている。 甲2では,「新たな戦略」(造血支援の有無にかかわらず,術前又は術後化学療法の用量を増強すること)「新たな化学療法剤」 , (タキサン,パクリタキセル,ドセタキセル,ビノレルビン及び他の薬剤)及び「生物学的-遺伝学的な新たな治療」 (組換えヒトHER2モノクローナル抗体等)の三つが,局所進行乳がんに対する新たな治療法として提案されている。このように,甲2には,ヒトHER2モノクローナル抗体療法は,高用量化学療法及び新たな化学療法剤による療法と並ぶ治療方法として提案されているのであるから,一次化学療法との組合せとしてヒトHER2モノクローナル抗体療法のみが除かれるとはいえず,甲2には,手術可能乳がん(早期乳がん)に対して,抗体治療を術前に行うことが記載されている。 (3) 甲2,3によると,転移性乳がんに対して有効であることが知られているヒトHER2モノクローナル抗体を用いることにより,腫瘍の大きさを縮小させることができることは明らかであり,抗体療法は,術前補助療法のための候補の一つと考えられる。 なお,甲3は無効原因ではないから,審決取消訴訟の審理範囲を超えるとの被告の主張は,前提を欠き,失当である。 3 取消事由3(甲1を主引例とする進歩性判断の誤り) (1) 構成の容易想到性について ア 甲1には,甲1発明が記載されている。 本件特許発明1と甲1発明とは,「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬」である点で一致する。そこで,問題は,トラスツズマブ(ヒト化4D5抗ErbB2抗体)で患者を治療した後に,外科的に腫瘍を除去し,更にトラスツズマブ又は化学療法剤によって患者を治療することに容易に想到できたかどうかである。 そして,本件優先日において,トラスツズマブが直接にがん細胞を殺傷する作用を有すること(甲1,丙2,8),トラスツズマブが乳がんを縮小又は消滅させる効果を有していたこと(甲1,2,甲2の2,甲3),トラスツズマブを化学療法剤と組み合わせると相乗効果又は少なくともより高い抗腫瘍効果が得られること(甲1,3,5,丙2)は,周知であった。 また,本件優先日において,乳がんの治療において,術前薬物療法を行い,手術を行い,更に術後薬物療法を行うこと(甲2,16),術前薬物療法の目的として早期に全身治療を行って遠隔微小転移を排除することがあり,別の目的として腫瘍のステージを下げることにより手術不能の腫瘍を手術可能にしたり乳房保存手術を可能にしたりすることがあること(甲2,3,16)は,周知であった。 さらに,抗がん剤の開発は,臨床試験の倫理的考慮及び生死に関する疾患の特性上,転移性乳がん患者に対する効果及び安全性が確認された上で,非転移性(手術可能)乳がん患者への効果及び安全性を確認するというプロセスを経るものである(甲2,3)。 そうすると,トラスツズマブが「遠隔微小転移の排除」「全身治療の早期着手」 , ,「腫瘍のステージを下げて乳房保存手術又は手術自体を可能にする」という目的のために有効であることは当然に理解可能であった。 そして,化学療法とトラスツズマブとの組合せ自体は有用であることが知られており,格別の副作用が生じたとも理解できないし,トラスツズマブの添付文書においても肯定的に評価されている(甲1)。 したがって,術前化学療法の代わりに,あるいは化学療法とトラスツズマブとの相乗効果に着目して術前化学療法に追加して,トラスツズマブを術前に投与すること,更に公知のとおり術後化学療法を行うこと(又はトラスツズマブを更に投与すること),そして,その際にある程度の効果が得られることは,当業者が容易に想到し得たものである。 イ 被告は,甲2がトラスツズマブの術前療法を示唆しないと主張する。しかし,甲2の「一次化学療法と組み合わせたこれらの新たな戦略の役割は,早期乳がんの患者で評価されるべきものである」との記載は,甲2が主に術前療法について概説する文献であることと,上記記載の直前に化学療法剤とトラスツズマブとを組み合わせる臨床試験が紹介されていることを踏まえると,当業者には,早期乳がんの術前療法においても,化学療法剤とトラスツズマブとを組み合わせる戦略を評価すべきであるという教示として理解される。 また,被告は,本件優先日当時,化学療法剤と抗体の作用機序が全く異なるものであったことを,当業者がトラスツズマブを化学療法剤の術前投与に代えて,又は加えて,投与してみることを考えないことの理由として指摘している。しかし,トラスツズマブと化学療法剤の作用機序が違うのであれば,相乗効果を狙って,又は化学療法剤が効きにくい患者についても作用機序の異なるトラスツズマブは効果を有することを期待して,化学療法剤にトラスツズマブを追加しようとすることは自然であり,抗体と化学療法剤の作用機序が異なることは,むしろ抗体と化学療法剤を組み合わせる動機付けになる(丙19の1)。 さらに,被告は,転移リスクの高いがん(既に転移したがん)の細胞は,原発部位に留まるがんの細胞とは性質が異なると主張する。しかし,転移性乳がんと手術可能乳がんの差異は病期又は病巣部位にあり,両者の乳がん細胞の起源は同一であるから,両者に基本的に差異はなく,原発巣からリンパ節へと浸潤し,別の臓器等へ浸潤した転移性乳がんは,転移先の臓器等ではなく原発の乳がんと同じ性質を持つ。ある種の転移性乳がんに対して薬効が確認された抗がん剤であれば,同種のがん細胞が原発部位の乳房に留まっている手術可能乳がんにも有効であることは,むしろ当然に予測できる。 ウ 審決が本件特許発明1と甲1発明との相違点として指摘する相違点1は,前記1のとおり,本件特許発明1に係る物を特定する要素ではない。 そして,本件特許発明9は,本件特許発明1の医薬に加え,容器と,パッケージ挿入物とを含んでなる製造品であるところ,医薬に,容器とパッケージ挿入物を加えて製造品とすることは,当業者にとって周知のことであり,パッケージ挿入物の記載は,自然法則の利用ではないから,本件特許発明9は,甲1発明に基づいて当業者が容易に想到し得るものである。 (2) 顕著な効果の有無の判断に際し,出願後の実験データを参酌した誤り(原告ら主張の取消理由3) 審決は,本件特許発明1の効果を,出願後の実験データである甲17〜21〔審判乙1〜5〕に基づき認定し,本件特許発明1の効果は,引用文献から当業者が予測し得たとはいえないと判断したが,誤りである。 出願後の実験データの参酌は,原則として許されない。 また,本件訂正明細書【0119】の「上記の治療方法に従って治療された患者は,全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。」との記載は,本件訂正明細書の全文を見ても,そのような生存率の改善や腫瘍の進行時間の延長という効果は,実験結果等により確認されていないから,単なる希望又は願望の記載にすぎないし,これらの効果の具体的内容について,当業者が合理的な推論を可能にするような記載も全く存在しない。何と比較して優位性を有するのか(プラセボとの比較か,引用発明との比較か,化学療法剤との比較か等)も不明である。生存率(全生存率)及び腫瘍の進行時間(TTP)という指標も,本件特許の出願以前から転移性及び初期乳がん治療の効果を確認する上で一般に測定されていた臨床指標にすぎない(甲1,2)。生体内でHER2蛋白過剰発現の腫瘍細胞に対して抗体依存性細胞障害作用を示すことが公知であったトラスツズマブを投与した場合に, 「全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示す」ことは当然に予想される効果であるから,上記記載によって,トラスツズマブを術前に投与した場合の効果が,質的にも量的にも予測を超える顕著な効果であることは全く理解できない。 さらに,審決が甲17,19〔審判乙1,3〕に基づき認定したpCRの向上は,本件訂正明細書において言及すらされておらず,本件訂正明細書の記載から推論することもできない。本件優先日後においてさえ,pCRの改善が生存率やTTPの改善につながり得るかは不明であると理解されていたし(甲17,19)pCRは, ,手術によって切除された組織にがんが残っているか否かにより評価されるから,術前化学療法の効果のみを示す指標であり,本件特許発明の3段階の工程による効果を示すものではない。 加えて,甲17,19〔審判乙1,3〕に記載されている投与方法は,本件訂正明細書【0119】の「上記治療方法」が指す【0117】〜【0119】記載の投与方法とは明らかに異なるから,甲17,19〔審判乙1,3〕に記載されている効果は,本件訂正明細書【0119】に記載された効果ではなく,甲17,19〔審判乙1,3〕によって本件特許発明の効果が裏付けられているとはいえない。 以上のとおり,本件訂正明細書において効果の顕著性を裏付ける又は推論させる具体的な記載が全く存在しないにもかかわらず,甲17,19〔審判乙1,3〕のような出願後の実験データに依拠して進歩性を認定することは,先願主義の趣旨に反するもので,許されない。 このように,出願後の実験データである甲17〜21〔審判乙1〜5〕を参酌することが許されない以上,本件特許発明に当業者が予測し得ない顕著な効果があるとはいえない。 (3) 明細書に十分な記載がないにもかかわらず,顕著な効果があると判断した誤り(原告ら主張の取消理由6) 審決は,本件特許発明に当業者の予測し得ない顕著な効果があると判断したが,誤りである。 本件訂正明細書では,本件特許発明の効果につき, 「上記の治療方法に従って治療された患者は,全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。(下線は,原告らが付した。下線部に対応する国際出願の 」原文は「will display」)と記載されているにすぎず,客観的な薬理試験結果すらも掲げず,効果についての単なる主観的予測が示されているにすぎない。しかも,その主観的予測の記載も,その効果が公知技術から予測できる結果との比較においてどの程度優れたものとなり得るかという点(例えば,相加的効果にすぎないのか,それを上回る相乗的効果があるのか等)や,いかなる公知技術と比較した場合に優れた効果であるのか(プラセボと対比した効果であるのか,引用発明と対比した効果であるのか,それ以外の対象と比較した効果であるのか等)も全く不明な記載に止まっている。 このように,本件訂正明細書において,効果の顕著性を裏付け又は推論させる具体的な記載が全く存在しないにもかかわらず,審決のように,発明の構成自体が容易想到であるか否かを判断しないまま,当業者の予測し得ない顕著な効果のみを認定することで進歩性を肯定することは,許されない。 本件訂正明細書【0117】〜【0119】記載のレジメンの主要な構成は,添付文書(甲1)にも記載されている転移性乳がんを治療するためのトラスツズマブの通常の用法,用量が単に記載されているだけであるし,国際出願時の明細書では,一貫して現在形で記載されているから(丙10),当業者には,実際に行っていないペーパーイグザンプルであると理解される(丙11,12)。 (4) 顕著な効果の有無の判断における効果の対比の方式の誤り(原告ら主張の取消理由4) 審決は,手術可能乳がん患者に関する甲17〜19〔審判乙1〜3〕記載の臨床データを,転移性乳がん患者に関する甲1,2記載の臨床データと対比し,甲17〜19〔審判乙1〜3〕記載の41.7%や40.4%などといったpCRの改善幅や3年無イベント生存率の改善といった効果が,甲1,2記載の完全奏効率2.3%などの治療効果から当業者が予測し得ないと判断したが,誤りである。 まず,転移性乳がんと手術可能な乳がんとは,その病期において極めて明確な差異があり,それぞれ確認された治療効果(例えば,奏効率又は生存率など)を単純比較して効果の良し悪しを判断することはできない。米がん学会の統計資料(甲36)によると,乳がんのstage別の5年生存率において,stageWの転移性乳がん患者は初期乳がん患者に比べて極めて低い生存率を示している(stageVの72%に対し,stageWは22%)が,これは転移性乳がん自体が有する疾病の深刻度と不良な予後に起因する。 また,甲17〔審判乙1〕記載の病理学的完全奏効(pCR)と甲2の2記載の完全奏効(CR)とは,その測定方法及び測定対象が相違する指標であり,審決のように単純比較してはならない。 さらに,奏効率は,CT及びMRIなどの放射線学的な方法でがんを発生した部位を確認し,治療前に比べてがんの大きさがどれだけ減ったかを評価するものであり(甲39) 放射線学的な検査部位から除外された他の部位にがん腫が存在する場 ,合にも,検査部位において腫瘍が発見されなければ完全奏効(CR)を見せたと判断する。そこで,特にリンパ節や他の組織にまで腫瘍が広がった転移性乳がん患者においては,完全奏効(CR),部分奏効(PR)及び病勢安定(stable disease)の臨床的意義に大差はない。甲2の2においても,ハーセプチンによる奏効性を評価するに当たり,37%に達する最小奏効(minimal response)及び病勢安定(stabledisease)までも考慮されるべきと述べている。それにもかかわらず,審決は,甲2の2において確認された様々な奏効値のうち完全奏効率2.3%のみを抽出し,これを転移性乳がんへの従来の治療方法による効果を代表する数値であると誤解した。 加えて,甲2の2は,甲17,19〔審判乙1,3〕と効果を比較するのに適した文献ではない。甲17,19〔審判乙1,3〕記載の効果は,初期乳がんにおける従来技術である化学療法剤の手術前投与に,追加でハーセプチン(ヒト化4D5抗ErbB2抗体)を併用投与することによるものであるのに対し,甲2の2は,転移性乳がん患者においてハーセプチン単独投与による治療反応のみを確認するものであって,同等な水準での比較にならない。また,甲2の2の臨床試験は,強度の高い化学療法を受けた経験のある患者を対象にしているが,これらの患者における治療奏効率は,1次治療を受ける患者に比べて著しく下がるもので(甲40,41) 甲2の2記載の完全奏効率 , (CR)2.3%又は全奏効率(ORR)11.6%は,ハーセプチンによる転移性乳がん治療の効果を代表するものとはいえない。 本件特許発明1は,手術前にトラスツズマブのみを単独投与する治療方法を含んでいるから,本件特許発明1の効果を実証するための適切な比較方法としては,化学療法(パクリタキセル)のみの単独投与群と,トラスツズマブのみの単独投与群とについても比較しなければならず,そのような比較を行わない限り,当業者は,本件特許発明1の効果を理解することはできないが,甲17,19〔審判乙1,3〕では,そのような比較は行われていない。甲17,19〔審判乙1,3〕は,術前補助療法において化学療法剤とトラスツズマブを併用投与した場合の効果を確認するものにすぎない。なお,甲19〔審判乙3〕に基づき,トラスツズマブ単独投与によるpCR改善幅を単純計算(相乗効果を除外した単なる経験則に基づく計算)すると,化学療法剤単独投与の場合のpCR改善幅とほぼ同等の21%(併用投与43%-化学療法剤単独投与22%)と算出されるため,甲19〔審判乙3〕により本件特許発明1の顕著な効果が裏付けられるとはいえない。甲17〔審判乙1〕についても,トラスツズマブ単独投与によるpCR改善幅は,化学療法剤単独投与によるpCR改善幅よりも16.7%(トラスツズマブ単独投与41.7%-化学療法剤単独投与25%)しか上回っておらず,この向上分もトラスツズマブと化学療法剤の併用投与による既に知られていた相乗効果によるものにすぎないから,甲17〔審判乙1〕により本件特許発明1の顕著な効果が裏付けられるとはいえない。 (5) 甲17,19記載の効果を本件特許発明の効果であると認定した誤り(原告ら主張の取消理由7) 審決は,本件特許発明に係るトラスツズマブの効果を,甲17,19〔審判乙1,3〕に基づいて,pCRを40.4%又は41.7%上昇させたり,3年無イベント生存率を改善させたりするものであると認定した上で,甲2の2との対比を行っているが,誤りである。特定の治療方法におけるトラスツズマブの併用効果を示すにすぎない甲17,19〔審判乙1,3〕の記載に基づいて,そのような特定の治療方法に限定されない本件特許発明について顕著な効果を認めることはできない。 すなわち,トラスツズマブを化学療法剤に加えた際のpCR改善効果を示す他の文献に示されるとおり,トラスツズマブの効果は併用する化学療法剤の種類に大きく依存する。例えば,甲21〔審判乙5〕には,切除可能な乳がん患者に対するトラスツズマブ単剤の術前投与のpCRの達成率が11人中1人(9%)であったことが記載され,丙1には,トラスツズマブとパクリタキセルの組合せによる術前化学療法のpCRの達成率が18%であったことが記載され,甲17〔審判乙1〕には,ドキソルビシンを含まない化学療法による術前補助セッティングにトラスツズマブを用いた場合のpCRの達成率が19%〜35%であったことが記載されており,いずれも,本件特許発明においてトラスツズマブがpCRを41.7%又は40.4%改善させるという認定に沿うものではない。 また,甲17〔審判乙1〕は,トラスツズマブとの併用で心毒性を高率で引き起こすおそれのあるドキソルビシンではなく,同じアントラサイクリン系の薬剤であるものの,ドキソルビシンよりも心毒性が低いとされるエピルビシンを,パクリタキセル及びトラスツズマブと術前併用投与することにより,高いpCR率を得ながら心毒性の影響を抑える方法を見いだしたものであり,トラスツズマブによる効果を一般的に示すものではない。 さらに,進歩性判断の顕著な効果の有無については,公知の引用発明との対比において検討されるべきであり,トラスツズマブを単に投与する場合(手術を行わない場合)に得られる効果と,トラスツズマブを患者に投与した後に手術を行い更に術後療法を行う場合に得られる効果とを比較し,後者の効果が,当業者に予測できなかったほどに質的又は量的に優れているといえるか否かにより行われるべきである。しかし,甲17,19〔審判乙1,3〕は,化学療法を行った後に手術を行った群における結果と,トラスツズマブ+化学療法を併用した後に手術を行った群の結果との比較結果にすぎず,トラスツズマブ投与の後に手術を行って更に術後療法を行うという本件特許発明が一般にどの程度の効果を有しているのかを理解することができない。 (6) 顕著な効果の有無の判断における当業者が予測し得た効果についての認定の誤り(原告ら主張の取消理由5) ア 審決は,本件特許発明1に当業者が予測し得ない顕著な効果があると判断したが,誤りである。 本件特許発明1における治療の対象は,手術可能乳がんであるから,本件特許発明1の奏する効果が,当業者が予測し得る範囲を超えた顕著なものであるか否かを判断するに当たっては,手術可能乳がんの治療において,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を用いない従来の治療,すなわち, 「(a)化学療法剤によって患者を治療し,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)化学療法剤によって患者を治療」する治療との比較において,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を用いることにより,どれだけの治療効果の向上を当業者が予測し得たかを判断すべきである。そして,本件特許発明1と上記従来技術との相違は,手術前の(a)段階において,化学療法剤とともにヒト化4D5抗ErbB2抗体を併用投与することにあるから,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を併用投与することによって,化学療法剤のみを投与する場合と比べて治療効果を向上させるか否かについて,当業者が本件優先日前に予測することが可能であったかどうかを判断しなければならない。 しかるに,転移性乳がん患者において,化学療法剤のみを単独で投与したときに比べ,化学療法剤とヒト化4D5抗ErbB2抗体を併用投与することにより治療効果が向上することは,本件優先日前に多くの先行文献により公知となっていた(甲1〜3)。また,本件優先日当時,ヒト化4D5抗ErbB2抗体は,抗体依存性細胞障害作用(ADCC:標的細胞に結合した抗体に,マクロファージなどの免疫細胞がFc受容体を介して結合し,その標的細胞を殺傷する作用)を示し,化学療法剤とは異なる作用機序により抗がん作用を発揮することが知られていたから(甲2,丙2,3),ヒト化4D5抗ErbB2抗体を化学療法剤と併用することにより,少なくとも相加効果が,あわよくば相乗効果を期待することができた。 転移性乳がんと手術が可能な初期乳がんは,その病期と予後において非常に大きな違いがある疾患であり,同じ薬物を投与するからといって同率の反応が確認されるとはいえないが,化学療法剤と抗体の併用投与療法が,予後が極めて不良な転移性乳がんにおいてさえも,全奏効率において割合にして153%の向上(2.5倍強への向上)を示した旨の先行文献(甲1)の開示を踏まえると,当業者は,本件優先日前に広く実施されていた,手術可能な乳がんの治療における「(a)化学療法剤によって患者を治療し, (b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)化学療法剤によって患者を治療」する方法において,化学療法剤とともにヒト化4D5抗ErbB2抗体を併用投与した場合には,例えば割合にして150%程度(2.5倍程度)は治療効果が向上することを予測したはずである。 これに対し,審決指摘の甲17〔審判乙1〕の記載は, 「pCR率は,化学療法(n=16)とトラスツズマブ+化学療法(n=18)について,それぞれ25%及び66.7%(P=0.02)であった。(割合にして約167%の向上)「トラス 」 ,ツズマブ+化学療法群の65.2%と比較して,化学療法治療群のうちの26%がpCRを達成した(P=0.016)」 。(割合にして約151%の向上)というものであり,甲19〔審判乙3〕の記載は,局所進行又は炎症性乳がん患者におけるpCRの改善が乳房組織で22%(非併用)に対して43%(トラスツズマブ併用)(割合にして約95%の向上),乳房組織と脇リンパ節全体で19%(非併用)に対して38%(トラスツズマブ併用) (割合にして100%の向上)であったというものであるから,当業者が予測した範囲のものである。 また,甲1には,転移性乳がん患者についてではあるが,化学療法剤(パクリタキセル,又はアントラサイクリン〔ドキソルビシン若しくはエピルビシン〕とシクロホスファミド)にトラスツズマブを組み合わせることで,無増悪期間が4.5月から7.2月に延びたことが記載されており,トラスツズマブを化学療法剤と組み合わせた際に,病気の進展を遅らせる作用を有することは周知であった。そうすると,甲19〔審判乙3〕記載の無イベント生存率の改善効果は,当業者にとって予測可能な範囲のものである。 イ 乳房に局在した手術可能乳がんであろうと,遠隔臓器に転移した転移性乳がんであろうと,もとは同じ乳がん細胞であってHER2が過剰発現したものが対象である一方,トラスツズマブがHER2抗体であって直接がん細胞を殺傷する作用を有するのであるから,トラスツズマブの転移性乳がんに対する有効性が知られていた以上,トラスツズマブの手術可能乳がんに対する有効性は予想できたというべきである。 4 取消事由4(甲2を主引例とする進歩性判断の誤り) 甲2には,甲2発明-1が記載されている。 本件特許発明1と甲2発明-1とは,前記3(1)アと同様に,「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬」である点で一致する。 したがって,前記3と同様の理由により,本件特許発明は,当業者が甲2発明-1に基づいて容易に発明をすることができた。 5 取消事由5(甲3を主引例とする進歩性判断の誤り) 甲3には,甲3発明が記載されている。 本件特許発明1と甲3発明とは,前記3(1)アと同様に,「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬」である点で一致する。 したがって,前記3と同様の理由により,本件特許発明は,当業者が甲3発明に基づいて容易に発明をすることができた。 |
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被告の主張
1 取消事由1(甲1に基づく新規性判断の誤り〜原告ら主張の取消理由1)に対し 原告らは,本件特許発明1が(a)〜(c)の各工程を順次行う治療に適用するものとして特定したことは,時間的な流れによって生じる行為の組合せであるから,本件特許発明1は,実質的には方法(医療方法)の発明であるが,我が国の特許法上,医療行為(医療方法)に関する発明は,産業上利用することができる発明に当たらないなどと主張する。 (1) しかし,この主張は,無効審判では主張していなかったにもかかわらず,審決取消訴訟で初めて主張したものであるから,審決取消訴訟の審理範囲を超えるものである(最高裁判所昭和42年(行ツ)第28号同51年3月10日判決・民集30巻2号79頁参照)。 (2) 原告らの主張は,特許・実用新案審査基準及び特許・実用新案審査ハンドブック附属書B「第3章医薬発明」に明確に矛盾する。平成21年10月23日に改訂された特許・実用新案審査基準では,医薬発明において,特定の用法・用量で特定の疾病に適用するという医薬用途が公知の医薬と相違する場合には,新規性を認めるとされている。 本件特許発明は, 「一連の工程(a)〜(c)を順次行う治療によりErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための」という医薬用途で限定された「医薬」という物の発明である。 本件特許発明の医薬の未知の属性は,ErbB2タンパク質を発現した乳がんと診断されたヒト患者の,ヒト化4D5抗ErbB2抗体の術前(手術前)投与を含む工程(a)〜(c)を伴う治療レジメンによる治療において,この医薬が効果的に用いられ得るという事実である。 治療レジメンは,特許発明の際立った特徴であり,医薬は,治療レジメンによって特許発明として区別される。 本件特許発明の医薬を,工程(a)〜(c)を含む特定の用法で乳がんに対して適用するという記載はもちろん,そうすることによって顕著な治療効果を達成し得るという記載は,引用された文献の中に全く存在しない。 2 取消事由2(甲2に基づく新規性判断の誤り〜原告ら主張の取消理由2)に対し (1) 甲2は,本件特許の請求項記載の治療レジメン,すなわち,ヒト化4D5抗ErbB2抗体の術前投与と,それに続く腫瘍の外科的除去と,その後の抗体又は化学療法剤による患者の治療に関して何の開示もしていない。甲2は,手術後に投与される組換えヒトHER2モノクローナル抗体を開示しているにすぎない。 甲2は,術前化学療法に基づいて,局所進行性乳がん(通常ステージVに分類される)の治療レジメンの将来的な方向を検討するレビュー論文である。そして,甲2で引用された二つの臨床試験は,いずれも手術不可能なステージW,すなわち転移性の乳がん患者における抗体治療に関するものであり,抗体治療を術前に行うことは記載も示唆もされていない。甲2の「一次化学療法と組み合わせたこれらの新たな戦略の役割は,早期乳がんの患者で評価されるべきものである。」との記載は,甲2が主に術前化学療法に関するものであり,先行する文章が進行性がんのための化学療法を伴う抗体投与に関する進行中の試験に関するものであることを踏まえると,早期乳がんのための化学療法と抗体療法を示唆するものであり,術前化学療法を前提として,術後化学療法を伴い又は伴わない,抗体の術後投与を示唆するものである。甲2の対象が当時新規であった術前化学療法であることからすると,術前化学療法の代わりに又は術前化学療法に追加して抗体を投与することは,著者らの関心の範囲を超えるものであり,当業者は,抗体の術前投与を意味するものとは理解しない。甲2は,論文全体を通じて,最適な治療レジメンにおいては,まず化学療法が行われ,他の治療法は時間的に後で実施されると明確に述べている。このことは,この当時,化学療法自体が確立された治療法ではなかったことと整合する。 術前療法に続いて手術を行い,更に続いて潜在的に化学療法を含む術後療法を行うことの利点は,知られつつあるところであった。 甲2には,「一次化学療法の主な目的は,遠隔微小転移を排除することである。, 」「腫瘍の血管系は外科手術または放射線治療によって未変であるので,全身治療の早期着手は有利であり,耐性クローンは,生じる機会をほとんど有さないはずである。」と記載されているが,本件優先日当時,がん細胞が転移能を有し,転移性乳がんが原発性がん細胞とは異なる特徴を獲得し得ることは周知であった。患者の体内のどこにでも存在する可能性がある微小転移巣は,種々のタンパク質発現特性といった異なる特性を有し得るので,全身性作用を有する化学療法剤の標的とすることは,理に適っている。 (2) 原告らは,甲2,3によると,抗体療法は,術前補助療法のための候補の一つと考えられると主張するが,本件無効審判においては,甲3を無効原因として本件特許発明の新規性は検討されていないから,上記主張は,審決取消訴訟の審理範囲を超えるものである。 3 取消事由3(甲1を主引例とする進歩性判断の誤り)に対し (1) 構成の容易想到性について 本件優先日当時,化学療法剤と抗体の作用機序が全く異なるものであったことは知られていたが,トラスツズマブの生体内における作用機序は未だ研究対象であり,化学療法についても投与計画について検討が続けられていた。そして,本件優先日当時発行されていたいずれの文献にも,乳がんの治療において,抗体を術前投与するという記載は全く存在していない。 このような状況において,転移性乳がん患者においてトラスツズマブが腫瘍縮小効果を示す何らかの結果が示されていたとしても,当業者であればこそ,化学療法剤で試験中であった早期がんの患者に対し,トラスツズマブを安全かつ効果的に術前投与できるとの合理的な成功の期待が得られるとはいえない。本件優先日当時,未だ承認されたばかりの新規の抗体を,その奏効が確認されつつあった化学療法剤の術前投与に代えて,又は加えて,投与してみることは,当業者であればこそ考えないことである。 甲2に抗体を術前投与することが記載されていないことは,前記2のとおりである。 抗がん剤の開発は,転移性乳がん患者に対する効果及び安全性が確認された上で,非転移性(手術可能)乳がん患者への効果及び安全性を確認するプロセスを経る旨の原告らの主張は,根拠のない原告ら固有の仮説である。 本件優先日当時,同じ時間を経ても,局所に留まる乳がんもあれば,遠隔転移する乳がんも存在すること,その違いはがん細胞の性質の違いに依拠することが知られていた。このように,転移リスクの高いがん(既に転移したがん)の細胞は,原発部位に留まるがんの細胞とは性質が異なる。 (2) 顕著な効果の有無の判断に際し,出願後の実験データを参酌した誤り(原告ら主張の取消理由3)について 本件訂正明細書には,本件特許発明の薬理学的背景と治療用途が記載されており,その理解に対する強固な基盤を提供している。そして,本件訂正明細書の【0117】〜【0119】には,具体的な治療レジメンに加え,本件訂正明細書の開示全体に記載されている特定の用法(本件特許発明)で投与される医薬によって得られる好ましい効果について, 「上記の治療方法に従って治療された患者は,全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう」 (【0119】)と記載して,当業者が顕著な効果を理解し得る記載が明記されている。当業者は, 「全体的に改善された生存者」と「腫瘍の進行時間(TTP)の延長」の一方又は双方を含む有利な効果が本件特許発明の使用によって得られることを,本件訂正明細書から推認できるばかりでなく,認識することができる。当業者には,新規なレジメンに関して,臨床試験データの完備した報告が間に合わないとしても,被告が根拠なく詳細なレジメンを含む明細書を提出するはずがないことが理解されるから,具体的な治療レジメンの記載は,当業者をして本件特許発明の好ましい効果を認識又は推論させる一助となる。 また,甲17〔審判乙1〕には, 「さらに,術前療法後の病理学的完全奏効(pCR) 長期の無病生存期間 は, 〔被告注・TTPに対応〕の強力なサロゲートである。」との記載があり, 「サロゲート(surrogate)である」とは代替物になるという意味であるから,pCRの向上はTTPの延長と強く関連するものと当業者は認識できる。 さらに,甲19〔審判乙3〕には,本件特許発明により,病理学的完全奏効(pCR)の向上のみならず,「再発,進行〔被告注・腫瘍の進行(TTP)〕又は死亡のリスクが低下〔被告注・全生存率に対応〕」といった効果まで得られることが,記載されている。 実験データの参酌の基準に関する一貫した司法判断に照らしても,明細書における発明の効果の定性的な記載に基づき,具体的な実験データを参照することは妥当である(知財高裁平成21年(行ケ)第10238号同22年7月15日判決,知財高裁平成20年(行ケ)第10353号同21年4月27日判決,知財高裁平成22年(行ケ)第10203号同24年5月28日判決参照)。 原告らは,甲17,19〔審判乙1,3〕に記載されている投与方法は,本件訂正明細書【0119】の「上記治療方法」が指す【0117】〜【0119】記載の投与方法とは明らかに異なると主張するが,本件訂正明細書【0117】〜【0119】記載の投与計画は,本件特許発明1の1実施態様にすぎないから,甲17,19〔審判乙1,3〕において,これがそっくりそのまま一つの試験として評価されている必要がないことは当然である。 (3) 明細書に十分な記載がないにもかかわらず,顕著な効果があると判断した誤り(原告ら主張の取消理由6)について 前記(2)の原告ら主張の取消理由3に対する反論と同様である。 原告らは,本件訂正明細書【0117】〜【0119】記載のレジメンの主要な構成は,添付文書(甲1)にも記載されている転移性乳がんを治療するためのトラスツズマブの通常の用法用量が単に記載されているだけであると主張するが,本件訂正明細書記載のレジメンは,手術前の抗体投与という主要な構成の点で添付文書(甲1)とは相違している。 原告らは,国際出願時の明細書では,一貫して現在形で記載されているから,当業者には,実際に行っていないペーパーイグザンプルであると理解されると主張するが,本件のような医薬の発明の場合,何ら事前の試験を行わずに患者への投与を行うことなどあり得ないことであり,イン・ビトロから始まって数多くのさまざまなレベルでの試験が必ず繰り返し行われているものであるし,米国特許審査基準(MPEP)の基準に従えば,最終的な医薬としての使用形態に関する臨床試験が完了した場合のみ,その結果を明細書に「過去形」で記載することができる。したがって,当業者であれば,本件訂正明細書の記載が,医薬の開発段階での数多くの試験に裏打ちされたものであることを理解し,本件特許発明1が記載された効果を奏するものと認識する。 (4) 顕著な効果の有無の判断における効果の対比の方式の誤り(原告ら主張の取消理由4)について 審決は,トラスツズマブの術前投与を主要な相違とする実験群間の比較によって効果を認定しており,合理的で適正である。甲17〔審判乙1〕において,トラスツズマブの術前投与を受けている患者の方に41.7%及び40.4%の差でより多くの改善が見られたが,このときの実験群間の唯一の相違は,術前のトラスツズマブの投与か非投与かであった。また,審決が比較した甲19〔審判乙3〕中の群間の唯一の相違も,局所進行又は炎症性乳がん患者における,トラスツズマブの術後補助投与に先立つ,トラスツズマブの術前投与の有無であった。 また,審決は,甲17,19〔審判乙1,3〕に示されるpCRの改善及び3年無病生存率と,甲2の2に示される完全奏効率(2.3%)を単純並列して比較しているものではない。審決は,まず初めに,甲17,19〔審判乙1,3〕に示されるトラスツズマブの術前投与有り・無しの群間での比較に基づき,ヒト化4D5抗ErbB2抗体の術前投与を発明特定事項とする本件特許発明の進歩性を認定した。その上で,引用文献に記載された実験データとして2.3%の完全奏効率を単に参照し,当業者が甲2の2を参照したとしても,本件特許発明により得られる顕著な改善を予測することができなかったことを補足したものである。 さらに,本件優先日前にトラスツズマブの術前投与を開示する文献は全く存在しなかったのであるから,出願後の臨床試験結果と,トラスツズマブの術前投与を開示する文献とを比較することは不可能であり,甲2の2のHER2過剰発現転移性乳がんの患者の第U相試験のような,より後のステージのがんの患者の研究結果と比較するほかない。 原告らは,本件特許発明1は,手術前にトラスツズマブを単独投与する治療方法を含んでいるから,本件特許発明1の効果を実証するための適切な比較方法としては,化学療法(パクリタキセル)のみの単独投与群と,トラスツズマブのみの単独投与群とについても比較しなければならず,そのような比較を行わない限り,当業者は,本件特許発明1の効果を理解することはできないと主張するが,甲21〔審判乙5〕は,原発性のHER2陽性手術可能乳がんに対し,術前トラスツズマブ単剤投与,外科的手術,術後トラスツズマブ投与が実施され,pCRが得られたことを報告しており,化学療法剤との併用でなく抗ErbB2抗体単体の術前投与であっても治療効果を奏することは明らかである。 (5) 甲17,19記載の効果を本件特許発明の効果であると認定した誤り(原告ら主張の取消理由7)について 甲17〔審判乙1〕では,二つのグループは, 「同一試料の化学療法剤を同一の時期に行」った上で, 「それに加えて同時にトラスツズマブを毎週投与した」ことのみが異なっていたから,これらのグループ間に生じたpCRの劇的な差異は,化学療法剤の相違に起因するとは考えられない。 甲19〔審判乙3〕では, 「すべての患者が,同じ術前補助化学療法レジメンの静脈投与を受けた」ものであり,一方のグループのみが術前及び術後にトラスツズマブを投与されたことを除き,どちらのグループにも,全く同時期に全く同一の化学療法剤が投与された。したがって,全奏効率及び病理学的完全奏効(pCR)の改善,再発,進行及び死亡のリスクの低下だけでなく,無イベント生存率における劇的な向上は,術前治療,手術及び術後補助治療からなるレジメンへのトラスツズマブの投与に起因するものと考えることができる。 (6) 顕著な効果の有無の判断における当業者が予測し得た効果についての認定の誤り(原告ら主張の取消理由5)について 引用文献の臨床試験は,いずれも転移性がん患者に対して行われたものであり,手術可能乳がんの患者へのトラスツズマブの術前投与の臨床試験を示す文献は提出されていない。手術可能乳がんと転移性乳がんとは,がん組織の存在臓器さえも異なり,その治療方針,方法,目的がそれぞれ異なるから,当業者が,転移性乳がん患者の結果から手術可能乳がん患者の結果を無頓着に予測するであろう根拠はない。 ある療法が転移性乳がんの患者に対して有効である(甲1)としても,同じ療法が手術可能乳がんの患者に対して有効かどうかは明確ではないと広く理解されていた。 甲17〔審判乙1〕には, 「本試験目的は化学療法にトラスツズマブを追加することによるpCR率の20%改善を達成することであった。本試験の結果は,予測した以上に高いpCR率を示した。」との記載があり,試験の対照アーム(化学療法単独)は,同試験のデータモニター委員会により中止され,予測の範囲を超えた,トラスツズマブを含むアームの圧倒的な優位性に基づき,進行中の試験においてHER2陽性乳がんの全患者は,化学療法とトラスツズマブの術前投与を提供された。 このことは,結果が明確に予想外で,当業者が予測できる程度を超えた有益なものであったことを示している。甲19〔審判乙3〕に開示された結果についても同様である。 原告らは,全奏効率において153%の向上を示した旨の先行文献(甲1)の開示を踏まえると,本件特許発明1において,150%程度は治療効果が向上することを予測したはずであり,甲17,19〔審判乙1,3〕のpCRの改善は,当業者が予測した範囲のものであるなどと主張するが,全奏効率(ORR)と病理学的完全奏効(pCR)という異なる数値データ間で,直接比較を行うことは不可能である。 甲1記載の1年生存率と,甲19記載の3年生存率も,直接比較できない。 4 取消事由4(甲2を主引例とする進歩性判断の誤り)に対し 取消事由4に理由がないことは,前記3と同様である。 5 取消事由5(甲3を主引例とする進歩性判断の誤り)に対し 取消事由5に理由がないことは,前記3と同様である。 |
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当裁判所の判断
1 本件特許発明について (1) 本件訂正明細書(甲22,25)には,以下の記載がある。 ア 発明の分野【0001】・・・本発明は抗-ErbB2抗体による癌の治療に関する。 イ 発明の背景【0002】・・・成長因子及び成長因子レセプターをコードするプロトオンコジーンは,乳癌を含む,様々なヒトの悪性腫瘍の原因に重要な役割を担っていることが確認されている。表皮成長因子レセプター(EGFR)に関連した185kdの膜貫通糖タンパク質レセプター(p185 HER2)をコードするヒトerbB2遺伝子(HER2又はc-erbB-2としても知られている)は,ヒトの乳癌の約25%〜30%で過剰発現していることが見出されている(Slamon ら, Science 235:177-182[1987];Slamonら, Science 244:707-712[1989])。 【0003】 いくつかの証拠情報は,ErbB2を過剰発現する腫瘍の病原性及び臨床的病原力におけるErbB2の直接的な役割を支持している。非新生物細胞へErbB2を導入すると,その悪性形質転換を引き起こすことが示されている(Hudziak ら, Proc.Natl. Acad. Sci. USA 84:7159-7163[1987];DiFiore ら, Science 237:78-182[1897])。HER2を発現するトランスジェニックマウスには,乳房腫瘍が発生することが見出されている(Guy ら, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 89:10578-10582[1992])。 【0011】 組換えヒト化抗ErbB2モノクローナル抗体(rhuMAb HER2又はハーセプチン(HERCEPTIN R )と称されるマウス抗ErbB2抗体4D5のヒト化体)は,広範な抗癌治療を前に受けたErbB2過剰発現転移性乳癌を持つ患者において臨床的に活性であった(Baselga ら, J. Clin. Oncol. 14:737-744[1996])。 【0012】・・・rhuMab HER2は,高レベルのHER2を発現するBT-474ヒト乳腺癌細胞を注射したヌードマウスにおける乳癌異種移植片に対するパクリタキセル(タキソール(登録商標))とドキソルビシンの活性を高めることが示されている(Baselga ら, Breast Cancer, Proceeding of ASCO, vol.13, Abstract 53[1994])。 ウ 発明の概要【0013】・・・最初の側面では,本発明は,下記の段階を含んでなり,順次実行される,ErbB2タンパク質を発現する腫瘍に罹りやすい,又はErbB2タンパク質を発現する腫瘍と診断されたヒトの患者を治療する方法を提供する:(a)治療的有効量の抗-ErbB2抗体によって患者を治療する,及び,随意的に,更に治療的有効量の化学療法薬剤(例えば,パクリタキセル又はドキシタキセルのようなタキソイド)によって患者を治療することを含んでなる;(b)外科的に腫瘍を除去する;及び(c)患者を,治療的有効量の抗-ErbB2抗体及び/又は化学療法剤(例えば,パクリタキセル又はドキシタキセルのようなタキソイド)によって治療する。 【0014】 好ましくは,腫瘍はErbB2タンパク質を過剰発現し,乳腫瘍,扁平上皮細胞腫瘍,小細胞肺腫瘍,非小細胞肺腫瘍,胃腸腫瘍,膵臓腫瘍,神経膠芽細胞腫瘍,子宮頸腫瘍,卵巣腫瘍,肝臓腫瘍,膀胱腫瘍,肝細胞腫瘍,大腸腫瘍,結腸直腸腫瘍,子宮内膜腫瘍,唾液腺腫瘍,腎臓腫瘍,前立腺腫瘍,産卵口腫瘍,甲状腺腫瘍,肝腫瘍(hepatic carcinoma)及び様々な種類の頭部及び頸部の腫瘍から構成される群から選択される。 本発明は,更に,容器と,該容器内の組成物で,抗ErbB2抗体,及び組成物が上記の方法に記載の患者そのものを治療するために使用可能であることを示すパッケージ挿入物とを含んでなる製造品に関する。 エ 好ましい実施態様の詳細な説明 (ア) 定義【0015】・・・ 「HER2」「ErbB2」「c-Erb-B2」という用語には互換的に使用 , ,される。特にそうでないことを示さない限り,ここで使用される「ErbB2」, 「c-Erb-B2」 「HER2」 及び という用語は,ヒトタンパク質を指し, 「Her2」,「erbB2」及び「c-erb-B2」はヒト遺伝子を指す。ヒトerbB2遺伝子及びErbB2タンパク質は,例えば Semba ら, PNAS(USA)82:6497-6501(1985)及び Yamamoto ら, Nature 319:230-234(1986)(ジーンバンク受託番号 X03363)に記載されている。ErbB2は4つのドメインを有する(ドメイン1-4)。 【0043】 「治療的有効量」という用語は,哺乳類の疾病や疾患の治療のために有効な薬剤の量に相当する。癌の場合は,治療的有効量の薬剤は,癌細胞の数を減少させ;腫瘍の大きさを小さくし;癌細胞の周辺器官への浸潤を阻害(すなわち,ある程度に遅く,好ましくは止める)し;腫瘍の転移を阻害(すなわち,ある程度に遅く,好ましくは止める)し;腫瘍の成長をある程度阻害し;及び/又は疾患に関連する一つ或いはそれ以上の症状をある程度和らげることが可能である。ある程度,薬剤は,成長を妨げ及び/又は現存の癌細胞を殺すことが可能で,細胞分裂停止性及び/又は細胞障害性である。癌治療に対しては,効力は,例えば病状の進行時間(TTP)の評価,又は応答速度(RR)の決定及び/又は全生存を評価することにより測定される。 【0047】 ここで使用される場合の「成長阻害剤」とは,インビトロ又はインビボのいずれかにおいて,細胞,特にErbB2過剰発現癌細胞の成長を阻害する化合物又は組成物を指すものである。よって,成長阻害剤とは,S期におけるErbB2過剰発現細胞のパーセンテージを有意に低減させるものである。成長阻害剤の例には,細胞分裂周期の進行をブロックする薬剤(S期以外の場所において),例えばG1停止及びM期停止を誘発する薬剤が含まれる。伝統的なM期ブロッカーには,ビンカ(ビンクリスチン及びビンブラスチン),タキソール(登録商標),及びトポIIインヒビター,例えばドキソルビシン,エピルビシン,ダウノルビシン,エトポシド,及びブレオマイシンが含まれる。G1を停止させるこれらの薬剤,例えばDNAアルキル化剤,例えばタモキシフェン,プレドニソン,ダカーバジン,メクロレタミン,シスプラチン,メトトレキセート,5-フルオロウラシル,及びara-CがS期停止に溢流する。更なる情報は,Murakami らにより「細胞分裂周期の調節,オンコジーン,及び抗新生物薬(Cell cycle regulation, oncogene, and antineoplastic drugs)」と題された,癌の分子的基礎(The Molecular Basis of Cancer),Mendelsohn 及び Israel 編,第1章(WB Saunders;Philadelphia, 1995),特に13頁に見出すことができる。また,4D5抗体(及びその機能的等価物)も,この目的のために使用することができる。 【0052】 「パッケージ挿入物」という用語は効能,用法,用量,投与方法,禁忌及び/又はかかる治療製品の使用に関する警告についての情報を含む,治療製品の市販用パッケージに通常含まれるインストラクションを意味するために使用される。 (イ) 抗ErbB2抗体を用いた治療【0105】・・・ここにおける発明は,ErbB2タンパク質を発現している腫瘍に罹りやすい又はそのような腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための三段階の方法を提供する。一般的には,治療されるべき腫瘍は原発腫瘍である。第一段階では,治療的有効量の抗ErbB2抗体を,腫瘍の大きさを減じるため,又は腫瘍を除去するために,手術前に患者へ投与する。患者は,随意的に更に,手術前に一つ以上の化学治療剤で治療される。第二段階では,腫瘍を,標準的な手術法(例えば,乳腺腫瘤摘出又は乳房切除)によって除去する。手術に続き第三段階では,治療的有効量の抗ErbB2抗体,又は少なくとも一つの化学治療剤を,疾患の再発の可能性を減じるために患者へ投与する。一般的には,手術後に,抗ErbB2抗体は患者へ投与され,随意的にこの段階の治療において,一つ以上の化学的治療剤が患者へ投与される。 【0108】 アントラサイクリン誘導体以外の化学療法剤と抗ErbB2抗体を組合せる場合,化学療法剤は,好ましくはタキソイド,例えばパクリタキセル又はドキセタキセル(doxetaxel)である。組合せ投与には,別々の調製物又は単一の医薬製剤を使用する同時投与,及び好ましくは両方(又は全ての)活性剤が同時にその生物学的活性を働かせる時間がある,いずれかの順での連続投与が含まれる。このような化学療法剤の調製及び投与スケジュールは製造者のインストラクションに従い使用されるか,又は熟練した実務者により経験的に決定される。このような化学療法の調製及び投与スケジュールは,chemotherapy Service M.C.Perry 編, Williams &Wilkins, Baltimore,MD(1992)に記載されている。化学療法剤は抗体投与の前又は後に,又は投与と同時に与られる〔判決注・「与えられる」の誤記と認める。。また抗体は,抗-エストロ 〕ゲン化合物,例えばタモキシフェン又は抗プロゲステロン,例えばオナプリストン(onapristone)(欧州特許第616812号を参照)と,このような分子に対して既知の投薬量で組合せてもよい。 (ウ) 実施例1【0115】・・・抗ErbB2モノクローナル抗体 ErbB2の細胞外ドメインに特異的な抗ErbB2IgG 1 κ マウスモノクローナル抗体4D5を,Fendly ら,CancerResearch 50:1550-1558(1990)及び1997年10月14日に発行の米国特許5,677,171に記載されているようにして生産した。・・・【0116】 4D5抗体のヒト化体(ハーセプチン(HERCEPTIN(登録商標)))は,共通ヒト免疫グロブリンIgG1(IgG1)のフレームワークにマウス4D5抗体の相補性決定領域を挿入して設計した(Carter ら, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 89:4285-4289[1992];1998年 10 月 13 日発行の米国特許第 5,821,337 号)。得られたヒト化抗ErbB2モノクローナル抗体は,p185HER2に対し高い親和性を有し(Dillohiation 定数[Kd]=0.1nmol/L),インビトロ及びヒト異種移植片において,高レベルのp185HER2 を含む乳癌細胞の成長を顕著に阻害し,抗体依存性細胞障害活性(ADCC)を誘発し,広範な治療を前に受けたErbB2過剰発現転移性乳癌患者において,単一の薬剤としての臨床的に活性であることが見出された。 【0117】 ハーセプチン(登録商標)は,培地に抗体を分泌する,大規模に成長した遺伝子操作されたチャイニーズハムスター卵巣(CHO)株化細胞により生産される。抗体は標準的なクロマトグラフィーと濾過方法を使用して培地から精製される。この研究で使用される抗体の各ロットをアッセイし,同一性,純度及び効能,並びに滅菌性と安全性に関する食品医薬品局の要求を満たしていることを証明した。 ErbB2(HER2)オンコジーンの過剰発現(免疫組織化学又は蛍光インサイツハイブリダイゼーション(FISH)により測定して2+ないし3+)によって特徴付けられる原発性乳腫瘍の症状は,ここにおいて治療される。ErbB2の腫瘍発現は,先に記載されているようにして(Slamon ら, Sciemce 235:177-182[1987];Slamn ら,Science 244:707-712[1989]),患者のパラフィン保存腫瘍ブロックから調製された薄片を免疫組織化学分析することにより測定することができる。腫瘍細胞の少なくとも25%がErbB2に特徴的な膜染色を示す場合,腫瘍はErbB2を過剰発現すると考えられる。 【0118】 患者は,最初に,手術前に腫瘍の大きさを減じる又は腫瘍を除去するために,随意的にパクリタキセル(TAXOL(登録商標))との組合せで,8-24週間に渡ってHERCEPTIN(登録商標)によって治療される。0日には,90分以上の時間をかけて,4mg/kgのハーセプチン(登録商標)を静脈投与した。7日目に開始して,患者は90分以上の時間をかけて,2mg/kgの抗体(静脈内)の毎週の投与を受けた。患者は,更にパクリタキセル(TAXOL(登録商標))を投与されてもよい。ハーセプチン(登録商標)抗体の最初の投与は,化学療法の最初のサイクルを24時間先行する。抗体の初期投与が十分に許容された場合は,抗体の次の投与は化学療法投与の直前になされる。抗体の最初の投与が十分に許容されなかった場合は,化学療法剤投与より24時間前に次の注入を継続した。パクリタキセル(TAXOL(登録商標))を,静脈投与により3時間以上かけて175mg/m 2の投与量で与えた。パクリタキセルを受けた全ての患者には,パクリタキセルの投与12及び6時間前に経口的に20mgx2のデキサメタゾン(又はその等価物);パクリタキセルの投与30分前に静脈内に50mgのジフェンヒドラミン(又はその等価物),及びパクリタキセルの投与30分前に静脈内に300mgのジメチジン(又は他のH2プロッカー)を前投与した。上記の治療の後,応答の典型的な手段は,手術の直前に評価されてもよい;すなゎち〔判決注・「すなわち」の誤記と認める。〕観察下のすべての腫瘍小塊の交叉寸法直径の産物の合計である。 上記に記した治療に続き,腫瘍は,標準的な手術法によって除去される;乳腺腫瘤摘出又は乳房切除である。病理学的応答は,この段階で評価してもよい。 【0119】 手術後,患者は,疾患の再発の可能性を減じるために,随意的にパクリタキセル(TAXOL(登録商標))との組合せによりHERCEPTIN(登録商標)によって治療される。0日には,90分以上の時間をかけて,4mg/kgのハーセプチン(登録商標)を静脈投与した。7日目に開始して,患者は90分以上の時間をかけて,2mg/kgの抗体(静脈内)の毎週の投与を受けた。HERCEPTIN(登録商標)による治療は,一年間継続される。患者は,更にパクリタキセル(TAXOL(登録商標))を6-24週間投与されてもよい。ハーセプチン(登録商標)抗体の最初の投与は,化学療法の最初のサイクルを24時間先行する。抗体の初期投与が十分に許容された場合は,抗体の次の投与は化学療法投与の直前になされる。抗体の最初の投与が十分に許容されなかった場合は,化学療法剤投与より24時間前に次の注入を継続した。パクリタキセル(TAXOL(登録商標))を,静脈投与により3時間以上かけて175mg/m2の投与量で与えた。パクリタキセルを受けた全ての患者は,上記に記した前投与を受けた。 上記の治療方法に従って治療された患者は,全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。 (2) 前記(1)によると,本件特許発明について,次のとおり認めることができる。 ア 本件優先日前に,膜貫通糖タンパク質レセプター(p185HER2)をコードするヒトerbB2(HER2)遺伝子が,ヒトの乳がんの約25%〜30%で過剰発現していることが知られていた(【0002】。 ) このヒトerbB2(HER2)タンパク産物であるヒトErbB2(HER2)タンパク質に対するヒト化4D5抗ErbB2抗体(以下, 「抗HER2抗体」というが, 「トラスツズマブ」「Trastuzumab」「ハーセプチン」ということ , ,もある。)は,広範な抗がん治療を前に受けたErbB2(HER2)過剰発現転移性乳がんを持つ患者に対して有効であったこと 【0011】, ( ) 高レベルのHER2を発現するBT-474ヒト乳腺がん細胞を注射したヌードマウスにおける乳がん異種移植片に対するパクリタキセル(タキソール)とドキソルビシンの活性を高める作用を有すること(【0012】)が,当業者に知られていた。 イ 本件特許発明は,ErbB2(HER2)タンパク質が発現した乳腫瘍と診断されたヒトの患者を治療するための医薬に関するものであり,この医薬は,治療的有効量の抗HER2抗体を含み,次の(ア)〜(ウ)の三段階の治療で用いられることに技術的特徴を有するものである(【0013】【0105】。 , ) (ア) 第一段階 腫瘍の大きさを減じるため,又は腫瘍を除去するために,治療的有効量の抗HER2抗体が,手術前に患者へ投与される。随意的に更に,手術前に一つ以上の化学治療剤が投与される。 (イ) 第二段階 標準的な手術法(例えば,乳腺腫瘤摘出又は乳房切除)によって腫瘍が除去される。 (ウ) 第三段階 疾患の再発の可能性を減じるために治療的有効量の抗HER2抗体又は少なくとも一つの化学治療剤が患者に投与される。 ウ 本件訂正明細書の実施例には,抗HER2抗体の生産方法が記載され(【0115】,当該抗体が,インビトロ及びヒト異種移植片において,高レベルの )p185HER2を含む乳がん細胞の成長を顕著に阻害するほか,抗体依存性細胞障害活性(ADCC)を誘発し,広範な治療を前に受けたErbB2(HER2)過剰発現転移性乳がん患者において,単一の薬剤として臨床的に有効であることが記載されている(【0116】。 ) そして,抗HER2抗体を,随意的にパクリタキセル(TAXOL(登録商標))と組み合わせて手術前に患者に適用した効果を示すものとして,「上記の治療方法に従って治療された患者は,全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。」と記載されている(【0119】。 ) 2 本件優先日当時の技術常識について (1) 抗HER2抗体について ア 本件優先日前に頒布された刊行物である甲1(被告,米国で承認されたHERCEPTIN〔登録商標〕の添付文書,1998年〔平成10年〕9月25日)には,以下の記載がある(記載及び引用箇所は,訳文である丙7により示す。 引用箇所の行数は,表及びその説明を除いた行数である。 。 ) (ア) 表題「ハーセプチン(登録)トラスツズマブ」(1頁1行〜2行) (イ) 警告「心筋症:ハーセプチン投与により,心室機能不全及びうっ血性心不全が起こり得る。ハーセプチンの治療前及び治療中に,全ての患者の左心室機能を評価するべきである。ハーセプチン治療の中断は,臨床的に左心室機能の著しい低下が進んだ患者で積極的に考慮されるべきである。心不全の発症や重症度は,特に,アントラサイクリンやシクロホスファミドと組み合わせてハーセプチンを受けた患者で高かった。(警告を参照)(1頁4行〜9行) 」 (ウ) 記述「ハーセプチン(トラスツズマブ)は,細胞ベースアッセイにおいて高アフィニティー(Kd=5nM)で選択的にヒト上皮増殖因子受容体2蛋白(HER2)の細胞外領域に対し結合する,組換え型DNA由来ヒト化モノクローナル抗体である。 該抗体は,HER2に結合するマウス抗体(4D5)の相補性決定領域を有するヒトフレームワーク領域を含んだIgG1kappaである。(1頁11行〜15行) 」「ハーセプチンは,滅菌され,白淡黄色であり,静脈内(IV)投与用の保存剤無の凍結乾燥粉末である。ハーセプチンの各バイアルは,440mgのトラスツズマブ,9.9mgのL-ヒスチジン塩酸,6.4mgのL-ヒスチジン,400mgのα,α-トレハロース二水和物,および1.8mgのポリソルベート20,USPを含む。(1頁19行〜22行) 」 (エ) 臨床薬理-一般「HER2(またはc-erbB2)癌原遺伝子は,185kDaの膜貫通受容体タンパク質をコードし,構造的に上皮増殖因子と関連する。HER2蛋白過剰発現は,初期乳癌の25%-30%で観察される。HER2蛋白過剰発現は,固定した腫瘍ブロックの免疫組織化学に基づく評価により決定され得る。 トラスツズマブは,試験管内アッセイ及び動物内の両方において,HER2を過剰発現するヒト腫瘍細胞の増殖を阻害することが示されている。 トラスツズマブは,抗体依存性細胞障害(ADCC)のメディエーターとなる。試験管内では,ハーセプチン媒介のADCCが,HER2を過剰発現していない腫瘍細胞と比べて,HER2高発現腫瘍細胞上で,好適に発揮されることが示されている。(1頁27行〜2頁4行) 」 (オ) 臨床薬理-薬物動態「トラスツズマブの薬物動態は,転移性疾患を有する乳がん患者で検討された。週1回10〜500mgの短持続期間の静脈注入により,投与量依存的な薬物動態が証明された。(2頁6行〜7行) 」「パクリタキセルと組み合わせて投与したときに,トラスツズマブの平均血清トラフ濃度は,アントラサイクリン+シクロホスファミドと組み合わせてトラスツズマブを用いたときの血清濃度と比較して,約1.5倍に一貫して上昇した。(2頁2 」5行〜27行) (カ) 臨床試験「HERCEPTINの安全性及び有効性を,ランダム化された対照臨床試験において,化学療法と組み合わせた臨床試験(469患者)及びオープンラベルの単剤臨床試験(222患者)で調査した。両臨床試験では,HER2蛋白を過剰発現する腫瘍を有する転移性乳癌患者で調査した。患者の適格性は,中央試験研究室で実施された免疫組織化学評価により, (0〜3+のスケールに基づいた)2+又は3+の過剰発現のレベルであったかにより判断した。 過去に転移性疾患の化学療法治療を受けていない転移性乳癌患者469人で,多施設,ランダム化の対照臨床試験を実施した。患者は,化学療法を単独で受けるか,又は化学療法と共に静脈内にハーセプチンを4mg/kgのローディング投与量で投与して毎週2mg/kgでハーセプチンの投与を受けるかを,ランダム化して選ばれた。以前に補助療法でアントラサイクリン治療を受けた患者については,化学療法にパクリタキセルを含め(21日ごとを少なくとも6サイクルで,各3時間以上で175mg/m2) ;他の患者については,化学療法にアントラサイクリンにプラスしてシクロホスファミドを含めた(AC:21日ごとを6サイクルで,ドキソルビシン60mg/m 2 又はエピルビシン75mg/m 2 にプラスして600mg/m2シクロホスファミド)」 。(2頁33行〜3頁10行)「ランダムに化学療法単独に選ばれた患者と比較すると,ランダムにHERCEPTIN及び化学療法に選ばれた患者は,病勢進行の期間が著しく長期化し,全奏効率(ORR)が全体に向上し,反応期間の中央値が長期化し,そして,1年間の生存率が高まることを経験した(表1を参照)。これらの治療効果は,HERCEPTINにプラスしてパクリタキセルを受けた患者及びHERCEPTINにプラスしてACを受けた患者の両方において観察されたが,パクリタキセルサブグループにおける効果は,より高かった。HER2過剰発現の程度は,治療効果の予測となった(臨床試験:HER2蛋白過剰発現を参照)」 。(3頁14行〜20行)「HER2蛋白高発現応答との関係:記載した臨床試験においては,患者適格性は,腫瘍試料のHER2蛋白の高発現を試験することにより決定した。試料は,研究使用用の免疫組織アッセイで試験し(臨床試験アッセイCTAを参照),3+が強陽性を示すもので,0,1+,2+,または3+でスコア化した。2+または3+陽性腫瘍を有する患者のみが,適格であった(約33%がスクリーンされた)。両有効性試験のデータから,有利な治療効果が,主に,HER2蛋白過剰発現(3+)の高いレベルの患者に限定されることが示唆されている(表2を参照)」 。(4頁10行〜16行) (キ) 適応症と用法「単剤としてのハーセプチンは,HER2蛋白を過剰発現する腫瘍の転移性乳癌の患者,及び転移性疾患の1種または複数の化学療法の処方計画を受けた患者に適応される。パクリタキセルと組み合わせたハーセプチンは,HER2蛋白を過剰発現する腫瘍の転移性乳癌の患者,及び転移性疾患の化学療法を受けていない患者に適応される。ハーセプチンは,腫瘍がHER2蛋白を過剰発現している患者にのみに用いられるべきである」(5頁16行〜20行) (ク) 警告「心毒性:・・・ハーセプチンを受ける患者は,心不全悪化を頻繁にモニタリングを受けるべきである。 アントラサイクリンと同時にハーセプチンを受けた患者において,心不全の可能性が最も高くなった。・・・」(6頁1行〜15行) (ケ) 供給方法「ハーセプチンは,凍結乾燥され,真空の小ビンあたり440mgのトラスツズマブを含む無菌粉末である。(11頁25行〜26行) 」 イ 本件優先日前に頒布された刊行物である甲2(Vincente Valero,“FutureDirection of Neoadjuvant Therapy for Breast Cancer”,Seminars in Oncology Vol 25 No2 Suppl 3 pp 36-41,1998年〔平成10年〕4月)には,以下の記載がある(記載及び引用箇所は,甲2添付の訳文〔全訳〕により示す。。 ) (ア) 表題「乳がんのための術前補助療法の将来的方向」(1頁1行) (イ) 頭書「一次化学療法または術前補助化学療法または術前化学療法は,限定的な局所領域治療の前に施される,乳がんを伴う患者のための化学療法からなる。このアプローチの1つの主要な利点は,特定の化学療法剤またはレジメンに対する生体内の応答を判定することで有効な術後療法が選択され得るという可能性があることである。 このアプローチは,局所進行乳がん(LABC)を伴う患者において当初導入され,ここ20年にわたりLABCの治療を劇的に変えてきた。一次化学療法は,LABCの集学的治療において不可欠な部分となり,これらの患者のために無病生存率を増加させ,全生存を延長し,乳房保存外科手術を可能にした。一次化学療法の主な目的は,遠隔微小転移を排除することである。加えて,それは,手術不能腫瘍を伴うそれらの患者における局所治療として使用され,局所領域制御を改善する。(1 」頁13行〜22行) (ウ) 集学的治療「1970年代初期に,遠隔微小転移を発生させるという早期乳がんの高い傾向が認識された。この知識およびLABC患者の予後が不良であることに基づいて,全身併用化学療法が,これらの患者における一次治療として導入された。腫瘍の血管系は外科手術または放射線治療によって未変であるので,全身治療の早期着手は有利であり,耐性クローンは,生じる機会をほとんど有さないはずである。さらに,癌専門医は,生体内における全身治療の効力を判定する機会を有する。全身治療が有効でないならば,癌専門医は非有効な治療を中断し,不必要な毒性を回避し,全身治療の代替形態を開始することができる。さらに,腫瘍のステージが下がることは,乳房保存外科手術を可能にし,手術不能の腫瘍を手術可能にすることができる。」(2頁2行〜10行)「近年まで,全身治療(一次対補助)のタイミングが手術可能な乳がんを伴う患者におけるベネフィットとリスクの比を変えるかどうかは不明であった。しかしながら,一次化学療法は術後化学療法(無病生存および全生存)と同じく有効であるが,より高い乳房保存率に至ることを,大規模な無作為化臨床試験が実証した。一次化学療法後,原発腫瘍は,完全に消失するかまたはサイズが減少するかもしれない。」(2頁25行〜29行) (エ) 新たな戦略「LABCを含めて,高いリスクの乳がんを伴う患者の生存を改善するための研究方向の1つは,造血支援の有無における一次化学療法または術後化学療法の用量の増大である。(2頁41行〜42行) 」 (オ) 新たな化学療法剤「タキサンのパクリタキセルおよびドセタキセルは,可逆的およびチューブリンのβ-サブユニットに特異的に結合する新規の抗微小管剤である。それらは独特の細胞作用機序;安定な微小管の束へのチューブリン重合の促進およびチューブリン脱重合の阻害を有する。これらの作用は,有糸分裂および他の重要な細胞機能に必要とされる微小管の骨格/ネットワークの再構築を妨害する。タキサンは,細胞周期のG2/M期において,細胞をブロックする。(3頁28行〜33行) 」「パクリタキセルは,アントラサイクリン耐性腫瘍を伴う患者においてさえ,転移性乳がんに対する著しい抗腫瘍活性効力を実証した。単一薬剤としてのパクリタキセルは,事前治療された患者において6%から48%,および一次治療として32%から62%の客観的奏効率を生み出した。最適なパクリタキセルのスケジュール期間および用量は,まだ不明である。 ・・・パクリタキセルをシクロホスファミド,メトトレキサート,5-フルオロウラシルおよびプレドニゾンと比較するフェーズVの試験の予備的結果は,同様の客観的奏効率および全生存の中央値を実証したが,より良好な生活の質のスコアを示した。 パクリタキセルを組み込む併用化学療法の予備的結果は,非常に有望と思われる。 ・・・フェーズUの試験は,パクリタキセルをシクロホスファミド,ミトキサントロン,カルボプラチン,ビノレルビンおよびシスプラチンと組み合わせている。 予備的結果は,それらが相加効果を示唆するように,非常に奨励的である。(3頁 」35行〜4頁12行)「無細胞毒性前駆体10-デアセチルバッカチンIIIから調製される半合成化合物ドセタキセルは,パクリタキセルを超えるいくつかの利点を有する。多くの腫瘍モデルにおいて,ドセタキセルは,著しい前臨床活性を実証しており,シスプラチン,シクロホスファミドおよびドキソルビシンと同様にパクリタキセルよりも大きい細胞毒性活性を示している。・・・・・・2つの無作為化の国際多施設フェーズVの試験が,ドセタキセルを確立された薬剤(ドキソルビシンおよびマイトマイシン-Cプラスビンブラスチン)と比較することによって上記の有望な結果を確認するように設計された。最終の研究結果は非常に奨励的である:ドセタキセルは,ドキソルビシンよりも有意に高い客観的奏効率(48%v33%;P=.008)および第1の応答への有意に,より急速な時間(12週v23週:P=.007)を生み出した。ドセタキセルは,マイトマイシンおよびビンブラスチンとの比較試験において,有意により高い客観的奏効率(30%v12%:P=.0001),進行への有意に,より長い時間(19週v11週;P=.001) および有意に, , より長い生存の中央値(11.4か月v8.7か月:P=.0097)も生み出した。ドセタキセルを組み込む併用化学療法の予備的結果も非常に有望と思われる。ドセタキセル・ドキソルビシンの併用は,心毒性発生がより高くなることなく,著しい活性を示した。 早期乳がんおよびLABCを伴う患者における,単一薬剤としておよび併用の両方でのドセタキセルの役割は,現在,いくつかの研究において決定されつつある。 最初の術前補助研究の予備的結果が近年示された。LABCの患者は,初めにドセタキセル(100mg/m2)を4サイクル受け,そして手術を受け,そしてドキソルビシン(60mg/m2)及びシクロホスファミド(600mg/m2)を4サイクル受けた。臨床的客観的奏効率は83%であった。テキサス州立大学MDアンダーソンがんセンターで行われた別の研究において,術前補助化学療法の患者は,初めにドキソルビシン(15分にわたって60mg/m 2)及びドセタキセル(1時間にわたって600mg/m2)を4サイクル受け,そして手術を受け,そしてシクロホスファミド,メトトレキサート及び5-フルオロウラシルを6サイクル受けた。・・・」(4頁22行〜5頁9行) (カ) 生物学的-遺伝学的な新たな治療「細胞の分子生物学の良好な理解により,治療のための新規標的が同定されるに至っている。これらの中には,成長因子や成長因子受容体がある。正常遺伝子の増幅,正常遺伝子の過剰活性(例えば,過剰発現)又は癌遺伝子の活性に起因して,成長因子又は成長因子受容体の過剰産生となりうる。成長因子受容体がインタクト(intact)でない限り,成長因子は細胞分裂を刺激できないため,これらの受容体が,治療の新たな標的となった。アプローチの1つとしては,受容体をブロックする抗体を作出することである。乳がんにおいて,しばしば過剰発現される成長因子受容体としては,上皮成長因子受容体やHER-2/neu癌遺伝子がある。HER-2/neu受容体に対するモノクローナル抗体の臨床試験の有望な結果が,最近発表された。フェーズUの試験において,ステージWの乳がんでありHER-2/neuの発現が陽性である46名の患者が,静脈内にHER-2/neu抗体を90分にわたって250mg処置され,後に10週間100mg/週で処置された。目的の奏効率は,12%であり,治療は良好に許容的であった。進行中の研究では,組換えヒトHER2モノクローナル抗体を,ドキソルビシン,シスプラチン,およびパクリタキセルなどの他の薬剤と組み合わせており,そして,フェーズVの無作為化試験では,転移性疾患のための第一選択治療として,組換えヒトHER2モノクローナル抗体を伴うかまたは伴わない,ドキソルビシンおよびシクロホスファミドを対象としている。一次化学療法と組み合わせたこれらの新たな戦略の役割は,早期乳がんの患者で評価されるべきものである。(6頁2行〜19行) 」 (キ) 結論「要約すると,集学的治療は,LABCを伴う患者のために選択される治療になってきており,早期乳がん(ステージU)を伴う患者の治療の不可欠な部分になりつつある。集学的治療は,LABCを伴う患者において,適切な局所制御,乳房保存治療の可能性,および生存率の増加を提供する。それは,早期乳がんを伴う患者において補助治療についての生存率と同様の生存率も生み出す。いくつかの課題が現時点で依然として未解決である。我々は,当該疾患の攻撃性を判定するための,より良好な生物学的マーカーを開発する必要がある。最適な化学療法レジメンは未だ定義されていないが,現在までの情報は,最善の結果が,ドキソルビシンを含むレジメンで得られることを示唆している。ホルモン治療の役割は定義されていない;そのため,集学的治療にホルモン治療を加える価値を確立するように設計された臨床試験が必要である。一次化学療法後に最適な治療順序は何であるべきか,1つもしくは2つの局所処置モダリティが必要であるかどうか,または任意のもしくは異なる術後化学療法も必要とされるかどうかは,不明である。最適な局所治療(または複数の局所治療)および併用全身治療を用いる最適な順序決定が定義される必要がある。導入化学療法に対する応答に基づく術後化学療法の選択を含めて,これらの戦略を追加的に改良することによって,このグループの患者における転帰をさらに改善することができる。 一次化学療法の効果を強化するための治療としての高用量化学療法の役割は,一次化学療法後の再発の高いリスクを伴う患者(4つを超える転移性腋窩リンパ節を伴う患者)において評価されつつある。ドセタキセル,パクリタキセル,およびビノレルビンなど,複数の新しく有効な細胞傷害剤を伴う臨床試験は,まだ始まりつつあるところである。特異的な腫瘍抗原,がん遺伝子,成長因子,または成長因子受容体に対するモノクローナル抗体は,革新的で潜在的により選択的な処置の可能性を開いている。次の10年間における臨床研究では,局所進行乳がんを伴う患者の全体的な管理におけるこれらの新たなモダリティーの役割が確立されるであろう。(6頁21行〜7頁1行) 」 ウ 本件 優 先 日 前に 頒 布 され た 刊 行 物で あ る 甲3 ( EDITH A.PEREZ ,“Paclitaxel in Breast Cancer”,The Oncologist 1998; 3: pp 373-389,1998年〔平成10年〕)には,以下の記載がある(記載及び引用箇所は,甲3添付の訳文及び訳文である丙6の2により示す。。 ) (ア) 抄録「パクリタキセルは乳がん治療において重要な薬剤として現れてきた。この薬剤の有効性及び認容性に加え,アントラサイクリンとの交差耐性がないことは,世界中での多くの臨床研究に拍車をかけた。・・・毎週の中容量のパクリタキセル投与も,比較的高い投与強度及び投与密度だが非常に控えめな骨髄抑制及び管理可能な神経毒性が見られるにとどまることに照らして,大きな関心を生み出している。 転移性疾患の第一選択治療として,複数の試験が30%〜60%の範囲にある全奏効率を記録している。転移した患者における第二選択又は救援療法として,アントラサイクリン耐性患者においても,パクリタキセルは概して20〜40%の全奏効率を与えた。 パクリタキセルの新しい作用機序及び管理可能な毒性は,組み合わせ化学療法への追加の成功につながった。パクリタキセルとドキソルビシンの組み合わせが最も深く研究されており,この投与計画の役割は発展し続けている。転移性処置の第一選択として,実質的な有望性があると考えられている他の組み合わせ処方としては,カルボプラチンとパクリタキセルとの組み合わせ及びトラスツズマブ(抗HER2抗体)とパクリタキセルとの組み合わせがある。転移性状況で得られた良好な結果から,術後補助状況下や術前状況下での,パクリタキセルのフェーズU研究やフェーズV研究が促されている。・・・ 現在のパクリタキセルの研究は,奏効率だけでなく生存及び生活の質の問題にも触れながら,初期及び進行期における乳がんの治療におけるこの薬剤の役割を引き続き最適化するだろう。毎週スケジュールでの又は新しい治療モダリティ,例えばモノクローナル抗体,と組み合わせてのパクリタキセルの使用もまた大きな注目を受けている。パクリタキセルが乳がんの治療において非常に活性のある薬剤であることは明確であるが,これらの先進的な知見が乳がん患者におけるこの薬剤の潜在性をさらに最大化するであろうことが期待される。(丙6の2・1頁2行〜2頁1 」行) (イ) はじめに「パクリタキセルの役割は,第一選択治療,第二選択治療,及び救援治療までに広がる転移性疾患における状況下だけでなく,術後補助及び術前補助治療においても研究されている。(丙6の2・2頁4行〜6行) 」 (ウ) 転移性乳がん-単剤療法「転移性乳がん患者における化学療法は緩和的なものにとどまっており,新しい薬剤の評価においては応答と認容性の双方が重要な考慮事項となる。パクリタキセルは,許容可能な毒性プロファイルを有しながら,比較的高い奏効率を達成することが示されてきた。(丙6の2・2頁13行〜16行) 」 (エ) 転移性乳がん-組み合わせ化学療法「組み合わせ化学療法は乳がん治療における標準的なアプローチである。複数の薬剤を用いる投与計画は,概して高い完全奏効率及び全奏効率を得ており,応答期間も改善している。パクリタキセルの新しい作用機序,単剤投与で示された活性,及びその管理可能な毒性プロファイルは,組み合わせ化学療法の投与計画に含める候補としてパクリタキセルを魅力的なものとしてきた。(丙6の2・2頁20行〜2 」4行) (オ) 転移性乳がん-組み合わせ化学療法/モノクローナル抗体療法「パクリタキセル及び抗HER2抗体 近年多大な注目を集めた試験は,HER2受容体を過剰発現させる転移性乳がん患者を伴う患者における,抗HER2抗体であるトラスツズマブ(Herceptin(登録商標))の,化学療法との組み合わせである。この多国でのフェーズU比較試験において,患者はドキソルビシン60mg/m2若しくはエピルビシン75mg/m2とシクロホスファミド600mg/m2の組み合わせで,又は既に補助アントラサイクリン療法を受けている場合には3時間注入のパクリタキセル175mg/m2で,治療された。 各群内の患者を層別化して,化学療法に加えて抗HER2抗体療法も施した。合計469例の患者を登録した。抗HER2抗体を伴う全ての化学療法の全寛解率は48%であり,進行までの中央値時間は7.6か月間であり,抗体を伴わない化学療法(全寛解は32%であり,進行までの中央値時間は4.6か月間であり,p=0.001である)より高値であった。とりわけ,パクリタキセルでは,抗体を伴う場合の全寛解率は42%であり,進行までの時間は6.9か月間であり,パクリタキセル単独(全寛解率が16%であり(p=0.001),進行までの中央値時間が3か月間である(p=0.0001))より統計的に高値であった。(丙6の2・ 」2頁29行〜3頁11行)「化学免疫療法を抗HER2抗体と共時的に投与する将来的研究では,パクリタキセルベースの治療に焦点を置くことが示唆された。現在では,局所進行乳癌を伴う患者のためのパクリタキセル及び抗HER2抗体についての臨床試験のほか,デキスラゾキサン及び抗HER2抗体を伴うドキソルビシン/シクロホスファミドについての試験も進展している。これらの薬剤とともに,カルボプラチンのような他の薬剤と組み合わせた組み合わせ抗体療法も,妥当であろう。乳がんにおいては,化学療法/抗体の試験の評価が今後数年間の優先事項になるだろうことは明らかである。(訳文・1頁20行〜21行,丙6の2・3頁13行〜18行) 」 (カ) 補助療法におけるパクリタキセル「乳がん患者の多くは乳房に限定された疾患を持つが,多くが引き続いて再燃し,最終的に転移性疾患を負うこととなる。したがって,補助化学療法の主要な目標は,最初の診断時に存在しそうである微小転移疾患を排除することである。乳がんにおける補助療法の重要性は1970年代から広く受け入れられてきた。この見解を支持するさらなるエビデンスが,ランダム化試験からの10年間追跡結果についての1992年の全世界メタアナリシスであり,これは補助化学療法を受けた患者の無病及び全生存率の有意な改善を明らかにした。(丙6の2・3頁21行〜27行) 」「術前補助療法の臨床試験 転移性状況や術後補助状況で成功することが分かっている新規の化学療法戦略はまた,術前処置においても潜在的に適用されうる。術前補助療法は,原発性腫瘍のサイズを縮減することにより,患者がより控えめな手術を受けるか,なおまたは,他の戦略では手術不可能な患者を手術可能とすることを可能としうる。また,治療は,局所再発及び遠くでの再発に影響する。術前補助パクリタキセル治療はいくつもの臨床試験において研究されている(表5)」 。(丙6の2・4頁18行〜24行)「術前補助パクリタキセルの,オーストラリアでの多拠点オープンラベル容量増強フェーズU試験が完了した。250mg/m2のパクリタキセルで少なくとも4サイクルまたは最良の応答まで治療され,おって手術を受けた患者において,61%の全奏効率が観察された。術前補助パクリタキセルは,33人の被験者のうち,23人の患者において非定型的根治的乳房切除術を行うことを可能とし,8人の患者において部分切除を可能とした。当初T3疾患を有していた9人の患者のうち3人について,ステージの低下が見られた。(丙6の2・4頁26行〜32行) 」 (キ) 結論「パクリタキセルの固有の作用機構およびその比較的良好に許容される毒性プロファイルにより,パクリタキセルは,乳がんにおける他の活性薬剤との組合せ療法のための候補物質となっている。(訳文・2頁10行〜11行) 」「最後に,パクリタキセルの抗HER2抗体療法への付加は,この組合せの奏効および許容性に対する多大な関心を結果としてもたらした。この試験は,進行乳がんにおける,従来の化学療法との組合せ抗体療法の有効性の改善を裏付けるだけでなく,新たに切望される抗がん剤のクラスの到来の先駆けともなっている。この領域では,今後の数年間において,多大な活動が期待されている。(訳文2頁13行〜 」17行) エ 本件優先日前に頒布された刊行物である丙2(安藤正志・渡辺亨「HER2/neuの治療への応用」 『血液・免疫・腫瘍 Vol.4 No.2』65頁〜70頁,1999年〔平成11年〕4月)には,以下の記載がある(引用箇所の行数は,表及びその説明を除いた行数である。 。 ) (ア) Key Sentences「@HER2蛋白は細胞内部分にチロシンキナーゼ活性をもち,細胞増殖調節に関わっており,約25〜30%の乳癌に過剰発現が認められる。HER2蛋白の抗体によってHRE2〔判決注・「HER2」の誤記と認める。〕蛋白過剰発現の乳癌細胞の増殖が抑制される。 ATrastuzumab は,HER2蛋白の細胞外構成主要成分に対するマウス抗体の抗原認識部位とヒトIgG1を遺伝子組み換えにより組み合わせたものであり,乳癌治療薬として臨床導入が積極的に図られている。 B前治療歴を有するHER2蛋白過剰発現の転移性乳癌に対する Trastuzumab の奏効率は11〜15%程度で,初回治療として行った場合は20%程度であった。 C H E R 2 蛋 白 過 剰 発 現 の 転 移 性 乳 癌 に 対 し て adriamycin や paclitaxel とTrastuzumab との併用は,抗癌剤単独と比較して無増悪期間,奏効率,1年生存率はいずれも優れていた。 DTrastuzumab 投与に伴う有害事象の主なものは疼痛,全身倦怠感,発熱,悪寒,悪心,頭痛,下痢,食欲不振で,抗癌剤との併用(特に adriamycin)では心機能低下発現の増強が認められた。(65頁) 」 (イ) はじめに「癌遺伝子HER2/neuは,細胞膜表面受容体構造をもつ185kDaの蛋白質をコードする。HER2蛋白は細胞内部分にチロシンキナーゼ活性をもち,細胞増殖調節に関わっている。約25〜30%の乳癌はHER2/neuの増幅とHER2蛋白の過剰発現が認められる。最近では腫瘍組織の固定標本を免疫組織学的に染色することによって過剰発現の検出が容易となった。in vitro や xenograft を用いた実験系で,HER2蛋白に対するモノクローナル抗体によってその蛋白が過剰発現している乳癌細胞の増殖が抑制されると報告されている。また,この抗体は生体内 で H E R 2 蛋 白 過 剰 発 現 の 腫 瘍 細 胞 に 対 し て antibody-dependent cellularcytotoxicity を示す。腫瘍細胞の増殖抑制を期待して,この抗体の治療への応用が検討された。Herceptin?(Trastuzumab)は米国の Genentech 社にて開発されたモノクローナル抗体であり,HER2蛋白の細胞外構成主要成分に対するマウスの抗体である4D5の抗原認識部位とヒトIgG1を遺伝子組み換えにより組み合わせたものである。ヒト化することによって抗体自身の抗原性が低くなり,乳癌治療薬として臨床導入が積極的に図られている。(65頁左欄2行〜66頁左欄3行) 」 (ウ) 乳癌に対する単剤の臨床試験「化学療法施行後症例を対象とした試験の奏効率と比較すると,Trastuzumab は抗癌剤との交差耐性のないことが示唆される。(66頁右欄29行〜31行) 」 (エ) Trastuzumab と抗癌剤の併用療法「In vitro では,HER2蛋白を過剰発現している腫瘍細胞に対して抗HER2抗体と抗癌剤(adriamycin,paclitaxel や cisplatin など)を併用することにより抗腫瘍効果が増強されることが示されている。これらの結果を踏まえ抗癌剤との併用療法の臨床試験が施行された。未治療のHER2蛋白過剰発現転移性乳癌を対象に,術後補助療法で adriamycin 未施行例には,AC療法(adriamycin 60mg/m 2 またはepirubicin 75mg/m2/cyclophosphamide 600mg/m 2を1日目投与)を3週間間隔で6コース施行し,術後補助療法として adriamycin 施行例には paclitaxel 175mg/m2/3時間点滴を3週間間隔で6コース投与した。さらに各治療群のなかで,化学療法と同時に Trastuzumab(loading dose 4mg/kg,維持量2mg/kgを毎週投与)を受ける群と化学療法単独群に無作為化した(表1)。paclitaxelを受けた群はAC療法群と比較して予後不良因子をもつものが多かった。併用群は化学療法単独群と比較して無増悪期間,奏効率,1年生存率はいずれも優れていた。 特に,paclitaxel を施行された群で併用の効果が著明であった。 cisplatin との併用の第U相試験では,化学療法抵抗性のHER2/neu蛋白過剰発現の転移性乳癌を対象に,Trastuzumab を loading dose 250mg/body(day1) 維持量100mg/bodyを毎週9回投与し, , cisplatin 75mg/m2を day1,29,57に併用投与した。37症例中奏効率はPR24.3%,奏効期間中央値は5.3か月であった。化学療法抵抗性乳癌に対する cisplatin の奏効率は7%程度であり,抗HER2抗体との併用による抗腫瘍効果の増強が示唆されている。」(66頁右欄33行〜67頁右欄6行) (オ) HER2蛋白発現の程度と抗体の抗腫瘍効果の関係「抗HER2抗体による臨床試験では,eligibility を決定する際のHER2蛋白過剰発現の有無は腫瘍組織の免疫組織学的染色によって判断されている。染色の程度を0,1+,2+,3+の4段階に分け,このうち2+と3+を過剰発現と判断している。前述の Trastuzumab 単剤の第U相試験と抗癌剤との併用の試験において,HER2蛋白過剰発現の程度と抗腫瘍効果の関係が検討された(表2)。 これらの結果によれば,単剤投与と抗癌剤との併用においていずれもHER2蛋白をより強く発現している症例の方が抗腫瘍効果,無増悪期間ともに優れている傾向にあった。(67頁右欄9行〜69頁左欄3行) 」 (カ) Trastuzumab 投与に伴う有害事象について「Trastuzumab 投与に伴い認められた有害事象のなかで,問題となったものは心毒性であった。うっ血性心不全にて発症し,Trastuzumab 単剤の第U相試験では,212例中10例が治療前より心拍出量が10%以上低下した。そのうち8例が呼吸困難などの症状を有しており,4例が死亡した。また,8例は Trastuzumab の投与を継続した。抗癌剤の併用試験においては,Trastuzumab と抗癌剤を併用した群に心機能低下が多くみられた(表3)。Seidman らは,過去の Trastuzumab の臨床試験で認められた心機能低下症例について検討した。治療前より心拍出量が10%以上低下した症例は977例中89例で,AC療法との併用で頻度が高かった。その臨床像は anthracycline 系抗癌剤投与後に発症した心機能低下に類似していた。一般的な心不全に対する治療に反応し,そのうち重篤な心不全が持続または死亡した症例は2%以下であった。また,心機能低下を示した症例の80%が Trastuzumab の投与を継続した。現在のところ,心機能低下を引き起こす機序は不明である。(69頁 」左欄29行〜右欄12行) オ 前記ア〜エによると,当業者は,本件優先日(平成11年5月14日)当時,抗HER2抗体について,次のとおりの技術常識を有していたものと認められる。 (ア) 抗HER2抗体であるトラスツズマブを活性成分とする医薬製剤であるハーセプチンは,1998年〔平成10年〕9月25日,米国で承認された(甲7)。 ハーセプチンの適応症は,HER2蛋白を過剰発現する腫瘍の転移性乳がんの患者及び転移性疾患の1種又は複数の化学療法の処方計画を受けた患者とされ,手術可能乳がんの患者は含まれていなかった(前記ア(キ))。 (イ) HER2蛋白は,細胞増殖調節に関わっており,その過剰発現は,初期乳がんの25%〜30%で観察される(前記ア(エ),エ(ア)(イ))。 抗HER2抗体は,HER2蛋白の細胞外領域に対し結合することにより,HER2蛋白を過剰発現する乳がん細胞の増殖を抑制するとともに,生体内で抗体依存性細胞障害(ADCC:antibody-dependent cellular cytotoxicity)を示す(前記ア(エ),エ(ア)(イ))。抗体依存性細胞障害とは,抗体が結合した標的細胞を免疫細胞が殺傷する作用をいう(丙8)。 (ウ) HER2蛋白を過剰発現する腫瘍を有する転移性乳がん患者に対し,抗HER2抗体を化学療法剤(@パクリタキセル,Aアントラサイクリン〔ドキソルビシン(アドリアマイシン〔丙3〕 又はエピルビシン〕 ) 及びシクロホスファミド,Bシスプラチン)と併用投与すると,その化学療法剤を単独投与された患者に比べて,病勢進行の期間(無増悪期間)が長期化し,全奏効率(ORR)が向上し,反応期間の中央値が長期化し,1年間の生存率が高まるなど,抗腫瘍効果が増強されることが観察された(前記ア(カ),ウ(オ),エ(ア)(エ)) 特にパクリタキセルにおいては, 。 抗HER2抗体の併用の効果が著明であった(前記ア(カ),ウ(オ),エ(エ))。 (エ) 抗HER2抗体の臨床試験では,単剤投与においても,化学療法剤との併用投与においても,HER2蛋白をより強く発現している症例の方が抗腫瘍効果,無増悪期間ともに優れている傾向にあった(前記ア(カ),エ(オ))。ハーセプチンは,その用法として,腫瘍がHER2蛋白を過剰発現している患者のみに用いられるべきものとされている(前記ア(キ))。 (オ) 抗HER2抗体投与に伴う有害事象としては,心毒性があり,投与により,心室機能不全及びうっ血性心不全が起こり得る。化学療法剤と併用投与した患者に心機能低下が多く見られ,アントラサイクリン(アドリアマイシン又はエピルビシン)及びシクロホスファミドとの併用で頻度が高かった。一般的な心不全に対する治療に反応し,重篤な心不全が持続又は死亡した症例は2%以下であった。 (前記ア(イ)(ク),エ(ア)(カ)) (2) 手術可能乳がんの治療法について ア 本件優先日前に頒布された刊行物である甲14(小林直ほか「Neoadjuvant Chemotherapy」『乳癌の臨床』8巻2号181頁〜197頁,1993年〔平成5年〕6月)には,以下の記載がある(引用箇所の行数は,表及びその説明を除いた行数である。 。 ) (ア) はじめに「neoadjuvant chemotherapy(NACT)という用語は,新しい治療戦略として1982年に Frei が命名したものであるが,それ以前に小児腫瘍における整形外科領域や頭頸部腫瘍に対して,この治療戦略は開始されていた。NACTとは,原発性固形腫瘍に対する局所療法(外科療法,放射線療法)に先行して施行される化学療法を意味し,実際には集学的治療の一環として行われ,局所療法後に術後補助療法(adjuvant chemotherapy:ACT)が引き続き行われることが多い。・・・・・・固形腫瘍においては,いわゆる根治的局所療法がなされた場合,潜在的な残存腫瘍細胞数が宿主制御力の限界内(10 3-4細胞以下)にまで減少すれば治癒が可能であり,宿主制御力の限界以上(103-4-108-9細胞)の腫瘍細胞が残存する場合には,やがて再発に至ると考えられている。その際,再発様式より,遠隔転移としての再発が多ければ,その腫瘍は局所療法施行の時点で既に微小遠隔転移巣を有する可能性の高い腫瘍系,すなわち全身病的性格の強い腫瘍系と考えられ,治癒的治療効果を期待するならば,局所療法に加えて,化学療法をはじめとする効果的な全身的薬物療法による残存腫瘍細胞の除去が必須となる。 一方,乳癌の治療が局所療法後に,再発により失敗に帰する場合の多くは,遠隔転移巣からの再発によるものである。 ・・・再発例中に占める遠隔転移のみを初再発部位とする症例の割合は63〜83%,局所同時再発をも含めると,約70〜80%に達し,これらの報告された年代を考えると,診断技術の進歩により初再発部位が遠隔転移である症例の比率はさらに高まる可能性さえ推測される。このように乳癌は固形腫瘍の中では全身病的性格の強い腫瘍と考えられ,臨床的に発見される時点ですでに,多くは micrometastases を有しているとの考えが支配的となっている。 以上のような背景から,比較的早期の乳癌に対しても,外科療法,放射線療法などの局所療法のみでは治療効果は不十分であることが認識され,術後補助化学療法,内分泌療法などの全身療法が導入された。しかしその治療成績は,とくに局所進行乳癌においては満足すべきレベルからは程遠く,治療成績向上のための一方法としてNACTの治療効果が期待されている。乳癌においては1973年に MilanCancer institute において,また1974年に米国 M. D. Anderson Hospital において,集学的治療法の一環としてNACTが導入された。 (181頁19行〜183頁6 」行) (イ) Neoadjuvant Chemotherapy の目的「第1の目的は,原発巣の縮小効果による,局所コントロールの改善である。局所療法(根治手術,放射線療法)が困難である場合は,腫瘍の縮小(downstaging)により局所療法を可能とし,また根治的局所療法が可能である場合でも,さらに腫瘍を縮小させることにより,より保存的な局所療法を可能として,術後の機能的,美容的損傷を最小限に留めようとするものである。乳癌においては乳房温存も目的となる。 第2の目的は,全身性の微小転移巣(micrometastases)に対して,より早期に治療を開始して,微小転移巣を根絶し,無再発期間(健存期間)(disease-free interval:DFI),生存期間の延長を図り,ひいては治癒率を向上させようとすることである。(183頁8行〜15行) 」 (ウ) Neoadjuvant Chemotherapy の現況「乳癌においては,NACTは当初,局所進行乳癌において,原発巣の進展度を極力軽減し,根治的局所療法(手術,放射線療法)を可能,容易にすることを目的として導入された。その後,NACTにより,より保存的な根治的局所療法が可能となり,乳房温存の機会が高まることが示されるにつれ,stageT,Uのより早期の乳癌に対しても試みられるようになった。現在では,DFIおよび生存期間の延長,すなわち治癒率の向上と,乳房温存の機会の拡大を主たる目的として臨床的検討が進められている。(186頁4行〜9行) 」「局所進行乳癌の明確な定義はないが,ほぼTNM分類(1987年)の stageVに一致する状態を示すことが多く,そのほか,局所進展や同側鎖骨上リンパ節転移のために stageWとなった症例も局所進行乳癌に含める場合もある。 187頁2行〜 」 (4行)「stageVにおけるNACTの経験と成績を元に,より早期の stageT,Uに対しても本法が導入されつつある。 ・・・目的は,stageVにおけると同様に,局所のコントロールと治癒率の向上であるが,より早期の乳癌においては,乳房温存の機会の拡大に対する期待も,より強い。用いられる薬剤,regimen は stageVにおけると同様であるが,NACTの投与回数は,むしろより大きく設定されている傾向があり,乳癌の治療全体に占めるNACTの役割が,より大きくなりつつあるものと思われる。」(188頁2行〜8行)「NACTの副作用,合併症については,それぞれの regimen に一般的に出現する副作用は当然みられるが,外科手術の遂行上支障を来したり,手術後の創傷治癒に悪影響を及ぼすことはないと,本稿で引用し,副作用に言及しているすべての報告者が述べている。(191頁18行〜20行) 」 (エ) おわりに「neoadjuvant chemotherapy は新しい治療戦略であり,adjuvant(postoperative)chemotherapy と比較して,より高い治療効果を有する可能性を示唆する理論的根拠は多いが,現時点では無再発期間,生存期間,治癒率において,より優れているとの証明はされていない。しかし,局所コントロールの目的においては,外科療法,放射線療法をより容易とし,乳房温存も高率に可能となることが明確に示されている。よって,安全で,無再発期間,生存期間においても,少なくとも adjuvant(postoperative) chemotherapy と同等の効果と考えるならば,すべての病期における治療の選択肢の1つとして,さらに改善を加えて,その有用性につき臨床研究を進める価値のある治療法と考えられる。(195頁2行〜9行) 」 イ 本件優先日前に頒布された刊行物である甲16(小林直ほか「局所進行乳癌に対する neoadjuvant chemotherapy」『乳癌の臨床』11巻3号441頁〜454頁,1996年〔平成8年〕9月)には,以下の記載がある(引用箇所の行数は,表及びその説明を除いた行数である。。 ) (ア) はじめに「局所進行乳癌(locally advanced breast cancer:LABC)の明確な定義はないが,TNM分類(UICC1987年)の stageUB,V,遠隔転移を有さずに局所進展によりM1となった stageWの範囲内を意味することが多く,特に stageV(時に局所進展 stageWを含む)を示す場合が多い。炎症性乳癌はLABCとして扱われる。 この予後不良の局所進行乳癌の治療成績改善のために,neoadjuvant therapy NAT) ((同義語:primary,induction,initial,preoperative など)を導入した集学的治療法が1973年より Milan Cancer Institute において,また1974年より米国 M. D.Anderson Hospital において開始された。 NATとは,原発性固形腫瘍に対する局所療法(外科療法,放射線療法)に先行して施行される薬物療法(化学療法)を意味し,集学的治療の一環として行われ,局所療法後に術後補助化学療法(adjuvant chemotherapy:ACT)が引き続き行われることが多い。(441頁28行〜442頁6行) 」 (イ) 局所進行乳癌に対する治療戦略「局所進行乳癌の局所療法単独による治療成績は,1990年のASCO(AmericanSociety of Clinical Oncology)の年次総会で示された多施設の集計によれば,stageV乳癌9,055例の5年生存率は33%,炎症性乳癌124例の5年生存率は5%であり,極めて不良であった。・・・ このような予後不良群に対しては,手術療法,放射線療法,薬物療法(化学療法,内分泌療法)の併用による集学的治療が施行され,特にNATを導入した集学的治療が現在では一般的に認められた治療戦略であるとされ(Hortobagyi),教科書的にも標準的治療戦略として推奨されている。 この治療戦略が最も劇的効果を示した例は炎症性乳癌であり,局所療法単独ではほぼ全例が死亡したが,この治療法の導入により,5年生存率35〜60%が一般的成績として報告されるようになった。・・・」(442頁11行〜24行) (ウ) Neoadjuvant therapy の目的「集学的治療中でのNATは以下の2点を主要な目的とする。 1)局所コントロール 原発巣あるいは局所進展病巣の縮小効果により,より容易,かつより保存的な局所療法を可能として,術後の機能的,美容的損傷を最小限にとどめようとするものである。乳癌においてはNATによる局所コントロールの成否は乳房温存の可否につながり,温存の可否は一般に女性のQOLに大きな影響を与える。 2)無再発期間(健存期間) (disease-free interval:DFI) 生存期間 , (overall survival:OS)の延長および治癒率の向上 全身性の微小転移巣(micrometastases)に対して,より早期に治療を開始して,微小転移巣を根絶し,治癒をもたらすことを目的とする。(442頁29行〜443 」頁4行) (エ) Neoadjuvant therapy の臨床的問題点と近年の知見「以上のように randomized trial による結論はまだ得られていないものの,現在までの phase U study の結果も含めて,NATにより無再発期間,生存期間は改善される可能性があり,少なくとも劣ることはないであろうと推測され,文献的にも同様の意見がみられる。(445頁25行〜28行) 」「NATの導入は,その比較的高い奏効率により down staging をもたらし,乳房温存の機会を増した。Bonadonna ら,Jacquillat らの報告をはじめとして,NAT後に高率に乳房温存が可能であることが示され,表2の randomized trial においてもPowles らはACTと比較してNATでは有意に高率に乳房温存が可能であることを示しており,NATの目的の1つである局所コントロールは一応達成されているように思われる。(445頁31行〜35行) 」 (オ) Neoadjuvant therapy を含む集学的治療の将来展望「乳癌に対する新抗癌剤として taxanes(docetaxel,paclitaxel),vinorelbine などが,あるいは血管新生阻害剤が登場しつつあるが,NATの領域でも臨床試験が開始されている。Taxane を含む regimen の phase U study,randomized study がNSABP,Milan NCI,その他の施設で開始されており,その単剤での高い奏効率と non-cross resistant な薬剤である点から大きな期待が寄せられている。(448頁19行 」〜23行) (カ) おわりに「Neoadjuvant therapy は,局所コントロールの目的においては,外科療法,放射線療法をより容易とし,乳房温存も高率に可能とすることが示されている。よって,比較的安全で,無再発期間,生存期間においても,adjuvant(postoperative) therapyより優るとも劣らないと推測される本法は,少なくとも乳房温存の機会が増すという benefit のみをもってしても,全身的な adjuvant therapy を必要とする全ての病期の乳癌における治療の選択肢の1つとなり得る可能性があると考えられる。しかし,局所進行乳癌の無再発率,生存率は,現行の neoadjuvant therapy の導入のみでは満足すべきレベルからは程遠く,前述した新たな治療法を組み込んだより効果的な集学的治療法の開発を進める必要があると考えられる。(450頁18行〜26行) 」 ウ 本件優先日前に頒布された刊行物である甲4(William J. Gradishar,“Docetaxel as Neoadjuvant Chemotherapy in Patients With Stage III Breast Cancer”,ONCOLOGY 11(Suppl 8): 15-18,1997年〔平成9年〕8月1日)には,以下の記載がある(記載及び引用箇所は,訳文により示す。。 ) (ア) 抄録「局所進行乳がん(病期V)の最適な管理は,一次化学療法とその後に続く手術(実施可能な場合)と,ホルモン療法を伴うかまたは伴わない,局所放射線療法および術後補助化学療法との組合せを一般に含む。(1頁2行〜4行) 」 (イ) 序論「初期の研究では,化学療法の導入によって,原発腫瘍のサイズが著しく低減して,それにより,手術及び放射線との組み合わせによって,乳房の保存のための候補数が増加する結果となった。この場合において,術前補助化学療法を用いる利点は,化学療法剤による療法に対する腫瘍の反応を臨床的及び病理学的に評価することが可能となったことである。(1頁6行〜9行) 」 (ウ) 治療プラン「病期Vの局所進行乳がんを伴う患者を,まず,3週間ごとに1回の1時間にわたる静脈内注入として投与される,100mg/m2のドセタキセル4サイクルで処置した。4サイクルのドセタキセルの後,患者は,乳房保存術または乳房切除術を受けた。標準用量のドキソルビシン/シクロホスファミド化学療法(60mg/uのアドリアマイシンおよび600mg/m2のシクロホスファミド4サイクル)は,手術後に開始した。(1頁11行〜15行) 」 エ 前記ア〜ウに加え,前記(1)イ及びウによると,当業者は,本件優先日(平成11年5月14日)当時,手術可能乳がんの治療法について,次のとおりの技術常識を有していたものと認められる。 (ア) 術前補助療法(Neoadjuavnt therapy:NAT)は,原発性固形腫瘍に対する局所療法(外科療法,放射線療法)に先行して施行される薬物療法(化学療法)であり,集学的治療の一環として行われる(前記ア(ア),イ(ア),前記(1)イ(イ))。 局所療法後に術後補助化学療法(adjuvant chemotherapy:ACT)が引き続き行われることが多い(前記ア(ア),イ(ア),前記(1)イ(イ))。 (イ) 乳がんにおいては,1970年代前半に局所進行乳がんにおいて集学的治療法の一環として術前補助療法が導入された(前記ア(ア)(ウ),イ(ア),前記(1)イ(イ)(ウ),ウ(カ))。 術前補助療法の第1の目的は,原発巣又は局所進展病巣の縮小効果により,局所療法が困難である場合には局所療法を可能とし,局所療法が可能である場合にはより容易で,より保存的な局所療法を可能とし,術後の機能的,美容的損傷を最小限に留めることである。乳がんにおいては,この局所コントロールの成否が乳房温存の成否につながり,一般に女性のQOL(生活の質)に大きな影響を与える。 術前補助療法の第2の目的は,全身性の微小転移巣に対して,より早期に治療を開始して,微小転移巣を根絶し,無再発期間(健存期間),生存期間の延長を図り,ひいては治癒率を向上させようとすることである。 (前記ア(イ),イ(ウ),前記(1)イ(イ),ウ(カ)) 術前補助療法は,局所コントロールという第1の目的においては,外科療法,放射線療法をより容易とし,乳房温存も高率に可能とすることが示されており,無再発期間,生存期間という第2の目的においても,術後補助化学療法に対し少なくとも劣ることはないと推測されている(前記ア(ウ)(エ),イ(イ)(エ)(カ),前記(1)イ(イ)(ウ)(キ),ウ(カ))。 術前補助療法を導入した集学的治療は,ステージVであることが多い局所進行乳がんにおいては,一般的に認められた治療戦略とされており,より早期のステージT,Uにおいても導入されている(前記ア(ウ)(エ),イ(ア)(イ)(カ),ウ(ア),前記(1)イ(キ))。 (ウ) 前記(ア)(イ)を背景として,手術可能乳がんにおいて,術前化学療法を行い,次いで外科的に腫瘍を除去し,更に術後補助化学療法を行うことは,一般的な治療法として行われている(前記ウ(ア)(ウ),前記(1)イ(オ))。 (3) 抗悪性腫瘍薬の開発について ア 平成3年2月4日に厚生省薬務局新医薬品課長が発出した「『抗悪性腫瘍薬の臨床評価方法に関するガイドライン』について」 (薬新薬第9号)に添付された「抗悪性腫瘍薬の臨床評価方法に関するガイドライン」 (甲42)には,以下の事項が記載されている。 (ア) 第T相試験では主として安全性を検討する。その対象患者は, 「治験参加の時点で,通常の治療法では効果が認められないか,あるいは一般に認められた標準的治療法がない悪性腫瘍を有すること。ただし,客観的に計測可能な病変を有する必要はない。」という条件を満たすものとする。 (イ) 第U相試験では抗腫瘍効果と安全性を検討する。その対象患者は,原則として, 「従来の標準的治療法ではもはや無効か,又はその疾患に対して確立された適切な治療法がないもの。ただし,後期第U相試験では,原則として初回治療例で治験を行う。」という条件を満たしているものとする。 (ウ) 第V相試験では延命効果などを中心とした臨床効果を検討する。その対象患者は,原則として, 「薬物療法が適応となる症例を対象とし,原則として初回治療例とする。」という条件を満たしていることが求められる。 イ 甲36(2016年〔平成28年〕8月18日最終改訂の米国がん協会の「Breast Cancer Survival Rates」と題するウェブページ)によると,ステージ毎の乳がんの5年相対生存率は,@ステージ0又はステージTの乳がんの女性では100%,AステージUの乳がんの女性では約93%,BステージVの乳がんの女性では約72%であるのに対し,C転移性又はステージWの乳がんの女性では約22%である。 また,甲37(JOYCE O’SHAUGHNESSY,“Extending Survival with Chemotherapyin Metastatic Breast Cancer”,The Oncologist 2005; 10(suppl 3): 20-29,2005年〔平成17年〕)には, 「転移性乳がん(MBS)は,依然として実質的には治療できず,治療の目的は,症状の緩和,病変の進行の遅延,生活の質に否定的な影響がない範囲内での全生存期間の延長を含むものである。」と記載されている。 以上に加え,前記(1)ウ(ウ)及び甲44・54頁を考慮すると,転移性乳がんは,本件優先日(平成11年5月14日)当時, 「従来の標準的治療法ではもはや無効か,又はその疾患に対して確立された治療法がないもの」に当たる。 ウ 本件優先日前に頒布された刊行物である甲43(「南山堂 医学大辞典18版」,1998年〔平成10年〕1月16日)の「原発性癌」の解説には, 「転移巣の組織像は基本的には原発巣と同一であるが,ときに転移した臓器組織の構築を模倣したり,原発巣よりもより高分化ないし低分化な組織像を示すことがある。」との記載がある。 エ 前記ア〜ウに加え,前記(1)イ(カ),ウ(ア)(カ)によると,当業者は,本件優先日(平成11年5月14日)当時の技術常識として,抗悪性腫瘍薬に含まれる乳がんの治療薬の開発においては,臨床試験の第T相試験及び第U相試験は,転移性乳がんの患者を対象患者として行われ,転移性乳がんの患者に対する抗がん効果を踏まえて,手術可能乳がんの患者に対する抗がん効果を確認することになることを理解していたものといえる。 3 取消事由3(甲1を主引例とする進歩性判断の誤り)について 事案に鑑み,取消事由3から検討する。 (1) 甲1発明の認定 前記2(1)アの甲1の記載によると,甲1には,次の甲1発明が記載されていると認められる。 「HER2が過剰発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗HER2抗体を含有してなる医薬であって,その治療が(a)その医薬,又は,その医薬及び治療的有効量のパクリタキセル,アントラサイクリン,シクロホスファミド,ドキソルビシン,エピルビシン等の化学療法剤によって患者を治療するという工程を含む治療である,医薬。」 (2) 本件特許発明1と甲1発明との相違点の認定 本件特許発明1と甲1発明とを対比すると,下記アの点で一致し,下記イの相違点1で相違する。 ア 一致点「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬」である点 イ 相違点1 その医薬を,本件特許発明1では, (a)その医薬によって患者を治療する, (b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)その医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行うことを含む治療に適用するのに対し,甲1発明では,このような工程を順次行うことを含む治療に適用することが特定されていない点。 (3) 相違点1の容易想到性について ア(ア) 甲1発明の医薬は,治療的有効量の抗HER2抗体を含有する医薬であるが,前記2(1)オによると,本件優先日当時,@抗HER2抗体は,HER2蛋白の細胞外領域に対し結合することにより,HER2蛋白を過剰発現する乳がん細胞の増殖を抑制するとともに,抗体依存性細胞障害(ADCC)を示すこと,AHER2蛋白の過剰発現は,転移性乳がんに限らず,初期乳がんの25%〜30%で観察されること,BHER2蛋白を過剰発現する腫瘍を有する転移性乳がん患者の臨床試験では,パクリタキセルを含む特定の化学療法剤の単独投与群に比べて,その化学療法剤と抗HER2抗体の併用投与群の方が病勢進行の期間(無増悪期間)が長期化し,全奏効率(ORR)が向上し,反応期間の中央値が長期化し,1年間の生存率が高まるなど,抗腫瘍効果が増強されることが観察されたこと,C抗HER2抗体の臨床試験では,単剤投与においても,化学療法剤との併用投与においても,HER2蛋白をより強く発現している症例の方が抗腫瘍効果,無増悪期間ともに優れている傾向にあったことは,いずれも技術常識であったものと認められる。 また,前記2(3)エによると,本件優先日当時,乳がんの治療薬の開発においては,転移性乳がんの患者に対する抗がん効果を踏まえて,手術可能乳がんの患者に対する抗がん効果を確認することになることは,技術常識であったものと認められる。 そして,これらに,本件優先日前に頒布された刊行物であり, 「乳がんのための術前補助療法の将来的方向」を表題とする甲2には,抗HER2抗体とドキソルビシン,シクロホスファミドを転移性乳がん患者に対し併用投与する臨床試験を紹介した直後に, 「一次化学療法と組み合わせたこれらの新たな戦略の役割は,早期乳がんの患者で評価されるべきものである」と記載されている(前記2(1)イ(ア)(カ))ことを総合すると,甲1に接した当業者は,HER2蛋白を過剰発現する手術可能乳がんの治療のために,治療的有効量の抗HER2抗体を含有する医薬である甲1発明の医薬を適用することを容易に想到するものと認められる。 (イ) 前記2(1)オ,(2)エによると,本件優先日当時,@乳がんにおいて,乳房温存の成否は一般に女性のQOL(生活の質)に大きな影響を与えるところ,術前補助療法は,手術をより容易とし,乳房温存も高率に可能とすることが示されていたこと,A手術可能乳がんにおいて,術前化学療法,次いで外科的に腫瘍を除去し,更に術後補助化学療法を行うことは,一般的治療法として行われていること,BHER2蛋白を過剰発現する腫瘍を有する転移性乳がん患者の臨床試験では,パクリタキセルを含む特定の化学療法剤の単独投与群に比べて,その化学療法剤と抗HER2抗体の併用投与群の方が病勢進行の期間(無増悪期間)が長期化し,全奏効率(ORR)が向上し,反応期間の中央値が長期化し,1年間の生存率が高まるなど,抗腫瘍効果が増強されることが観察されたことは,技術常識であったと認められる。また,本件優先日前に頒布された刊行物である甲3には,HER2過剰発現の転移性乳がん患者に対する抗HER2抗体とパクリタキセルなどの化学療法剤の併用投与が化学療法剤の単独投与に比べて全寛解率,進行までの中央値時間とも優れた効果を発揮したことを紹介した上で,「転移性状況や術後補助状況で成功することが分かっている新規の化学療法戦略はまた,術前処置においても潜在的に適用されうる」と記載されている(前記2(1)ウ(オ)(カ))。 そして,これらに,本件優先日前に頒布された刊行物であり, 「乳がんのための術前補助療法の将来的方向」を表題とする甲2には,抗HER2抗体とドキソルビシン,シクロホスファミドを転移性乳がん患者に対し併用投与する臨床試験を紹介した直後に, 「一次化学療法と組み合わせたこれらの新たな戦略の役割は,早期乳がんの患者で評価されるべきものである」と記載されている(前記2(1)イ(ア)(カ))ことを総合すると,甲1に接した当業者が,HER2蛋白を過剰発現する手術可能乳がんの治療のために,手術前に甲1発明の医薬を化学療法剤と併用投与し,手術を行い,更に手術後に甲1発明の医薬を化学療法剤と併用投与することは,容易に想到し得たものと認められる。 イ(ア) 被告は,本件優先日当時,トラスツズマブの生体内における作用機序は未だ研究対象であり,化学療法についても投与計画について検討が続けられており,いずれの文献にも,乳がんの治療において,抗体を術前投与するという記載は全く存在していなかったから,未だ承認されたばかりの新規の抗体を,その奏効が確認されつつあった化学療法剤の術前投与に代えて,又は加えて,投与してみることは,当業者であればこそ考えないなどと主張する。 しかし,前記アのとおり,抗HER2抗体である甲1発明の医薬を手術前に化学療法剤と併用投与することは,当業者が容易に想到し得たものである。 また,前記2(1)オのとおり,抗HER2抗体には心毒性があり,投与により心室機能不全及びうっ血性心不全が起こり得るものと認められるが,甲1発明の医薬は転移性乳がんの患者を対象とした医薬製剤として承認されているものであり,手術可能乳がんの患者に対する適用をためらわせるほどに安全性に問題があるものとは認められない。 (イ) 被告は,甲2について,論文全体を通じて,最適な治療レジメンにおいては,まず化学療法が行われ,他の治療法は時間的に後で実施されると明確に述べているなどと主張するが,甲2は, 「乳がんのための術前補助療法の将来的方向」という表題の論文であり,抗HER2抗体とドキソルビシン,シクロホスファミドを転移性乳がん患者に対し併用投与する臨床試験を紹介した直後に「一次化学療法と組み合わせたこれらの新たな戦略の役割は,早期乳がんの患者で評価されるべきものである」と記載されているのであるから,早期乳がんの患者に対して抗HER2抗体と化学療法を組み合わせて術前に処方することが示唆されているということができ,前記アのとおり,甲2の記載は抗HER2抗体である甲1発明の医薬を手術前に化学療法剤と併用投与することを動機付けるものということができる。 (ウ) 被告は,転移リスクの高いがん(既に転移したがん)の細胞は,原発部位に留まるがんの細胞とは性質が異なるなどと主張する。 しかし,前記2(3)ウのとおり,本件優先日当時,がんにおいて,転移巣の組織像は基本的には原発巣と同一であると考えられていたところ,被告は,HER2蛋白を過剰発現した転移性乳がんの細胞とHER2蛋白を過剰発現した手術可能乳がんの細胞とのいかなる性質の違いが,どのような理由によりHER2蛋白の細胞外領域に対し結合する抗HER2抗体(標的化治療薬)をHER2蛋白を過剰発現した手術可能乳がんの細胞に適用することの支障となり得るのかを具体的に主張しておらず,HER2蛋白を過剰発現した転移性乳がんの細胞とHER2蛋白を過剰発現した手術可能乳がんの細胞との性質の違いが,HER2蛋白の細胞外領域に対し結合する抗HER2抗体(標的化治療薬)をHER2蛋白を過剰発現した手術可能乳がんの細胞に適用することの支障となることを示す証拠も見当たらない。 したがって,被告の上記主張は,前記アの判断を左右するものとは認められない。 (4) 本件特許発明1の効果について ア 前記1のとおり,本件訂正明細書には,本件特許発明1の効果として,臨床試験の結果などは示されておらず,「上記の治療方法に従って治療された患者は,全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。( 」【0119】)との記載があるにとどまる。 ところで,前記2(1)(2)の各刊行物の記載からすると,乳がんにおいて,生存率及び腫瘍の進行時間(TTP)は,抗がん剤の効果を図る一般的な指標であると認められるところ,上記の本件訂正明細書の記載は,生存率の改善及び腫瘍の進行時間(TTP)の延長がいかなる対象(例えば,手術のみを行った場合か,手術と術後化学療法を行った場合か,術前化学療法と手術と術後化学療法を行った場合か,術前化学療法と手術と抗HER2抗体の術後投与を行った場合か,手術可能乳がんに対し抗HER2抗体投与のみを行った場合か)と比較して達成されるものであるのかという比較対象や,生存率の改善や腫瘍の進行時間(TTP)の延長がいかなる程度達成されるのかという有効性の程度については,何ら記載されていない。また,本件訂正明細書の記載から,その比較対象や有効性の程度を当業者が推論できるものとも認められない。 そうすると,本件特許発明1の効果は,本件特許発明1の医薬がこれを投与しない場合と比較して生存率の改善及び腫瘍の進行時間(TTP)の延長という定性的効果を有することにとどまるものとするのが相当である。 そして,前記2(1)アのとおり,甲1には,HER2蛋白を過剰発現する腫瘍を有する転移性乳がん患者に対し,甲1発明の医薬を特定の化学療法剤(@パクリタキセル,Aアントラサイクリン〔ドキソルビシン又はエピルビシン〕及びシクロホスファミド)と併用投与すると,その化学療法剤を単独投与された患者に比べ,病勢進行の期間が著しく長期化し,1年間の生存率が高まることが記載されているから,当業者は,甲1発明の医薬が,HER2蛋白を過剰発現する転移性乳がん患者に対し,生存率の改善及び腫瘍の進行時間(TTP)の延長という定性的効果を有することを理解することができ,この甲1発明の医薬を本件特許発明1の工程によりHER2蛋白を過剰発現する手術可能乳がんに適用した場合に,これを投与しない場合と比較して生存率の改善及び腫瘍の進行時間(TTP)の延長という定性的効果を有することは,当業者が予測可能なものである。 イ 被告は,本件訂正明細書の発明の効果の定性的な記載に基づき,具体的な実験データを参照することは妥当であるから,甲17,19〔審判乙1,3〕に基づき本件特許発明1には顕著な効果があるなどと主張する。 しかし,前記アのとおり,本件訂正明細書の記載及びこれから推論できる本件特許発明1の効果は,本件特許発明1の医薬がこれを投与しない場合と比較して生存率の改善及び腫瘍の進行時間(TTP)の延長という定性的効果を有することにとどまる。そこで,本件優先日後の刊行物である甲17,19〔審判乙1,3〕の実験データを,本件訂正明細書の記載の範囲で,上記定性的効果を示すという限度において参酌するとしても,前記アのとおり,上記定性的効果は当業者が予測可能なものであるから,顕著な効果を示すものということはできない。他方,甲17,19〔審判乙1,3〕の実験データを,上記定性的効果を超えて参酌することは,本件訂正明細書の記載の範囲を超えるものであるから,これを本件特許発明1の効果として参酌することはできない。その余の本件優先日後の刊行物である甲18,20,21〔審判乙2,4,5〕についても,同様である。 したがって,本件優先日後の刊行物である甲17〜21〔審判乙1〜5〕については,その具体的内容を検討するまでもなく,本件特許発明1に顕著な効果があることを示すものということはできない。 (5) 本件特許発明1についての小括 以上によると,本件特許発明1は,甲1発明及び甲1〜4に記載された事項に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであると認められる。 (6) 本件特許発明2〜8について 前記(3)アのとおり,甲1に接した当業者は,HER2蛋白を過剰発現する手術可能乳がんの治療のために,手術前に甲1発明の医薬を化学療法剤と併用投与し,手術を行い,更に手術後に甲1発明の医薬を化学療法剤と併用投与することを,容易に想到し得たものと認められる。 そして,前記(1)のとおり,甲1発明は,甲1発明の医薬及び治療的有効量のパクリタキセルによって患者を治療するという工程を含むものであり,甲1発明の医薬(抗HER2抗体)をパクリタキセルと併用すると,併用の効果が高いことは,甲1にも記載されているから(前記2(1)ア(カ)),手術前に併用投与する上記化学療法剤としてパクリタキセルを使用し,又は,手術後に併用投与する上記化学療法剤としてパクリタキセルを使用することは,当業者が容易に想到し得たものである。 また,本件特許発明2〜8の効果が当業者が予測可能なものであることは,前記(4)と同様である。 そうすると,本件特許発明2〜8は,甲1発明及び甲1〜4に記載された事項に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものである。 (7) 本件特許発明9について 本件特許発明9は,本件特許発明1の医薬と,容器と,(a)該医薬によって患 「者を治療する, (b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療する工程を順次行うことによって基本的に患者を治療すること」を該組成物の使用者に指示するパッケージ挿入物とを含んでなる製造品である。 前記2(1)ア(ケ)のとおり,ハーセプチンは,「真空の小ビン」に入れて供給されており,医薬を供給するための製造品において,医薬を入れるための容器を構成要素とすることは,本件優先日当時の技術常識である。 また,ハーセプチンの添付文書である甲1から明らかなとおり,医薬を供給するための製造品において,用法を記載したパッケージ挿入物(本件訂正明細書【0052】)を構成要素とすることは,本件優先日当時の技術常識である。そして,本件特許発明9のパッケージ挿入物は,本件特許発明1の医薬の用法を記載したものである。 以上によると,本件特許発明9は,甲1発明及び甲1〜4に記載された事項に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであると認められる。 4 結論 以上によると,取消事由3は理由があるから,その余の取消事由を考慮するまでもなく,審決にはその結論に影響を及ぼす違法がある。よって,原告の請求を認容することとして,主文のとおり判決する。 |
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追加 | |
(別紙)当事者目録原告セルトリオンインコーポレイテッド同訴訟代理人弁護士三村量一東崎賢治根岸聡知福原裕次郎杉村光嗣同訴訟代理人弁理士杉村憲司塚中哲雄同補助参加人ファイザー株式会社同訴訟代理人弁護士設樂隆一飯塚卓也岡田淳同訴訟代理人弁理士大塚康徳大塚康弘木下智文鮎沢輝万四本尚能宮澤純子佐藤眞紀龍田美幸被告ジェネンテックインコーポレイテッド同訴訟代理人弁理士園田吉隆石岡利康三國修同訴訟復代理人弁理士中田博子 |
裁判長裁判官 | 森義之 |
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裁判官 | 森岡礼子 |
裁判官 | 古庄研 |