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関連審決 不服2012-20646
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事件 平成 27年 (行ケ) 10052号 審決取消請求事件

原告 タイワンジェファーマシュティカ ルズ カンパニー リミテッド
訴訟代理人弁理士奥山尚一
同 有原幸一
同 松島鉄男
同 河村英文
同 中村綾子
被告特許庁長官
指定代理人横山敏志
同 内田淳子
同 板谷一弘
同 田中敬規
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2016/03/31
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理の申立てのための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
請求
特許庁が不服2012-20646号事件について平成26年10月27日にした審決を取り消す。
前提となる事実
1 特許庁における手続の経緯等(争いがない) ジェンケン バイオサイエンスィズ,インコーポレイテッドは,発明の名称を「ナルメフェン及びそれの類似体を使用する疾患の処置」とする発明について,2005年(平成17年)9月6日を国際出願日とする特許出願(特願2007-531272号〔以下「本願」という。〕,優先権主張日2004年(平成16年)9月8日,米国〔米国特許出願10/936431号〕)をしたが,平成24年6月14日付けで拒絶査定を受けたため,同年10月19日付けで,これに対する不服の審判を請求し,同日付け手続補正書(甲10)により,特許請求の範囲等の補正(以下「本件補正」という。)をした。原告は,その後,ジェンケン バイオサイエンスィズ,インコーポレイテッドから,本願に係る特許を受ける権利の譲渡を受け,平成26年9月25日,特許庁に対して出願人名義変更届を提出した。
特許庁は,上記審判請求を不服2012-20646号事件として審理をした結果,平成26年10月27日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,同年11月11日,原告に送達した。
2 特許請求の範囲本件補正前の特許請求の範囲(請求項の数13)のうち,請求項1の記載は,以下のとおりである(甲7。以下,本件補正前の請求項1に係る発明を「本願発明」といい,本件補正前の明細書及び図面を併せて「本願明細書」という。)。
「【請求項1】B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染,器官の損傷が肝臓の損傷,肺の損傷,及び腎臓の損傷であるところの器官の損傷,並びに,クローン病,潰瘍性大腸炎,及び肺繊維症からなる群より選択された,スーパーオキサイドアニオンラジカル,TNF-α,又はiNOS,の過剰生産と関連させられた疾患より選択された 健康状態を予防する又は治療するための医薬において, それは,式R-A-Xの化合物の治療的な量をそれを必要とするヒト又は動物へ投与することを具備すると共に, Rは,H,アルキル,アリル,フェニル,ベンジル,又は(CH2)mR4であると共に, mは,0から6までであると共に, R4は,環の構造であることができると共に, Aは, 【化1】であると共に, Xは,水素,アリル,シンナモイル,クロトニル,(CH 2 )C 6 H 5 -4F,(CH2)nC=CR1R2,(CH2) nC≡CR3,(CH2 )nR 5,及び(CH2),CHR6R7であることができると共に,m mは,0から6までであると共に, nは,0から6までであると共に, R3は,H,アルキル,又はR4と同じものであると共に, R4は,上に記載されたものであると共に, R5は,アルキル,CN,COR8,又は以下に続く構造【化2】からなる群より選択さ れた構造であることが で きると共に, Yは,Oであることができると共に, R6及びR7は,各々独立に,上に定義されたようなR 4と同じものであると共に, R8は,アルキル,上に定義されたようなR4と同じもの,又は,R5が,上に記載された構造(IX-XVIII)【判決注:「XIV-XVIII」の誤記と認める。】であることができるとき,R5と同じものである,医薬。」 3 審決の理由 審決の理由は,別紙審決書写しに記載のとおりである。その要旨は,@本件補正は,新たな技術的事項を導入するものであり,願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面に記載されたものではない補正を含むから却下する,A本願発明は,本願の優先日前に頒布された国際公開第92/18126号(甲1。訳文が甲1の3。以下「刊行物1」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)であるから,特許法29条1項3号の規定により特許を受けることができない,B本願明細書の発明の詳細な説明の記載によって,本願発明,すなわち「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染を予防する又は治療するための医薬において」,ナルメフェンを含む「式R-A-Xの化合物の治療的な量をそれを必要とするヒト又は動物へ投与することを具備する医薬」が記載されたものとはいえないから,特許請求の範囲の請求項1の記載が特許法36条6項1号に規定する要件を満たしておらず,また,本願明細書の発明の詳細な説明の記載は当業者が本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものとはいえないから,発明の詳細な説明の記載が同条4項1号の規定を満たしておらず,したがって,特許を受けることができない,というものである。
審決が認定した引用発明並びに本願発明と引用発明との一致点及び一応の相違点は,以下のとおりである(なお,本件訴訟において,原告は,上記@の本件補正の却下の判断は争っていない。)。
(1) 引用発明の認定 「外傷,損傷,または出血性ショックによる,腎臓,小腸,肝臓,または肺での虚血または低灌流に苦しむ患者を治療するための,器官における虚血または低灌流の発症に続く,注射可能な媒体中の,患者の体重に基づく,約10〜3000μg/kgのナルメフェンの患者への静脈内投与のための剤。」 (2) 本願発明と引用発明との一致点 「腎臓,小腸,肝臓,または肺の損傷を含む健康状態を予防する又は治療するための医薬において,式R-A-Xの化合物の治療的な量を,それを必要とするヒト又は動物へ投与することを具備する医薬。」 (3) 本願発明と引用発明との一応の相違点 「腎臓,小腸,肝臓,または肺の損傷」を含む「健康状態」が, 本願発明では,「器官の損傷が肝臓の損傷,肺の損傷,及び腎臓の損傷であるところの器官の損傷」であるのに対し, 引用発明では,「外傷,損傷,または出血性ショックによる,腎臓,小腸,肝臓,または肺での虚血または低灌流」である点。
原告の主張する取消事由
1 取消事由1(新規性についての審決の判断手法及び一致点の認定の誤り) (1) 審決の判断手法の誤りについて 審決は,刊行物1のうち,抽象的な記載である請求項8及び同14並びに実施例とはいえない実験例(EXAMPLE)1及び3のみを根拠として,刊行物1の明細書全体の記載を参酌せずに,本願発明が刊行物1に記載された発明であると判断して,新規性を否定したが,かかる審決の判断手法には誤りがある。
すなわち,審決は,前記第2の3(3)の相違点について検討した上,「引用発明の『外傷,損傷,または出血性ショックによる,腎臓,小腸,肝臓,または肺での 虚血または低灌流』は,摘示(刊1-2)にあるとおり,その実施態様として,『肝臓の虚血』として,ラットの肝臓の動脈と静脈をクランプ交差して虚血に導いており,摘示(刊1-3)の『腎臓の虚血』についても同様であることから,『損傷による肝臓での虚血』と,『損傷による腎臓での虚血』とを少なくとも含むものである。」と認定して,本願発明と引用発明の相違点は実質的に相違しないと判断した。
しかし,刊行物1は,「発明の分野(Field of the Invention)」において,「移植ドナーの血行動態及びドナーの臓器機能を改善し,移植後の生存率を向上させる方法,及びトラウマ(trauma)または傷害(insult)の結果として虚血状態となった臓器の再灌流傷害(injury)を予防する方法に関するもの」である。そして,審決が根拠とする「摘示(刊1-2)」及び「摘示(刊1-3)」とは,刊行物1の例1と例3であるところ,これらは,実際に摘出及び移植を行った実施例ではなく,移植は行われていないが,ラットの肝臓の門又は腎臓の動脈と静脈のクランプ交差(クロスクランプ)により肝臓又は腎臓の血流を遮断した後,再灌流することにより,摘出及び移植の状態を模倣した実験例にすぎず,原文では単にEXAMPLE1及びEXAMPLE3と記載されている。したがって,審決が,これらの実験例を実施例と判断して,これらを根拠として本願発明の新規性を否定したことは誤りである。
また,審決は,「摘示(刊1-1)」として,刊行物1の請求項8と同14の記載とその訳を示して,引用発明の開示の根拠としている。しかし,請求項の記載は一般に抽象的になる傾向があり,特に審査前の請求項は新規性拒絶の根拠としては信頼性に欠ける。刊行物1は,国際公開された指定国による審査前の請求項を示しており,当該請求項は,他社に対する威嚇または萎縮効果や各指定国の法制の違いを考慮して必須の要件を取り込まず明細書の記載の範囲を超えた記載とすることもあり,新規性を否定する単独の根拠としては避けるべきものである。
方法の発明の場合,刊行物の記載及び刊行物頒布時の技術常識に基づいて,その 方法が使用できるものであることが明らかなように刊行物に記載されていないときは,その発明を「引用発明」とすることができない。特に医薬関連分野の特許出願の審査では,日本では欧米よりも実施可能要件及びサポート要件が厳しく判断されるため,引用される先行技術文献の記載に関しても同様の厳しさが求められるべきである。
審決は,前記例1と例3を除いては刊行物1の明細書中の記載を参酌していないが,例1と例3は評価結果として生存率のみを示すものであり,治療方法を開示するものではなく,これらは,請求項8と同14に係る治療方法の発明が当業者にとって実際に使用できるものであること(実施可能要件)を明らかにする根拠とはいえない。
したがって,審決は,刊行物1の請求項8と同14のみを参酌し,その文言に拘泥して,同請求項に係る発明が刊行物1に記載されているかの判断を怠って新規性を判断したものであり,その判断手法には,誤りがある。
(2) 審決の一致点の認定の誤りについて ア 審決は,前記第2の3(2)のとおり一致点を認定したが,刊行物1は,「ナルメフェンの治療的な量を,それを必要とするヒト又は動物へ投与することを具備する医薬」に関するものではないから,一致点の認定は誤っている。
すなわち,刊行物1は,前記(1)のとおり,臓器移植という特殊な場面において,生存率を向上させ,臓器に物理的な衝撃が加わり起こる臓器の損傷である外傷性臓器損傷等の結果として虚血状態となった臓器の再灌流障害の予防に関するものであり,疾患の治療や予防に関するものではない。刊行物1が,本願発明の新規性を否定する先行技術ではないことは,デューク大学メディカルセンターのA教授が陳述するとおりである(甲18)。
刊行物1の請求項8には,「器官における虚血または低灌流の発症に続く,…への静脈内投与を含む,外傷,損傷,または出血性ショックによる,内蔵器官での虚血または低灌流に苦しむ患者を治療する方法。」と記載されているが,刊行物1記 載の方法は,移植のショックを緩和する方法であって,治療方法ではない(甲18)。一方,本願発明は,疾患の予防又は治療に関するものであり,本願明細書は,器官の損傷と,炎症,神経変性の疾患,癌などとを同格に列記しているので,臓器移植のような特殊な場合を含むものではないことは当業者にとって明確である。
また,医薬関連分野において引用される先行技術に基づいて新規性を否定するためには,請求項8と同14に係る治療方法が実際に効果を有することを示す評価結果又はそれに等しい記載が必要であるが,そのような記載は刊行物1にはない。
審決は,刊行物1の請求項8の文言との形式的な一致に基づいて一致点を判断しており,前記(1)のとおり判断手法を誤った結果,刊行物1に記載された発明の認定を誤ったものである。
イ また,本願明細書の【0073】の例示列挙を参酌すれば,本願発明の「…器官の損傷」の事項は,実質的に,一定の期間にわたって徐々に増加する損傷を引き起こす原因から結果として生じる損傷を意味すると解することが相当である。
一方,刊行物1の「外傷,傷害,又は出血性のショックの結果としての腎臓,肝臓又は肺である内臓器官における虚血又は低灌流」は,本質的に一過性の事象であるため,本願発明の「器官の損傷が肝臓の損傷,肺の損傷,及び腎臓の損傷であるところの器官の損傷」に関する事項を開示するものであるというべきではない。
したがって,本願発明と引用発明が実質的に相違しないとの審決の認定は誤っている。
2 取消事由2(記載要件についての審決の判断手法及び判断の誤り) (1) 審決の判断手法の誤りについて 審決は,本願が特許法36条6項1号及び同条4項1号に規定する要件を満たしていないと判断する際に,審判請求書(平成24年12月5日付け手続補正書)に添付の薬理試験結果(甲11。以下「審判請求書添付の試験結果」という。)及び本願のパリ優先権主張の基礎出願である米国特許出願第10/936431号(以下「基礎出願」という。US2005/0107415A1〔甲15〕)の試験結 果についての認定,判断をしなかった。しかし,審決は,これらの各試験結果の記載が,本願の出願当初の明細書等の開示範囲を超えたものである否か,又は本願発明の効果の範囲内での補充にすぎないものであるかの判断を行うべきであり,当該判断を怠って,特許法36条6項1号及び同条4項1号に規定する要件を満たさないと判断した審決には,判断手法の誤りがある。
この点,出願当初の明細書等に何らの記載がないにもかかわらず,出願後に提出した試験結果等を提出して主張又は立証をすることは第三者との衡平を害する結果を招来するため特段の事情がない限りは許されないとしても,本願明細書には,段落[0002]〜[0026]の「背景技術」において,特許文献1〜28及び非特許文献1〜17を挙げて本願の優先日における技術水準が説明されており,本願の化合物であるナルメフェンだけでなく,類似構造のナルトレキソンの効力も記載されている(段落[0015],[0017]及び[0020])。したがって,当業者は,多種多様なナルメフェンの医学的な使用に基づく本願の優先日における技術水準に基づいて,ナルメフェンを含む医薬が,B型肝炎から選択されたウィルス性の感染を予防又は治療することができるとする本願明細書(請求項1,段落[0034],[0035],[0072])の記載に基づき,当該結論を得るために行った実施例及びその結果を想定することができる。したがって,審決は,審判請求書添付の試験結果や基礎出願の試験結果の記載が,当該想定された実施例及びその結果の範囲を超えるものであるかの判断を行う必要があり,本願明細書の記載から想定される範囲内であれば,これらの試験結果を参酌しても,出願人と第三者との公平を害するものでない。
特に,審尋に記載の前置報告書(甲12)において,審査官は,「なお,特許出願人は,審判請求書(平成24年12月5日付け手続補正書)に薬理試験結果を添付しているが,本願出願後に提出された薬理試験結果の記載をもって,原査定の理由4及び5(特許法第36条第4項第1号違反及び同条第6項第1号違反)を解消することはできない。」と記載し,本願の優先日における技術水準や上記薬理試験 結果の内容を考慮せずに形式的に判断を行ったため,原告(審判請求人)はこれに対して回答書で反論しているところ,審判は,第一審である審査を基盤として審理を続行し,新しい資料を補充して審査官の判断の当否を調査する続審主義を採用しているのであるから,審決においては,前置報告書に記載された審査官の判断の是非について判断すべきである。
また,本願明細書の段落[0085]は,「この出願は,2004年9月8日に出願された,米国特許出願シリアル番号10/936,431からの優先権を主張する。」と記載して,本願明細書も基礎出願に言及している。
基礎出願の試験結果を判断することは,平成27年7月10日に公布された特許法等の一部を改正する法律によって, 特許法条約(Patent Law Treaty)に対応して新設された特許法38条の4第1項の趣旨にも合致する。
(2) 記載要件についての審決の判断の誤りについて 前記(1)のとおり,審判請求書添付の試験結果及び基礎出願の試験結果を参酌して審査すれば,本願は,特許法36条6項1号及び同条4項1号に規定する要件を満たす。
基礎出願の【0143】に記載された化合物XXV(ナルトレキソン)について,【0145】及び【0146】等に記載された結果によって,少なくとも本願発明の「…肝臓の損傷…であるところの器官の損傷,並びに,…,スーパーオキサイドアニオンラジカル,TNF-α…の過剰生産と関連させられた疾患より選択された健康状態を予防する又は治療するための医薬」としてのナルトレキソンを使用することができることを確認している。
また,本願の出願人は,基礎出願の【0128】に記載された“Measurement ofTNF-α and IL-10 in Plasma Level”の事項と同様にして,本願発明の「肝臓の損傷」について1mg/kgでのナルメフェンが,20mg/kgでのナルトレキソンと同等の効果を有することを確認している。
ここで,ナルトレキソンの化学的な構造及びナルメフェンの化学的な構造の間の 類似性,並びに,上述したような,ナルトレキソン及びナルメフェンについての結果の類似性より,構造活性相関を考慮すると,当業者は,本願発明の「式R-A-Xの化合物」の全てについて本願発明の「肝臓の損傷」に対する医薬としての効果に関する実験的な結果の記載がなくても,本願発明の「肝臓の損傷」に対する本願発明の「式R-A-Xの化合物」の医薬としての有用性を十分に理解することができるといえる。
さらに,本願発明の「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染」すなわち「B型肝炎」におけるB型肝炎ウィルスによる作用によって引き起こされる損傷が,本願発明の「肝臓の損傷」と類似のものである(Wikipedia〔ウィキペデイア〕のHepatitis B の欄〔甲16。以下「甲16文献」という。〕参照)ため,当業者は,本願発明の「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染」に対する本願発明の「式R-A-Xの化合物」の医薬としての有用性を十分に推定することができるといえる。
このように,本願発明の「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染」に対する本願発明の「式R-A-Xの化合物」の医薬としての有用性は,本願の出願人による単なる推測ではなく,本願の出願人による実証に基づいて導き出されたものである。
したがって,これらの試験結果の参酌を怠って,上記各要件を満たさないとした審決の判断は誤りである。
被告の反論
1 取消事由1(新規性についての審決の判断手法及び一致点の認定の誤り)について (1) 審決の判断手法の誤りについて 刊行物となる特許文献に引用発明が記載されていると認定することができるか否かは,その記載箇所が請求項であれ明細書であれ,あくまでその引用発明がその刊行物に実質的に記載されているということができるか否かによるものというべきで ある。そして,以下のとおり,刊行物1の明細書中には,その請求項8及び同14に係る発明の内容が実質的に記載されているということができるから,原告の主張は,その前提において誤りがある。
すなわち,刊行物1(甲1-3)の1頁6〜9行,2頁14〜24行,3頁12〜18行の各記載によれば,刊行物1の明細書には,(A)移植ドナーの血行動態及びドナーの臓器機能を改善し,移植後の生存率を向上させる方法と,(B)トラウマ(trauma)または傷害(insult)の結果として虚血状態となった臓器の再灌流傷害(injury)を予防する方法の二つの場合についての発明がそれぞれ記載されているといえる。また,刊行物1の例1〜3が上記(A)の場合と上記(B)の場合の両方のモデル実験であると理解することができる。そして,刊行物1の請求項8と同14は,上記(B)に対応していることから,審決で認定した引用発明は刊行物1に記載されているといえ,審決の判断はこの前提に立ってされたものである。
また,審決で刊行物1の EXAMPLE 1 及び EXAMPLE 3 を実施例1及び実施例3と訳したことに誤りはない。
(2) 審決の一致点の認定の誤りについて ア 前記(1)のとおり,刊行物1が臓器の摘出及び移植に関するものに限られるとの原告の主張は誤りであるから,同主張を前提とする一致点の認定の誤りの主張は理由がない。
また,刊行物1の記載(甲1-3の4頁3〜6行)からすれば,刊行物1の実験例によって,虚血後生存率だけでなく虚血性傷害,臓器機能の度合いも評価し得ると解される。そうすると,刊行物1の実験例ではたまたま生存率しか評価されていないからといって,これをもって移植の例であるとするのは妥当でない。ましてや,虚血状態となった臓器の治療や予防に関するものでないとの根拠とはなり得ない。
イ 本願発明は,疾患の予防又は治療に関するものに限らず,器官の損傷を含む健康状態の処置のためのものである。そして,本願明細書には,「器官の損傷」を,原告の主張するような「一定の期間にわたって徐々に増加する損傷を引き起こす原 因から結果として生じる損傷」による損傷にのみ限定して解すべき記載はない。したがって,本願発明の「器官の損傷」は,「損傷による」器官の「虚血」を排除しないとした審決の判断に誤りはない。
2 取消事由2(記載要件についての判断手法及び判断の誤り)について(1) 記載要件についての判断手法の誤りについて ア 本願明細書に記載されていない事項が,基礎出願の明細書に記載されていたとしても,それは,あくまで本願明細書の記載外の事項であり,本願明細書に記載された事項とはいうことができない。パリ優先権主張の効果によりサポート要件違反・実施可能要件違反が治癒されるものではないことは,パリ条約及び特許法の明文の規定から明らかである。したがって,基礎出願の試験結果については,そもそも言及する必要はないから,その言及がないとしても,審決に誤りがあるということにはならない。
イ 本願明細書には,B型肝炎の予防又は治療の機構について一切説明はなく,「B型肝炎から選択された,ウィルス性の感染」を予防又は治療するための医薬としての有用性は示されておらず,本願に係る意見書,手続補正書,回答書等の経緯においても,一度も「B型肝炎から選択された,ウィルス性の感染」について客観的な根拠を伴った主張はされていない。したがって,審決が,審判請求書添付の試験結果について認定しなかった点にも誤りはない。
(2) 記載要件についての審決の判断の誤りについて 記載要件の判断手法に誤りがないことは前記(1)のとおりであるから,記載要件の判断手法に誤りがあることを前提に,審決の判断に誤りがあるとする原告の主張は,その前提を欠く。
仮に,基礎出願に記載された事項を参酌したとしても,基礎出願の試験結果には,「式R-A-Xの化合物」に含まれない化合物であるナルトレキソンについて,「肝臓の損傷」,「スーパーオキサイドアニオンラジカル」,「TNF-α」が試験されていることが示されているだけであるから,これらの試験結果からは, ナルトレキソンの「肝臓の損傷」,「スーパーオキサイドアニオンラジカル,TNF-α」「の過剰生産と関連させられた疾患」への適用可能性が把握されるだけであり,「ナルメフェン」の「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染」の「予防又は治療」との関係は何ら示されていない。
そして,ナルメフェンとナルトレキソンは類似の化学構造を有していても,両者の薬理試験結果は大きく異なっている(甲1-3の4頁6〜10行)。このことからしても,ナルトレキソンがある疾患に対して有用であるからといって,ナルトレキソンと類似の構造を有していても,ナルメフェンが同様に有用であることは,本願出願当時に技術常識であったとは認められない。したがって,基礎出願の薬理試験結果によって,ナルメフェンの薬理試験結果も開示されているに等しいとまでは認められない。
当裁判所の判断
当裁判所は,原告の取消事由2の主張には理由がなく,本願が特許法36条6項1号及び同条4項1号の規定を満たしていないことを理由として審判請求を不成立とした審決の結論に誤りはないものと判断する。その理由は,以下のとおりである。
1 取消事由2(記載要件についての審決の判断手法及び判断の誤り)について (1) 本願明細書の発明の詳細な説明の記載 本願明細書(甲4,7)には,以下の事項が記載されている。
ア 「【技術分野】 【0001】 本発明は,ナルメフェン(nalmefene)のような6-メチレンモルヒナン(6-methylene morphinan)類の新しい医学的な使用に関係する。」 イ 「【背景技術】【0002】 国際公開第03/097608号パンフレット(特許文献1)において,我々は,ナルトレキソン(naltrexone)を含む,オピオド(opiod)及びオピオド様の(opiood-like)化合物の多くの新しい医学的な使用を記載してきた【判決注:「opioid」の誤記と認める。】)。
【0003】 ナルメフェン(6-メチレン-6-デオキシ-N-シクロプロピルメチル-14-ヒドロキシジヒドロノルモルヒネ)は,純粋な拮抗薬の活性を備えた,長く作用する,経口的に利用可能な,効力のある麻薬性の拮抗薬である。… 【0004】 それは,多種多様な医学的な使用について提案されてきた。」 「【0013】 オピオイド剤の鎮静,呼吸抑制,及び,他の作用を拮抗する際のそれの有用性は別として,小児における運動亢進症…,老人性痴呆症…,乳幼児突然死症候群…,自己免疫疾患…,関節炎の及び炎症性の疾患…,間質性膀胱炎…,アレルギー性鼻炎…のような,多様な健康状態を処置することに有用なナルメフェンが,また見出されてきた。米国特許第4,923,875号明細書(特許文献6)において,開示されるものは,じんま疹,様々な湿疹,及び他の肥満細胞に媒介された皮膚科学的な疾患を処置する際の局所のナルメフェンの有用性であるが,しかし,全身性の肥満細胞の疾患における経口的なナルメフェンの使用ではない。国際特許出願US86/02268において,開示されたものは,ナルメフェンが,肥満細胞の脱顆粒が,原因となる因子であることもあるところのものを含む,抗原に誘起されたアレルギー応答の処置に有用なものであることであった。」 「【0022】 この分野における先行する仕事は,概略,鎮痛薬,モルヒネの拮抗薬,又は鎮咳薬としてのこれらのモルヒネの誘導体の使用の調査に焦点を合わせてきた。しかしながら,最近の文献は,モルヒネの受容体を介在しないこともある,いくつかのモルヒネの誘導体に対して潜在的な新しい使用を報告してきている。」 ウ 「【課題を解決するための手段】 【0027】 本発明は,様々な疾患若しくは健康状態(condition)の処置(treatment)における,又は,このような健康状態の処置のための,医薬の生産のための,式R-A-Xに従った化合物の使用に関係する・・・。
【0033】 特に好適なものは,ナルメフェン,Xがシクロプロピルメチルであると共にRが水素である化合物である。」 エ 「【発明を実施するための最良の形態】 【0034】 本発明に従って生産された処置又は医薬は,B型肝炎及びC型肝炎のようなウィルス感染,並びに,敗血症性ショック,器官の損傷,神経系の障害,神経変性の疾患,癌,及び,超酸化物の陰イオン性のラジカル,TNF-α 又はiNOSの過剰生産と関連した疾患のような健康状態を予防する又は処置するためのものを含む。
【0035】 本発明の他の実施形態に従って,本発明は,B型肝炎及びC型肝炎を伴った患者におけるウィルス感染並びに敗血症性ショック,器官の損傷,神経系の障害,神経変性の疾患,癌,及び超酸化物,TNF-α 又はiNOSの過剰生産と関連した疾患のような健康状態を予防する又は処置する方法であって,指定された化合物の一つ又はより多くの治療的に有効な量を含む薬学的な組成物を,それを必要とする主体へ,投与することを含む,方法に関係する。
【0036】 本発明の方法は,器官の損傷,特別には肝臓,腎臓,又は肺の損傷,皮膚癌,小細胞肺癌,精巣の癌,食道の癌,乳癌,子宮体癌,卵巣の癌,CNSの癌,肝臓癌,及び,前立腺の癌を含む処置されることもある癌,の予防又は処置における特定の使用のものであることもある。」 「【0047】 ここで使用されるような用語“オピオイド”は,作動薬及び拮抗薬の活性を含む,オピウム又はモルヒネ様の性質を示す化合物を参照し,そこでは,このような化合物は,脳及び他の組織における立体特異的且つ飽和性の結合部位と相互作用することができる。薬理学的性質は,先に,眠気,呼吸抑制,気分における変化,及びの意識の結果として生じる喪失なしの意識混濁を含めておいた。
ここで使用されるような用語“オピオイド様”は,構造及び/又は薬理学的側面において既知のオピオイドの化合物に類似する化合物を参照する。… 【0048】 ここで使用されるような“処置”又は“処置する”は,患者の健康状態における(例えば,一つ以上の症状における)改善,健康状態の進行における遅延,疾患の始まりの予防又は遅延などを含む,疾患に悩まされる患者に利益を 分与するいずれのタイプの処置も参照する。
【0050】 ここで使用されるような“治療的に有効な量”は,関心のある健康状態の重症度を予防する,遅延する,又は減少させるために必要な量を参照し,且つ,また,正常な生理的機能を高めるために必要な量を含む。
【0051】 上に記載された本発明の化合物のいくつかは,抗酸化剤の性質のみならず麻薬性の及び鎮痛性の性質を所持することができる。しかしながら,本発明の化合物のある一定の治療的な効果を,アヘン剤の受容体との相互作用を通じたもの以外の機構を通じて媒介することができる。」「【0054】 本発明の活性な化合物は,単独で又は他の治療薬との組み合わせで投与されることができる。例えば,本発明の活性な化合物は,ウィルス感染,並びに,敗血症性ショック,炎症,器官の損傷,神経系の障害,神経変性の疾患,癌,及び心臓の障害,並びに,超酸化物の陰イオン性のラジカル,TNF-α,及びiNOSの過剰生産と関連した疾患のような健康状態の予防及び/又は処置に有用なものであることが,今知られた,又は,後に識別された,化合物と,共に投与されることができる,例示的な化合物は,鎮痛剤,麻酔剤,抗真菌薬,抗生物質,消炎剤,駆虫薬,解毒剤,制吐剤,抗ヒスタミン剤,抗圧薬,抗マラリア薬,抗菌剤,抗精神病薬,解熱剤,防腐剤,抗関節炎薬,抗結核薬,鎮咳薬,抗ウィルス剤,…及び同様のものを含むが,しかし,それらに限定されるものではない。
【0055】 オピオイド化合物及びオピオイド様の化合物は,中枢神経系における望まれない副作用を有し得る。従って,望ましくない副作用が,実在しないものまで最小限のものである,本発明の化合物は,好適なものである。
【0056】 上に留意されたように,ナルメフェンは,良好に文書で証明された化合物且つ商業的に入手可能なものである。本発明における使用の他の化合物は,日常的な化学的な方法による又は国際公開第03/097608号パンフレットに記載されたものに類似の技術の使用によるナルメフェンの変性によって,得られることもある。」 「【0059】 医薬品の調合物 本発明のオピオイド及びオピオイド様の化合物は,薬学的に活性な薬剤として有用であると共に,塊の形態で利用されることもある。しかしながら,より好ましくは,これらの化合物は,投与用の医薬品の調合物に配合される。多くの適切な医薬品の調合物のいずれも,本発明の化合物の投与用のビヒクルとして利用してもよい。」 「【0072】 使用の方法 ここで記載した式の化合物に加えて,本発明は,有用な治療の方法もまた提供する。例えば,本発明は,ウィルス感染,並びに,敗血症性ショック,炎症,器官の損傷,神経系の傷害,神経変性の疾患,癌,及び心臓の障害,並びに,超酸化剤の陰イオン性のラジカル,TNF-α,及びiNOSの過剰生産と関連した疾患を処置する方法を提供する。いくつかの実施形態においては,ウィルス感染は,B型肝炎ウィルス及びC型肝炎ウィルスによる感染を含むが,しかし,それらに限定されるものではない。
【0073】 特定の実施形態において,器官の損傷は,肝臓の損傷,腎臓の損傷,及び肺の損傷を含むが,それらに限定されない。このような損傷は,アルコールの過剰摂取,肝硬変症,肝炎,及び,細菌性感染又は四塩化炭素のような環境毒素から起こる敗血症のような敗血症性ショックを含むが,それらに限定されない原因から起こることもある。… 【0077】 他の特定の実施形態においては,超酸化物の陰イオン性のラジカル,TNF-α,又はiNOSの過剰生産と関連した疾患は,アルツハイマー(Alzheimer)病,パーキンソン(Parkinson)病,老化,癌,心筋梗塞,アテローム硬化症,自己免疫疾患,放射線傷害,気腫,日焼け,関節の疾患,及び,酸化応力を含むが,それらに限定されるものではない。… 【0078】 本発明による実例となる鳥類の動物は,鶏,アヒル,七面鳥,ガチョウ,ウズラ,キジ,平胸類の鳥(例えば,ダチョウ),及び家畜化された鳥 (例えば,オウム及びカナリヤ)を含み,且つ,卵内の鳥を含む。鶏及び七面鳥は,好適である。
【0079】 本発明によって処置されることを必要とする任意の哺乳類の主体は,適切である。ヒトの主体は,好適である。…【0080】 上記したように,本発明は,経口的な,直腸の,局所的な,頬の,非経口的な,筋肉内の,皮内の,静脈内の,及び経皮的な投与を含むが,それらに限定されない,投与の任意の適切な経路に対する薬学的に許容可能な担体における,ここに記載した式の化合物又はそれらの薬学的に許容可能な塩を含む医薬品の調合物を提供する。
【0081】 本発明によれば,この発明の方法は,主体へ有効な量の上述したような本発明の組成物を投与することを含む。有効な量の組成物は,それの使用が,本発明の範囲内にあるが,主体から主体へ若干変動することになり,且つ,主体の年齢及び健康状態並びに搬送の経路のような因子に依存することになる。このような投与量を,当業者に知られる日常的な薬理学的な手順に従って決定することができる。…【0082】 治療に有効な投与量の任意の特定の化合物は,化合物から化合物へ,患者から患者へ,若干変動することになり,且つ,患者の健康状態及び搬送の経路に依存することになる。一般的な提案として,約0.1mg/kgから約50mg/kgまでの投与量は,さらにより高い投与量が,経口的及び/又はエーロゾルの投与に用いられると共に,治療の効力を有することになる。より高い水準での毒性の関心は,静脈内の投与量を,約10mg/kgまでのような,より低い水準へ制限することもあり,全ての重量は,塩が用いられる場合を含む,活性な基剤の重量に基づいて計算される。典型的に,約0.5mg/kgから約5mg/kgまでの投与量は,静脈内の又は筋肉内の投与に用いられることになる。約10mg/kgから約50mg/kgまでの投与量は,経口的な投与に用いられることもある。
【0083】 特定の実施形態において,本発明の化合物は,一日当たりから 一日に四回までの分割した薬用量で又は継続された放出の形態で与えることができる,動物の体重のkg当たり約0.1mgから約20mgの一日当たりの投与量で投与されることもある。ヒトに対しては,合計の一日当たりの薬用量は,約5mgから約1,400mgまでの範囲にあってもよく,及び,他の特定の実施形態においては,合計の一日当たりの薬用量は,約10mgから約100mgまでの範囲にある。…【0084】 前述のものは,本発明の実例となるものであり,且つ,それの限定として解釈されるものではない。本発明は,それに含まれる請求項の均等物と共に,引き続く請求項によって定義される。
【0085】 この出願は,2004年9月8日に出願された,米国特許出願シリアル番号10/936,431からの優先権を主張する。」(2) 本願発明について上記(1)によれば,本願発明は,次のようなものであると認められる。
本願発明は,ナルメフェンを含む6-メチレンモルヒナン類の新しい医学的な用途に関する(【0001】)。
モルヒネの誘導体であり麻薬拮抗薬であるナルメフェンは,リュウマチ様関節炎,アレルギー性鼻炎,そう痒症,小児における運動亢進症,老人性痴呆症,乳幼児突然死症候群,自己免疫疾患,アルコール中毒症などの様々な健康状態を処置することに有用であることが見出されてきたが(【0003】,【0004】,【0013】,【0022】),これらは,鎮痛薬,モルヒネの拮抗薬,又は鎮咳薬としての使用の調査に焦点を合わせてきたものである(【0022】)。
しかし,最近の文献は,モルヒネの誘導体について,モルヒネの受容体を介在しないこともあるいくつかの新しい医学的な用途を報告している(【0022】)。
そこで,本願発明は,ナルメフェンを含む6-メチレンモルヒナン類(式R-A-Xの化合物)の新しい医学的な用途を提供することを課題とし,当該課題を解決する手段として,請求項1に記載された式R-A-Xの化合物を,@B型肝炎ウィ ルスの感染,A肝臓,肺及び腎臓の損傷である器官の損傷,並びに,Bクローン病,潰瘍性大腸炎,及び肺繊維症からなる群より選択された疾患,より選択された健康状態を予防又は治療するために,ヒト又は動物へ投与する医薬として用いるものである(請求項1)。
(3) 特許法36条6項1号(サポート要件)についてア 特許法36条6項1号は,特許請求の範囲の記載について,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を要件として規定している。
特許制度は,発明を公開させることを前提に,当該発明に特許を付与して一定期間その発明を業として独占的,排他的に実施することを保障し,もって発明を奨励し,産業の発達に寄与することを趣旨とするものである。そして,ある発明について特許を受けようとする者が願書に添付すべき明細書は,本来,当該発明の技術内容を一般に開示するとともに,特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明技術的範囲)を明らかにするという役割を有するものであるから,特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには,明細書の発明の詳細な説明に,当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきである。そして,特許請求の範囲が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくても,当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである(知財高裁平成17年11月11日大合議判決)。
イ 前記(2)のとおり,本願発明は,「B型肝炎により選択された,ウィルス性の感染」を「予防又は治療するための医薬」において,「ナルメフェンを含む6-メチレンモルヒナン類(式R-A-Xの化合物)の治療的な量を,それを必要とす るヒト又は動物へ投与することを具備する医薬」を発明として含むものであり,同発明は,ナルメフェンを含む6-メチレンモルヒナン類(式R-A-Xの化合物)の新しい医学的な用途として,「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染を予防又は治療するための医薬」という用途を提供することを課題とするものである。
上記課題が解決できることを当業者において認識するためには,「式R-A-Xの化合物」が,「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染を予防又は治療するための医薬」としての有用性を有すること,すなわちヒト又は動物の生体内におけるB型肝炎ウィルスの増殖抑制作用を有することを理解できる必要がある。
しかし,本願明細書において,B型肝炎ウィルスの感染に関する記載がされているのは,【0034】,【0035】,【0054】及び【0072】のみであり(甲4,7),前記(1)のとおり,これらの記載はいずれも,本願発明が,予防又は治療すべき状態の一つとしてウィルス感染を挙げているものにすぎず,実際にB型肝炎ウィルスの感染の予防又は治療に関して有用性があることを客観的に記載しているものではない。そして,本願明細書には,他に,「式R-A-Xの化合物」が,生体内におけるB型肝炎ウィルスに対して増殖抑制作用等の医薬的に有用な作用効果を有することを技術的に裏付ける薬理試験の結果や実施例等の客観的な事実の記載は一切ない。また,本願出願時,「式R-A-Xの化合物」がそのような作用効果を有することについての技術常識が存在したことを証する証拠はなく,そのような作用効果が,当業者が出願時の技術常識に照らして認識できる範囲のものであるとも認められない。
一般に本願発明のような医薬用途発明においては,一定の予防又は治療すべき状態に対して,特定の医薬を投与するという用途を記載するのみで,その作用効果について何ら客観的な裏付けとなる記載を伴わず,そのような技術常識もない場合には,当業者において,実際に有用性を有するか,すなわち,課題を解決できるかどうかを予測することは困難である。
そうすると,本願明細書の発明の詳細な説明には,式R-A-Xの化合物が, 「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染を予防又は治療するための医薬」という医薬用途において使用できること,すなわちヒト又は動物の生体内におけるB型肝炎ウィルスの増殖抑制作用を有することを当業者が理解できるように記載されているとはいえない。
したがって,本願発明は,発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識により当業者が課題を解決できると認識できる範囲のものであるとは認められず,特許法36条6項1号の規定を満たさない。
(4) 特許法36条4項1号(実施可能要件)について 発明の詳細な説明の記載は,「経済産業省令で定めるところにより,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること」を要する(特許法36条4項1号)。
前記(3)で判示したところによれば,本願明細書の発明の詳細な説明には,式R-A-Xの化合物を「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染を予防又は治療するための医薬」として使用できることが,当業者が理解できるように記載されているとはいえない。
したがって,本願明細書の発明の詳細な説明は,当業者が本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものとはいえない。
(5) 原告の主張について ア 審決の判断手法の誤りについて 原告は,審決が,審判請求書添付の試験結果及び基礎出願の試験結果について,これらの各試験結果の記載が,本願の出願当初の明細書等の開示範囲を超えたものであるか,又は本願発明の効果の範囲内での補充にすぎないものであるかの判断を行うべきであり,当該判断を怠って,実施可能要件及びサポート要件に規定する要件を満たさないと判断した審決には,判断手法に誤りがあると主張する。
しかし,一般に明細書に薬理試験結果等が記載されており,その補充等のために,出願後に意見書や薬理試験結果等を提出することが許される場合はあるとして も,前記(3)のとおり,本願明細書の発明の詳細な説明には,式R-A-Xの化合物を,B型肝炎ウィルスの感染を予防又は治療するために用いるという用途が記載されているのみで,当該用途における化合物の有用性について客観的な裏付けとなる記載が全くないのであり,このような場合にまで,出願後に提出した薬理試験結果や基礎出願の試験結果を考慮することは,前記(3)アで述べた特許制度の趣旨から許されないというべきである。
そうすると,原告が,審判手続において,審判請求書添付の試験結果及び基礎出願の試験結果を参酌すべき旨を主張していたことからすれば(甲11,13),審決において,同主張を明示的に排斥することが相当であったとはいえるとしても,出願後に提出された薬理試験結果である審判請求書添付の試験結果や,基礎出願の試験結果は,本願明細書に記載された本願発明の効果の範囲内で試験結果を補充するものということはできないから(その上,後記イのとおり,これらの試験結果を考慮したとしても,式R-A-Xの化合物のB型肝炎ウィルスの感染の予防又は治療に対する有用性を裏付けるものとは認められない。),これらの資料を考慮しないで,サポート要件及び実施可能要件を満たさないとの判断をした審決の判断手法が違法であるということはできない。また,その点が審決の判断を左右するものとは認められないから,審決の取消事由には当たらない。
なお,原告は,本願明細書の記載は,本願の出願人による実証に基づいて導き出されたものである旨をも主張している。しかし,仮にそうであったとしても,そのことは上記判断を左右するものではないし,そもそも,後記イのとおり,本訴においても,本願発明の「式R-A-X」に当たる化合物のB型肝炎ウィルスの感染の予防又は治療に対する有用性を裏付ける客観的資料は何ら提出されていないことからすれば,同主張を認めることはできない。
イ 審決の判断の誤りについて 上記アで判示したところによれば,審判請求書添付の試験結果及び基礎出願の試験結果を参酌すべきであったとは認められないから,その余の点について判断する までもなく,審決の判断の誤りをいう原告の主張は理由がない。
また,事案に鑑み,審判請求書添付の試験結果及び基礎出願の試験結果について念のため検討しても,以下のとおり,これらの試験結果は,「式R-A-Xの化合物」のB型肝炎ウィルスの感染の予防又は治療に対する有用性を裏付けるものとは認められない。
審判請求書添付の試験結果(甲11。訳文は甲11の1)には,グラム陰性敗血症性ショックに関与するリポ多糖体(LPS)は,TNF-αを含む複数のサイトカインを過度に放出させ,臓器上に炎症ダメージ傷を生じさせるところ,ナルメフェンとナルトレキソンは,共に,マウスにおいてLPS/d-ガラクトサミンによって誘発されたTNF-αの放出を低減させることを示す試験結果が記載され(表4),また,ナルメフェンとナルトレキソンは,LPSによって誘発されるNFkBやIL-6の放出を低減させることなどを示す試験結果(表1,2)も記載されている(なお,審判手続において原告が提出した回答書〔甲13〕の表1には,上記表4中の試験結果と同じものが記載されている。)。
しかし,審判請求書添付の試験結果は,いずれも,ナルメフェンがB型肝炎ウィルスの増殖を抑制することを確認するものではない。
また,基礎出願 (甲15。訳文は甲15の1)には,例17ないし例20において,ラットにLPSを投与した場合に,ナルトレキソン(化合物XXV)が,TNF-αの産生を抑制すること,肝臓の機能を向上させること及び生存率を向上させることなどが記載されている。
しかし,基礎出願の試験結果は,いずれも,本願発明の式R-A-Xの化合物を用いるものではなく,また,生体内におけるB型肝炎ウィルスの増殖を抑制することを確認するものでもない。
なお,原告は,「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染」,すなわち「B型肝炎」におけるB型肝炎ウィルスによる作用によって引き起こされる「損傷」が,甲16文献(2015年5月15日印刷の Wikipedia〔ウィキペディア〕の HepatitisBの欄)を参照すれば,本願発明の「肝臓の損傷」と類似のものであることが理解できるから,当業者は,基礎出願から,本願発明の「B型肝炎より選択された,ウィルス性の感染」に対する本願発明の「式R-A-Xの化合物」の医薬としての有用性を十分に推定することができるとも主張する。
しかし,甲16文献には,B型肝炎ウィルスは,肝細胞における複製によって肝臓の機能を妨げること,当該ウィルスの感染の間に,宿主の免疫応答は,肝細胞の損傷及びウィルスの清掃の両方を引き起こすことなどが記載されているものの,同文献の記載は,「式R-A-Xの化合物」について,生体内における「B型肝炎のウィルス性の感染」自体の「予防又は治療」,すなわちB型肝炎ウィルスの増殖を抑制することに関する具体的な根拠を示すものではなく,原告の上記主張は理由がない。
したがって,審判請求書添付の試験結果及び基礎出願の試験結果は,いずれも本願発明の式R-A-Xの化合物と,生体内におけるB型肝炎ウィルスの増殖を抑制することとの関係を示すものではなく,そのような関係を示す技術常識があるとも認められず,同化合物が,B型肝炎ウィルスの感染の予防又は治療という医薬用途において有用であることを当業者が理解することができるものではないから,仮に,これらの試験結果を考慮したとしても,審決の結論に誤りはない。
2 以上によれば,原告の主張する取消事由2は理由がなく,審決の結論に誤りはないから,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がない。
結論
よって,原告の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 設樂一
裁判官 大寄麻代
裁判官 岡田慎吾