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事件 平成 28年 (ネ) 10112号 特許権侵害に基づく損害賠償請求控訴事件

控訴人株式会社ヤクルト本社 (以下「控訴人ヤクルト」という。)
控訴人 デビオファーム・インターナショ ナル・エス・アー (以下「控訴人デビオファーム」という。)
控訴人両名訴訟代理人弁護士 大野聖二
同 大野浩之
同 木村広行
同 多田宏文
同訴訟代理人弁理士 松任谷優子
控訴人ヤクルト訴訟代理人弁護士 岡正晶
同 坂口昌子
同 大澤加奈子
同 梶谷陽
被控訴人日本化薬株式会社 1
訴訟代理人弁護士 小松陽一郎
同 川端さとみ
同 山崎道雄
同 藤野睦子
同 大住洋
同 中原明子
同 原悠介
同 前嶋幸子
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2017/06/28
権利種別 特許権
訴訟類型 民事訴訟
主文 1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用はこれを11分し,その10を控訴人ヤクルトの負担とし,その余を控訴人デビオファームの負担とする。
3 控訴人デビオファームに対し,この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人ヤクルトに対し,1億円及びこれに対する平成28年5 月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人は,控訴人デビオファームに対し,1000万円及びこれに対する 平成28年5月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
事案の概要
本判決の略称は,特段の断りがない限り,原判決に従う。
1 事案の要旨 本件は,発明の名称を「オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法 及び使用」とする発明についての特許権(特許第4430229号。本件特許 2 権)を有する控訴人デビオファーム及び本件特許権につき専用実施権(本件専 用実施権)の設定を受けた控訴人ヤクルトが,被控訴人の製造,販売する別紙 被告製品目録記載1ないし3の各製品(被告各製品)は本件特許の特許請求の 範囲請求項1及び2記載の発明(本件発明1及び本件発明2)の技術的範囲に 属する旨主張して,被控訴人に対し,@控訴人ヤクルトが,本件専用実施権侵 害の不法行為に基づく損害賠償として,1億円及びこれに対する不法行為の後 である平成28年5月26日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所 定の年5分の割合による遅延損害金の支払を,A控訴人デビオファームが,本 件特許権侵害不法行為に基づく損害賠償として,1000万円及びこれに対 する不法行為の後である平成28年5月26日(訴状送達の日の翌日)から支 払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を,それぞれ求め た事案である(控訴人らによる損害賠償請求の対象期間は,いずれも,被告製 品1及び2については平成26年12月12日から平成28年5月16日ま で,被告製品3については平成27年6月19日から平成28年5月16日ま でである。。
) 原判決は,被告各製品は本件発明1及び2の技術的範囲に属しないとして, 控訴人らの請求をいずれも棄却した。
そこで,控訴人らは,原判決を不服として本件控訴を提起した。
2 前提事実等 以下のとおり補正するほかは,原判決「事実及び理由」の第2の2(3頁1 9行目から7頁16行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決4頁13行目の「別紙2」を「原判決別紙2」と,5頁3行目の 「別紙3」を「原判決別紙3」とそれぞれ改める。
(2) 原判決5頁13行目の「同訴えに係る訴訟」から15行目末尾までを次 のとおり改める。
「同訴えに係る訴訟において,同裁判所は,平成29年3月8日,本件無効 3 不成立審決を取り消す旨の判決をした。そこで,控訴人デビオファームは, 同年4月14日,同判決を不服として上告及び上告受理の申立てをした。
(以上につき,甲9,10,当裁判所に顕著な事実)」3 争点及び争点に関する当事者の主張 後記(1)のとおり原判決を補正し,後記(2)のとおり「当審における当事者の 主張」を付加するほかは,原判決「事実及び理由」の第2の3及び4(7頁1 7行目から37頁1行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1) 原判決の補正 ア 原判決10頁10行目,15行目及び17行目の各「遅延し」を「遅延 させ」とそれぞれ改める。
イ 原判決17頁6行目及び7行目の各「シュウ酸」の次に「又はそのアル カリ金属塩」をそれぞれ加える。
ウ 原判決19頁15行目の「前提する」を「前提とする」と改める。
エ 原判決24頁9行目の「本件特許権者」を「本件特許」と,同頁9行目 から10行目にかけての「宣誓書(乙15の2)には」を「宣誓書(乙1 5の2)によれば」とそれぞれ改める。
オ 原判決30頁10行目の「前記(1)」の次に「アの」を加える。
カ 原判決32頁7行目の「ア及びイ」を「アないしエ」と改める。
キ 原判決33頁6行目冒頭から8行目末尾まで及び同頁15行目冒頭から 34頁1行目末尾までを削除する。
(2) 当審における当事者の主張(争点1-1について) 【控訴人らの主張】 以下に述べるとおり,本件発明1の「緩衝剤」(構成要件1B,1F及び 1G)には,オキサリプラチン水溶液に外部から添加されるシュウ酸(以下 「添加シュウ酸」という。)のみならず,解離シュウ酸も含まれると解すべ きである。
4 ア 本件明細書中の定義に従った解釈 特許請求の範囲の用語は,明細書中に定義されている場合には,これに 従って解釈されなければならない。
本件明細書には,「緩衝剤」という用語は,「オキサリプラチン溶液を 安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラ チンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅 延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する」(【0022】)と され,「緩衝剤は,有効安定化量で本発明の組成物中に存在する。緩衝剤 は,約5×10-5M 〜約1×10-2Mの範囲のモル濃度で,好ましくは 約5×10 -5M〜5×10 -3Mの範囲のモル濃度で,さらに好ましくは 約5×10 -5M〜約2×10 -3Mの範囲のモル濃度で,最も好ましくは 約1×10-4M〜約2×10-3Mの範囲のモル濃度で,特に約1×10- 4 M〜約5×10-4Mの範囲のモル濃度で,特に約2×10-4M〜約4× 10 - 4 M の範 囲の モ ル濃度 で存 在する の が便利 であ る」( 【 00 2 3】)として具体的に定義されており,これに従えば,「緩衝剤」は,本 件発明1の対象である「オキサリプラチン溶液組成物」において,上記の モル濃度で存在するものであり,あらゆる酸性又は塩基性剤を意味するも のである。
したがって,添加シュウ酸と解離シュウ酸が,「緩衝剤」の該当性にお いて区別されることはない。
イ 添加シュウ酸と解離シュウ酸は同一の機能(効果)を有すること 本件発明1は,「オキサリプラチン溶液組成物」の安定化を目的とする ものであり,「緩衝剤」であるシュウ酸のモル濃度を一定範囲にコント ロールすることにより,その目的を達成するものである。そして,オキサ リプラチン溶液の安定化という作用効果は,添加シュウ酸であろうと,解 離シュウ酸であろうと,オキサリプラチン溶液中に存在する全てのシュウ 5 酸による作用効果である。したがって,本件発明1の課題,作用効果の観 点からすると,オキサリプラチン溶液中に存在するシュウ酸に関して,添 加シュウ酸と解離シュウ酸を区別することに技術的な意味はない。
オキサリプラチン水溶液は,下図のとおりの化学平衡状態に達するが,このことは,解離シュウ酸が溶液中に存在することで,オキサリプラチンがそれ以上分解しないことを意味しているのであって,解離シュウ酸は,オキサリプラチン溶液を安定化し,不純物の生成を防止するか又は遅延させ得るものである。
当業者は,本件明細書から,これまで不純物とされていた解離シュウ酸 が,オキサリプラチン溶液組成物中に存在することで,安定性に寄与する という技術的意義が開示されていることを理解する。
ウ 本件明細書の「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」は乙1の1 公報記載のオキサリプラチン水溶液ではないこと 原判決は,本件明細書の【0031】における「オキサリプラチンの従 来既知の水性組成物」は乙1の1公報記載のオキサリプラチン水溶液(以 下「乙1水溶液」という。)であるとした上で,同段落の記載から,本件 発明1の「緩衝剤」は,乙1水溶液と比較して不純物を減少させる効果を 有するものである旨判断する。
しかし,以下に述べるとおり,上記「オキサリプラチンの従来既知の水 性組成物」とは,凍結乾燥物質であるオキサリプラチンを水に溶かして再 構築したものを意味し,乙1水溶液を意味するものではないから,原判決 の上記判断は誤りである。
6 (ア) 本件明細書において従来技術の問題とされているのは,オキサリプ ラチンが時間を追って分解していく製薬上安定とはいえない溶液組成物 であること(【0013】〜【0016】)であるところ,乙1水溶液 の実施品は既に製薬上安定であるから,時間を追って分解していく製薬 上安定とはいえない溶液組成物に該当しない。
仮に,本件発明1が,乙1水溶液を前提として,更なる不純物の減少 を問題としているのであれば,本件明細書において,既に製薬上安定な オキサリプラチン溶液組成物を前提に更なる不純物の減少が望まれる旨 が記載されるはずであるが,そのように読み取れる記載は存在せず,ま た,乙1水溶液では,凍結乾燥物質の欠点が既に解決済みであるから, 乙1水溶液を前提としながら,凍結乾燥物質の欠点(【0012】〜 【0013】)を列挙した上で,「前記の欠点を克服し」(【001 7】)などと記載されるはずがない。
そして,本件明細書の【0017】には,本件発明1が克服すべき課 題である「欠点」は,「すぐに使える形態の製薬上安定なオキサリプラ チン溶液組成物を提供する」という解決手段により克服されるものであ ることが記載されるところ,乙1水溶液は,「すぐに使える形態の製薬 上安定なオキサリプラチン溶液組成物」であるから,上記解決手段によ り克服される欠点を有しておらず,本件発明1が乙1水溶液の欠点を克 服するものでないことは明らかである。
(イ) 本件明細書の実施例1及び8は,少なくとも出願当初は発明の実施 例であったところ,出願当初の請求項1とその後の補正を経た本件発明 1とでは,「緩衝剤」の文言も,本件明細書中の定義(【0022】) も,「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」に関する記載(【0 031】)も変わっていないのであるから,実施例1及び8も,「オキ サリプラチンの従来既知の水性組成物」よりも「製造工程中に安定で 7 あ」り,「本発明の組成物中に生成される不純物が…少ない」もの (【0031】)であるはずである。
ところが,原判決によれば,実施例18?(乙1水溶液と変わらない もの)と実施例1及び8との間で,不純物を減少させる効果に差がない というのであるから,上記「オキサリプラチンの従来既知の水性組成 物」は,乙1水溶液ではなく,凍結乾燥物質を再構築したものであると 解釈しなければ,実施例1及び8が出願当初の実施例であったことと合 致しないこととなる。
(ウ) 緩衝剤を添加したオキサリプラチン水溶液が,乙1水溶液と比較し て「製造工程中に安定」であると考えると,乙1水溶液を製造する工程 と,オキサリプラチンに緩衝剤を添加した水溶液を製造する工程とを比 較する概念が突如として出てくることになる。本件明細書には,乙1水 溶液を製造する間(製造工程中)における安定性と,オキサリプラチン に緩衝剤を添加した水溶液を製造する間(製造工程中)における安定性 を比較した結果は示されていないのであるから,このように理解するこ とは不自然である。
本件明細書には,凍結乾燥物質の再構築における不具合が記載され (【0012】3段落(a),【0013】2段落?),その直後に, 「水溶液中では,オキサリプラチンは,時間を追って,分解して,種々 の量のジアクオDACHプラチン(式I),ジアクオDACHプラチン 二量体(式II)およびプラチナ(IV)種(式III )…を不純物として生 成し得る,ということが示されている。」と記載されているのであるか ら,【0031】の「製造工程」とは,凍結乾燥物質を溶解させて再構 築する工程であると考えるのが自然である。
凍結乾燥物を再構築する際にはオキサリプラチンを水に溶かして水性 組成物を製造するという工程が存在し,その工程が不安定であるという 8 問題が当業者に認識されていたのであり,これを前提に【0031】の 「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物よりも製造工程中に安定で あることが判明しており」という記載がされているのであるから,上記 「従来既知の水性組成物」は,凍結乾燥物質であるオキサリプラチンを 水に溶かして再構築したものである。
(エ) 本件明細書の【0012】(2段落)〜【0016】と,【003 0】〜【0032】とは対応した記載になっているところ,【001 2】(2段落)〜【0013】(2段落)には,凍結乾燥物を利用する 際の課題が記載され,【0016】には,「上記の不純物を全く生成し ないか,あるいはこれまでに知られているより有意に少ない量でこのよ うな不純物を生成するオキサリプラチンのより安定な溶液組成物を開発 することが望ましい。」と,【0017】には,「前記の欠点を克服 し,そして長期間の,即ち2年以上の保存期間中,製薬上安定である, すぐに使える(RTU)形態のオキサリプラチンの溶液組成物が必要と されている。したがって,すぐに使える形態の製薬上安定なオキサリプ ラチン溶液組成物を提供することによりこれらの欠点を克服すること が,本発明の目的である。」と記載されている。
他方,前記(ア)で述べたとおり,乙1水溶液が,「すぐに使える形態 の製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物」であって,上記解決手段 により克服される欠点を有していないことからすれば,本件明細書の 【0013】(3段落)〜【0016】(1行)は,【0012】(2 段落)〜【0013】(2段落)と同様,凍結乾燥物に関する記載であ り,【0013】(3段落)で示された「水性溶液」とは,凍結乾燥物 であるオキサリプラチンを水に溶かして再構築した水性溶液のことを意 味していることは明らかである。また,【0013】(3段落)〜【0 016】(1行)に対応する【0031】(2段落)で示された「従来 9 既知の水性組成物」も,凍結乾燥物であるオキサリプラチンを水に溶か して再構築した水性組成物を意味していることは明らかである。
さらに,【0012】(2段落)に対応する【0030】(2段落) 及び【0031】(1段落)と,【0013】(1段落?)に対応する 【0032】(1段落)との間に,【0031】(2段落)が記載され ていることも,同段落における「従来既知の水性組成物」が,凍結乾燥 物であるオキサリプラチンを水に溶かして再構築した水性組成物を意味 することを裏付けている。
(オ) 本件明細書には,従来技術としての公報が多数列記されており (【0002】〜【0012】(1段落)),そのうちの一つとして乙 1の1公報が挙げられているにすぎないところ,これら多数の従来技術 の公報から乙1の1公報だけを抜き出して,その他の本件明細書の記載 (【0012】(2段落)〜【0016】及び【0030】〜【003 2】)に反して,「従来既知の水性組成物」(【0031】)を乙1水 溶液と解釈することは,妥当性を欠く。
(カ) 「緩衝剤」が添加したものに限定されるとすれば,実施例1及び8 でも添加シュウ酸等が存在する以上,「緩衝剤」が含まれていることに なる。
他方,原判決は,実施例1及び8は,本件発明1の効果を奏しない比 較例である旨判示するところ,そうすると,本件発明1の効果を奏しな い比較例でも「緩衝剤」を含むことになり,「緩衝剤」の意味を解釈す る際に,緩衝剤が添加されていない乙1水溶液と比較しなければならな いという原判決の前提は崩れている。
エ 本件明細書には解離シュウ酸を含めた溶液組成物中のシュウ酸の総量 に係る記載があること 原判決は,本件発明1の構成要件1Gが規定する緩衝剤の量(モル濃 10 度)の数値の根拠は,本件明細書中,添加シュウ酸等のモル濃度の数値以外に見当たらない旨判断するが,以下に述べるとおり,この判断は誤りである。
(ア) ジアクオDACHプラチン1モルに対しシュウ酸1モル,ジアクオ DACHプラチン二量体1モルに対しシュウ酸2モルがそれぞれ生成す ることが知られていたこと(本件明細書の【0013】〜【0016】) からすれば,本件明細書に触れた当業者は,ジアクオDACHプラチン 等のモル濃度から解離シュウ酸のモル濃度を推計することができ,それ により,解離シュウ酸を含めた溶液組成物中のシュウ酸の総量と製薬上 の安定性との関係を理解することができる。
(イ) 本件明細書の各表に列記された添加されたシュウ酸又はシュウ酸ナ トリウムのモル濃度の数値の下限値である1×10 - 5 Mという数値 (実施例1及び8)と,【0023】において組成物中に存在する緩衝 剤のモル濃度の下限値として示されている5×10-5Mという数値は合 致しない。すなわち,【0023】で示された組成物中に存在する緩衝 剤の量(モル濃度)の下限値が,実施例1〜17における添加されたシ ュウ酸又はシュウ酸ナトリウムの量の下限値である1?10 -5 Mより 大きく,これが本件発明1の構成要件1Gの下限値として採用されてい る。
そして,本件明細書の実施例1,8及び18?も,「実施例」と明記 されているところ,これらにおける解離シュウ酸を含めた溶液組成物中 のシュウ酸の総量は,以下に示す【表1】のように推計され,その下限 は5×10-5Mを超える値になることからすれば,当業者であれば,本 件発明1の構成要件1Gの濃度の下限値は,添加されたシュウ酸の濃度 を規定するものではなく,これに解離シュウ酸の濃度を加えた値である ことを容易に理解できる。
11 【表1】実施例No. ジアクオD ジアクオD (A)及び 付 加 さ ( C ) + ACHプラ ACHプラ (B)量か れ た シ (D)の合 チン(A) チン二量体 ら予想され ュ ウ 酸 計値 (B) るシュウ酸 量 量 ( 分 解 (D) 量)(C)1 2.9×10-5 1.2×10-5 5.2×10-5 1×10-5 6.2×10-5(初期)1 3.0×10-5 1.2×10-5 5.3×10-5 1×10-5 6.3×10-5(1か月)8(初期) 3.2×10-5 1.3×10-5 5.8×10-5 1×10-5 6.8×10-58 3.9×10-5 1.5×10-5 6.8×10-5 1×10-5 7.8×10-5(1か月)18(b) 3.9×10-5 1.2×10-5 6.4×10-5 0 6.4×10-5(初期)18(b) 3.3×10-5 1.2×10-5 5.8×10-5 0 5.8×10-5(1か月) 原判決によれば,実施例1,8及び18?では,不純物を減少させる 効果に差がないとされるところ,上記推計において溶液組成物中のシュ ウ酸の総量に実質的な差がないことからすると,上記推計結果の妥当性 が裏付けられる。
(ウ) したがって,本件明細書には,解離シュウ酸を含めた溶液組成物中 のシュウ酸の総量と製薬上の安定性との関係が理解できるような記載が ある。
オ 「緩衝剤」として「シュウ酸」と「そのアルカリ金属塩」が区別され 12 ていることとの関係等 原判決は,「緩衝剤」としての「シュウ酸」がシュウ酸イオン(解離シ ュウ酸)を含む概念であるとすれば,シュウ酸のアルカリ金属塩を添加し た場合には,緩衝剤として,シュウ酸を使用したとも,そのアルカリ金属 塩を使用したともいい得ることになって,両者を区別した意味がなくなる 旨判示する。
しかし,本件発明1は,解離シュウ酸のみの態様に加えて,添加シュウ 酸を加えた態様も含んでおり,添加シュウ酸として「そのアルカリ金属 塩」を外部から加える態様も技術的範囲に含んでいるのであって,「シュ ウ酸」と「そのアルカリ金属塩」とを区別して記載することで,このこと が明確になる。
また,本件明細書の【0035】では,添加される緩衝剤も水性緩衝溶 液の形態で計量することが好ましいとされており,「イオン」の形態で計 量することが想定されている。したがって,本件明細書では「イオン」で あっても「緩衝剤」に当たる前提で記載がされているから,「緩衝剤」と しての「シュウ酸」が「シュウ酸イオン」を包含しないかのような原判決 の判断は,本件明細書の記載を無視している。
カ 「剤」の意味に基づく解釈 本件発明1の「緩衝剤」における「剤」の意味を,「各種の薬を調合し たもの。また,その薬。」という用語の一般的な意味で解釈するのは,不 合理である。すなわち, 「調合」の意義は,「数種の薬剤をまぜ合わせて, ある薬をつくること」(甲27)であるから,「剤」について「調合」を要 求すると,「剤」とは「「剤」をまぜ合わせたもの」を意味することとな り,意義が循環することになってしまう。しかも,「剤」に「調合」を要 求すると,例えば,単一成分の薬剤が「剤」に該当しないという明らかに 常識に反する結論となる。
13 また,本件発明1は,静脈内(血液内)に注入される注射液に関するも のであるところ,この技術分野では,体内で生成された物質についても 「緩衝剤」という用語が用いられており(甲28の1〜3)「剤」という , 文言が用いられているからといって,外部から添加されるという解釈はさ れていない。
キ 請求項10〜14の記載 本件特許の特許請求の範囲請求項10〜14(以下「請求項10〜1 4」という。)には,緩衝剤を「付加」することや「混合」することが記 載されているのに対し,本件発明1に係る請求項1では,「包含」と記載 され,意図的に文言が使い分けられていることからすれば,本件発明1の 「緩衝剤」は,「付加」等されたものに限定されない。
【被控訴人の反論】ア 「本件明細書の定義に従った解釈」に対し 控訴人らは,本件明細書で定義される「緩衝剤」は,組成物中に存在す るあらゆる酸性または塩基性剤を意味するものであるから,添加シュウ酸 と解離シュウ酸が,「緩衝剤」の該当性において区別されることはない旨 主張する。
しかし,控訴人らの上記主張は,解離シュウ酸が,ジアクオDACHプ ラチン等の不純物の生成を防止するかまたは遅延させ得るという効果を有 することを前提としたものであるところ,その前提が成り立たないことは, 原判決が判示するとおりである。
また,「緩衝剤」を定義する本件明細書の【0022】の後半では,「シ ュウ酸またはシュウ酸のアルカリ金属塩…等のような作用物質」と記載さ れており,単離可能な化学物質を意図していることが明確に理解できる。
さらに,本件発明1の特許請求の範囲には,「緩衝剤がシュウ酸または そのアルカリ金属塩であり」と明確に規定されているのであるから,明細 14 書の一部の記載のみを参酌して,緩衝剤の技術的範囲を「あらゆる物質」 にまで拡張することは許されない。
したがって,控訴人らの上記主張は,到底採用できるものではない。
イ 「添加シュウ酸と解離シュウ酸は同一の機能(効果)を有すること」 に対し 控訴人らは,添加シュウ酸と解離シュウ酸は,オキサリプラチン溶液の 安定化において同一の機能(効果)を有するから,両者を区別することに 技術的な意味はない旨主張する。
しかし,解離シュウ酸は,オキサリプラチン水溶液が化学平衡に至る結 果,不純物とともに生成するものであり,化学平衡状態を構成する要素の 一つにすぎないものであって,安定化の機能(効果)を有していないのに 対し,添加シュウ酸は,化学平衡をずらすことにより不純物を低減する機 能(効果)を有している。
また,「解離シュウ酸」も「緩衝剤」であるとするなら,「緩衝剤」が生 成を防止すべき不純物自体が,「緩衝剤」になるというトートロジーに 陥ってしまうことも明らかである。
したがって,控訴人らの上記主張は失当である。
ウ 「本件明細書の「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」は乙1の 1公報記載のオキサリプラチン水溶液ではないこと」に対し 控訴人らは,本件明細書の【0031】における「オキサリプラチンの 従来既知の水性組成物」とは,凍結乾燥物質であるオキサリプラチンを水 に溶かして再構築したものを意味し,乙1水溶液を意味するものではない から,本件発明1の「緩衝剤」は,乙1水溶液と比較して不純物を減少さ せる効果を有するものであるとはいえない旨主張する。
しかし,本件発明1が,オキサリプラチンの凍結乾燥物質が有する問題 点のみを解決することを目的とするものではなく,公知技術である乙1水 15 溶液等の「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」に比して生成され る不純物が少ないオキサリプラチン溶液組成物を提供することをもその目 的としていることは,原判決が判示するとおりであるから,控訴人らの上 記主張は失当である。
エ 「本件明細書には解離シュウ酸を含めた溶液組成物中のシュウ酸の総量 に係る記載があること」に対し 控訴人らは,本件明細書に触れた当業者であれば,実施例における解離 シュウ酸量及びシュウ酸の総量を推計することができるから,本件明細書 には解離シュウ酸を含めた溶液組成物中のシュウ酸の総量等を理解し得る 記載がある旨主張する。
しかし,本件優先日当時,解離シュウ酸を含むシュウ酸濃度を記載する ことが容易であったにもかかわらず,本件明細書の実施例には,添加した シュウ酸の量しか記載されておらず,本件明細書には,「緩衝剤」である 「シュウ酸」に,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸が含ま れることを示唆する記載すら見当たらないのであるから,本件明細書に触 れた当業者が,実施例を基に解離シュウ酸量を推計することはない。
しかも,そもそも,オキサリプラチン水溶液中には,その他の類縁物 質(本件明細書にある不特定不純物)が無視できない量で生成すること も分かっており(例えば,実施例1のように,その他の類縁物質が,ジ アクオDACHプラチン二量体と同等量(0.13wt%)で生成され る例も有る。 ,それらの物質と解離シュウ酸との関連が明らかではない ) ことからすれば,控訴人ら主張のようにジアクオDACHプラチン及び ジアクオDACHプラチン二量体の量のみからの単純な推計方法により 正確な解離シュウ酸量が推計できるものではないから,本件明細書に触 れた当業者が,このような方法で解離シュウ酸の量を推計することはあ り得ない。
16 したがって,控訴人らの上記主張は失当である。
オ 「「緩衝剤」として「シュウ酸」と「そのアルカリ金属塩」が区別され ていることとの関係等」に対し 控訴人らは,本件明細書の【0035】では,添加される緩衝剤も水性 緩衝溶液の形態で計量することが好ましいとされ,「イオン」の形態で計 量することが想定されているから,本件明細書では「イオン」であっても 「緩衝剤」に当たる前提で記載がされている旨主張する。
しかし,本件明細書の上記記載は,緩衝剤を含むオキサリプラチン溶液 の調製において,緩衝剤を固体で加える場合には,その後の溶解操作が必 要であり,また一般に固体よりも液体の方が計量が容易であるため,既に 溶解している水性緩衝溶液の形態で計量することが好ましいことを指摘し ているにすぎない。
また,適切なモル濃度の水性緩衝溶液を調製するためには,緩衝剤はイ オンではなく固体状態で計量し,固体状態での計量を水性溶液とすること で,液体の計量に置き換えているだけである。
さらに,そもそもイオンは単独で存在しないため,イオンの形態で計量 するという概念自体が技術的に誤った認識である。
したがって,控訴人らの上記主張は失当である。
カ 「「剤」の意味に基づく解釈」に対し (ア) 控訴人らは,本件発明1の「緩衝剤」における「剤」の意味を, 「各種の薬を調合すること。また,その薬。」という一般的な意味で解 釈すると,「剤」とは「「剤」を混ぜ合わせたもの」を意味することに なって,意義が循環することとなり,しかも,単一成分の薬剤が「剤」 に該当しないこととなるから,不合理である旨主張する。
しかし,単一成分の薬剤も賦形剤等の添加剤と調合して人に投与され る薬剤になるのは製薬の常識であるから,控訴人らの主張は当業者の常 17 識を外れたものであり,失当である。
(イ) また,控訴人らは,本件発明1は静脈内(血液内)に注入される注 射液に関するものであるところ,この技術分野では,体内で生成され た物質についても「緩衝剤」という用語が用いられ,外部から添加さ れるという解釈はされていない旨主張する。
しかし,そもそも本件発明1は製薬分野に関するものであり,控訴 人らが主張する生体内における反応を問題にする場面とは事案を異にす る。製薬の分野においては,基本的に辞書の解釈,日本薬局方,化学便 覧等の公定書及びそれに準ずる書類により用語が定められているのであ るから,これらによって解釈すべきである。
また,甲28の1及び2に挙げられたヘモグロビン,リン酸などは, 体内の別の場所,いわば外部で製造もしくは吸収され,別の部位に運ば れたものである。
さらに,控訴人らは,甲28の1について,「血液内で緩衝剤が生成 されることが記載されている。」と主張するが,甲28の1の記載は, 水素イオンがヘモグロビンに取り込まれることを記述して,ヘモグロビ ンに緩衝効果があることを説明しているだけであり,血液内で緩衝剤が 生成されていることを記載するものではないから,控訴人らの上記主張 は誤りである。
以上のとおり,控訴人らの主張は,異なる技術分野に関する文献の一 部の記述をもって,都合の良い解釈をしているにすぎない。
キ 「請求項10〜14の記載」に対し 控訴人らは,「緩衝剤」について,請求項10〜14では「付加」や 「混合」と記載されるのに対し,請求項1では「包含」と記載され,意 図的に使い分けられていることから,本件発明1の「緩衝剤」は「付加」 等されたものに限定されない旨主張する。
18 しかし,請求項10〜14の発明は,オキサリプラチン溶液の安定化 方法に関するものであるから,緩衝剤を付加するという方法を直接的に 記載することは自然であって,その結果,本件発明1の「緩衝剤を包含 するオキサリプラチン溶液」になるのであるとすれば,請求項1と請求 項10において表現が使い分けられていることは,本件発明1の「緩衝 剤」が添加されるものに限られるという解釈と何ら矛盾するものではな い。
したがって,控訴人らの上記主張は失当である。
当裁判所の判断
1 当裁判所は,争点1-1(構成要件1B,1F及び1Gの充足性)につい て,本件発明1における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,添加シュウ酸に 限られ,解離シュウ酸を含まないものと解されるから,解離シュウ酸を含むの みで,シュウ酸又はそのアルカリ金属塩が添加されていない被告各製品は,構 成要件1B,1F及び1Gの「緩衝剤」を含有するものではなく,これらの構 成要件を充足しないものと判断する。その理由は,後記2のとおり原判決を補 正し,後記3のとおり「当審における当事者の主張に対する判断」を付加する ほかは,原判決「事実及び理由」の第3の1(1)(37頁4行目から52頁1 5行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。
2 原判決の補正 (1) 原判決37頁20行目冒頭から23行目末尾までを次のとおり改める。
「(ア) 特許請求の範囲の記載 特許発明技術的範囲は,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基 づいて定めなければならない(特許法70条1項。ただし,平成14年 法律第24号による改正前の規定。)から,まずは,「緩衝剤」の意義に ついて,本件発明1に係る特許請求の範囲の記載からみて,いかなる解 釈が自然に導き出されるものであるかを検討する。
19 a まず,本件発明1に係る特許請求の範囲の記載によると,本件発明1は,@「オキサリプラチン」(構成要件1A),A「緩衝剤」である「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」(構成要件1B,1F)及びB「担体」である「水」(構成要件1C,1E)を「包含」する「オキサリプラチン溶液組成物」に係る発明であることが明らかである。そして,ここでいう「包含」とは「要素や事情を中にふくみもつこと」(広辞苑〔第六版〕)を意味する用語であるから,本件発明1の「オキサリプラチン溶液組成物」は,上記@ないしBの3つの要素を含みもつものとして組成されていると理解することができる。すなわち,本件発明1の「オキサリプラチン溶液組成物」においては,上記@ないしBの各要素が,当該組成物を組成するそれぞれ別個の要素として把握され得るものであると理解するのが自然である。
しかるところ,本件優先日当時の技術常識によれば,「解離シュ ウ酸」は,オキサリプラチン水溶液中において,「オキサリプラチ ン」と「水」が反応し,「オキサリプラチン」が自然に分解するこ と(本判決第2の3(2)の【控訴人らの主張】イ記載の図に示され た反応)によって必然的に生成されるものであり,「オキサリプラ チン」と「水」が混合されなければそもそも存在しないものであ る。してみると,このような「解離シュウ酸」をもって,「オキサ リプラチン溶液組成物」を組成する, オキ サリ プラ チン 」 及び 「 「水」とは別個の要素として把握することは不合理というべきであ り,そうであるとすれば,本件発明1における「緩衝剤」としての 「シュウ酸」とは,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ 酸に限られると解するのが自然といえる。
b 次に,「緩衝剤」の用語に着目すると,「剤」とは,一般に,「各 20 種の薬を調合すること。また,その薬。 (広辞苑〔第六版〕 」 ・乙2 7)を意味するものであるから,このような一般的な語義に従え ば,「緩衝剤」とは,「緩衝作用を有するものとして調合された薬」 を意味すると解するのが自然であり,そうであるとすれば,オキサ リプラチンの分解によって自然に生成されるものであって,「調合」 することが想定し難い解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は,「緩衝 剤」には当たらないということになる。
c さらに,本件発明1においては,「緩衝剤」は「シュウ酸」又は 「そのアルカリ金属塩」であるとされるから,「緩衝剤」として「シ ュウ酸のアルカリ金属塩」のみを選択することも可能なはずであると ころ,オキサリプラチンの分解によって自然に生じた解離シュウ酸は 「シュウ酸のアルカリ金属塩」ではないから,「緩衝剤」としての 「シュウ酸のアルカリ金属塩」とは,添加されたものを指すと解さざ るを得ないことになる。そうであるとすれば,「緩衝剤」となり得る ものとして「シュウ酸のアルカリ金属塩」と並列的に規定される「シ ュウ酸」についても同様に,添加されたものを意味すると解するのが 自然といえる。
d 以上のとおり,本件発明1に係る特許請求の範囲の記載からみれば, 本件発明1における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ 酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られるものと解するのが自 然であるといえる。」(2) 原判決37頁25行目の「そこで」の前に次のとおり加える。
「次に,特許請求の範囲に記載された用語の意義は,明細書の記載を考慮し て解釈するものとされる(特許法70条2項。ただし,平成14年法律第2 4号による改正前の規定。。
)」(3) 原判決40頁23行目の「「緩衝剤」と当たる」を「「緩衝剤」に当た 21 る」と改める。
(4) 原判決41頁22行目の「シュウ酸」の次に「又はシュウ酸ナトリウ ム」を加える。
(5) 原判決43頁4行目冒頭から24行目末尾までを削除する。
(6) 原判決43頁25行目の「(キ)」を「(カ)」と改める。
(7) 原判決45頁12行目冒頭から46頁14行目末尾までを削除する。
(8) 原判決46頁15行目の「c」を「b」と改める。
(9) 原判決47頁2行目の「むしろ」から4行目末尾までを次のとおり改め る。
「むしろ,請求項1の記載は,前記イ(ア)のとおり,緩衝剤が外部から添加 されるという,その由来を示すものとみるのが自然である。」 (10) 原判決47頁22行目並びに48頁1行目及び同2行目から3行目にか けての各「遅延し」を「遅延させ」とそれぞれ改める。
3 当審における当事者の主張に対する判断 (1) 本件明細書中の定義等について 控訴人らは,本件明細書中の「緩衝剤」の定義(【0022】 【002 , 3】)に従えば,「緩衝剤」は,「オキサリプラチン溶液組成物」において, 所定のモル濃度で存在するもので,あらゆる酸性又は塩基性剤を意味する ものであり,また,本件発明1におけるオキサリプラチン溶液の安定化と いう作用効果は,添加シュウ酸であろうと解離シュウ酸であろうと変わり がないから,添加シュウ酸と解離シュウ酸が「緩衝剤」の該当性において 区別されることはない旨主張する。
しかしながら,オキサリプラチン溶液の安定化の作用効果において,添加 シュウ酸と解離シュウ酸が異なるものであることは,前記説示(原判決「事 実及び理由」の第3の1(1)イ(エ),ウ(イ))のとおりである。
すなわち,オキサリプラチン水溶液においては,オキサリプラチンと水 22 が反応し,オキサリプラチンの一部が分解されて,ジアクオDACHプラチンとシュウ酸(解離シュウ酸)が生成される。その際,これとは逆に,ジアクオDACHプラチンとシュウ酸が反応してオキサリプラチンが生成される反応も同時に進行することになるが,十分な時間が経過すると,両反応(正反応と逆反応)の速度が等しい状態(化学平衡の状態)が生じ,オキサリプラチン,ジアクオDACHプラチン及びシュウ酸の量(濃度)が一定となる。また,上記の反応に伴い,オキサリプラチンの分解によって生じたジアクオDACHプラチンからジアクオDACHプラチン二量体が生成されることになるが,その際にもこれとは逆の反応が同時に進行し,化学平衡の状態が生じることになる。
しかるところ,上記のような平衡状態にあるオキサリプラチン水溶液にシュウ酸を添加すると,ルシャトリエの原理によって,シュウ酸の量を減少させる方向,すなわち,ジアクオDACHプラチンとシュウ酸が反応してオキサリプラチンが生成される方向の反応が進行し,新たな平衡状態が生じることになる。そして,この新たな平衡状態においては,シュウ酸を添加する前の平衡状態に比べ,ジアクオDACHプラチンの量が少なくなるから,上記の添加されたシュウ酸は,不純物であるジアクオDACHプラチンの生成を防止し,かつ,ジアクオDACHプラチンから生成されるジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止する作用を果たすものといえる。
他方,解離シュウ酸は,水溶液中のオキサリプラチンの一部が分解され,ジアクオDACHプラチンとともに生成されるもの,すなわち,オキサリプラチン水溶液において,オキサリプラチンと水とが反応して自然に生じる上記平衡状態を構成する要素の一つにすぎないものであるから,このような解離シュウ酸をもって,当該平衡状態に至る反応の中でジアクオDACHプラチン等の生成を防止したり,遅延させたりする作用を果たす物質とみることはできないというべきである(また,以上に説示したところによれば,解離 23 シュウ酸が,平衡状態に達した後のジアクオDACHプラチン等の生成を防 止し,又は遅延させるものともいえない。 。
) 以上のとおり,オキサリプラチン水溶液中の解離シュウ酸は,添加シュウ 酸とは異なり,ジアクオDACHプラチン等の不純物の生成を防止したり, 遅延させたりする作用を果たす物質とはいえないのであり,そうである以 上,本件明細書の【0022】における「緩衝剤」の定義(「不純物,例え ばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成 を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤」)に当ては まるものではないから,控訴人らの上記主張は採用できない。
(2) 「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」の意義について ア 控訴人らは,本件明細書の【0031】における「オキサリプラチンの 従来既知の水性組成物」とは,凍結乾燥物質であるオキサリプラチンを水 に溶かして再構築したものを意味し,乙1水溶液を意味するものではない から,同段落の記載から,本件発明1の「緩衝剤」は乙1水溶液に比して 不純物を減少させる効果を有するものであるとするのは誤りである旨主張 する。
しかしながら,上記「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」が乙 1水溶液を含むものであることは,前記説示(原判決「事実及び理由」の 第3の1(1)イ(ウ),ウ(ウ))のとおりである。
すなわち,本件明細書においては,凍結乾燥粉末形態のオキサリプラ チン生成物のみならず,乙1水溶液に相当する豪州国特許出願第 29896/95 号(WO96/04904)に係るオキサリプラチン水溶液についても従 来技術として挙げられ(【0010】 ,オキサリプラチンの水溶液中にお ) いて不純物が生成されるという問題及び「上記の不純物を全く生成しない か,あるいはこれまでに知られているより有意に少ない量でこのような不 純物を生成するオキサリプラチンのより安定な溶液組成物を開発する」と 24 いう課題(【0013】〜【0016】)についての説明がされ,その上で,本発明の組成物が,「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」よりも製造工程中に安定で,ジアクオDACHプラチン等の不純物が少ない旨が記載されている(【0031】)のであり,他方,本件明細書に従来技術として挙げられているオキサリプラチン組成物のうち水溶液であることが明示されているのは,乙1水溶液及びこれと同様のものとされる乙7公報記載の製剤のみなのであるから,上記「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」が乙1水溶液を含むものであり,本件発明1は,当該水性組成物における不純物生成の問題を改善することをも目的とする発明であって,専ら凍結乾燥物質であるオキサリプラチンを水に溶かして再構築したものについての欠点を克服するための発明などではないことは明らかである(そもそも,凍結乾燥形態のオキサリプラチン生成物は,患者への投与の直前に再構築されて利用されるものであるから(本件明細書の【0012】,凍結乾燥物質であるオキサリプラチンを水に溶かして再構築したも )のについて,時間の経過による不純物の生成が問題とされること自体考え難いことといえる。。
) したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。
イ また,控訴人らは,以下のような点を上記主張の根拠として主張する が,いずれも採用することはできない。
(ア) 控訴人らは,本件明細書において従来技術の問題とされているの は,オキサリプラチンが時間を追って分解していく製薬上安定とはい えない溶液組成物であることであるところ,乙1水溶液の実施品は, 既に製薬上安定であって,上記の問題を有する溶液組成物には該当せ ず,また,本件明細書には,乙1水溶液を前提として,更なる不純物 の減少を問題とすることを示す記載も存在しない旨主張する。
しかし,上記アで述べたとおり,本件明細書においては,乙1水溶 25 液に相当するものが従来技術として挙げられた上で,オキサリプラチ ン水溶液中で不純物が生成されるという従来技術の問題が指摘され, 「不純物を全く生成しないか,あるいはこれまでに知られているより 有意に少ない量でこのような不純物を生成するオキサリプラチンのよ り安定な溶液組成物を開発する」という課題が示されているのである から,本件明細書では,乙1水溶液が,不純物生成の問題を有する従 来技術に属するオキサリプラチン水溶液であることを前提に,それよ り「有意に少ない量で…不純物を生成するオキサリプラチンのより安 定な溶液組成物を開発する」ことを発明の課題とすることが開示され ているものということができる。
また,控訴人らは,本件発明1が克服すべき課題である「欠点」は, 「すぐに使える形態の製薬上安定なオキサリプラチン溶液組成物を提 供する」(本件明細書の【0017】)という解決手段により克服され るものであるところ,乙1水溶液は,「すぐに使える形態の製薬上安定 なオキサリプラチン溶液組成物」であるから,上記解決手段により克 服される欠点を有していない旨主張する。
しかし,上記で述べたとおり,本件明細書においては,乙1水溶液 に比して「より安定な溶液組成物を開発する」ことが発明の課題とさ れているのであるから,乙1水溶液は,溶液組成物としての安定性に おいてなお十分なものではなく,「製薬上安定なオキサリプラチン溶液 組成物を提供する」という解決手段により克服される欠点を有するも のとされていることが認められる。
したがって,控訴人らの上記主張はいずれも採用できない。
(イ) 控訴人らは,本件明細書の実施例1及び8が少なくとも出願当初は 発明の実施例であった以上,これらについても,「オキサリプラチンの 従来既知の水性組成物」よりも「製造工程中に安定であ」り,「本発明 26 の組成物中に生成される不純物が…少ない」もの(【0031】)であ るはずであるとの前提に立った上で,本件明細書の実施例18?(乙 1水溶液と変わらないもの)と実施例1及び8との間で不純物を減少 させる効果に差がないとされることからすれば,本件明細書の【00 31】の「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」は,乙1水溶 液ではなく,凍結乾燥物質を再構築したものと解釈されるべきである 旨主張する。
しかし,後記(3)イのとおり,実施例1及び8は,出願当初は本件発 明1の実施例であったものの,その後,請求項1に緩衝剤の量を「5 ?10 -5 M」以上とする数値限定がされたために実施例ではなくなっ たものと認められるところ,このような数値限定は,実施例1及び8 が,乙1水溶液に相当する実施例18?と比較して有意に少ない量し か不純物を生成しないとはいえないものであること(本件明細書の 【表8】 【表9】 【表14】 , , )から,これらを本件発明1の技術的範囲 から除外するためにされた数値限定であることが推認される。
このように,実施例1及び8は,本件発明1の作用効果を奏するも のではないために実施例から除外されたものなのであるから,これら についてまで,「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」よりも 「製造工程中に安定であ」り,「本発明の組成物中に生成される不純物 が…少ない」もの(【0031】)であるはずであるとする控訴人らの 主張は誤りである。
したがって,控訴人らの上記主張は,その前提において誤りであっ て,採用することができない。
(ウ) 控訴人らは,緩衝剤を添加したオキサリプラチン水溶液が,乙1 水溶液と比較して「製造工程中に安定」であると考えると,乙1水溶 液を製造する工程と,オキサリプラチンに緩衝剤を添加した水溶液を 27 製造する工程とを比較する概念が突如出てくることになるが,本件明 細書には,これらの製造工程における安定性を比較した結果は示され ていないから,このように理解することは不自然であり,本件明細書 の【0031】の「製造工程」とは,凍結乾燥物を溶解させて再構築 させる工程であると考えるのが自然である旨主張する。
しかし,本件明細書の【0031】では,「製造工程中に安定である こと」について,「本発明の組成物中に生成される不純物…が少ないこ とを意味する」ことが記載されているにすぎないから,上記「製造工程」 を「凍結乾燥物を溶解させて再構築させる工程」に限定して解釈すべき 根拠はない。
したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。
(エ) 控訴人らは,本件明細書の【0012】(2段落)〜【0016】 と,【0030】〜【0032】とが対応した記載になっていることな どから,【0031】の「従来既知の水性組成物」は凍結乾燥物である オキサリプラチンを水に溶かして再構築した水性組成物を意味する旨主 張する。
しかし,本件明細書の上記記載から導かれるべき「オキサリプラチン の従来既知の水性組成物」の解釈は,前記アのとおりであって,控訴人 らの上記主張は採用できない。
控訴人らの主張は,本件発明1の目的が「すぐに使える形態の製薬上 安定なオキサリプラチン溶液組成物を提供すること」(本件明細書の 【0017】)とされていることなどから,本件発明1を,専ら凍結乾 燥粉末形態のオキサリプラチン生成物(及びそれを水に溶かして再構築 したもの)に係る欠点を克服するための発明として理解するものといえ る。
しかし,本件明細書の記載によれば,本件発明1は,従来からある 28 凍結乾燥粉末形態のオキサリプラチン生成物及び乙1水溶液を含むオ キサリプラチン水溶液の欠点を克服し,すぐに使える形態の製薬上安 定であるオキサリプラチン溶液組成物を提供することを目的とする発 明であり(【0010】 【0012】〜【0017】 ,請求項1の構 , ) 成のオキサリプラチン溶液組成物とすることにより,組成物中のジア クオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体といった不 純物の生成を防止し,又は遅延させることができ(【0022】 【0 , 023】 ,これによって,従来既知の前記オキサリプラチン組成物と ) 比較して優れた効果,すなわち,@凍結乾燥粉末形態のオキサリプラ チン生成物と比較すると,低コストで,かつさほど複雑でない製造方 法により製造することができ,また,投与前の再構築を必要としない ので,再構築のための適切な溶媒の選択に際してエラーが生じる機会 がなく,A乙1水溶液を含むオキサリプラチンの従来既知の水性組成 物と比較すると,製造工程中に安定であり,生成されるジアクオDA CHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体といった不純物が少な いという効果を有するものであること(本件明細書の段落【003 0】 【0031】 , )が認められるものといえる。
このように,本件発明1は,凍結乾燥粉末形態のオキサリプラチン 生成物と乙1水溶液を含むオキサリプラチン水溶液の双方に係る欠点 を克服するための発明として理解できるものであるから,控訴人らに よる本件発明1の理解には誤りがある。
(オ) 控訴人らは,本件明細書には,従来技術としての公報が多数列記さ れているのに,その中から乙1の1公報だけを抜き出して,「従来既知 の水性組成物」 【0031】 ( )を乙1水溶液と解釈することは妥当性を 欠く旨主張する。
しかし,本件明細書の関係する記載を総合した結果として,【003 29 1】の「オキサリプラチンの従来既知の水性組成物」が乙1水溶液を含 むものと解釈できることは前記(ア)で述べたとおりであり,本件明細書 に他の従来技術が多数列記されているからといって,その解釈が否定さ れる理由はない。
したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。
(カ) 控訴人らは,「緩衝剤」が添加したものに限定されるとすれば,実 施例1及び8でも添加シュウ酸等が存在する以上,「緩衝剤」が含まれ ていることになるところ,実施例1及び8が本件発明1の効果を奏しな い比較例であるとすると,本件発明1の効果を奏しない比較例でも「緩 衝剤」を含むことになり,「緩衝剤」の意味を解釈する際に,緩衝剤が 添加されていない乙1水溶液と比較しなければならないという原判決の 前提は崩れている旨主張する。
しかし,実施例1及び8は,「緩衝剤」が含まれないから比較例にな るわけではなく,「緩衝剤」が含まれてはいるが,後記(3)イのとおり, 含まれるべき緩衝剤の量を数値限定したことにより,本件発明1の技術 的範囲から除外されたものと認められるのであるから,控訴人らの上記 主張は採用できない。
(3) 解離シュウ酸を含めたシュウ酸の総量に係る記載の有無について ア 控訴人らは,ジアクオDACHプラチン等のモル濃度から解離シュウ 酸のモル濃度を推計することができること,構成要件1Gが規定する緩 衝剤の量の下限値と実施例における添加シュウ酸等の下限値が一致しな いことからすれば,本件明細書に触れた当業者は,解離シュウ酸を含め た溶液組成物中のシュウ酸の総量と製薬上の安定性との関係を理解する ことができるから,本件発明1の構成要件1Gが規定する緩衝剤の量の 数値の根拠は,本件明細書中,添加シュウ酸等のモル濃度の数値以外に 見当たらないとした原判決の判断は誤りである旨主張する。
30 しかし,本件明細書には,実施例として,添加されたシュウ酸又はシュウ酸ナトリウムのモル濃度のみが数値として記載され(【表8】〜【表13】,解離シュウ酸のモル濃度については,測定値も推計値も記載されて )おらず,控訴人ら主張の推計方法等を示唆する記載もないこと,他方,実施例1〜17のうち,後記イのとおり実施例から除外されたものと認められる実施例1及び8を除き,実施例における添加されたシュウ酸又はシュウ酸ナトリウムのモル濃度はいずれも構成要件1Gの数値の範囲内であることからすれば,これらの記載に接した当業者は,構成要件1Gに係るモル濃度の数値は,本件明細書に具体的に記載されている添加されたシュウ酸又はシュウ酸ナトリウムのモル濃度の数値であると自然に理解するというべきであり,何らの記載も示唆もない解離シュウ酸のモル濃度の推計値を足し合わせた数値であるなどと理解することは考えられない。
したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。
イ また,控訴人らは,本件明細書の実施例1,8及び18?は本件発明1 の実施例であり,これらにおける解離シュウ酸を含めた溶液組成物中のシ ュウ酸の総量を推計すると,その下限は5?10 -5 Mを超える値になる から,当業者は,本件発明1の構成要件1Gの濃度の下限値は,添加シュ ウ酸の濃度に解離シュウ酸の濃度を加えたものであると理解する旨主張す る。
しかしながら,実施例1,8及び18?がいずれも本件発明1の実施例 とは認められないことは,前記説示(原判決「事実及び理由」の第3の1 (1)イ(オ),ウ(エ))のとおりである。
すなわち,本件明細書では,実施例18について,「比較のために,例えば豪州国特許出願第 29896/95 号・・・に記載されているような水性オキサリプラチン組成物を,以下のように調製した」と記載され(【0050】 ,また,実施例18の安定性試験の結果を示すに当たっては, ) 「比較 31 例18の安定性」との表題が付された上で,実施例18?については「非 緩衝化オキサリプラチン溶液組成物」と表現されている(【0073】 。
) そして,上記のとおり実施例18と同様の水性オキサリプラチン組成物と される「豪州国特許出願第 29896/95 号」は,本件明細書で従来技術とし て挙げられるもの(【0010】)にほかならない。以上のような本件明 細書の記載を総合すれば,控訴人が指摘する実施例18?は,「実施例」 との文言が用いられてはいるものの,本件発明1の実施例ではなく,実 施例との比較例として理解されるべきものであることが明らかといえ る。
また,本件明細書の実施例1及び8において添加された緩衝剤のモル 濃度は,いずれも「0.00001M 」(1?10 - 5 M)である(【表 8】【表9】 , )ところ,請求項1は,本件出願時には,「緩衝剤」の量につ いての限定がなかったものが,その後の補正等の経過の中で,「緩衝剤」 の量を構成要件1Gの範囲のモル濃度とする限定がされたものと考えられ る。すなわち,本件出願当初の請求項1に係る発明には上記数値限定はな く,その時点では,実施例1及び8も実施例であったが,「5?10 -5 M」以上との数値限定がされたため,実施例1及び8は,本件発明1の実 施例に該当しなくなったものと解される。このように,実施例1及び8 は,上記補正等の結果,構成要件1Gを満たさないものとして本件発明1 の実施例から除外されたものと認められるのであり,本件発明1の実施例 とは認められない。
したがって,実施例1,8及び18?が本件発明1の実施例であること を前提とする控訴人らの上記主張は採用できない。
(4) 「緩衝剤」として「シュウ酸」と「そのアルカリ金属塩」が区別されて いることとの関係等について ア 控訴人らは,本件発明1の「緩衝剤」として,「シュウ酸」と「そのア 32 ルカリ金属塩」が区別して規定されていることは,「緩衝剤」としての 「シュウ酸」に解離シュウ酸が含まれないことの根拠とはならない旨主張 する。
しかし,本件発明1において,「緩衝剤」としての「シュウ酸のアルカ リ金属塩」は添加されたものしか考えられない以上,これと区別されて並 列的に規定されている「シュウ酸」についても,同様に添加されたものを 意味すると解するのが自然であることは,前記説示(原判決「事実及び理 由」の第3の1(1)イ(ア)c)のとおりである。
したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。
イ また,控訴人らは,本件明細書の【0035】で,添加される緩衝剤も 水性緩衝溶液の形態で計量することが好ましいとされていることから,本 件明細書は,「イオン」であっても「緩衝剤」に当たる前提で記載されて いる旨主張する。
この点,本件明細書の【0035】には,「適切な緩衝剤(固体形態 の,または好ましくは適切なモル濃度の水性緩衝溶液の形態の)を適切な 容器中で計量して,混合容器…に移す。」との記載があるところ,【003 4】ないし【0036】には,適切なモル濃度の水性緩衝溶液の形態の緩 衝剤を適切な容器中で計量し,一定の濃度の緩衝剤の水溶液を調製した 上,これにオキサリプラチンを溶かし,その後,更に水を加えて,オキサ リプラチン水溶液を調製することが記載されているのであり,【003 5】の上記記載は,実施例1〜14のオキサリプラチン水性組成物を調製 する工程における緩衝剤の計量方法として,固体形態での計量のほかに, 水性緩衝溶液形態での計量があることを述べたものにすぎない。他方,本 件明細書には,実施例1〜7において添加されたシュウ酸ナトリウム及び 実施例8〜14において添加されたシュウ酸について,いずれも重量(m g)とモル濃度を単位としてその分量が記載されており(【表1】 【表 , 33 2】【表8】〜【表10】,実施例8〜14において添加されたシュウ酸 , ) は,二水和物として付加されるものとして,シュウ酸二水和物の重量が記 載されている(【0042】)のであり,シュウ酸イオンの重量やモル濃度 についての記載はないのであるから,【0035】の上記記載が,シュウ 酸イオンの計量をもって「緩衝剤」を計量することを前提にしているなど ということはできない。
したがって,控訴人らの上記主張も採用できない。
(5) 「剤」の意味に基づく解釈について ア 「剤」の一般的な語義に従えば,「緩衝剤」とは,「緩衝作用を有するも のとして調合された薬」を意味し,オキサリプラチンの分解によって自然 に生成され,「調合」することが想定し難い解離シュウ酸(シュウ酸イオ ン)は「緩衝剤」に当たらないものといえることは,前記説示(原判決 「事実及び理由」の第3の1(1)イ(ア)b)のとおりである。
これに対し,控訴人らは,「調合」の語義との関係で,「剤」に「調合」 を要求すると意義の循環が生じるなどとして,上記一般的な語義に基づく 解釈は不合理であるなどと主張する。
しかし,控訴人ら指摘の点を勘案しても,「各種の薬を調合したもの。
また,その薬。」が「剤」の一般的な意味とされていること自体が否定さ れるものではなく,これに従って解釈する限り,オキサリプラチンの分解 によって自然に生成される解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は緩衝「剤」 とはいえないとの理解ができるのであって,このことが,本件発明1の 「緩衝剤」に解離シュウ酸が含まれないものとする解釈を支持する事情の 一つとなり得ることは,何ら否定されるものではない。
イ また,控訴人らは,本件発明1のように,静脈内(血液内)に注入さ れる注射液の技術分野では,体内で生成された物質についても「緩衝剤」 という用語が用いられているから(甲28の1〜3)「剤」という文言が , 34 用いられているからといって,外部から添加されるという解釈はされてい ない旨主張する。
そこで,控訴人が上記主張の根拠とする文献等の記載をみると,甲28 の1には,血液における二酸化炭素の運搬につき,「水素イオンはヘモグ ロビンに取り込まれる。これによりヘモグロビンは血液の緩衝剤として働 く。」との記載,甲28の2には,アミノ酸の滴定と緩衝能につき,「アミ ノ酸は,その化学構造に応じて,それぞれのpK a値付近のpHにおいて 効果的な緩衝剤として作用できる」との記載,生体における緩衝液(炭酸 水素塩緩衝液(血液),リン酸塩緩衝液(細胞内液),タンパク質緩衝液な ど)のうち,リン酸塩緩衝液につき,「細胞は他の弱酸も含んでいるが, これらの物質は緩衝剤としては重要ではない」 「H 2 PO 4 -/HPO 42- , が緩衝剤として効果的に機能するpH範囲」,タンパク質緩衝液につき, 「タンパク質分子は生体内にかなり高い濃度で存在しているので,それら は強力な緩衝剤である」との各記載,塩基性アミノ酸につき,「ヒスチジ ン残基は緩衝剤として働く」との記載があることが認められる。
しかし,これらの記載は,生体内の酸又は塩基による急激なpH変化を 防ぐことを「緩衝」といい,生体内に備わっている急激なpH変化に抵抗 する物質を「緩衝剤」ということを前提にした記載と解されるのであり, このような「緩衝剤」の用語の使い方が,生体内の反応とは異なる場面に まで適用されるか否かは明らかとはいえない。
しかるところ,オキサリプラチン水溶液の分解により解離シュウ酸が生 成する反応は,生体内の反応とは異なる場面の反応であるから,上記文献 上での「緩衝剤」の用語の使い方が,本件発明1の「緩衝剤」に解離シュ ウ酸が含まれるか否かの解釈に直ちに結びつくものとはいえない。
したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。
(6) 請求項10〜14の記載について 35 控訴人らは,本件特許の特許請求の範囲の記載では,「緩衝剤」について, 請求項10〜14では,「付加」や「混合」と記載され,請求項1では「包 含」と記載され,意図的に使い分けられていることから,本件発明1の「緩 衝剤」は「付加」等されたものに限定されない旨主張する。
しかし,「包含」とは,「要素や事情を中にふくみもつこと」(広辞苑〔第 六版〕)を意味する用語であるから,これを前提とすれば,本件発明1にお ける「緩衝剤…を包含する…組成物」とは,「緩衝剤をつつみこみ,中にふ くむ組成物」を意味するにすぎず,これによって,当該組成物中の「緩衝 剤」の由来について,添加されたものに限るか否かの解釈が当然に定まるも のではなく,他の根拠に基づいて,本件発明1の「緩衝剤」を外部から添加 されたものに限るとの解釈をとることが,上記文言と矛盾することにはなら ない。
また,請求項10は,「オキサリプラチンの溶液の安定化方法」に係る発 明,請求項11〜14は,請求項1〜9のいずれかの組成物の「製造方法」 に係る発明であって,「付加」との記載は,緩衝剤を水性溶液に付加するこ と,「混合」との記載は,緩衝剤を,担体及びオキサリプラチン,又は,担 体のみと混合すること,という構成要件に含まれているのに対し,請求項1 における「包含」との記載は,組成物を構成する物を記載したものであるか ら,このような発明の対象・構成の違いから,異なる用語が使用されている ものと理解することも可能である。したがって,「付加」 「混合」の用語は , 外部からの添加を意味し,「包含」の用語は外部からの添加を必ずしも意味 しないものとして意図的に使い分けられているなどと断定できるものではな い。
したがって,控訴人らの上記主張は採用できない。
(7) 小括 以上のとおり,当審における控訴人らの主張は,いずれも採用の限りでは 36 なく,これらを踏まえても,本件発明1における「緩衝剤」としての「シュ ウ酸」は,添加シュウ酸に限られ,解離シュウ酸を含まないものと解される べきである。
したがって,解離シュウ酸を含むのみで,シュウ酸又はそのアルカリ金属 塩が添加されていない被告各製品は,構成要件1B,1F及び1Gの「緩衝 剤」を含有せず,これらの構成要件を充足しない。
4 結論 以上によれば,構成要件1Dの充足性(争点1-2)について判断するまでも なく,被告各製品は,いずれも本件発明1の技術的範囲に属しない。
また,本件発明2は,本件発明1の「緩衝剤」の構成を含むものであるか ら,被告各製品は,いずれも本件発明2の技術的範囲にも属しない。
そうすると,控訴人らの各請求は,その余の点について判断するまでもなく いずれも理由がない。
したがって,控訴人らの各請求をいずれも棄却した原判決は相当であって, 本件控訴は理由がないから,これをいずれも棄却することとし,主文のとおり 判決する。
裁判長裁判官 鶴岡稔彦
裁判官 37