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関連審決 異議2001-72189
関連ワード 発明者 /  製造方法 /  進歩性(29条2項) /  容易に発明 /  優先権 /  優先日 /  容易に想到(容易想到性) /  実施 /  加工 /  設定登録 /  請求の範囲 /  訂正明細書 /  取消決定 / 
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事件 平成 14年 (行ケ) 425号 特許取消決定取消請求事件
原告 光洋精工株式会社
訴訟代理人弁理士 日比紀彦
同 岸本瑛之助
被告 特許庁長官小川洋
指定代理人 三浦悟
同 平塚義三
同 一色由美子
同 涌井幸一
裁判所 東京高等裁判所
判決言渡日 2004/07/08
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
主文 原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
当事者の求める裁判
1 原告 (1) 特許庁が異議2001-72189号事件について平成14年7月2日にした決定中「特許第3134134号の請求項2に係る特許を取り消す。」との部分を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告 主文同旨
当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯 (1) 原告は,発明の名称を「軸受部品の製造方法」とする特許第3134134号の特許(平成4年12月2日出願,優先権主張平成3年12月3日(以下「本件優先日」という。),平成12年12月1日設定登録。以下「本件特許」という。請求項の数は2である。)の特許権者である。
(2) 本件特許に対して特許異議の申立てがされ,特許庁は,これを異議2001-72189号事件として審理した。その過程において,原告は,特許庁から取消理由通知を受け,平成14年4月1日,願書に添付した明細書及び図面の訂正(請求項の文言の訂正を含む。以下「本件訂正」という。)の請求をした(以下,この訂正後の明細書及び図面を「本件明細書」という。)。
(3) 特許庁は,平成14年7月2日,「訂正を認める。特許第3134134号の請求項2に係る特許を取り消す。同請求項1に係る特許を維持する。」との決定をし,この異議決定の謄本は,平成14年7月22日,原告に送達された。
2 本件明細書の特許請求の範囲【請求項2】 「浸炭鋼より所定の形状に形成された加工済軸受部品素材に,浸炭を行なった後に焼入れ温度に降温して保持し,ついで焼入れする浸炭焼入処理を施す工程と,2次焼入処理を施す工程と,本焼戻し処理を施す工程とを含み,表面硬さをロックウェルC硬さで63〜67,表面残留オーステナイト量を20%以上25%未満とする軸受部品の製造方法。」(以下,この請求項2に係る発明を「本件発明2」という。)。
3 決定の理由 別紙決定の写しのとおりである。要するに,本件訂正を認めた上で,本件発明2は,特開昭64-55423号公報(以下,決定と同じく「刊行物1」という。)及び特開平2-277764号公報(以下,決定と同じく「刊行物3」という。)に記載された各発明(以下,それぞれ「引用発明1」,「引用発明3」という。)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,本件特許のうち本件発明2に係る部分は,特許法29条2項に違反してなされたものである,とするものである。
決定が上記結論を導くに当たり認定した本件発明2と引用発明1との一致点・相違点は,次のとおりである。
(1) 一致点 「浸炭鋼より所定の形状に形成された加工済軸受部品素材に,浸炭焼入処理を施す工程と,2次焼入処理を施す工程と,本焼戻し処理を施す工程とを含む軸受部品の製造方法である点」 (2) 相違点 ア「浸炭焼入れに関し,本件発明2は,浸炭を行なった後に焼入れ温度に降温して保持し,ついで焼入れするのに対し,刊行物1に記載のものは,浸炭を行なった後該温度から焼入れする点」(以下「相違点1」という。) イ「本件発明2は,軸受部品素材の表面硬さをロックウェルC硬さで63〜67,表面残留オーステナイト量を20%以上25%未満とするのに対し,刊行物1に記載のものは,軸受部品の硬さをロックウェルC硬さで58以上とし,軸受部品の表面層の残留オーステナイト量を20〜45%とする点」(以下「相違点2」という。) (以下,ロックウェルC硬さを「HRC」と,残留オーステナイト量を「γR」と,それぞれ略号で表記することがある。)
原告主張の決定取消事由の要点。
決定は,引用発明1及び3の認定を誤った結果,相違点2についての判断を誤り(取消事由1),また,相違点1についての判断の誤り(取消事由2)及び相違点2についての判断の誤り(取消事由3)があり,その誤りは決定の結論に影響を及ぼすことが明らかである。
1 取消事由1(引用発明1及び3の認定の誤りによる相違点2の判断の誤り) (1) 引用発明1の認定の誤り 決定は,「刊行物1には,炭素鋼の転がり軸受内外輪を浸炭焼入れ後,油焼入れし,焼戻しすることにより,軌道表面層の残留オーステナイト量を20〜45vol%とし,内外輪の硬さをHRC58以上とすることにより軸受の異物混入潤滑下での寿命を長寿命とすることが記載されている」(決定書11頁27行〜30行),「刊行物1に記載のものは,長寿命の軸受とするために軸受部品の表面硬さをロックウェルC硬さで58以上とするものであって,本件発明2のものの表面硬さの値を包含するものであり,」(同13頁26行〜28行),「刊行物1には,表面残留オーステナイト20〜45%のとき異物混入潤滑下で良好な寿命を示すことが記載されている」(同13頁36行〜37行)と認定している。
これは,あたかも,決定が「刊行物1には,ダブル焼入れ処理(浸炭熱処理とその後の焼入れ処理を併せたもの)及び焼戻し処理を施したものは,残留オーステナイト量が20〜25%の範囲であり,かつHRCが63〜67の範囲であるものを含むことが記載されている。」と認定しているように見える。
しかし,刊行物1には,ダブル焼入れ処理及び焼戻し処理を施したもので,残留オーステナイト量が20〜25vol%の範囲であり,かつHRCが63〜67になるものが記載されているわけではないから,上記の認定は誤りである。
(2) 引用発明3の認定の誤り 決定は,「刊行物3には,長寿命な転がり軸受とするために,浸炭を施し,表層部における残留オーステナイト量を10〜25vo1%,表面硬さをHRC65〜70とした転がり軸受が記載され」(決定書12頁4行〜6行),「刊行物3には,表面硬さを向上すると共に表層部に適量の残留オーステナイトを存在させることにより異物混入潤滑下での軸受を長寿命化させること及び軸受の長寿命化を達成する上で表面硬さはロックウェルC硬さで65〜70を有することが望ましいことが記載されている」(同13頁28行〜32行)と認定している。
これは,あたかも,決定が「刊行物3には,浸炭熱処理及び焼戻し処理を施したものは,残留オーステナイト量が20〜25%の範囲であり,かつHRCが63〜67の範囲であるものを含むことが記載されている。」と認定しているように見える。
しかし,刊行物3には,浸炭熱処理及び焼戻し処理を施したもので,残留オーステナイト量が20vol%以上25vol%未満であり,かつHRCを63〜67になることが記載されているわけではないから,上記の認定は誤りである。
(3) 決定は,引用発明1及び3に関する上記のような誤った認定に基づいて,相違点2について判断したものであり,その判断は誤りである。
2 取消事由2(相違点1についての判断の誤り) (1) 決定は,相違点1に関し,「浸炭焼入れとして,浸炭を行なった後に焼入れ温度に降温して保持し,ついで焼入れすることは,本件特許の出願前周知のものである(例えば,日本鉄鋼協会編「鋼の熱処理 改訂5版」(昭和44年10月1日)丸善p.334〜336,特開平2-115344号公報,特開平1-108347号公報参照)から,浸炭焼入れにあたり周知のものを採用し,浸炭を行なった後に焼入れ温度に降温して保持し,ついで焼入れするようなことは,当業者が任意に想到しうることである。」(決定書13頁17行〜23行)と判断している。
(2) しかしながら,浸炭後に焼入れ温度に降温して焼入れする浸炭焼入れが周知であったとしても,その浸炭焼入れの後に2次焼入れ及び焼戻しを施す一連の処理を行うことは周知ではなく,引用発明1の方法は,所望の性状を得るための一連の方法であるから,その一部である浸炭焼入れだけを他の周知の浸炭焼入れに代えることは考えられない。そして,決定が「参照」としている文献(甲第9ないし第11号証)のいずれにも,熱処理後の残留オーステナイト量及び表面硬さの両方が本件発明2における範囲内となるとの記載あるいは示唆はないから,残留オーステナイト量及び表面硬さの両方を本件発明2の範囲内とするために,引用発明1における浸炭焼入れに代えて,上記文献に記載の周知の浸炭焼入れを採用することは,当業者が容易になしうることではない。
したがって,決定の上記判断は,誤っている。
3 取消事由3について(相違点2についての判断の誤り) (1) 決定は,相違点2に関し,「刊行物1に記載のものは,長寿命の軸受とするために軸受部品の表面硬さをロックウェルC硬さで58以上とするものであって,本件発明2のものの表面硬さの値を包含するものであり,また,刊行物3には,表面硬さを向上するとともに表層部に適量の残留オーステナイトを存在させることにより異物混入潤滑下での軸受を長寿命化させること及び軸受の長寿命化を達成する上で表面硬さはロックウェルC硬さで65〜70を有することが望ましいことが記載されている(摘示イ,ロ)から,表面硬さの値として刊行物1に記載の表面硬さの範囲内のものである刊行物3に記載のものを採用し,靭性が低下する表面硬さの値を規制する程度のことは,当業者が任意に想到しうるものである。更に,刊行物1には,表面残留オーステナイト20〜45%のとき異物混入潤滑下で良好な寿命を示すことが記載されているから,表面残留オーステナイト量として刊行物1に記載のものを採用し,軸受の寿命のばらつきの度合いが大きくなる表面残留オーステナイト量を規制する程度のことは,当業者が任意に想到しうるものである。」(決定書13頁26行〜14頁1行)と判断している。
(2)ア しかしながら,刊行物1及び3のいずれにも,残留オーステナイト量及び表面硬さの両方が本件発明2の範囲内であるものは存在しないから,刊行物1に記載のものに代えて刊行物3に記載のものを採用したとしても,本件発明2の構成は得られない。
すなわち,刊行物1の第6図に示されている複数の例のうち,ダブル焼入れ処理が施されたもので残留オーステナイト量が20vol%以上25vol%未満のものはなく,同図に関する説明の部分にも,そのような記載あるいは示唆もなく,刊行物1の表1(6頁)に示されている軌道輪及び転動体の複数の例の中にも,残留オーステナイト量が20vol%以上25vol%未満で,かつHRCが63〜67であるものは存在していない。また,刊行物3の第1表(7頁)に示されている複数の供試片の中にも,残留オーステナイト量が20vol%以上25vol%未満で,かつHRCが63〜67であるものは存在していないのである。
イ 刊行物1及び3には,異物混入潤滑下における軸受寿命のばらつきの度合いを小さくするために表面硬さをHRC63〜67とし,かつ表面残留オーステナイト量を20vol%以上25vol%未満とすることについての記載も示唆もないから,軸受寿命のばらつきを小さくするという課題が本件特許の出願前に周知であったとしても,本件発明2の構成が,刊行物1及び3の記載に基づいて,当業者が容易に想到し得るものであるということはできない。
ウ 残留オーステナイト量の増加は,硬さの低下,寿命の低下,強度の低下を引き起こすと考えられているものであり,異物混入潤滑下での軸受寿命のばらつきを増加させることは,本発明者が実験により発見した初めて得られた知見であるから,異物混入潤滑下での軸受寿命のばらつきを抑制するという観点から残留オーステナイト量を規制することは,当業者が任意に行えるものではなく,また,想到しうるものではない。
エ 本件発明2は,その残留オーステナイト量と表面硬さの組み合わせにより,異物混入下での軸受の寿命のばらつきの度合いを小さくすることができるという,刊行物1及び3から予測できない顕著な効果を奏するものであり,容易に想到しうるものではない。
したがって,決定の上記判断も誤りである。
被告の反論の要点
決定には,原告が主張するような認定・判断の誤りはないから,取消事由は存在しない。
1 取消事由1(引用発明1及び3の認定の誤りによる相違点2の判断の誤り)に対して (1) 引用発明1の認定について 決定は,「刊行物1には,炭素綱の転がり軸受内外輪を所定温度で浸炭を行った後・・・ことにより,軌道表面層の残留オーステナイト量を20〜45vol%とし,内外輪の硬さをHRC58以上とすることが記載されている。」(決定書8頁38行〜9頁2行)と認定しているものであって,原告が主張するように,「ダブル焼入れ処理(浸炭熱処理とその後の焼入れ処理を併せたもの)及び焼戻し処理を施したものは,残留オーステナイト量が20〜25vol%の範囲であり,かつHRCが63〜67の範囲であるものを含むこと」が記載されていると認定しているものではなく,また,決定の上記認定に誤りはない。
(2) 引用発明3の認定について 決定は,「刊行物3には,表面硬さを向上すると共に表層部に適量の残留オーステナイトを存在させることにより・・・軸受の長寿命化を達成する上で表面硬さはロックウエルC硬さで65〜70を有することが望ましいことが記載されている」(決定書13頁28行〜32行)と認定しているものであって,原告が主張するように,「浸炭熱処理及び焼戻し処理を施したものは,残留オーステナイト量が20〜25vol%の範囲であり,かつHRCが63〜67の範囲であるものを含むことが記載されている」と認定しているものではなく,また,決定の上記認定に誤りはない。
(3) 決定の引用発明1及び3の認定に誤りはないから,その誤りを前提として相違点2の判断に誤りがあるとする原告の主張は,失当である。
2 取消事由2(相違点1についての判断の誤り)に対して 本件発明2の浸炭焼入れが周知の浸炭焼入れであることは,決定引用の文献(甲第9ないし第11号証)の記載のみならず,本件明細書に「熱処理条件Aは,・・・5時間保持して浸炭を行った後に・・・焼入れ温度に降温して・・保持し,焼入れする通常の浸炭焼入れ処理」(本件明細書段落【0038】)と記載されていることからも理解できる。
そうすると,引用発明1の方法が所望の性状を得るための一連の方法であるとしても,周知の浸炭焼入れが存在するときに,浸炭焼入れの後に2次焼入れ及び焼戻しを施す一連の方法において,その一部である浸炭焼入れに代えて周知の浸炭焼入れを採用するようなことは,当業者が容易に想到しうることである。
したがって,相違点1に関する決定の判断に誤りはない。
3 取消事由3(相違点2についての判断の誤り)に対して (1) 本件発明2と刊行物1及び3に記載のものを対比すると,刊行物1及び3に記載のものは,表面硬さ及び表面残留オーステナイト量が本件発明2とそれぞれ重複するものであるから,刊行物1及び3に,残留オーステナイト量及び表面硬さの両方が本件発明2の範囲内であるものは存在しないということはない。
(2) 刊行物1には,表面残留オーステナイト量20〜45vol%のとき異物混入潤滑下で良好な寿命を示すことが記載されており,また,HRC58以上とすることも記載されている。そして,刊行物3には,軸受の寿命に表面硬さと残留オーステナイトが関連すること,望ましくはHRC65〜70で,かつ残留オーステナイト量が10〜25vol%のものが寿命延長効果を奏することが記載されているのであって,寿命のばらつきの少ない軸受を得ようという周知の課題を解決するために,引用発明1において,ワイブル分布等の検証手段を用いて表面硬度と残留オーステナイト量の最適な範囲を見いだすことは,当業者が容易になし得る事項である。
(3) 上記のとおり,刊行物1には,表面残留オーステナイト20〜45vol%のとき異物混入潤滑下で良好な寿命を示すことが記載されているから,表面残留オーステナイトとして,異物混入潤滑下で良好な寿命を示す刊行物1に記載のものを採用し,さらに,軸受寿命のばらつきを抑制することが軸受にとって必要なことであることは明らかであるから,軸受の寿命のばらつきの度合いが大きくなる表面残留オーステナイト量を排除する程度のことは,当業者が適宜実験によって任意に想到しうるものである。
なお,本件発明2が,原告が主張するような,周知の課題を超える際だって優れた効果又は異質の効果を奏するとはいえない。
したがって,相違点2に関する決定の判断に誤りはない。
当裁判所の判断
1 取消事由1(引用発明1及び3の認定の誤りによる相違点2の判断の誤り)について (1) 引用発明1の認定について 刊行物1には,次の記載等がある(甲第3号証) ア 「特許請求の範囲・・・ 2.内輪,外輪及びその間で転動する転動体とから成り,前記内輪及び外輪のうち少なくとも一つが,浸炭熱処理されている転がり軸受において,前記内外輪のうち少なくとも1つは,0.1から0.7wt%の炭素を含む炭素鋼からなり,軌道表面層の残留オーステナイト量が20〜45vol%であり,・・・ことを特徴とする転がり軸受。」(甲第3号証1頁左下欄4行〜右下欄13行) イ 「本発明の目的は,上述の従来の転がり軸受の欠点を解消すると共に,クリーンな潤滑下で軸受を使用する場合においても従来の軸受と同等以上の寿命を有し,且つ異物混入潤滑下で軸受を使用する場合においては従来の軸受に比べて長寿命であり,また両潤滑下においても高信頼性を有する転がり軸受を提供することである。」(同2頁左下欄12行〜19行) ウ 「異物混入潤滑下の寿命について更に詳細にプロットしたグラフが第7図であり,第7図からはっきりと分かるように,転がり疲れ寿命L10及びL 50は共に,残留オーステナイトが20vol%と45vol%との間の範囲aで良好な寿命を示し,就中25vol%から40vol%との間の範囲bで更に良好な寿命が得られることが分かる。」(同4頁右上欄17行〜左下欄3行) エ 「クリーンな潤滑下での従来の浸炭鋼軸受と同等以上の寿命を得るためには,転動体についてはHRCが63以上有ることが望ましく,また内外輪についてはHRCが58以上必要である。」(同4頁左下欄17行〜右下欄1行) オ 「また,ダブル焼入れは,第11図のグラフに示すように・・・先ず,熱処理温度930±5℃で浸炭熱処理を行ない,続いて830〜870℃で加熱処理を行ない,その後油焼入れした。」(同7頁左下欄6行〜10行) カ 第11図には,熱処理温度930±5℃で浸炭熱処理を行った後,該温度から焼入れ,次いで,830〜870℃に加熱後油焼入れし,160℃で2時間加熱し焼戻しすることが示されている。
以上によれば,決定が引用発明1について,「刊行物1には,炭素鋼の転がり軸受内外輪を浸炭焼入れ後,油焼入れし,焼戻しすることにより,軌道表面層の残留オーステナイト量を20〜45vol%とし,内外輪の硬さをHRC58以上とすることにより軸受の異物混入潤滑下での寿命を長寿命とすることが記載されている」,「刊行物1に記載のものは,長寿命の軸受とするために軸受部品の表面硬さをロックウェルC硬さで58以上とするものであって,本件発明2のものの表面硬さの値を包含するものであり,」,「刊行物1には,表面残留オーステナイト20〜45%のとき異物混入潤滑下で良好な寿命を示すことが記載されている」と認定したことに,何ら誤りはない。
原告は,「刊行物1には,ダブル焼入れ処理(浸炭熱処理とその後の焼入れ処理を併せたもの)及び焼戻し処理を施したものは,残留オーステナイト量が20〜25%の範囲であり,かつHRCが63〜67の範囲であるものを含むことが記載されている。」との決定の認定は誤りであると主張するが,決定がそのような認定をしているものでないことは明らかであり,原告の主張はその前提を欠き失当である。
(2) 引用発明3の認定について 刊行物3には,次の記載がある(甲第5号証)。
ア 「特許請求の範囲 (1) 内輪,外輪及び転動体からなる転がり軸受において,当該内輪,外輪及び転動体の少なくとも一つが,・・・合金鋼からなり,該合金鋼に浸炭・・・熱処理が施され,・・・且つ当該表層部における残留オーステナイト量が10〜25vol%であることを特徴とする転がり軸受」(甲第5号証1頁左下欄4行〜14行) イ 「軸受の長寿命化を達成する上で表面硬さは,HRC65〜70を有することが望ましいが,・・・微細な炭化物を上記範囲内で軸受の表層部に存在させることにより,表面硬さをHRC65〜70の高硬度の軸受を得ることができる。」(甲第5号証6頁左上欄12行〜右上欄2行) ウ 「本発明に係わる転がり軸受によれば,内輪,外輪及び転動体の少なくとも一つの表層部に適量の微細炭化物を形成して表面硬さを向上すると共に,表層部に適量の残留オーステナイトを存在させて異物が混入した潤滑下でのマイクロクラックの発生を防止する。従って,・・・異物混入の潤滑下で軸受を使用する場合は,従来の軸受に比べて遙かに長寿命となる。」(同9頁右下欄4行〜14行) 以上によれば,決定が引用発明3について,「刊行物3には,長寿命な転がり軸受とするために,浸炭を施し,表層部における残留オーステナイト量を10〜25vo1%,表面硬さをHRC65〜70とした転がり軸受が記載され」,「刊行物3には,表面硬さを向上すると共に表層部に適量の残留オーステナイトを存在させることにより異物混入潤滑下での軸受を長寿命化させること及び軸受の長寿命化を達成する上で表面硬さはロックウェルC硬さで65〜70を有することが望ましいことが記載されている」と認定したことに,何ら誤りはない。
原告は,「刊行物3には,浸炭熱処理及び焼戻し処理を施したものは,残留オーステナイト量が20〜25%の範囲であり,かつHRCが63〜67の範囲であるものを含むことが記載されている。」との決定の認定は誤りであると主張するが,決定がそのような認定をしているものでないことは明らかであり,原告の主張はその前提を欠き失当である。
(3) したがって,決定の引用発明1及び3についての認定に誤りはなく,その誤りがあることを前提に,相違点2の判断の誤りをいう原告の主張は,理由がない。
2 取消事由2(相違点1についての判断の誤り)について (1) 甲第10号証(特開平2-115344号公報)には,「浸炭綱に,浸炭処理,予備焼戻し処理,サブゼロ処理および焼戻し処理を順に施し,・・・を特徴とする軸受用綱の製造方法。」(同号証1頁左下欄9行〜14行),「まず,一般の浸炭綱を930℃に保持して浸炭を行なったのちに850℃の焼入れ温度に降温して焼入れする通常の浸炭焼入れ処理を行なった。」(同2頁左下欄4行〜7行)との記載が,また,甲第11号証(特開平1-108347号公報)には,「すなわち,第1図は種々の成分組成の綱を浸炭焼入れ(910℃で浸炭,830℃で保持後焼入れ),焼もどし・・・」(同号証3頁右上欄6行〜8行)との記載がある。
また,本件明細書(甲第12号証の全文訂正明細書9頁下から2行〜10頁2行)には,「【0038】・・・熱処理条件Aは,930℃に5時間保持して浸炭を行なった後に850℃の焼入れ温度に降温して0.5時間保持し,焼入れする通常の浸炭焼入れ処理」と記載されている。
(2) 以上によれば,「浸炭を行なった後に焼入れ温度に降温して保持し,ついで焼入れする」という本件発明2の浸炭焼入れが,本件優先日前において周知の浸炭焼入れであることは,明らかである。そして,本件明細書にも,かかる周知の浸炭焼入れを採用することにより格別の効果が奏されることの記載はなく,また,引用発明1における浸炭焼入れに代えて,かかる周知の浸炭焼入れを適用することに特段の阻害事由があるとも認められない。
本件発明2は,「従来の軸受用綱からなる部品を用いた軸受の場合,寿命にばらつきが生じ,実際に使用するには不都合な場合がある」(本件明細書【0004】)ことから,「上記の問題を解決し,汚れ油中でも寿命が長くかつ寿命のばらつきの少ない軸受部品の製造方法を提供することにある」(本件明細書【0005】)ものであるから,前記のとおり異物混入潤滑下で長寿命の軸受を提供することを発明の目的とする引用発明1と,その課題を共通にするものである。そして,前記のとおり,引用発明1は,長寿命の軸受とするために軸受部品の表面硬さをロックウエルC硬さで58以上とするもので,本件発明2の発明の表面硬さの範囲を包含するものであり,また,刊行物1には,表面残留オーステナイト20〜45vol%のとき異物混入潤滑下で良好な寿命を示すことが記載され,引用発明1は表面残留オーステナイト量が本件発明2と重複するのである。
そうすると,異物が混入した汚れ油中でも寿命が長い軸受部品の製造に当たり,引用発明1の方法を適用し,引用発明1における浸炭焼入れに代えて,上記周知の浸炭焼入れを採用することは,当業者であれば容易に想到しうることであると認められる。
(3) 原告は,引用発明1の方法は所望の性状を得るための一連の方法であるから,その一部である浸炭焼入れだけを他の周知の浸炭焼入れに代えることは考えられないと主張する。しかし,既に述べたとおり,引用発明1における浸炭焼入れに代えて,周知の浸炭焼入れを適用することに特段の阻害事由も見当たらないのであるから,引用発明の方法が一連の方法であるとしても,周知の浸炭焼入れが存在するときに,その一連の方法の一部である浸炭焼入れに代えて周知の浸炭焼入れを採用するようなことは,当業者が容易に想到しうることであって,原告の主張は理由がない。
また,上記甲第10,11号証に,本件発明2の残留オーステナイト量及び表面硬さの値が記載されていないことが,相違点1に関する容易想到性を否定する理由となるものでないことは,上記に述べたところから明らかであり,この点に関する原告の主張も理由がない。
3 取消事由3(相違点2についての判断の誤り)について (1) 前記1でみたとおり,刊行物1には,軌道表面層の残留オーステナイト量を20〜45vol%とし,内外輪の硬さをHRC58以上とすることにより軸受の異物混入潤滑下での寿命を長寿命とすること,表面残留オーステナイト量20〜45vol%のとき異物混入潤滑下で良好な寿命を示すことが,また,刊行物3には,表面硬さを向上すると共に表層部に適量の残留オーステナイトを存在させることにより異物混入潤滑下での軸受を長寿命化させること,軸受の長寿命化を達成する上で表面硬さはロックウェルC硬さで65〜70を有することが望ましいこと,表層部における残留オーステナイトが10〜25vol%である転がり軸受が開示されている。
そして,引用発明1及び3は,表面硬さ及び表面残留オーステナイト量が本件発明2とそれぞれ重複しており,また,引用発明1及び3と本件発明2とが,いずれも軸受の長寿命化という課題を共通にするものであることは、既にみたところから明らかである。
(2) さらに,刊行物3(甲第5号証)には,「軸受用素材の異物混入潤滑下試験における寿命は,第1図のグラフに示される軸受寿命と残留オーステナイトγR(vol%)との関係から明らかなように,・・・寿命L10は残留オーステナイト量の変化に応じて変化する。すなわち,残留オーステナイト量が40%以下の範囲では量が増すにつれて異物混入潤滑下での寿命は長くなる。・・・残留オーステナイト量が25vol%を越えるとすると素材としての機械的強度が低下し実用に耐えない。」(同号証5頁左下欄1行〜13行),「残留オーステナイト量は10vol%未満では異物混入潤滑下での寿命延長効果が少ないため,残留オーステナイト量を10〜25vol%とした。」(同号証5頁左下欄下から4行〜2行)との記載がある。
このように,刊行物3には,軸受の寿命に表面硬さと残留オーステナイトが関連することが示されており,望ましくはHRC65〜70で,かつ残留オーステナイト量が10〜25vol%のものが寿命延長効果を奏することが開示されている。
(3) また,乙第2号証(「NACHI 不二越技報」35巻2号,株式会社不二越営業管理部昭和54年11月1日発行,国立国会図書館受入昭和55年1月10日)及び弁論の全趣旨によれば,寿命のばらつきの少ない軸受を得ようとすることは,本件優先日前において周知の課題であったことが認められる。
(4) 以上からすると,軸受の長寿命化という課題をもって,軸受の製造に当たるとき,表面硬さの値として,引用発明1の範囲内のものである引用発明3のものを採用し,靱性が低下する表面硬さの値を適宜規制することや,表面残留オーステナイト量として,引用発明1のものを採用し,寿命のばらつき度合が大きくなる表面残留オーステナイト量を適宜規制することは,当業者にとって容易に想到しうるものと認めることができる。
(5) 原告は,刊行物1及び3には,ダブル焼入れ処理及び焼戻し処理を施したものの残留オーステナイト量及び表面硬さの両方が本件発明2の範囲内であるものは存在しないから,刊行物1に記載のものに代えて刊行物3記載のものを採用しても本件発明2の構成は得られない,と主張する。
しかし,上記のとおり,本件発明2の表面硬さ及び表面残留オーステナイト量が,刊行物1及び3に記載されたものの表面硬さ及び表面残留オーステナイト量の範囲内にあることは明らかである。
原告は,刊行物1の第6図には,残留オーステナイト量が20vol%以上25vol%未満のものが示されておらず,また,刊行物1の表1,あるいは刊行物3の第1表に示されている供試片の中にも,残留オーステナイト量が20vol%以上25vol%未満で,かつHRCが63〜67であるものは存在しないことを主張するが,前記のとおり,刊行物1には「残留オーステナイトが20vol%と45vol%との間の範囲aで良好な寿命を示し」,「・・寿命を得るためには,・・・内外輪についてはHRCが58以上必要である」ことが,また,刊行物3には「軸受の長寿命化を達成する上で表面硬さは,HRC65〜70を有することが望ましい」,「・・・10vol%未満では異物混入潤滑下での寿命延長効果が少ないため,残留オーステナイト量を10〜25vol%とした」ことが,それぞれ記載されているのであって,これを実施例として記載されたものに限定して解さなければならない理由はないから,実施例に記載がないことは,上記容易想到性を認める妨げとなるものではない。
(6) 原告は,刊行物1及び3には,異物混入潤滑下における軸受寿命のばらつきの度合いを小さくするために表面硬さをHRC63〜67とし,かつ表面残留オーステナイト量を20vol%以上25vol%未満とすることについての記載も示唆もないから,本件発明2の構成が,刊行物1及び3に基づいて容易に想到しうるとはいえない,と主張する。
しかし,上記のとおり,刊行物1及び3には,軸受の長寿命化と表面硬さとの関連,表面残量オーステナイト量と軸受の寿命延長効果との関連が示され,刊行物3には,望ましくはHRC65〜70で,かつ残留オーステナイト量が10〜25vol%のものが寿命延長効果を奏することが開示されているのであるから,寿命のばらつきを小さくするという本件優先日前周知の課題を解決するために,刊行物1及び3に基づいて,適宜実験するなどして表面硬さと残留オーステナイト量の最適な範囲を見出すようなことは,当業者が容易になしうる事項ということができる。したがって,原告の上記主張は,理由がない。
(7) また,原告は,残留オーステナイト量の増加が異物混入潤滑下での軸受寿命のばらつきを増加させることは,本発明者が発見した知見であり,このばらつきの抑制という観点から残留オーステナイト量を規制することは,当業者が任意かつ容易に想到しうるものではないと主張する。
しかし,上記のとおり,寿命のばらつきの少ない軸受を得ようとすることは,本件優先日前において周知の課題であったのであるから,残留オーステナイトとして,異物混入潤滑下で良好な寿命を示す引用発明1を採用し,軸受寿命のばらつきを少なくするという観点から,残留オーステナイト量を適宜規制することは,当業者が任意かつ容易に想到しうるものであって,原告の主張は,理由がない。
(8) なお,原告は,本件発明2の残留オーステナイト量と表面硬さの組み合わせのものが寿命のばらつきについて格別の効果を奏するものであると主張している。
しかし,本件明細書の図8(甲第12号証の全文訂正明細書18頁)において,本件発明2の具体例に当たる軌道輪No.1(HRC=65.5,残留オーステナイト量=24.3%)とそれに該当しないNo.5(HRC=62.1,残留オーステナイト量=28.4%)のものを,寿命と累積破損確率の関係について比較したところを見ても,そのばらつきが小さいという効果が,刊行物1及び3に記載のものに比して顕著なものであるかどうかは明らかでない。例えば,刊行物1で具体的に示されている実施例1(HRC=62.7,残留オーステナイト量=20%),実施例2(HRC=62.1,残留オーステナイト量=30),刊行物3で具体的に示されているNo.5(HRC=67.6,残留オーステナイト量=25%),No.7(HRC=68.7,残留オーステナイト量=23%)等と比較して顕著な効果といえるかどうかについては明らかにしていないのである。
したがって,容易想到性を否定するに足りる特別の効果の存在を認めることはできない。
(9) 以上によれば,決定の相違点2についての判断に誤りはない。
4 結論 以上のとおりであるから,原告主張の取消事由はいずれも理由がなく,その他,決定の認定判断にはこれを取り消すべき誤りはない。
したがって,原告の本訴請求は理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担について,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。
裁判長裁判官 佐藤久夫
裁判官 設樂驤
裁判官 若林辰繁