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事件 平成 26年 (行ケ) 10235号 審決取消請求事件

原告 アクゾノーベル株式会社
訴訟代理人弁理士 松井光夫
同 村上博司
同 加藤由加里
被告昭和電工株式会社
訴訟代理人弁護士 尾崎英男
同 江黒早耶香
裁判所 知的財産高等裁判所
判決言渡日 2015/08/26
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 1 特許庁が無効2014−800045号事件について平成26年9月16日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
請求
主文同旨
前提となる事実(争いがない事実又は文中掲記の証拠により容易に認定でき
る事実) 1 特許庁における手続の経緯等 (1) 被告は,平成8年7月24日に出願(優先権主張 平成7年12月11日, 1 日本国)され,平成20年4月25日に設定登録された,発明の名称を「洗浄剤組成物」とする特許第4114820号(以下「本件特許」という。請求項の数は2である。)の特許権者である(甲6)。
(2) 本件特許については,平成21年7月13日付けで,原告とは異なる第三者から,本件特許の優先日前に頒布された刊行物である特開昭50-3979号公報(甲4。以下「甲4公報」という。)を主引用例として,進歩性欠如を理由とする無効審判が請求され(無効2009-800152号事件),被告は,その審理の過程で,同年10月5日付け訂正請求(以下「本件訂正」という。)をした(甲5)。特許庁は,平成22年3月2日,本件訂正を認めた上で,上記無効理由に基づき,本件特許を無効とする旨の審決をした。知的財産高等裁判所は,同審決に対する審決取消訴訟(平成22年(行ケ)第10104号事件)において,同年11月10日,同審決を取り消す旨の判決を言い渡し,これを受けて,特許庁は,平成23年1月31日,「訂正を認める。本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(以下「第1審決」という。)をし,この審決は,同年3月14日に確定した。
(3) 原告は,平成23年8月25日,本件特許につき,本件発明は,第1に,本件特許の優先日前に頒布された英国特許第1439518号公報(甲3。以下「甲3公報」という。)を主引用例として,第2に,甲4公報を主引用例として,これらに特開平7-238299号公報(甲2。以下「甲2公報」という。)その他の周知技術を組み合わせると,容易に想到し得るものであり,いずれも進歩性がないとする無効審判を請求し(無効2011-800147号事件。以下「第2審判」という。),平成24年4月12日,請求不成立の審決がされた(以下「第2審決」という。)。知的財産高等裁判所は,同審決に対する審決取消訴訟(平成24年(行ケ)第10177号事件)において,上記無効不成立審決を維持し,平成25年2月27日,原告の請求を棄却し(以下「第2判決」という。),第2審決は,同年3月13日に確定した。
(4) 原告は,本件特許につき無効審判を請求し(無効2014-800045。
2 以下「本件審判」という。),特許庁は,審理の結果,平成26年9月16日,「本件審判の請求を却下する。」との審決をし(以下「本件審決」という。),その謄本を,同月29日,原告に送達した。
なお,第2審判及び本件審判において提出され,審理の対象とされた主な証拠は,別紙「関係証拠一覧表」記載のとおりである(本判決では,特に断りのない限り,本件訴訟における証拠番号によりこれらを特定する。)。
2 特許請求の範囲の記載等 本件訂正後の,本件特許に係る明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲は,以下のとおりである(以下,請求項1に係る発明を「本件発明1」,請求項2に係る発明を「本件発明2」といい,併せて「本件発明」という。)(甲5,6)。
「【請求項1】水酸化ナトリウム,アスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸塩類,及びグリコール酸ナトリウムを含有し,水酸化ナトリウムの配合量が組成物の0.1〜40重量%であることを特徴とする洗浄剤組成物。
【請求項2】水酸化ナトリウムを5〜30重量%,アスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸塩類を1〜20重量%,グリコール酸ナトリウムをアスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸塩類1重量部に対して0.1〜0.3重量部含有する請求項1記載の洗浄剤組成物。」 3 本件審決の理由 本件審決の理由は,別紙審決書写しのとおりである。その要旨は,ア 本件審判における主引用発明は,甲3公報及び甲4公報に記載された「OS1」なる金属イオン封鎖剤組成物に係る発明であり,第2審判における主引用発明と実質上の差異がない,イ 周知技術は,甲1文献及び甲2公報に記載されている技術事項である「洗浄剤の分野において,(アミノカルボン酸の誘導体から構成される)コンプレクサン型キレート剤を水酸化ナトリウムとともに使用すること」であり,ウ 原告の無効理由は,本件発明1は,上記周知技術の存在の下,主引用発明に基づいて当 3 業者が容易に発明をすることができたものである,と理解される,エ 原告は,第2審判においても,甲3公報及び甲4公報に記載された「OS1」なる金属イオン封鎖剤組成物に係る発明を主引用発明とし,これに「第3級アミン誘導体であるキレート剤と水酸化ナトリウムの併用添加」という,洗浄剤における周知技術の存在の下,本件発明1の容易想到性を主張し,第2審決は,この無効理由について,理由がないと判断し,確定した,オ 本件審判において新たに提出された甲1文献は,第2審決が審理対象とした特定の周知技術の存在か,その技術の背景(技術的課題)を証明するに過ぎず,新たな事実関係を証明する価値を有する証拠とは評価することができない,カ よって,本件審判において原告が主張する無効理由は,第2審判において,原告が主張した無効理由と実質的に同一であり,同一の事実及び同一の証拠に基づくものであるから,本件審判は,第2審決の一事不再理効に反して請求されたものである(なお,本件審決は,特許法36条6項1号所定の無効事由についても,第1審決が既に判断しており,その一事不再理効に反しているとして却下しているが,これについては本訴において争われていないため,以下省略する。)。
取消事由に関する当事者の主張
1 原告の主張 本件審判は,第2審判で既に審理対象とされた特許法29条2項に係る無効理由と,同一の事実及び同一の証拠に基づく請求ではないから,本件審判が第2審決の一事不再理効に反するとして,本件審判の請求を却下した本件審決には誤りがあり,違法である。
(1) 本件審判における無効理由の骨子は,「ガラス瓶の洗浄において,2%以上の水酸化ナトリウム熱水溶液が,キレート剤としてEDTAやNTAを添加して常用されていることを開示している甲1文献から出発し,甲1文献に記載されたキレート剤(EDTA)には微生物によって分解されないという問題があったから,それを微生物により分解されやすい他のキレート剤で置き換えた事例が甲2公報に 4 記載され,そして,EDTAに変わるキレート剤として,生物学的易分解性のあるOS1が甲3公報に開示されていることから,甲1文献に記載された従来技術におけるキレート剤に代えて,甲3公報記載のOS1を使用することを当業者が容易に想到する。」というものであり,甲1文献から甲2公報,そして甲3公報へという一連の思考過程からなるものである。
(2) 無効理由の出発点である甲1文献は,「水と2%以上という高濃度のNaOHのみからなる洗浄液」という第2審判で原告が主張していなかった事項についての文献である。第2審判における「キレート剤を含む洗浄剤に水酸化ナトリウムを添加することが容易に想到される」という論理構成は,水酸化ナトリウムに関する証拠づけが弱かったので,本件審判では,水酸化ナトリウム自体が有機汚れに対する洗浄剤であることを示す新たな甲1文献を出発点としたものである。
被告は,甲1文献は周知技術を示すものにすぎず,特許法29条2項の無効理由は主引用例と副引用例の組合せであって周知技術は無効理由を必ずしも特定する事実ではない旨を主張する。しかし,発明を考え付く過程は時間的過程であり,周知技術が発明を思考する過程の出発点となることが現実に多く,周知か公知かを議論することは意味がない。
したがって,本件審判における主引用発明は,甲1文献に記載された「2%以上の水酸化ナトリウム熱水溶液(キレート剤は助剤である)でガラス瓶を洗浄する」との発明であり,本件審決の「主引用発明は,甲3(あるいは甲4)に記載された「OS1」なる金属イオン封鎖剤組成物に係る発明であるということができる。」との判断は誤りである。
(3) 甲2公報は,本件審判と第2審判において提出されている刊行物であるものの,各審判において引用する箇所が異なり,その位置づけも異なるから,同一の証拠とはいえない。
本件審判において,甲2公報は,「ガラス瓶の洗浄のために2%以上のNaOH(水酸化ナトリウム)水溶液が従来用いられていたが,助剤(キレート剤)として 5 のEDTAに環境問題があるところ,EDTAに代わる同タイプの別のキレート剤で置き換えるという技術が知られていた」ということを示すものであり,甲1文献においてキレート剤を甲3公報に記載されたものに置き換えることを動機づけるためのものである。一方,甲2公報について第2審判において引用した箇所は,「第3級アミン誘導体であるキレート剤を含有する洗浄剤において,水酸化ナトリウムを添加することは周知である。」ということを示す部分である。したがって,本件審判における甲2公報と,第2審判における甲2公報とは,引用している部分が異なり,これを同じ証拠であるとした本件審決の判断は誤りである。
2 被告の主張 (1) 新たな「証拠」に基づく適法な審判請求といえるためには,実質的にみて,無効理由を基礎付ける事実に関して,確定審決の認定した事実関係以外の新たな事実関係を証明する価値を有する証拠でなければならない。特許法29条2項の無効理由は,主引用発明と副引用発明の組合せであり,周知技術は無効理由を必ずしも特定する事実ではない。本件審判請求において証拠として追加された甲1文献には,グルタミン酸二酢酸塩類,アスパラギン酸二酢酸塩類,グリコール酸ナトリウムの記載もないから,本件発明との比較では,「洗浄剤組成物において,水酸化ナトリウムを含有する」ことの周知技術を示す文献にすぎず,第2審決において周知技術を記載した文献として提示されていた甲2公報と同じ内容を示す証拠にすぎない。
そうすると,本件審判の請求の無効理由は,第2審決で判断された無効理由の主引用例と同一の文献である甲3公報及び甲4公報を提出し,第2審決で判断された周知技術について別の文献である甲1文献を追加したにすぎないから,本件審判請求は,確定した第2審決で判断された特許法29条2項に係る無効理由と「同一の事実」及び実質的に「同一の証拠」に基づいてなされたものである。
(2) 原告は,第2審判では,主引用例として甲3公報及び甲4公報に基づく主張から出発し,水酸化ナトリウムを添加する周知技術(甲2公報等)の主張をしていたのに対し,本件審判では,水酸化ナトリウムを添加する周知技術を記載した甲 6 1文献から出発し,甲3公報及び甲4公報(第2審判における主引用例)に基づく主張をしているに過ぎず,このように主張の順序を入れ替えたところで,各文献の記載する内容や,特許法29条2項違反の無効理由の主張における実質的な意味づけが変わるものではない。
また,原告は,甲2公報の位置づけが本件審判と第2審判では異なると主張する。
しかし,第2審判では,上記文献が水酸化ナトリウムを添加する周知技術を記載する多数の文献のうちの一つであったのに対し,本件審判の無効理由では,甲1文献と甲3公報をつなぐ役割を果たしているという主張にすぎない。
(3) 第2判決において,主成分として,水酸化ナトリウム,アミノジカルボン酸二酢酸塩類であるアスパラギン酸二酢酸塩類及び/又はグルタミン酸二酢酸塩類,並びにグリコール酸ナトリウムの3成分を混合した洗浄剤組成物は,それぞれの相乗効果により優れた洗浄性能を有することについて,甲3公報には何らの示唆もなく,また,甲2公報等にも何の示唆もないから,洗浄剤組成物が上記3成分を主成分とし,それによって,洗浄効果を高める効果がある点は,当業者が予測し得ない効果であると認められるとして,当業者が容易に想到し得ないと判断されたのに対し,本件審判において新たに提示された甲1文献にも,上記の予測し得ない効果は記載されていない。本件審判の請求の無効理由は,解決済みの問題が何ら変更される余地のない証拠を追加し,紛争の蒸し返しを図るものであるといえる。
特許法167条は,当事者間の紛争の一回的解決,紛争の蒸し返しの防止の目的で規定された制度であるところ,単に周知技術の文献を付け加え,第2審判の無効理由における主引用例と周知技術の主張の順序を変えることによって紛争を蒸し返そうとする本件審判請求は,同法の改正の趣旨に反するものであり許されない。
当裁判所の判断
当裁判所は,本件審判は,第2審決で既に審理判断された無効理由と,同一の事実及び同一の証拠に基づく請求であるとは認められないから,本件審判が,第2審決と同一の事実及び同一の証拠に基づく請求であり,第2審決の一事不再理効に反 7 するとして,本件審判の請求を却下した本件審決にはこれを取り消すべき違法があると判断する。その理由は,以下のとおりである。
1 本件発明の概要(甲5) 本件発明は,食品工業をはじめとする各種工業プロセスの硬表面の洗浄に用いられる洗浄剤に関するものである。従来は,硬表面の汚れ除去のためキレート剤であるEDTA塩類を主成分とする洗浄剤が広く用いられていたが,EDTA塩類は非常に高いキレート能を有するものの,微生物により分解され難いため,環境保全の面から問題があり,生分解性能に優れるグルタミン酸二酢酸塩類は洗浄能力が十分ではないという課題があったところ,本件明細書によれば,本件発明は,主成分に水酸化ナトリウム,アミノジカルボン酸二酢酸塩類(グルタミン酸二酢酸等)及びグリコール酸ナトリウムの三成分を混合した洗浄剤組成物が,それぞれの相乗効果によりその単独のものより優れた洗浄効果を現すことを見出したことによりなされた発明であり,生分解性にも優れ,EDTAと同等の洗浄性能を有する洗浄剤組成物である,と記載されている。
2 第2審決と第2判決の概要(乙2) (1) 第2審判における原告(審判請求人)の主張と提示証拠(甲7) 第2審判における原告(審判請求人)の主張は,本件発明は,甲3公報又は甲4公報を主引用例とした場合に,甲2公報及び別紙関係証拠一覧表記載の第2審判において提出された甲4ないし6に記載された周知技術(以下「甲2公報等記載の周知技術」という。)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないものである,というものである。
(2) 第2審決は,甲3公報を主引用例とする無効理由について,次のとおり判断した(乙2)。
ア 甲3公報に記載された主引用発明は,「モノクロル酢酸の溶液と苛性ソーダの溶液をグルタミン酸モノナトリウム塩の水溶液に同時に添加することにより得ら 8 れ,ここで(a)該アルカリは反応媒体のpHが9.2〜9.5に維持される量で使用され;(b)反応は70〜75℃の範囲の温度で行われ,かつ;(c)グルタミン酸のモル当たり2.6モルのモノクロル酢酸が使用される,反応によって得られた,N,N-ジカルボキシメチル-2-アミノペンタン二酸のトリナトリウム塩60重量%(判決注・グルタミン酸二酢酸塩類である。)を含み,さらに,該反応の二次的反応によって生成した不純物であるグリコール酸ナトリウム12重量%及び全体が100重量%となる量の塩化ナトリウムを含む,無毒性,非汚染性かつ生物学的易分解性の金属イオン封鎖剤組成物」(判決注・前記の「OS1」であり,以下,第2審決において認定されたこの主引用発明を「引用発明1b」ともいう。
なお,下線は,裁判所が付した。)である。
イ 本件発明1と引用発明1bは,「グルタミン酸二酢酸塩類及びグリコール酸ナトリウムを含有する組成物」である点は一致するものの,本件発明1は「アスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸塩類」と選択的に規定するのに対し,引用発明1bは「グルタミン酸二酢酸塩類」についてそのように選択的に規定していない点(相違点1’),本件発明1は「洗浄剤組成物」を規定するのに対し,引用発明1bは「金属イオン封鎖剤組成物」を規定する点(相違点2’),本件発明1は「水酸化ナトリウム」を含有し,その「配合量」は「組成物の0.1〜40重量%」と規定するのに対し,引用発明1bは水酸化ナトリウムの含有を規定していない点(相違点3’),本件発明1は「グリコール酸ナトリウム」の含有の位置づけを規定していないのに対し,引用発明1bは「グリコール酸ナトリウム」を「二次的反応によって生成した不純物」として含有するものと規定する点(相違点4’)について相違する。
ウ 本件発明1の相違点4’に係る構成は,引用発明1b及び甲4公報等に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえず,仮に,本件発明1の相違点4’が実質的な相違ではないという前提に立ったとしても,本件発明1の効果は,甲3公報,甲4公報等より予測できる範囲を超えたものであるとい 9 う理由から,本件発明1は,当業者が容易に発明することができたものであるとはいえない。
エ 本件発明2についても,本件発明1の洗浄剤組成物において,その成分の含有量をさらに規定するものであり,本件発明1を前提とするものであるから,引用発明1b及び甲4公報等に基づき,当業者が容易に発明することができたものであるとはいえない。
(3) 第2審決は,甲4公報を主引例とする無効理由について,次のとおり判断した(乙2)。
ア 甲4公報に記載された主引用発明は,「モノクロル酢酸とアミノジカルボン酸のジナトリウム塩とをアルカリ性水性媒体中で反応させることによりアミノジカルボン酸のアミノ基の窒素にカルボキシメチル基を結合させて得られる,グルタミン酸二酢酸ナトリウム塩60重量%を含み,さらに,該反応の二次的反応によって生成した副生物であるグリコール酸ナトリウム12重量%及び全体が100重量%となる量の塩を含む,無毒性,非汚染性かつ生物学的易分解性の金属イオン封鎖剤組成物」(判決注・前記の「OS1」であり,以下,第2審決において認定されたこの主引用発明を「引用発明2b」ともいう。)である。
イ 本件発明1と引用発明2bの一致点及び相違点5’ないし相違点8’は本件発明1と引用発明1bの一致点及び相違点1’ないし相違点4’と同じである(ただし,相違点8’は相違点4’の「不純物」を「副生物」としたものである。)。
ウ 本件発明1の相違点8’に係る構成は,引用発明2b及び甲3公報等に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるとはいえず,仮に,本件発明1の相違点8’が実質的な相違でないという前提に立ったとしても,本件発明1の効果は,甲3公報,甲2公報等の記載より予測できる範囲を超えたものであるから,本件発明1は,引用発明2b,甲3公報等から,当業者が容易に発明することができたものであるとはいえない。
エ 本件発明2についても,引用発明2b及び甲2公報等の周知技術に基づき, 10 当業者が容易に発明することができたものであるとはいえない。
(4) 第2判決は,次のとおり,第2審決の判断に誤りはないと判断した(乙2)。
本件発明1に係る特許請求の範囲及び本件明細書の記載によると,本件発明1の洗浄剤組成物である各実施例の洗浄剤において,グリコール酸ナトリウムの配合が,その洗浄効果を有意に高めるものであって,そのような効果を奏するに当たり,グリコール酸ナトリウムの配合が寄与していること,本件発明1の洗浄剤組成物は,従来品であるEDTA塩類含有洗浄剤と同等の洗浄効果を奏することが認められる。
本件発明1は,主成分として,水酸化ナトリウム,アミノジカルボン酸二酢酸塩類であるアスパラギン酸二酢酸塩類及び/又はグルタミン酸二酢酸塩類,並びにグリコール酸ナトリウムの3成分を混合した洗浄剤組成物であり,それぞれの相乗効果により優れた洗浄性能を有するところ,甲3公報には,この点について,何らの示唆もなく,また,甲2公報等にも,この点について何の示唆もないから,洗浄剤組成物が上記3成分を主成分とし,それによって,洗浄効果を高める効果がある点では,当業者が予測し得ない効果であると認められ,本件発明1は,甲3公報や甲2公報等から,当業者が容易に想到し得ないものといえる。また,甲3公報では,グリコール酸ナトリウムについて,グルタミン酸二酢酸のナトリウム塩を高収率で得ることを阻害する二次的反応によって生成された不純物と理解され,金属イオン封鎖剤の金属イオン封鎖力を高める観点からは不要ないし好ましくない成分である旨記載されていたことから,甲3公報に接した当業者は,グルタミン酸二酢酸のナトリウム塩の収率を高めることを目的として,グリコール酸ナトリウムの生成を抑制しようとする動機付けはあっても,グリコール酸ナトリウムを洗浄剤組成物の必須要素として活用することに想到することはない。よって,本件発明1の容易想到性を否定した第2審決の判断に誤りはない。また,本件発明1における成分の含有量をさらに規定した発明である本件発明2も,本件発明1は容易想到ではないと認められることから,甲3公報及び甲2公報等から,当業者が容易に想到し得ないもの 11 である。
3 本件審判における無効理由と本件審決の認定の誤りについて (1) 本件審判において原告が主張した無効理由は,次のとおりである(甲8)。
ア 「従来,甲第1号証(判決注・甲1文献)記載のように,ガラス瓶,金属表面の洗浄において2%以上のNaOH(水酸化ナトリウム)水溶液が,キレート剤としてコンプレクサン型であるEDTAを添加して常用されていたが,EDTAの生分解性が低いという問題があることが知られており,それに代わり,同じくコンプレクサン型の,しかし生分解性に優れるキレート剤を1〜5重量%の水酸化ナトリウム水溶液に添加して,ガラス瓶,金属表面の洗浄に用いることが甲第2号証(判決注・甲2公報)により提唱されているという状況において,甲第3号証(判決注・甲3公報)記載の同じくコンプレクサン型の生分解性に優れるキレート剤を主成分とするOS1を2%以上の水酸化ナトリウムとともに,ガラス瓶,金属表面の洗浄に用いることは当業者が容易に考えることである。」「従って,本件請求項1の発明は,甲第1号証および甲第2号証と甲第3号証に記載された発明に基づいて,あるいは,甲第1号証および甲第2号証と甲第3号証及び甲第4号証に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることが出来たものであるから,特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができないものであり,…」というものである。
本件審判の請求書における上記記載によれば,原告は,本件審判の無効理由として,甲1文献に記載された従来技術と甲3公報に記載された「OS1」との組合せによる容易想到性(特許法29条2項)を主張していること,すなわち,甲1文献に記載された従来技術である「ガラス瓶,金属表面の洗浄において2%以上のNaOH(水酸化ナトリウム)水溶液が,キレート剤としてコンプレクサン型であるEDTAを添加して常用されていたこと」を主引用発明とし,生分解が低いという問題があるEDTAを,それと同じくコンプレクサン型の生分解性に優れるキレート剤に変更するという技術思想が甲2公報に記載されていることを動機付けとして, 12 甲3公報に記載された,同じくコンプレクサン型の生分解性に優れるキレート剤である「OS1」を,主引用発明におけるEDTAに代えて用いて,「2%以上のNaOH水溶液に,キレート剤として「OS1 」を添加して,ガラス瓶,金属表面の洗浄に用いる」ことにより,本件発明の構成とすることは,当業者が容易に想到することができたと主張しているものと解される。
イ 本件審判の請求書には,上記の記載のほかにも「甲第3号証には,グルタミン酸二酢酸のナトリウム塩とグリコール酸ナトリウムとの相乗作用について記載がない。しかし,グルタミン酸二酢酸のナトリウム塩とグリコール酸ナトリウムを含有する「OS1」をそのまま甲第1号証のEDTAの代わりに用いるという構成が容易に想到される以上,グリコール酸ナトリウムによる効果を見出したことは単なる効果の発見である。ここで留意すべきは,グルタミン酸二酢酸のナトリウム塩とグリコール酸ナトリウムが夫々別の2つの刊行物に記載されていて,2つの刊行物の記載を組み合わせることが容易である,と言うのではないことである。一つの刊行物にひとつの組成物OS1として既に組み合わされているのである。」などとの記載がある(甲8)。これは,甲1文献記載の主引用発明におけるEDTAの代わりに甲3公報記載のグルタミン酸二酢酸のナトリウム塩とグリコール酸ナトリウムを含有する「OS1」を用いる構成が容易に想到されることを前提とした記載であり,第2判決が,本件発明1における,水酸化ナトリウム,アミノジカルボン酸二酢酸塩類であるアスパラギン酸二酢酸塩類及び/又はグルタミン酸二酢酸塩類,並びにグリコール酸ナトリウムの3成分を混合した洗浄剤組成物が,それぞれの相乗効果により優れた洗浄性能を有し,この点は当業者が予測し得ない効果である,と判断したことに対する反論として述べた部分であると解される。第2判決は,第2審判における無効理由(主引用発明を甲3公報ないし甲4公報におけるOS1とした無効理由)について判断した第2審決の判断を是認したものであり,第2審判とは異なる無効理由による無効審判を求めている本件審判について,法律上の拘束力があるものではないものの,当事者が予測し得ない効果と判断した上記部分は,本 13 件審判における無効理由の判断にも事実上の影響力があり得るため,原告は,本件審判における請求書に上記のとおり記載したものと考えるのが合理的であり,この記載は,本件審判において原告が主張する無効理由が前記認定のものであることに何ら影響を与えるものではない。
また,本件審判の請求書には,「甲第1号証は,そのタイトル「入門キレート化学」とあるように,学生レベルの参考書であり,1988年当時の技術常識を示すものである。甲第3号証のOS1を技術常識に従って使用することを,数年遅れて出願された特許で禁じるのは,不合理である。」とか「甲第1および2号証から周知のように,コンプレクサン型キレート剤をアルカリ条件下にするための典型的なアルカリ物質として本件発明は水酸化ナトリウムを挙げたにすぎない。」とかの記載もあるが,これらの記載も本件審判における無効理由が前記認定のとおりであることと何ら矛盾するものではない。
なお,原告は,本件審判の請求書において,主引用例とか主引用発明とかの用語を使用せず,本件発明と主引用発明との一致点,相違点も主張しておらず,この点でどの発明が主引用発明であるかについてやや主張の明確性を欠いており,本来は,審判請求書としてはこの点をより明確に記載すべきであった。しかし,本件審判の請求書全体を慎重に検討すれば,その主引用発明を甲1文献記載の発明と解するほかないことは前記認定のとおりである。
ウ これに対し,本件審決は,前記認定のとおり,本件審判において原告が主張する無効理由における主引用発明は,第2審判における主引用発明である,甲3公報ないし甲4公報に記載された「OS1」なる金属イオン封鎖剤組成物(引用発明1bないし引用発明2b)であると認定したのであり,本件審決のこの認定は誤りである。
(2) 特許発明が出願時における公知技術から容易想到であったというためには,当該特許発明と,対比する対象である引用例(主引用例)に記載された発明(主引用発明)とを対比して,当該特許発明と主引用発明との一致点及び相違点を認定し 14 た上で,当業者が主引用発明に他の公知技術又は周知技術とを組み合わせることによって,主引用発明と,相違点に係る他の公知技術又は周知技術の構成を組み合わせることが,当業者において容易に想到することができたことを示すことが必要である。そして,特許発明と対比する対象である主引用例に記載された主引用発明が異なれば,特許発明との一致点及び相違点の認定が異なることになり,これに基づいて行われる容易想到性の判断の内容も異なることになるのであるから,主引用発明が異なれば,無効理由も異なることは当然である。
これを本件についてみれば,本件発明1は,「水酸化ナトリウム,アスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸塩類及びグリコール酸ナトリウムを含有し,水酸化ナトリウムの配合量が組成物の0.1〜40重量%であることを特徴とする洗浄剤組成物」であるのに対し,甲1文献に記載された主引用発明は,「2%以上の水酸化ナトリウム熱水溶液及びEDTA等のキレート剤を含有するガラス瓶の洗浄剤組成物」であるから,水酸化ナトリウム水溶液とキレート剤を含む洗浄剤組成物の点で本件発明1と一致し(水酸化ナトリウムの含有量も重複している。),キレート剤として,本件発明1が「アスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸及びグリコール酸ナトリウムを含有」するのに対し,甲1文献に記載された主引用発明は,EDTA等であり,キレート剤の組成において相違するものと認められる。これに対し,本件発明1と第2審判における主引用発明との一致点及び相違点1’ないし相違点4’又は相違点5’ないし相違点8’は,前記認定のとおりであり,これとは明らかに異なるものである。
また,主引用例は,特許発明の出願時における公知技術を示すものであればよいのであるから,甲1文献のように出願時における周知技術を示す文献であっても,主引用例になり得ることも明らかであり,これを主引用例たり得ないとする理由はない。さらに,主引用発明が同一であったとしても,主引用発明に組み合わせる公知技術又は周知技術が実質的に異なれば,発明の容易想到性の判断における具体的な論理構成が異なることとなるのであるから,これによっても無効理由は異なるも 15 のとなる。
よって,特許発明と対比する対象である主引用例に記載された主引用発明が異なる場合も,主引用発明が同一で,これに組み合わせる公知技術あるいは周知技術が異なる場合も,いずれも異なる無効理由となるというべきであり,これらは,特許法167条にいう「同一の事実及び同一の証拠」に基づく審判請求ということはできない。
(3)ア 被告は,無効理由は,主引用例と副引用例の公知文献の組合せによって特定されるから,周知技術は無効理由を必ずしも特定する事実ではないとか,本件審判において証拠として追加された甲1文献には,グルタミン酸二酢酸塩類,アスパラギン酸二酢酸塩類,グリコール酸ナトリウムの記載もないから,本件発明との比較では,「洗浄剤組成物において,水酸化ナトリウムを含有する」ことの周知技術を示す文献にすぎず,第2審決において周知技術を記載した文献として提示されていた甲2公報と同じ内容を甲1文献として示したにすぎないことは明らかである,と主張する。
しかし,無効審判において審理判断の対象となる無効理由は,特定の公知文献をもって特定される公知技術のみによって構成されるものではなく,公知技術周知技術との組合せや,場合によっては周知技術のみによっても構成し得るものであるから,周知技術であるから,無効理由を特定する事実ではないとの被告の上記主張は採用することができない。
また,原告が本件審判において,甲1文献を主引用例として無効理由を主張していたことは前記認定のとおりであり,甲1文献に,グルタミン酸二酢酸塩類,アスパラギン酸二酢酸塩類,グリコール酸ナトリウムの記載がないことをもって,甲1文献が主引用例であることを否定する根拠とすることはできない。甲1文献に主引用例の上記のキレ-ト剤の記載がないことは,その点が本件発明と主引用発明との相違点となることを示すに過ぎない。
イ 被告は,原告が,第2審判では,主引用例として甲3公報及び甲4公報に基 16 づく主張から出発し,水酸化ナトリウムを添加する周知技術(甲2公報等)の主張をしていたのに対し,本件審判では,水酸化ナトリウムを添加する周知技術を記載した甲1文献から出発し,甲3公報及び甲4公報(第2審判における主引用例)に基づく主張をしているに過ぎず,このように主張の順序を入れ替えたところで,各文献の記載する内容や,特許法29条2項違反の無効理由の主張における実質的な意味づけが変わるものではない,と主張する。
しかし,前記のとおり,本件審判の請求における無効理由(特許法29条2項)は,第2審判における主引用発明と実質的に異なる主引用発明に基づくものであり,主引用発明が実質的に異なれば,本件発明との一致点と相違点の認定がそもそも異なってくるのであるから,本件審判における無効理由(特許法29条2項)について,単に,第2審決の無効理由における主引用例と周知技術の主張の順序を入れ替えたにすぎないとか,実質的な無効理由は変わらないとの被告の上記主張は採用することができない。
ウ 被告は,第2判決において,主成分として,水酸化ナトリウム,アミノジカルボン酸二酢酸塩類であるアスパラギン酸二酢酸塩類及び/又はグルタミン酸二酢酸塩類,並びにグリコール酸ナトリウムの3成分を混合した洗浄剤組成物は,それぞれの相乗効果により優れた洗浄性能を有することについて,甲3公報には何らの示唆もなく,また,甲2公報等にも何の示唆もないから,洗浄剤組成物が上記3成分を主成分とし,それによって,洗浄効果を高める効果がある点では,当業者が予測し得ない効果であると認められるとして,当業者が容易に想到し得ないと判断されたのに対し,本件審判において新たに提示された甲1文献にも,上記の予測し得ない効果は記載されておらず,本件審判請求の無効理由(特許法29条2項)は,解決済みの問題が何ら変更される余地のない証拠を追加し,紛争の蒸し返しを図るものであるといえる旨主張する。
しかしながら,第2判決において認定された本件発明の予測し得ない効果が甲1文献に記載されていなかったとしても,このことは本件審判における無効理由(特 17 許法29条2項)が,第2審判における無効理由と「同一の事実及び同一の証拠」によるものであることの根拠となるものではない。また,特許発明の構成が出願時の公知技術及び周知技術から容易に想到し得る場合は,その進歩性が否定されることが原則であるが,例外として,その公知技術等から容易に想到し得る構成から通常予測し得る効果を超えた顕著なる効果がある場合に,その進歩性が肯定されることはあり得るものの,第2判決は,第2審判における無効理由について判断したものであり,それとは実質的に異なる無効理由である本件審判における無効理由について判断したものではないから,この点については,本件審判においてさらに検討を要する。
よって,本件審判の請求の無効理由(特許法29条2項)が,解決済みの問題が何ら変更される余地のない証拠を追加し,紛争の蒸し返しを図るものであるとする被告の上記主張は採用することができない。
(4) 以上によれば,第2審判と本件審判では,特許法29条2項に係る無効理由における主引用発明が異なることが認められるから,「同一の事実及び同一の証拠」に基づく請求であるとはいえない。
よって,本件審判における特許法29条2項による無効理由は,第2審決と同一の事実及び同一の証拠に基づく審判請求であり,一事不再理効に反し許されないとして,本件審判について実質的な判断をせずに,本件審判請求を却下した本件審決の判断には誤りがあり,これを取り消すべき違法があるというべきである。
4 結論 以上のとおり,原告の主張する取消事由には理由があり,原告の本件請求は理由があるから,これを認容することとして,主文のとおり判決する。
追加
18 裁判官大寄麻代裁判官岡田慎吾19 関係証拠一覧表証拠番号証拠番号刊行物名本件審判・訴訟第2審判・訴訟「入門キレート化学(改訂第2版)」甲1未提出特開平7-238299号公報甲2甲3英国特許第1439518号公報甲3甲1特開昭50-3979号公報甲4甲2特開昭59-133382号公報未提出甲4特開昭61-188500号公報未提出甲5特表平5-502683号公報未提出甲620
裁判長裁判官 設樂一