関連審決 | 不服2014-13703 |
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事件 |
平成
27年
(行ケ)
10121号
審決取消請求事件
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原告 公立大学法人秋田県立大学 訴訟代理人弁理士吉川まゆみ 同 藤木博 被告特許庁長官 指定代理人小野忠悦 同 赤木啓二 同 住田秀弘 同 板谷一弘 同 田中敬規 |
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裁判所 | 知的財産高等裁判所 |
判決言渡日 | 2016/03/08 |
権利種別 | 特許権 |
訴訟類型 | 行政訴訟 |
主文 |
1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 |
事実及び理由 | |
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請求
特許庁が不服2014-13703号事件について平成27年4月10日にした審決を取り消す。 |
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前提となる事実
1 特許庁における手続の経緯等(争いがない事実又は文中掲記の証拠により容易に認められる事実) 原告は,発明の名称を「低カリウム含有量葉菜およびその栽培方法」とする発明について,平成21年8月18日を出願日とする特許出願(特願2009-189373号。以下「本願」という。)をしたが,平成26年3月24日付けで拒絶査定を受けたので,同年7月14日付けで,これに対する不服の審判を請求するとともに,同日付け手続補正書(甲6)により,特許請求の範囲の補正(以下「本件補正」という。)をした。 特許庁は,上記請求を不服2014-13703号事件として審理をした結果,平成27年4月10日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本を,同年5月25日,原告に送達した。 2 特許請求の範囲 (1) 本件補正前の本願の特許請求の範囲(請求項の数2)の請求項1の記載は,以下のとおりである(甲5。以下,同請求項に記載された発明を「本願発明」という。また,本願の明細書及び図面を併せて「本願明細書」という。)。 「【請求項1】 水耕栽培法を用いてリーフレタス,サンチュ,コマツナなどの葉菜を栽培する方法において,栽培期間のうち,最初の期間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずカリウム(KNO3)を加えて栽培し,その後収穫までの7から10日間を,水耕液中のカリウム要素であるKNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加え,かつ栽培期間を通じて水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節することを特徴とするカリウム含有量の少ない葉菜を栽培する方法。」 (2) 本件補正後の本願の特許請求の範囲(請求項の数1)の請求項1の記載は,以下のとおりである(甲6。以下,同請求項に記載された発明を「本願補正発明」という。なお,補正部分は,以下の下線部分である。)。 「【請求項1】 水耕栽培法を用いて,リーフレタス,サンチュ,又はコマツナを栽培する方法において,栽培期間のうち,最初の期間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずKNO3を加えて栽培し,その後,収穫までの7から10日間を,水耕液中のカリウム要素であるKNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加え,かつ栽培期間を通じて水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節することを特徴とするカリウム含有量の少ないリーフレタス,サンチュ,又はコマツナを栽培する方法。」 3 審決の理由 審決の理由は,別紙審決書写しに記載のとおりである。その要旨は,@本願補正発明は,特開2008-61587号公報(甲1。以下「引用例1」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許出願の際,独立して特許を受けることができないものであって,本件補正は,特許法17条の2第6項において準用する同法126条7項の規定により却下すべきものである,A本願補正発明は,本願発明の発明特定事項を限定するものであるから,本願発明も,引用発明に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない,したがって,本願は拒絶すべきものである,というものである。 (1) 審決が認定した引用発明の内容 「水耕栽培法を用いてホウレンソウを栽培する方法において,栽培期間のうち,最初の2-3週間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずKNO3を加えて栽培し,その後,収穫までの2週間を,水耕液中のカリウム要素であるKNO 3の代わりに同濃度のNaNO3を加え,栽培期間を通して水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節する,カリウム含有量が低いホウレンソウの栽培方法」 (2) 審決が認定した本願補正発明と引用発明との一致点 「水耕栽培法を用いて葉菜類農産物を栽培する方法において,栽培期間のうち,最初の期間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずKNO3を加えて栽培し,その後,収穫までの期間を,水耕液中のカリウム要素であるKNO3の代わりに同濃度のNaNO 3 を加え,かつ栽培期間を通じて水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節する,カリウム含有量の少ない葉菜類農産物を栽培する方法。」 (3) 審決が認定した本願補正発明と引用発明との相違点 栽培対象の葉菜類農産物及びKNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加える期間に関して, 本願補正発明は,「リーフレタス,サンチュ,又はコマツナ」及び「7から10日間」であるのに対し, 引用発明は,「ホウレンソウ」及び「2週間」である点。 |
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原告主張の取消事由
1 取消事由1(引用発明の認定の誤り並びにこれに起因する本願補正発明と引用発明との一致点及び相違点の認定の誤り) (1) 引用例1に記載されている引用発明は,「水耕栽培法を用いてホウレンソウを栽培する方法において,栽培期間のうち,最初の2-3週間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずKNO3を加えて栽培し,その後,収穫までの2週間を,水耕液中のカリウム要素であるKNO3の代わりに同濃度のHNO3を加え,栽培期間を通して水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節する,カリウム含有量が低いホウレンソウの栽培方法」と認定されるべきである。 すなわち,引用例1の請求項2及び要約には,水耕液中のカリウム要素であるKNO3の代わりに同濃度のHNO3またはNaNO3を加えるとの記載があるが,発明の詳細な説明において記載されているのはHNO3のみである。NaNO3については,特許請求の範囲の記載以外には,【課題を解決するための手段】や【発明を実施するための最良の形態】の欄も含め,何の記載もされておらず,KNO3の代わりに同濃度のNaNO 3 を加えるとどのような効果があるかも記載されていない。しかも,引用例1の実施例においても記載されているのはHNO 3 のみである。したがって,NaNO3については,発明の詳細な説明における説明も,実施例による裏付けもないため,引用例1の請求項2におけるNaNO3の記載は,なんら意味を持つものではなく,引用例1において導き出されるのは,KNO3の代わりに同濃度のHNO3を加えるということであると解される。 したがって,引用例1からは,KNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加えることを,引用発明として認識することができないと解するのが妥当である。 (2) 審決の引用発明の認定は,上記(1)のとおり,誤っているから,これに起因して審決の本願補正発明と引用発明との一致点及び相違点の認定も誤っており,正しい一致点は,「水耕栽培法を用いて葉菜類農産物を栽培する方法において,栽培期間のうち,最初の期間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずKNO 3を加えて栽培し,その後,収穫までの期間を,水耕液中のカリウム要素であるKNO 3の代わりに代替物を加え,かつ栽培期間を通じて水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節する,カリウム含有量の少ない葉菜類農産物を栽培する方法」であり,栽培対象の葉菜類農産物,KNO3の代わりに加える代替物,及びその期間に関して,本願補正発明は,「リーフレタス,サンチュ,又はコマツナ」,「NaNO3」及び「7から10日間」であるのに対し,引用発明は,「ホウレンソウ」,「HNO3」及び「2週間」である点で相違する,と認定されるべきである。 2 取消事由2(本願補正発明と引用発明の相違点の判断の誤り) (1) 本願補正発明は,単に,引用発明の「ホウレンソウ」を「リーフレタス,サンチュ,又は,コマツナ」に代えたものではなく,以下のとおり,当業者が容易に想到し得るものではない。 ア 本願補正発明のリーフレタス及びサンチュは,キク目キク科の植物であり,コマツナは,フウチョウソウ目アブラナ科である。一方,引用発明のホウレンソウは,ナデシコ目アカザ科である。すなわち,本願補正発明と引用発明とは,栽培対象の葉菜類農産物の分類学上の目が異なっている。本願補正発明の植物と引用例1に記載の植物とは,全く別のものとして扱われるべきものであると考えられる。 イ 従来より,植物により栽培方法が与える影響は異なるという論文が多く発表されている(甲10ないし13)。 また,同じ葉菜類であっても必ずしも同じ反応を示すものではない(甲14)。 植物により栽培方法が与える影響は異なるのであるから,ホウレンソウにおいてカリウム含有量の少ないものが得られたとしても,リーフレタス,サンチュ又はコマツナにおいてもカリウム含有量の少ないものが得られるかは全く不明である。 よって,ホウレンソウにおいてカリウム含有量の少ないものが得られた栽培方法をリーフレタス,サンチュ又はコマツナにおいて試みることは,当業者において容易に着想し得るものではない。また,引用発明においてカリウム含有量の少ないホウレンソウが収穫できたからといって,リーフレタス,サンチュ又はコマツナにおいてカリウム含有量が少ないものが得られるか否かは予想できるものではない。 (2) また,本願補正発明は,リーフレタス,サンチュ又はコマツナを栽培する際に,単に,KNO 3 の代わりにNaNO 3 を加える期間を最適化したものではない。 本願補正発明では,リーフレタス,サンチュ,コマツナの栽培期間は,それぞれ31日,28日,28日であり,カリウム含有量を十分に抑えるために,KNO3の代わりにNaNO3を加える期間を,それぞれ収穫までの10日間,7日間,7日間としている。栽培期間におけるNaNO3を加える期間の割合(NaNO3を加える期間/栽培期間)は,リーフレタス,サンチュ,コマツナの順に,0.32,0.25,0.25である。これに対して,引用例1では,ホウレンソウの栽培期間は,35日間であり,カリウム含有量を十分に抑えるために,KNO3の代わりにHNO3を加える期間を,収穫までの2週間(14日間)としている。栽培期間におけるHNO3を加える期間の割合(HNO3を加える期間/栽培期間)は0.4である。すなわち,本願補正発明では,引用発明に比べて,KNO 3の代替物を加える期間が短いにも関わらず,十分な効果が得られていることが分かる。これは,植物が異なること及びNaNO 3 を用いていることによるものであると考えられる。 (3) さらに,前記(1)イのとおり,栽培方法による影響は植物により異なるのであり,ホウレンソウの栽培方法を葉菜類農産物全般に適用できるものではないのであるから,引用発明において,ホウレンソウに代えて「リーフレタス,サンチュ,又は,コマツナ」とし,かつ,KNO 3 の代わりにNaNO 3 を加えて栽培した際に,収穫時に従来の手法で栽培したものと比較して,カリウム制限による生長制限が起きないか否かは不明であり,当業者が予測し得るものではない。まして,引用発明と同様の効果が得られるか否か,収穫時の可食部における単位新鮮重あたりのカリウム含有量が30%から40%程度となることは,当業者が容易に予測し得るものではない。 (4) 被告は,引用例1に「ホウレンソウをモデル植物とし」(【0009】)と記載されていることを指摘する。しかし,生物学の分野においてモデル植物とは,トウモロコシ,オオムギなど,普遍的な生命現象の研究に用いられる,一定の条件を満たす特定の植物のみを指すものである(甲15)から,上記引用例1の記載は,葉菜類を代表する普遍的な植物としてホウレンソウの栽培方法を確立したという意味ではなく,葉菜類農産物の中でカリウム含有量の高い1つの植物としてホウレンソウの栽培方法を確立したという意味であると考えられる。ホウレンソウは葉菜類農産物のモデル植物ではなく,ホウレンソウの栽培方法を葉菜類農産物全般に適用できるとする根拠とはならない。 (5) したがって,本願補正発明は,引用発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものではない。 3 以上によれば,本願補正発明について,特許出願の際,独立特許要件を満たさないものとして,本件補正を却下し,本願を拒絶するとの審決の結論は誤りであるから,審決は取り消されるべきである。 |
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被告の反論
1 取消事由1(引用発明の認定の誤り並びにこれに起因する本願補正発明と引用発明との一致点及び相違点の認定の誤り)について (1) 引用例1の請求項2には,「KNO3の代わりに同濃度のHNO3またはNaNO3を加える」ホウレンソウの栽培方法が記載されているから,KNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加えることは,引用例1に記載されている発明であることは明らかである。 (2) そして,同発明を具現化すること(実際に栽培すること)は,当業者であれば特許請求の範囲の記載事項があれば十分であり,また,当業者であればKNO3の代わりに同濃度のHNO3を加える実施例を参考にして,KNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加える栽培方法を容易に想定できる。 引用例1には,KNO3の代わりに同濃度のHNO3を加えることによる栽培方法に関しては実施例があり,また,効果が確認できる試験結果も示されている。そして,当業者であれば,発明の詳細な説明の記載にも照らして,まず,HNO3とNaNO3は,いずれも,葉菜類の可食部に含有されることが望ましくないカリウム成分の供給を止め,かつ,葉菜類の生育に必要な窒素成分の供給を続けるための技術手段と位置付けられることを理解する。次に,引用例1の段落【0019】に記載されているとおり,HNO3を加える場合には,水耕液中では,中和してpHを維持するべく塩基性のNaOHを用いるのであるから,結果的に,水耕液中には,増加分としてのNa +とNO3-が,典型的には等量で,存在することになると理解する。一方,NaNO3を加える場合には,水耕液中では,増加分としてのNa+とNO3-が等量存在することになることは明らかである。そうすると,結局,「栽培期間を通じて水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節する」手段も併用する中では,HNO3を加える場合と,NaNO3を加える場合とでは,水耕液において,実質的な違いは生じないと理解することができる。 したがって,KNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加える栽培方法においても,当業者であれば同様の効果を奏するであろうことを当然に想定するといえ,これを確認することも当業者にとって技術的・経済的に格別に困難なことではない。 (3) 以上によれば,審決の引用発明の認定に誤りはない。 2 取消事由2(本願補正発明と引用発明の相違点の判断の誤り)について(1) 引用例1の段落【0001】,【0003】,【0008】,【0009】の記載に接した当業者であれば,引用例1において,ホウレンソウは葉菜類農産物の「モデル植物」として採用されたものであるから,引用例1で開示されている栽培方法の栽培対象は,必ずしもホウレンソウに限定されるものではなく,むしろ,日常食べられている葉菜類農産物全般に適用できる可能性があることも示唆されていると理解することができる。 そして,当業者であれば,引用例1の葉菜類農作物として,水耕栽培で生産されていることが本願出願前において周知慣用(乙1)であり,一般的社会常識でもある,リーフレタス,サンチュ及びコマツナの少なくとも一つを容易に想起するものといえる。 また,原告自身が提出した証拠(甲10ないし13)によっても,分類学上の目を超える種々の食用葉菜類農産物(野菜)について,栽培試験を実施し,効果を確認することが周知慣用であることは明らかである。 したがって,引用発明の栽培対象として「ホウレンソウ」に代えて「リーフレタス,サンチュ,又は,コマツナ」とすることは,当業者が容易に想到し得たことである。 (2) また,NaNO3を加える期間を最適化することは,当業者が容易になし得たことである。このことは,NaNO3を加える期間が,本願補正発明では収穫までの「7から10日間」であるのに対して,引用発明では収穫までの「2週間」(すなわち14日間)であって,収穫前の7日ないし10日間において重複しており,数日間の差があるに過ぎないことからも裏付けられる。また,原告が主張するように,分類学上の目が異なるとされる,「リーフレタス,サンチュ」と「コマツナ」に関して,その目を越えて一括りに「7から10日間」であることから,「7から10日間」に臨界的意義があるともいえない。 (3) さらに,当業者であれば,引用発明の栽培対象として「ホウレンソウ」に代えて「リーフレタス,サンチュ,又は,コマツナ」とした際に,「ホウレンソウ」で得られたと同等の効果が得られることは(少なくともその可能性があることは),容易に類推できることであり,また,前記のとおり,これを確認することは格別に困難なことではない。 また,引用例1の段落【0009】の記載によれば,引用例1記載の栽培方法においても本願補正発明と同様又はそれを上回るカリウム含有量を低減する効果が得られている。 さらに,本願明細書には,本願補正発明が栽培対象を「リーフレタス,サンチュ,又は,コマツナ」の三種のみに限定することによる固有の有利な効果が具体的に記載されているものではなく,むしろ,段落【0030】には「なお,以上リーフレタス,サンチュ,コマツナの実施例を挙げたが,この実施例は他の葉菜にも当てはめることができる。」と明記されていることに照らすならば,本願補正発明の効果が当該三種のみに固有のものであるとは到底いうことができない。 (4) 以上のとおり,審決の相違点についての判断に誤りはない。 |
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当裁判所の判断
1 取消事由1(引用発明の認定の誤り並びにこれに起因する本願補正発明と引用発明の一致点及び相違点の認定の誤り)について(1) 本願発明の内容について 本願明細書(甲2,4)の記載によれば,本願補正発明は,次のとおりのものと認められる。 本願補正発明は,リーフレタス,サンチュ,コマツナにおけるカリウム含有量が低い栽培方法に関するものである(【0001】)。 腎臓病透析患者は,体内のカリウムを十分に排出することができず不整脈により心不全を起こす可能性があるため,一日のカリウム摂取量を1500〜2000mgに制限されているところ,葉菜類には多くのカリウムが含まれているため,水にさらしたり茹でたりしてカリウムを除去してから摂取する必要があるが,これだけでは,一部のカリウムを除去できる程度であり,また,水にさらしたり茹でたりすることによりビタミン類等の栄養分が溶脱や分解してしまうという問題があった(【0003】,【0014】)。 そこで,本願補正発明は,栽培段階においてカリウム施肥量を調節することで,葉菜類の可食部の生育に影響を与えることなく,葉菜類の可食部のカリウム含有量を減少させることを目的とするものである(【0011】)。 本願補正発明は,この課題を解決するために,水耕栽培法を用いて,リーフレタス,サンチュ,又はコマツナを栽培する方法において,栽培期間のうち,最初の期間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずKNO3を加えて栽培し,その後,収穫までの7から10日間を,水耕液中のカリウム要素であるKNO3 の代わりに同濃度のNaNO3を加え,かつ栽培期間を通じて水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節するようにしたものであり,この方法により,カリウム制限による生長障害が起らず,収穫時における可食部の単位新鮮重あたりのカリウム含有量が従来の栽培方法で栽培したものの30%から40%に減少できるという効果を奏する。本願補正発明に係る方法により栽培した葉菜類であれば,腎臓病透析患者であっても従来より多くの葉菜類の摂取が可能になり,また生食できることで栄養分を効率的に摂取することが可能になる(【請求項1】,【0013】,【0014】)。 (2) 引用発明について ア 引用例1(甲1)には,次のとおりの記載がある(なお,文中に掲記した以外の図及び表は省略した。)。 (ア) 「【請求項1】 カリウム欠乏障害を起こすことなく,可食部の生長を維持しつつ,収穫時カリウム含有量を,従来の栽培方法で栽培したものの1/3から1/4である新鮮重1gあたり2300μgから1800μgに抑えたホウレンソウの栽培方法。 【請求項2】 水耕栽培法を用いてホウレンソウを栽培する。栽培期間5週間のうち,最初の2-3週間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずKNO3を加えて栽培し,その後,水耕液中のカリウム要素であるKNO3の代わりに同濃度のHNO3またはNaNO3 を加える。栽培期間を通して水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節することにより,請求項1記載のホウレンソウを栽培する方法。」 (イ)「【技術分野】 【0001】 本発明は,葉菜類農産物,具体的にはホウレンソウにおけるカリウム含有量が低い栽培方法に関するものである。」 (ウ)「【背景技術】 【0002】 腎臓病透析患者数は2004年末で約25万人であり1990年の約2.5倍にあたり,その数は急激に増加している。腎臓病は自覚症状が少ないため,その予備群を含めると数百万人いると推測され今後透析患者の更なる増加が推測される。さらには,透析に至る原疾患の第一位が日本人に非常に多い糖尿病であることを鑑みると,今後も日本の透析患者数が増加することは容易に想像される。 (非特許文献1) 【0003】 腎臓病透析患者は体内のカリウムを十分に排出することができないために,カリウムの摂取制限を行なわないと不整脈により心不全を起こす可能性がある。そのため,腎臓病透析患者は1日のカリウム摂取量を1500〜2000mgに制限されている。日常で私たちが食べている野菜にも多くのカリウムが含まれているため,腎臓病透析患者は,野菜を生食できずに,水にさらしたり茹でたりしてカリウムを除去することにより,摂取する必要がある。(非特許文献2) 【0004】 このような腎臓病透析患者の食生活を踏まえると,一定新鮮重に含まれるカリウム含有量のできる限り少ない野菜が望まれる.一方で,カリウムは植物の必須元素の一つであり,カリウムの生理的機能は,細胞内で物質代謝が正常に行なわれるための原形質構造の維持や,pH,浸透圧調節にカリウムイオンとして作用していると考えられている。(非特許文献3)したがって,植物体内のカリウムを過剰に減少させることは,植物体内の恒常性の維持が不可能になり,生育障害を起こすと考えられる。本発明は,植物体内の恒常性を維持しながら,カリウム欠乏による生育障害を起こすことなく,通常栽培と同じ生育を示しながら,かつ従来の栽培方法で栽培したものの1/3から1/4である新鮮重1gあたり2300μgから1800μgに抑えたホウレンソウの栽培方法である。」(エ) 「【発明が解決しようとする課題】【0006】 腎臓病患者はカリウムの摂取が制限されている。日常で私たちが食べている野菜にも多くのカリウムが含まれているため,腎臓病透析患者は,野菜を生食できずに,水にさらしたり茹でたりしてカリウムを除去することにより,摂取する必要がある。しかしながら,野菜を水にさらすまたは茹でる方法を用いると,新鮮重あたりのカリウム含有量を減少させることはできるが,カリウムを完全に溶脱できるわけではなく,一部のカリウムを除去できる程度である。さらに,カリウム以外の養分や栄養分が溶脱や分解してしまうことも考えられる。腎臓病透析患者の食生活を踏まえると,一定新鮮重に含まれるカリウム含有量のできる限り少ない野菜が望まれる。・・・【0008】 本発明は,このような現状に鑑みてなされたものであり,栽培段階においてカリウム施肥量を調節することで,葉菜類の可食部の生育に影響を与えることなく,葉菜類の可食部のカリウム含有量を減少させることを目的とする。」(オ) 「【課題を解決するための手段】【0009】 発明者は,以上のことを解決するために鋭意研究を行い,葉菜類の中でカリウム含有量の高いホウレンソウをモデル植物とし,栽培期間中の培地のカリウム濃度を調節することにより,収穫時に従来の手法で栽培したホウレンソウと比較して,カリウム制限による生長障害は起こらないが,収穫時の可食部における単位新鮮重あたりのカリウム含有量が従来の栽培方法で栽培したものの1/3から1/4である新鮮重1gあたり2300μgから1800μgに抑えた栽培方法を確立するに至った。 【0010】 すなわち,本発明は次の手順により課題を解決した。 (1)カリウム欠乏障害を起こすことなく,可食部の生長を維持しつつ,収穫時のカリウム含有量が少ないホウレンソウを栽培する方法 (2)栽培を培地中の養分組成を容易に変更できる水耕栽培により行い,水耕液中のカリウム要素であるKNO3の代わりに同濃度のHNO3を加え,NaOHを用いてpHを6.0-6.5に調節することにより,(1)記載のホウレンソウを栽培する方法 (3)ホウレンソウの生育を維持しつつ効率的に収穫時のカリウム含有量を減らすために,栽培期間5週間のうち,最初の3週間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずKNO3を加えて栽培し,4週目以降KNO 3の代わりに同濃度のHNO 3を加え水耕液中のカリウム含有量を減らすことにより,カリウム含有量を従来の栽培方法で栽培したものの1/3から1/4に抑え,(1)記載のホウレンソウを栽培する方法」 (カ) 「【発明の効果】 【0011】 本発明によって,カリウム含有量の少ない葉菜類を栽培することで,腎臓病透析患者の食生活の改善に大いに貢献する。すなわち,腎臓病透析患者は体内のカリウムを十分に排出することができないために,カリウムの摂取制限を行なわないと不整脈により心不全を起こす可能性がある。そのため,腎臓病透析患者は1日のカリウム摂取量を1500〜2000mgに制限されている。日常で私たちが食べている葉菜類にも多くのカリウムが含まれているため,腎臓病透析患者は,生食できずに,水にさらしたり茹でたりしてカリウムを除去することにより,摂取する必要がある。葉菜類はビタミン類を主とした多くの栄養成分を含んでおり,水にさらしたり茹でたりすることで,それら栄養素の中には溶質や分解するものも含まれている。また水にさらしたり茹でたりすることだけではカリウムを完全に溶脱できるわけではなく,一部のカリウムを除去できる程度である。本発明によって,収穫時における可食部の単位新鮮重あたりのカリウム含有量が従来の栽培方法で栽培したものの1/3から1/4である新鮮重1gあたり2300μgから1800μgに減少できることにより,腎臓病透析患者であっても従来より多くの葉菜類の摂取が可能になり,また生食できることで栄養分を効率的に摂取することが可能になると考えられる。」 (キ) 「【発明を実施するための最良の形態】 【0012】 本発明では,栽培期間中の培地の養分組成を容易に変更できる水耕法を用いて栽培することが適している。すなわち,本発明において使用される葉菜類農産物の栽培施設は,栽培環境が完全に制御できる植物(野菜)工場施設といえるものである。 【0013】 ホウレンソウの種子を催芽させた後,水耕栽培によって5週間栽培する。移植後3週間は,生育にカリウムを必要とするため表1で示すカリウムを含む水耕液で栽培し,4週目以降水耕液組成中のKNO3を同濃度のHNO3に変えカリウムを含まない水耕液に変更して栽培を行う。水耕液のpHは,0.1NNaOHを用いてpH6.5に調整する。 【0014】【表1】 【0015】 栽培は充分な光がある条件下(光合成有効放射量320μmolm-2s-1以上)で,湿度70%,明期12時間(温度18℃),暗期12時間(温度14℃)で行い,水耕液には空気ポンプを用いて充分通気を行う。 【実施例】・・・ 【0017】 (実施例1)栽培期間を通してカリウム施肥量を減らして育てた栽培方法 (1)方法 1)栽培条件 供試材料としてホウレンソウ(品種:ディンプル)を用いた。種子を1%,NaOCl溶液中で30分間洗浄した後蒸留水で洗浄し,湿らせたろ紙をしいたシャーレ中に置床した後,14℃,暗黒条件の恒温器内で6日間催芽処理を行った。催芽処理期間中に,種子根は約10mm伸長した。 【0018】 水耕液が8L入った容積10Lのプラスチック性容器(幅39cm,奥行き22cm,深さ16cm)に2cm四方の穴を10個空けた発泡スチロール板を浮かべ,催芽した幼植物の茎以下を立方体型のスポンジで包み,穴に差し込み移植した。栽培はグロースチャンバー(MLR-350H,SANYO)内で行い,湿度70%,明期12時間(温度18℃),暗期12時間(温度14℃),光合成有効放射量320μmol m-2s-1に設定した。水耕液には十分に通気を行った。定植時には10個体植え付け,1週間後の水耕液交換時に生育が良好なもの5個体を選抜してその後の栽培を行った。水耕液交換は栽培開始後1週間ごとに計4回行い,移植後34日目に収穫した。 【0019】 水耕液の組成は,3.00mM KNO3,2.00mM Ca(NO3)24H2O,0.50mM NH4H2PO4,1.00mM MgSO4 7H2O,26.9μM EDTA-Fe,4.55μM MnCl 2 4H 2O,23.1μM H 3 BO 3 ,0.38μM ZnSO 4 7H 2 O,0.16μMCuSO45H2O,0.015μM (NH4)6Mo7O244H2Oとし,0.1N NaOHを用いてpH6.5に調節し,対照区の組成とした(表1)。水耕液中のカリウム濃度を減らすためにKNO 3を減らし,減少したNO 3+【判決注:NO3-の誤記と認める。】を補うためにHNO3を加え,0.1N NaOHを用いてpHを6.5に調節した。対照区と比較して,栽培期間を通して水耕液中のカリウム濃度が1/2の処理区(1/2K区),1/4の処理区(1/4K区),1/8の処理区(1/8K区)を設定した。・・・ 【0027】(実施例2)栽培初期はカリウムを減らさず栽培し,栽培期間の途中から水耕液中のカリウム濃度を減らした栽培方法 (1)方法 1)栽培条件 供試材料および栽培条件は,(実施例1)にしたがった。 【0028】 水耕液中の組成は,(実施例1)と同様に表1に示すものを対照区とし,移植後5週目から水耕液中のカリウム濃度を0にした処理区(5W0K区),移植後4週目は水耕液中のカリウム濃度を1/4,移植後5週目は0にした処理区(4W1/4K区),移植後4週目以降水耕液中のカリウム濃度を0にした処理区(4W0K区)を設定した(表2)。 【0029】 測定項目は,(実施例1)に示したものにしたがった。 【0030】(試験結果) 表5に,栽培期間の途中からカリウム施肥量を減らして生育させた場合の,収穫時の各処理区における新鮮重,葉数,含水率,葉緑素計値を示した。対照区と比較してカリウム施肥量を減らした各処理区では,新鮮重,葉数および葉緑素計値において,収穫時に有意差が認められなかった。含水率は5W0K区では94.27%で対照区と比較してわずかに増加したが,5W0K区以外の処理区では対照区と比較して有意な差は認められなかった。 【0031】 【表5】【0032】 図2に,栽培期間の途中からカリウム施肥量を減らして生育させた場合のカリウム施肥量の差異が,収穫時のカリウム含有量に与える影響について示した。各処理区において対照区と比較して,カリウム含有量は有意に減少していた。収穫時に対照区では新鮮重1gあたりのカリウム含有量は7.97mgであったが,5W0K区では4.79mgとなり対照区と比較して40%の減少,4W1/4K区では3.61mgで55%の減少,4W0K区では1.71mgで79%の減少が認められた。・・・【0035】(結果のまとめ)ホウレンソウは水耕法を用いて栽培し,『栽培期間を通してカリウム施肥量を減らして育てた栽培方法(実施例1)』と『栽培期間の途中からカリウム施肥量を減らして育てた栽培方法(実施例2)』の2処理区を設定した。カリウムの施肥量を減らすことで,両処理区において生育を維持しつつ(表3,表5),カリウム含有量が減少した(図1,図2)。・・・また,実施例2の方がより効率的に,収穫時における可食部のカリウム含有量を減少させることが可能であった。 【0036】 カリウム含有量が大幅に減少したにもかかわらず生育は維持され,このときいくつかの元素の含有量に増加が認められたことから,増加したこれらの元素がカリウムの減少を補い,浸透圧調節に働いたのではないかと考えられた。図3に,栽培期間の途中からカリウム施肥量を減らして生育させた場合の,含有量が多い元素であるカリウム,ナトリウム,マグネシウム,カルシウムの新鮮重1g当たりに含まれるモル数とその合計を示した。カリウム施肥量を減らしその結果カリウム含有量が減少した処理区では,特にナトリウムおよびマグネシウムのモル数が増加し,合計のモル数を維持しようとする傾向が認められた。」 (ク) 「【産業上の利用可能性】 【0038】 植物工場などの大規模なレベルで安定的に恒常的に生産することで,腎臓病透析患者に向けた葉菜類の生産が可能になり,食品関連企業との事業の創設が可能になると考えられる。」 イ 引用発明の内容 前記ア(ア)によれば,引用例1の請求項2には,「水耕栽培法を用いてホウレンソウを栽培する。栽培期間5週間のうち,最初の2-3週間は水耕液中のカリウム含有量を減らさずKNO3を加えて栽培し,その後,水耕液中のカリウム要素であるKNO3の代わりに同濃度のHNO 3またはNaNO3を加える。栽培期間を通して水耕液のpHを,NaOHを用いて6.0-6.5に調節することにより,請求項1記載のホウレンソウを栽培する方法。」との記載があり,前記第2の3(2)の引用発明の内容が明記されている。 そして,引用例1の「発明の詳細な説明」には,水耕液中のカリウム濃度を減らすために,KNO3の代わりにNaNO3を加える方法についての効果等の説明や実施例の記載はないものの,上記請求項2には選択的な方法の一つとして明記されており,同請求項記載の選択的な他の方法である,KNO3の代わりにHNO3を加える場合については,実施例2において,可食部の生育を維持しつつ,カリウム含有量の少ないホウレンソウを栽培することができたことを示す試験結果が記載されている。また,「水耕液中のカリウム濃度を減らすためにKNO3を減らし,減少したNO3-を補うためにHNO3を加え,0.1N NaOHを用いてPHを6.5に調節した。」(【0019】)との記載によれば,実施例2において用いられたHNO3は,KNO 3を使用しないことによるNO 3 -の減少分を補うために添加されるものであると理解できる。 他方,NaNO3については,その化学構造からして,HNO3と同様に,KNO3 を使用しないことによるNO 3-の減少分を補うことができるものであること,また,葉菜類の水耕液にNaNO 3 を加えることにより,等量のNa+ とNO 3 -が水耕液に加わった状態は,葉菜類の水耕液にHNO3を加え,同水耕液のpHを6.0-6.5に調節するためにNaOHを添加して,Na+とNO3-が存在する状態と,水耕液としては実質的に同じであることが認められる。 そうすると,引用例1の記載を総合的に参酌すれば,引用例1の請求項2に記載された選択的な方法のうち,KNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加えた水耕液を用いる栽培方法は,KNO3の代わりに同濃度のHNO3を加えた水耕液を用いる栽培方法と,水耕液としては実質的に同じものを用いるものであり,前者の方法についても,後者の方法と同様に,可食部の生育を維持しつつ,カリウム含有量の少ないホウレンソウを栽培することが可能であることを当業者は理解することができるから,引用例1には,審決が認定した前記第2の3(1)のとおりの引用発明が,当業者であれば理解できる程度の技術的思想として開示されているものと認められる。 したがって,審決が,前記第2の3(1)のとおりの引用発明を認定した点に誤りはない。 ウ 原告の主張について 原告は,水耕液中のカリウム濃度を減らすために,KNO3の代わりにNaNO3を加えるということは,上記請求項2の記載以外には,引用例1の発明の詳細な説明には一切記載がなく,実施例による裏付けもないから,上記請求項の記載のみから,KNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加えることを引用発明として認識することはできない旨主張する。 しかし,特許法29条1項3号所定の「刊行物に記載された発明」に当たるというためには,刊行物に,当業者であれば理解し得る程度の技術的思想が開示され,刊行物全体に記載された内容に基づいて当業者がこれを把握し得るものであれば足りる。そして,引用例1には,審決が認定した前記第2の3(1)のとおりの引用発明が,当業者であれば理解できる程度の技術的思想として開示されているものと認められることは,前記イのとおりであるから,KNO3の代わりにNaNO3を加えることに関する記載が引用例1の発明の詳細な説明にないことをもって,KNO3の代わりにNaNO3を加えることを引用発明として認識することができないとはいえない。 したがって,原告の上記主張は採用することができない。 (3) 以上によれば,原告の主張する取消事由1は理由がない。 2 取消事由2(本願補正発明と引用発明の相違点の判断の誤り)について (1) 審決の引用発明の認定に誤りがないことは前記1のとおりであるから,審決の本願補正発明と引用発明の一致点及び相違点の認定に誤りはない。 したがって,本願補正発明と引用発明は,前記第2の3(3)のとおり,@栽培対象の葉菜類農産物に関して,本願補正発明は,「リーフレタス,サンチュ,又はコマツナ」であるのに対し,引用発明は「ホウレンソウ」である点,AKNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加える期間について,本願補正発明は,「7から10日間」であるのに対し,引用発明は「2週間」である点で相違する。 (2) そこで,本願補正発明と引用発明との相違点に係る構成を,当業者が容易に想到することができたかという点について検討する。 ア 栽培対象の葉菜類農産物に関して 引用発明は,栽培期間の途中から水耕液中のカリウム濃度を減らした水耕栽培方法に関するものであり(【0027】(実施例2)),栽培対象はホウレンソウである。 しかし,引用例1には,「本発明は,葉菜類農産物,具体的にはホウレンソウにおけるカリウム含有量が低い栽培方法に関するものである。」(【0001】),「日常で私たちが食べている野菜にも多くのカリウムが含まれているため,腎臓病透析患者は,野菜を生食できずに,水にさらしたり茹でたりしてカリウムを除去することにより,摂取する必要がある。」(【0003】),「本発明は,このような現状に鑑みてなされたものであり,栽培段階においてカリウム施肥量を調節することで,葉菜類の可食部の生育に影響を与えることなく,葉菜類の可食部のカリウム含有量を減少させることを目的とする。」(【0008】),「発明者は,以上のことを解決するために鋭意研究を行い,葉菜類の中でカリウム含有量の高いホウレンソウをモデル植物とし,栽培期間中の培地のカリウム濃度を調節することにより,収穫時に従来の手法で栽培したホウレンソウと比較して,カリウム制限による生長障害は起こらないが,収穫時の可食部における単位新鮮重あたりのカリウム含有量が従来の栽培方法で栽培したものの1/3から1/4である新鮮重1gあたり2300μgから1800μgに抑えた栽培方法を確立するに至った。」(【0009】)と記載されている。これらの各記載からみると,引用例1は,栽培期間の途中から水耕液中のカリウム濃度を減らした水耕栽培方法を適用できる葉菜類農産物の「モデル植物」として,葉菜類の中でカリウム含有量が高いことからホウレンソウを挙げたものであって,かかる水耕栽培方法が適用できる葉菜類は,ホウレンソウに限られるものではないことが示唆されていると認められる。 そして,本願出願日当時,ホウレンソウと同様に,リーフレタス,サンチュ及びコマツナは,植物工場などにおいて水耕栽培することは技術常識であったこと(乙1,弁論の全趣旨)に照らすと,当業者であれば,引用発明に係る栽培方法を,カリウム濃度を減らした葉菜類を生産するという同一の課題を解決するために,ホウレンソウ以外の水耕栽培する葉菜類であるリーフレタス,サンチュ又はコマツナの栽培に適用することを,容易に想到することができたものと認められる。 イ KNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加える期間について 引用発明は,ホウレンソウを栽培するにあたって,KNO3の代わりに同濃度のNaNO 3 を加える期間を,収穫までの「2週間」(14日間)とするものである。 葉菜類によって,水耕栽培を開始してから収穫までの全体の日数や生育状況が変化することは技術常識であり,当業者であれば,引用発明に係る栽培方法を,リーフレタス,サンチュ又はコマツナの栽培に適用するにあたり,KNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加える期間を,それぞれの生育状況や可食部のカリウム含有量等を指標にしつつ最適化し,収穫までの「7から10日間」と設定することは,過度な試行錯誤を要することなく適宜なし得る事項にすぎない。したがって,引用発明に係る栽培方法を,リーフレタス,サンチュ又はコマツナの栽培に適用するに際し,KNO3の代わりに同濃度のNaNO3を加える期間を「7から10日間」とすることは,当業者が容易に想到することができたものというべきである。 ウ 効果について 前記アのとおり,引用例1には,栽培期間の途中から水耕液中のカリウム濃度を減らした水耕栽培方法を適用できる葉菜類は,ホウレンソウに限られるものではないことが示唆されていると認められることから,リーフレタス,サンチュ又はコマツナを同様の方法で栽培した場合にも,ホウレンソウと同様に,カリウム制限による生育障害が起らず,可食部の単位新鮮重あたりのカリウム含有量が減少することを,当業者は予期するということができる。 そして,引用発明においても,ホウレンソウの収穫時における可食部の単位新鮮重あたりのカリウム含有量が従来の栽培方法で栽培したものの1/3から1/4に減少できるという効果があることからすれば(甲1の【0011】),本願補正発明において,リーフレタス,サンチュ又はコマツナのカリウム含有量を従来の栽培方法で栽培したものの30%から40%に減少できるという効果(しかも,本願明細書の実施例〔甲2の段落【0025】〕によれば,サンチュのカリウム減少量は42%であるが,リーフレタスは28%,コマツナは31%であり,引用発明の効果の範囲と相違しない。)が,当業者が予測し得ない格別顕著なものということはできない。 エ したがって,引用発明において,相違点に係る本願補正発明の構成とすることは,当業者が容易に想到し得るものであると認められるから,審決の判断に誤りがあるとは認められない。 (3) 原告の主張についてア 栽培対象の葉菜類農産物について(ア) 原告は,本願補正発明と引用発明の栽培対象の葉菜類農産物は,分類学上の目が異なっており,まったく別のものとして扱われるべきものであること,植物により栽培方法が与える影響は異なるという論文が多く発表されていること(甲10ないし13),同じ葉菜類であっても必ずしも同じ反応を示すものではないこと(甲14)からすれば,引用発明においてカリウム含有量の少ないホウレンソウが収穫できたからといって,リーフレタス,サンチュ又はコマツナにおいてカリウム含有量が少ないものが得られるかは全く不明であり,引用発明の栽培方法を,リーフレタス,サンチュ又はコマツナにおいて試みることは,当業者が容易に着想し得るものではない旨を主張する。 しかし,原告が提出した証拠(甲10〜14)は,いずれも,ホウレンソウと,リーフレタス,サンチュ又はコマツナとを比較したときに,水耕液等におけるカリウムを減少させると後者では前者と異なり生育阻害が生じる場合があることや,水耕液等におけるカリウムを減少させても後者ではカリウム含有量が減少しないことが記載又は示唆されているものではない。そして,これらの証拠(甲10〜14)によれば,本願出願日当時,ある栽培方法が与える影響について,分類学上の目が異なるものも含め様々な葉菜類農産物に対して確認した結果,植物により栽培方法が与える影響が異なる場合がある一方で,分類学上の目が異なる植物であっても,同様の影響が生じる場合があることも知られていたことが認められ,例えば,「水耕培養液中のカリ,カルシウムの濃度並びに随伴陰イオンがそ菜のアンモニア過剰障害に及ぼす影響」と題する論文(甲12。園芸学会雑誌,Vol.51,No.3,309-317頁,1982-1983)には,「そこでまず,葉中K濃度と生育との関連について,培養液中のN形態並びにK濃度の影響の面から検討してみる。NO3をN源とした場合,培養液中K濃度が6→18me/lあるいは6→2me/lと増加ないし減少すると,供試そ菜のいずれにおいても葉中K濃度は増加あるいは減少し,変化の程度が大きなものは18me/lでは6me/lの1.5〜1.6倍に,2me/lでは6me/lの半分以下にもなった。しかし,NO3区では,このような葉中K濃度の著しい差異にもかかわらず,生育量においてはほとんど差異が認められず,いずれのK濃度でも良好に生育した。また同様な関係は,NO3+NH4区でも認められた。」(315頁左欄下から7行〜右欄5行)と記載され,NO3をN源とした水耕栽培において,培養液中のカリウム濃度を減少させると,「供試そ菜(ホウレンソウ,レタスなど)」のいずれにおいても葉中のカリウム濃度が減少し,生育阻害の差異はほとんど生じなかったことが記載されている。 そうすると,本願出願日当時,引用発明の栽培方法を他の葉菜類農産物にも適用できることを示唆する記載が引用例1にあるにもかかわらず,当業者が,分類学上の目が異なる植物に対してカリウム濃度の減少を目的として同じ栽培方法を適用しても,同様の結果が得られないと認識する技術常識が存在していたことをうかがわせる証拠はない。 したがって,原告が上記主張するように,栽培対象の葉菜類農産物の目が違うことや,原告が提出する各論文等が発表されているということだけでは,引用発明に係る栽培方法を,リーフレタス,サンチュ又はコマツナの栽培に適用することを当業者が容易に着想し得ないとの根拠となるものではなく,審決に誤りがあるとはいえない。 したがって,原告の主張は採用することができない。 (イ) なお,原告は,ホウレンソウは,普遍的な生命現象の研究に用いられる植物である「モデル植物」の条件を満たすものではないから,引用例1の「ホウレンソウをモデル植物とし」(【0009】)との記載は,葉菜類農産物の中でカリウム含有量の高い一つの植物としてホウレンソウの栽培方法を確立したという意味であり,ホウレンソウの栽培方法を葉菜類農産物全般に適用できるとする根拠とはならない旨主張する。 しかし,原告が主張するように,引用例1の上記記載が,葉菜類農産物の中でカリウム含有量の高い一つの植物としてホウレンソウの栽培方法を確立したという意味であるとしても,同記載から,栽培期間の途中から水耕液中のカリウム濃度を減らした水耕栽培方法を適用できる葉菜類農産物はホウレンソウに限られるものではない,ということが示唆されていると認められることに変わりはないから,原告の上記主張は,本願補正発明の容易想到性についての前記(2)の判断を左右するものではない。したがって,原告の上記主張は,理由がない。 イ 原告は,本願補正発明は,引用発明に比べて,KNO3の代替物を加える期間が短いにも関わらず,十分な効果が得られているものであり,これは,植物が異なること及びNaNO 3を用いていることによるものであると考えられ,単に,KNO3の代わりにNaNO3を加える期間を最適化したものではないと主張する。 しかし,前記のとおり,KNO3の代わりにNaNO3を加える点は,そもそも引用発明との相違点ではないから,原告の主張は前提を欠く。また,栽培対象の葉菜類農産物に係る相違点については,引用発明から同相違点に係る本願補正発明の構成を容易に想到することができることは前記判示のとおりである。したがって,原告の主張は理由がなく,採用することができない。 ウ 原告は,栽培方法による影響は植物により異なり,ホウレンソウの栽培方法を葉菜類農産物全般に適用できるものではないことからすれば,引用発明において,ホウレンソウに代えて「リーフレタス,サンチュ,又は,コマツナ」とし,かつ,KNO3の代わりにNaNO3を加えて栽培した際に,カリウム制限による生長制限が起きないか否か,また,引用発明と同様の効果が得られるか否かや,収穫時の可食部における単位新鮮重あたりのカリウム含有量が30%から40%程度となることは,当業者が容易に予測し得るものではないと主張する。 しかし,本願出願日当時,引用発明の栽培方法を他の葉菜類農産物にも適用できることを示唆する記載が引用例1にあるにもかかわらず,当業者が,分類学上の目が異なる植物に対してカリウム濃度の減少を目的として同じ栽培方法を適用しても,同様の結果が得られないと認識する技術常識が存在していたことをうかがわせる証拠はないことは,前記ア(ア)のとおりである。したがって,原告の主張は採用することができない。 (4) 以上によれば,原告の主張する取消事由2は理由がない。 |
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結論
以上によれば,原告の各取消事由の主張はいずれも理由がなく,原告の請求は理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。 |
裁判長裁判官 | 設樂一 |
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裁判官 | 大寄麻代 |
裁判官 | 岡田慎吾 |