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事件 平成 24年 (行ケ) 10443号 審決取消請求事件
裁判所のデータが存在しません。
裁判所 知的財産高等裁判所 
判決言渡日 2013/10/30
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
判例全文
判例全文
平成25年10月30日判決言渡
平成24年(行ケ)第10443号 審決取消請求事件

口頭弁論終結日 平成25年10月16日

判 決



原 告 シーエスエル,リミテッド




原 告 モナシュ,ユニバーシティ



上記両名訴訟代理人弁護士 山 本 健 策
同訴訟復代理人弁護士 井 将 斗

上記両名訴訟代理人弁理士 山 本 秀 策

同 森 下 夏 樹

同 ? 谷 剛 志
同 長 谷 部 真 久




被 告 ノボ・ノルデイスク・エー/エス




訴 訟 代 理 人 弁 理 士 園 田 吉 隆

同 小 林 義 教

主 文
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 この判決に対する上告及び上告受理申立てのための付加期間を30日と定め

る。

事 実 及 び 理 由

第1 請求の趣旨

1 特許庁が無効2011−800051号事件について平成24年8月20日
にした審決のうち,「特許第4255515号の請求項1〜12に係る発明に

ついての特許を無効とする。」との部分を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第2 事案の概要

1 特許庁における手続の経緯等(当事者間に争いがない。)
原告らは,発明の名称を「安定化された成長ホルモン処方物およびその製造

方法」とする特許第4255515号(平成9年2月12日出願(パリ条約

よる優先権主張 1996年2月12日),平成21年2月6日設定登録。以

下「本件特許」という。下記訂正に基づく訂正後の請求項の数は12であ
る。)の特許権者である。

被告は,平成23年3月31日,特許庁に対し,本件特許を無効にすること

を求めて審判の請求をし,特許庁は,この審判を,無効2011−80005

1号事件として審理した。原告らは,この過程で,平成23年12月14日,

本件特許の請求項1ないし14に係る発明を,下記2のとおり請求項1ないし
12に係る発明に訂正(以下「本件訂正」という。)することを求めた。

特許庁は,平成24年8月20日,「訂正を認める。特許第4255515

号の請求項1〜12に係る発明についての特許を無効とする。審判費用は,被

請求人の負担とする。」との審決をし,審決の謄本を,同月31日,原告らに

送達した。
2 特許請求の範囲
本件訂正後の本件特許の特許請求の範囲の請求項1ないし12の記載は,次

のとおりである(以下,請求項の番号に従い,順次「本件発明1」,「本件発

明2」などといい,これらの発明を総称して「本件発明」という。また,本件

訂正後の本件特許の明細書を「本件明細書」という。甲15の9)。

【請求項1】

成長ホルモンと,緩衝剤と,安定化有効量の少なくとも1種のプルロニック

(登録商標)ポリオールとを含んでなる安定な成長ホルモン治療用医薬液状処

方物を製造する方法であって,

処方物中の緩衝剤の最終濃度の2倍より高い濃度の緩衝剤に,成長ホルモン

がさらされないような条件下,かつ,処方物中の1種もしくは2種以上のプル

ロニック(登録商標)ポリオールの最終濃度の2倍より高い濃度の1種もしく

は2種以上のプルロニック(登録商標)ポリオールに,成長ホルモンがさらさ

れないような条件下で,成長ホルモンを,緩衝剤および1種もしくは2種以上

のプルロニック(登録商標)ポリオールと混合することを含んでなり,

ここで,処方物におけるプルロニック(登録商標)ポリオールの最終濃度が

0.08〜1.0%w/vであり,

処方物のpHが5.0〜6.8である,方法。

【請求項2】

成長ホルモンがヒト成長ホルモンである,請求項1に記載の方法。

【請求項3】

前記プルロニック(登録商標)ポリオールがプルロニック(登録商標)F−

68である,請求項1または2に記載の方法。

【請求項4】

処方物が,物理的に安定である,請求項3に記載の方法。

【請求項5】

処方物が,物理的に安定である,請求項1または2に記載の方法。
【請求項6】

処方物が,1種もしくは2種以上の安定剤として0.08%w/vのプルロ

ニック・ポリオールを含んでなる,請求項1〜5のいずれか一項に記載の方法。

【請求項7】

処方物が,薬学上許容される緩衝剤を,2.5〜50mMの濃度で含んでな

る,請求項1〜6のいずれか一項に記載の方法。

【請求項8】

処方物が,薬学上許容される緩衝剤を,10〜20mMの濃度で含んでなる,

請求項7に記載の方法。

【請求項9】

薬学上許容される緩衝剤がリン酸塩またはクエン酸塩である,請求項7また

は8に記載の方法。

【請求項10】

処方物のpHが,5.2〜6.5である,請求項1〜9のいずれか一項に記

載の方法。

【請求項11】

処方物のpHが,5.4〜5.8である,請求項1〜9のいずれか一項に記

載の方法。

【請求項12】

最終体積の調節直前に1種もしくは2種以上のプルロニック(登録商標)ポ

リオールを処方物に添加する,請求項1〜11のいずれか一項に記載の方法。

3 審決の理由

審決の理由は,別紙審決書写しのとおりであり,その概要は,以下のと

おりである。

ア 本件発明1,本件発明2,本件発明5,本件発明7ないし11は,特表

平7−509719号公報(甲7A。以下,審決の表記に倣い,「文献
7」という。)に記載された発明(以下「引用発明」という。)であるか,

同発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。

イ 本件発明3,本件発明4,本件発明6及び本件発明12は,引用発明及

び審決が引用するその他の文献(文献名は省略)に基づいて,当業者が容

易に発明をすることができたものである。

ウ よって,本件特許は,特許法29条1項3号ないし同条2項に違反して

なされたものであるから,特許法123条1項2号に該当し,無効とすべ

きものである。

審決が上記結論を導くに当たり認定した,引用発明の内容,本件発明1

と引用発明との一致点及び一応の相違点は,以下のとおりである。

ア 引用発明の内容

「ヒト成長ホルモンと,クエン酸ナトリウム緩衝剤と,ポロキサマーとを

含んでなる安定なヒト成長ホルモン水性製剤を製造する方法であって,

クエン酸ナトリウム緩衝剤,および,ポロキサマーを最終比率で含有す

る溶離緩衝液を用いて,ゲル濾過カラム上で緩衝液交換することで調製し,

得られた溶液を所望の成長ホルモン濃度まで希釈し,保存剤を添加するこ

とを含んでなり,

ここで,処方物におけるポロキサマーの最終濃度が0.2%w/vであ

り,

処方物のpHが6.0である,方法。」

イ 本件発明1と引用発明との一致点

「ヒト成長ホルモンと,クエン酸ナトリウム緩衝剤と,安定化有効量の少

なくとも1種のプルロニック(登録商標)ポリオールとを含んでなる安定

な成長ホルモン治療用医薬液状処方物を製造する方法であって,

成長ホルモンを,緩衝剤及び1種のプルロニック(登録商標)ポリオー

ルと混合することを含んでなり,
ここで,処方物におけるプルロニック(登録商標)ポリオールの最終濃

度が0.2%w/vであり,

処方物のpHが6.0である,方法。」である点。

ウ 本件発明1と引用発明との一応の相違点

ヒト成長ホルモンを,緩衝剤およびプルロニック(登録商標)ポリオー

ルと混合する際において,本件発明1では,

「処方物中の緩衝剤の最終濃度の2倍より高い濃度の緩衝剤に,成長ホル

モンがさらされないような条件下,かつ,処方物中の1種もしくは2種以

上のプルロニック(登録商標)ポリオールの最終濃度の2倍より高い濃度

の1種もしくは2種以上のプルロニック(登録商標)ポリオールに,成長

ホルモンがさらされないような条件下」

で混合することを特定するのに対して,引用発明では,

「クエン酸ナトリウム緩衝液,および,ポロキサマー(プルロニック(登

録商標)ポリオール)を最終比率で含有する溶離緩衝液を用いて,ゲル濾

過カラム上で緩衝液交換することで調製し,得られた溶液を所望の成長ホ

ルモン濃度まで希釈し,保存剤を添加する」

ことは特定するものの,本件発明1で特定する,最終濃度の2倍より高い

濃度の緩衝剤及びプルロニック(登録商標)ポリオールに,成長ホルモン

をさらさないことまでは明確には特定していない点。

第3 原告らの主張

審決には,次のとおりの判断の誤りがあり,これらの判断の誤りは,本件発

明1についての審決の結論に影響を及ぼすのみならず,文献7を引用例ないし

主引例とする本件発明2ないし本件発明12についての審決の結論にも影響を

及ぼすものであるから,審決は取り消されるべきである。

新規性判断の誤り

審決は,引用発明における「クエン酸ナトリウム緩衝液,および,ポロキサ
マー…を最終比率で含有する溶離緩衝液」の「最終比率」が「最終濃度」を意

味すると解釈し,引用発明におけるゲル濾過カラム上での緩衝液交換を行うに

際して用いられた溶離緩衝液中に含有される緩衝剤(クエン酸ナトリウム緩衝

剤)及び非イオン界面活性剤(ポロキサマー)の濃度は,最終的に調製される

成長ホルモン水性製剤中の各濃度(最終濃度)に等しく,緩衝液交換後に所望

の成長ホルモン濃度まで希釈する際にも,この「最終濃度」の溶離緩衝液が用

いられたと認定判断した。

しかるに,かかる認定判断は,当業者の技術常識に合致せず,誤りである。

文献7には,水性ヒト成長ホルモン製剤サンプルの調製に関して,「一

般に,これらの実験例における分析用の水性hGH(判決注・ヒト成長ホル

モンを指す。以下同じ。)製剤サンプルは,ゲル濾過カラム上で緩衝液交換

することにより調製した。その溶離緩衝液は,塩化ナトリウムまたはマンニ

トールのいずれか,緩衝液および非イオン界面活性剤をそれらの最終比率で

含有していた。この結果として得られる溶液を所望のhGH濃度まで希釈し

て,保存剤を添加した。」との記載がある。

この記載は,その文言上,溶離緩衝液中の各成分の「比率」について言及

するのみであり,各成分の溶離緩衝液に対する「濃度」については何ら記載

されていない。通常の用語例では,「濃度」とは,(溶質の量)/(溶液の

量)で求められるのに対し,「比率」とは,同質の数量の間の関係で用いら

れるのであり,文献7の文脈においても,「比率」とは,溶質と溶質との関

係,例えば,ヒト成長ホルモンと他の成分との関係,又は緩衝剤と界面活性

剤との関係を記載するものであるから,これを「濃度」と解釈することは通

常の用語例に反する。

そうすると,文献7の上記記載に接した当業者が理解するのは,引用発明

において行われた実験手法は,@塩化ナトリウム又はマンニトールのいずれ

か,A緩衝剤,及びB非イオン界面活性剤の各成分が「最終比率」,すなわ
ち各成分間の割合が最終的に得られる溶液における各成分間の割合と同じで

ある溶離緩衝液を用いてゲル濾過クロマトグラフィによる緩衝液交換を行い,

緩衝液交換により得られた溶液をヒト成長ホルモンの最終所望濃度に応じて

何らかの液を用いて希釈した,というものであったこと,すなわち,溶離緩

衝液中の各成分間の比率が一定に保たれていたことである。文献7には,溶

離緩衝液中の各成分の「濃度」については何ら記載されていないから,「最

終濃度」以外の濃度の溶離緩衝液が用いられた可能性は排除されず,緩衝剤

及び界面活性剤を「最終濃度」又は「最終濃度」に近い濃度で含有する溶離

緩衝液が用いられたと認定することはできない。

引用発明を行った研究グループと同一の研究グループによる発明が開示

された特表平3−503764号公報(甲6A。以下「文献6」という。)

には,緩衝液交換を行う際の実験手法について,文献7と実質的に同一の記

載があり,文献6と文献7とでは,同一の実験手法によって緩衝液交換が行

われたと理解される。そして,文献6では,発明者らは,ヒト成長ホルモン

と緩衝剤及びヒト成長ホルモンと界面活性剤との粒子の個数の「比率」に焦

点を当て,その「比率」が具体的に規定されており,ヒト成長ホルモンと他

の成分との「比率」が重視されていることからすれば,文献6における緩衝

交換では,溶離緩衝液の各成分の「比率」が一定に保たれていたと考えら

れる。そうすると,文献7においても,文献6と同様に,緩衝液交換におい

て溶離緩衝液の各成分の「比率」が一定に保たれていたものと理解される。

そして,ヒト成長ホルモンと緩衝剤との「比率」やヒト成長ホルモンと界

面活性剤との「比率」を重視した場合,ヒト成長ホルモンの濃度が高くなる

のに比例して,緩衝剤及び界面活性剤の濃度も高くなる。そして,文献6及

び文献7のいずれにおいても,最終濃度より高い濃度のヒト成長ホルモンを

希釈して最終濃度としたのであるから,緩衝液交換に利用した溶離緩衝液中

の緩衝剤及び界面活性剤の濃度は,最終濃度より高くなる,それゆえ,溶離
緩衝液中の緩衝剤濃度及び界面活性剤濃度が,「最終濃度」又は「最終濃

度」に近い濃度であったと限定することはできず,むしろ,「最終濃度」よ

りも高い濃度であったことは明白である。

また,文献6に記載されたヒト成長ホルモン製剤及び緩衝液の実施態様に

おける各成分のモル比によれば,ヒト成長ホルモンが,「最終濃度」の10

倍の界面活性剤及び「最終濃度」の約2.27倍のリン酸緩衝液にさらされ

得ることが積極的に示されている。したがって,文献7において用いられた

溶離緩衝液中の緩衝剤濃度及び界面活性剤濃度も,「最終濃度」の2倍より

も高い濃度であったということができる。

文献7における「最終比率」が「最終濃度」を意味するとの解釈は,平

成23年10月18日付け無効理由通知書により通知されたものであるが,

かかる通知がされる前は,当業者たる被告も,同年3月31日付け無効審判

請求書において,「文献6および7は,希釈の程度を具体的に記載していな

いため,『2倍未満』という本件特許請求項1に記載の条件に該当する態様

も包含しています。」と述べていた。これは,文献7の記載からは溶離緩衝

液中の各成分の濃度が明らかではないこと及び希釈には純水など溶離緩衝液

以外の何らかの液が用いられたことを前提とするものであり,引用発明にお

いて用いられた溶離緩衝液の濃度については,「最終濃度」の2倍を超える

濃度のものが用いられたかもしれないし,「最終濃度」の2倍未満の濃度の

ものが用いられたかもしれないとするものであり,原告らの主張に沿う解釈

である。

本件特許の対応欧州特許(EP0889733)に対する異議申立手続

において,欧州特許庁異議部は,文献7の対応英語文献(D7)に関し,

「D7 embraces the possibility of a dilution greater than 2X as well

as lower than 2X. (D7は,希釈が2倍より大きな可能性,及び2倍以下

の可能性を含む。)」として,引用発明において用いられた溶離緩衝液の濃
度を一義的に定めることはできず,「最終濃度」の2倍を超える濃度の溶離

緩衝液が使用された可能性と,「最終濃度」の2倍以下の濃度の溶離緩衝液

が使用された可能性の両方があり得ると認定しており,原告らの主張に沿う

見解を示している。

文献7には,緩衝液交換により得られた溶液を希釈した後に保存剤(フ

ェノール)を添加したことが記載されているが,操作の簡便性を考慮すれば,

溶離緩衝液中に最初から保存剤(フェノール)を含ませていたはずである。

この点,本件特許の対応欧州特許に対する異議申立手続において被告が提出

したReslow博士による宣誓書には,最終濃度の2.5倍よりも高い濃

度に濃縮された溶離緩衝液にフェノールを溶解させることができなかったと

解される記載があり,文献7においては,最終濃度の2.5倍より高い濃度

の溶離緩衝液が用いられたことから,溶離緩衝液中に最初から保存剤(フェ

ノール)を溶解させることができず,希釈後の添加という追加の工程が設け

られたと考えられる。このことからも,溶離緩衝液の濃度が最終濃度の2.

5倍より高かったことが理解される。

進歩性判断の誤り

審決は,仮に引用発明において用いられた溶離緩衝液中の緩衝剤及び非イオ

ン界面活性剤の各濃度が「最終濃度」ではなかったとしても,溶離緩衝液中の

当該物質の各濃度を最終濃度の2倍よりも低い濃度とすることは当業者が容易

になし得ることであると判断した。

しかるに,かかる判断は,当業者の技術常識に合致せず,誤りである。

審決は,ゲル濾過に用いる溶離緩衝液としては,精製物の安定性のため

に,至適濃度・イオン強度・pHに設定したものを用い,各々設定される至

適濃度の数倍,数十倍といった濃度の溶離緩衝液を用いることはないことが

当業者の技術常識である旨を述べ,これを上記判断の根拠としている。

しかし,そのような技術常識は存在せず,審決のいう「数倍,数十倍」と
いった数字は曖昧で根拠もない。

ゲル濾過に用いる溶離緩衝液の成分について,タンパク質の安定性の観

点から「適当」な濃度があるものの,これは,ある特定の濃度を指すのでは

なく,ある程度の幅があるのが通常であり,多くの場合,タンパク質水溶液

に使用される緩衝液中のイオン及び非イオン界面活性剤等の安定化剤の「適

当」な濃度範囲は10倍以上の幅を持つものである。

文献7と同様にゲル濾過カラムを用いた緩衝液交換を記載する文献6によ

れば,ヒト成長ホルモンにとって「適当」な緩衝剤(リン酸ナトリウム)の

濃度は約30倍という大きな幅を持っており,文献7における緩衝剤の「適

当濃度」については,約25倍の幅がある。さらに,文献7の実施例で使用

されたヒト成長ホルモンの水性製剤には,約10mMのクエン酸ナトリウム

が含まれるので,仮に実施例記載の10mMを基準とすると,約5分の1な

いし約5倍の範囲の幅を持つことになる。

このように,文献6及び文献7から理解されることは,至適濃度と比べて

少なくとも5倍,又は少なくとも5分の1程度の濃度においても,タンパク

質は安定に保たれる場合が多いことであり,このことは当業者の技術常識

ある。むしろ,文献7では,最終濃度の2倍の濃度を超えない緩衝剤及び界

面活性剤を含有する溶離緩衝液を用いて緩衝液交換を行うとの本件発明とは,

異なる方向への教示がされているともいい得る。

これに対し,タンパク質の安定性のみに基づいて,溶離緩衝剤の濃度が至

適濃度に極めて近くなければならないとすることは,当業者の技術常識に反

する。

審決は,仮に最終(至適)濃度になっていない溶離緩衝液を用いた場合

には,極めて煩雑な操作が要求されると述べる。しかし,緩衝液中の各成分

を「最終比率」で含む溶離緩衝液を用いて緩衝液交換を行い,緩衝液交換

より得られた溶液を最終濃度緩衝液以外の「適当な成分を含む液」又は「純
水」で希釈して濃度を調整することは,タンパク質溶液の緩衝液交換後にお

いて一般的に行われる実験手順である。緩衝液交換後の液中に精製物以外の

該当成分が「最終比率」で含有されていれば,その比率を保ちつつ精製物を

所望濃度まで希釈するには,単なる比例計算をすれば足り,これが極めて煩

雑な操作であるとはいえない。よって,審決が上記のとおり述べるところは

誤りである。

第4 被告の主張

新規性判断の誤りについて

引用発明における緩衝液交換の際に用いられた溶離緩衝液中の緩衝剤及び界

面活性剤の濃度が,最終的に調製される成長ホルモン水性製剤中の各濃度(最

終濃度)に等しく,緩衝液交換後の希釈の際にもこの最終濃度の溶離緩衝液が

用いられたとの審決の認定判断には,以下のとおり誤りはない。

文献7には,ゲル濾過カラムでの溶離後に,「溶液を所望のhGH濃度

まで希釈する」工程は明記されているものの,他に追加の工程を行うことは

明記されていない。また,文献7では,ある成長ホルモン溶液の緩衝液を交

換して最終溶液を得るためにゲル濾過カラム上で緩衝液交換を行っているた

め,目的物たる最終緩衝液を用いて直接ゲル濾過カラムからの溶離を行った

としても何らかの矛盾が生じるわけではない。さらに,文献7は,ヒト成長

ホルモンを安定化させることのできる溶液(水性製剤)の発明を開示するも

のであり,ヒト成長ホルモンを安定化することのできる最終緩衝液を用いて

緩衝液交換を行うことは,文献7の発明の目的に沿うものである。

以上に照らせば,水性ヒト成長ホルモン製剤サンプルの調製に関する文献

7の記載は,最終緩衝液を用いて溶離させ,その後,最終緩衝液を用いて所

望のヒト成長ホルモン濃度まで希釈し,保存剤を添加したと解するのが合理

的であり,このように解したとしても,技術的な矛盾は生じない。

原告らが主張するように,緩衝液交換の際に最終処方物とは緩衝剤及び界
面活性剤の濃度の異なる溶離緩衝液を用いた場合には,緩衝液交換後のヒト

成長ホルモン濃度を確認した上で,ヒト成長ホルモンの濃度を所望の濃度に

したときに緩衝剤/界面活性剤の濃度が所望の濃度になるような濃度の緩衝

剤/界面活性剤溶液を準備し(第1工程),これを用いて希釈を行う(第2

工程)という2つの工程が必要となる。これは,溶液を所望のヒト成長ホル

モン濃度まで希釈する工程のほかに,文献7に明記されていない新たな工程

を加えるものであり,不合理な解釈である。

「比率」とは,「数量を,全体のまたは他の数量と比べた時の割合。

比。」のことであり,文献7の文脈においては,「比率」が「濃度」を意味

するものとして用いられたとしても,特段の矛盾は生じない。

原告らは,比率という用語は同質の数量の間の関係で用いられ,異質の数

量の間の関係では用いられないことを根拠に,「最終比率」は「最終濃度」

と解釈し得ないと主張する。しかし,最終比率を最終濃度として用いる場合

には,最終比率は,「溶質の量と,溶質及び溶媒を含む溶液全体の量の比

率」を意味することになるから,原告らの主張する「比率」という表現の定

義に沿うものである。原告ら自身,過去の特許出願(特表平10−5125

43号公報,特表2001−509489号公報,特表2005−5264

87号公報)の記載において,「濃度」と同様の意味で「比率」を用いてい

る。

原告らは,引用発明の発明者同一の発明者による出願公開公報である

文献6を引用して,文献7における緩衝液交換においても,文献6と同様に,

溶離緩衝液の各成分の「比率」が一定に保たれていたと理解され,溶離緩衝

液中の緩衝剤濃度及び界面活性剤濃度は,「最終濃度」よりも高い濃度であ

ったと解すべきと主張する。

しかし,同一発明者によるものとはいえ,文献7とは全く別の特許出願及

び発明を組み合わせて,文献7の記載を解釈すべきではない。文献6には,
様々な成分の比の値を重視する発明が記載されているが,文献7の請求項及

発明の詳細な説明のいずれにも,何らかの比の値についての記載はなく,

安定性をもたらす絶対濃度で各成分を含む溶液(水性製剤)の発明のみが開

示されているから,両者は全く別の発明である。

むしろ,原告らは,ヒト成長ホルモンと各成分との比が緩衝液交換の前後

を通じて保たれていたと主張するが,ゲル濾過カラムによる緩衝液交換の前

後では,溶質(ヒト成長ホルモン)の濃度は変化することが知られており,

ヒト成長ホルモンの濃度がどの程度変化するかは,溶離後の溶液をどのよう

に分取するかなどによっても異なり,事前に予測することはできない。よっ

て,ゲル濾過カラムによる緩衝液交換後のヒト成長ホルモン濃度を予測して,

ヒト成長ホルモンと各成分との比の値を緩衝液交換前と同じに保持するよう

な濃度の溶離緩衝液を用いるということは,技術的にはほぼ不可能であるか

ら,原告らの上記主張は,技術的な矛盾を含むものである。

原告らは,引用発明における水性ヒト成長ホルモン製剤サンプルの調製

においてフェノールを最後に加えていることを根拠に,最終濃度の2.5倍

以上の濃度の緩衝液を用いたはずであると主張するが,単なる憶測の域を出

るものではない。

進歩性判断の誤りについて

引用発明において用いられた溶離緩衝液中の緩衝剤及び非イオン界面活性剤

の各濃度を,最終濃度の2倍よりも低い濃度とすることは,当業者が容易にな

し得るとの審決の判断には,以下のとおり誤りはない。

文献7に記載された実験例を,「各成分の特定の濃度範囲を特徴とする

発明」についての同文献の文脈で理解すれば,「数十倍といった濃度の溶離

緩衝液を用いることはない」との審決の認定は,正しい認定である。実際に,

当該実験例で用いられた各成分の具体的な最終濃度は,引用発明の濃度範囲

のほぼ中央に位置する値であるが,この最終濃度の数十倍の濃度の緩衝液は,
同発明にとって明らかに不適切な緩衝液であり,発明の目的及び発明の実施

例としての当該実験例の目的を考慮すれば,このような溶離緩衝液を用いる

ことは通常考えられない。

原告らは,文献7に緩衝液の適当濃度に幅があることが開示されている

ことから,同文献では本件発明1とは異なる方向への教示がされていると主

張する。

しかし,文献7に開示された安定な製剤を製造し得る濃度範囲である,最

終濃度の約5分の1ないし約5倍のうち,本件発明1の要件を充足しないの

は,最終濃度の2倍より大きく約5倍以下の場合のみであり,大部分を占め

る,最終濃度の約5分の1ないし2倍の場合は,本件発明1に相当すること

になるから,文献7は,むしろ,本件発明1の容易想到性を示すことに他な

らない。

仮に,文献7に,本件発明1との相違点についての示唆又は教示がない

としても,本件発明1は,引用発明に基づいて容易に想到し得るものである。

文献7の実験例で記載された組成(本件発明1に含まれる組成)の製剤の

調製について,様々な手段を用いて,最終濃度の緩衝液と成長ホルモンとを

混合することができるところ,混合手段を現実的に検討すれば,一般的に用

いられている方法のほとんどが本件発明1に相当し,本件発明1に相当しな

いのは,極めて限られた場合のみである。このように,製剤の調製を行うに

当たり,本件発明1の条件を満たす操作は,ごく一般的に行われる周知・慣

用技術であり,最終濃度の達成が目的そのものであることを考えると,最終

濃度に近い濃度範囲を選択するという強い動機付けすらあったと考えられる。

よって,文献7に本件発明1との相違点についての示唆又は教示がないと

しても,当業者は,一般に広く行われている操作を行うことによって,本件

発明1に容易に想到し得る。

本件明細書には,本件発明1が混合時に「処方物中の…プルロニック
(登録商標)ポリオールの最終濃度の2倍より高い濃度…に,成長ホルモン

がさらされない」という構成をとることにより,そうでない場合と比較して,

何らかの優れた効果を奏することは示されていない。また,精製物の安定性

のために,適切な濃度の溶離緩衝液を用いることはゲル濾過の技術常識であ

るから,その効果は,当業者が予測し得るものにすぎない。したがって,一

応の相違点を構成する混合・希釈率の特定は,従来の混合・希釈率の中から

の通常の条件検討,単なる数値の最適化,好適化あるいは無作為抽出をした

ものの域を出ず,この特徴をもって先行技術に対する進歩性の根拠とするこ

とはできない。

また,最終濃度を連続的な値として考えると,本件発明1における混合時

の濃度の上限である,最終濃度の2倍の値も連続的な値となるのであり,連

続する混合時濃度の全ての値において,効果(安定性)に顕著な差が観察さ

れる,すなわち,連続的に不連続性が存在し得るということは,論理的には

あり得ない。よって,本件発明1の数値範囲内では数値範囲外と比較して顕

著な効果が得られるということは考えられない。

第5 当裁判所の判断

当裁判所は,審決には原告らの主張する新規性判断の誤りはなく,進歩性

断の誤りの有無について判断するまでもなく,審決に取り消されるべき違法は

ないと判断する。その理由は次のとおりである。

1 文献7における「最終比率」の意義について

原告らは,文献7に,引用発明におけるゲル濾過カラム上での緩衝液交

換に際して用いられた溶離緩衝液が緩衝剤及び非イオン界面活性剤を「最終

比率」で含有するとあるのは,各成分間の割合が最終的に得られる溶液にお

ける各成分間の割合と同じであることを指すのであり,これを,緩衝剤及び

界面活性剤の濃度が最終的に調製される製剤の濃度すなわち「最終濃度」に

等しいことであるとする審決の認定判断は誤りであると主張する。
そこで,文献7が開示する引用発明の内容について検討するに,文献7

(甲7A)には,以下の記載がある。

「発明の背景

…hGHは,幾つかの分解経路,特に脱アミド化,凝集,ペプチド基本骨格

のクリッピング,およびメチオニン残基の酸化を受ける。これら反応の多く

は,タンパクから水を除去することにより有意に緩除され得る。しかし,h

GHに関する水性製剤の開発には,再構成の誤りを無くすことにより投与量

の精度を増し,さらに臨床的には製品の使用を簡易化することにより患者の

コンプライアンスを増すという利点がある。従って,本発明の目的は,分解

産物を許容し得る程に制御でき,激しい攪拌(これは凝集を招く)に対して

安定であり,また微生物汚染に対して耐性(これは多様な使用包装を可能と

する)である水性hGH製剤を提供することである。」(2頁左下欄7行目

ないし3頁左上欄5行目)

発明の概要

本発明の一態様は,製薬的に許容し得る安定なヒト成長ホルモンの水性製

剤であって,ヒト成長ホルモン,緩衝液,非イオン界面活性剤,また所望に

より,中性塩,マンニトール,および保存剤を含む製剤である。

本発明のさらなる態様は,ヒト成長ホルモン水性製剤の変性防止方法であ

って,ヒト成長ホルモンと0.1〜5%(w/v)(重量/体積)の非イオ

ン界面活性剤とを混合することにより成る方法である。」(3頁左上欄6行

目ないし12行目)

「実験例

〈A.アッセイ法〉



〈B.製剤調製〉

一般に,これらの実験例における分析用の水性hGH製剤サンプルは,ゲ
ル濾過カラム上で緩衝液交換することにより調製した。その溶離緩衝液は,

塩化ナトリウムまたはマンニトールのいずれか,緩衝液および非イオン界面

活性剤をそれらの最終比率で含有していた。この結果として得られる溶液を

所望のhGH濃度まで希釈して,保存剤を添加した。その溶液を滅菌メンブ

ランフィルター(孔サイズ:0.2ミクロン程度のもの)を使用して滅菌濾

過し,1型3cc滅菌ガラスバイアルの1つに注ぎ入れ,栓をして,水性タ

イプのブチルゴム栓やアルミニウムフリップオフタイプのふたで密閉した。

実験例で使用する該水性hGH製剤は,溶液1mlにつき,ソマトロビン

5.0mg[Genentech,Inc.],マンニトール45.0mg,フェノール2.

5mg,ポリソルベート20 2.0mg,およびクエン酸ナトリウム2.

5mgを含み,pH6.0であった。」(3頁右下欄23行目ないし4頁左

上欄23行目)

「〈C.実施例T〉

水性製剤の化学的安定性

…2〜8℃で一年間保存した場合,…薬物製品は有意な凝集を全く示さなか

った…18ヶ月保存した後の成長ホルモン凝集量は1%(w/v)未満であ

ることが示される。…2〜8℃で18ヶ月保存したこれらのロットにおける

脱アミド化hGHの量は約9%(w/v)であることが示される。…

〈D.実施例U〉

水性製剤の物理的安定性

…攪拌によっての水性製剤の視覚的透明度における変化は極く僅かであった。

…比較により,これらの結果はまた,攪拌して僅か30分後でも,再構成し

た凍結乾燥製品は処置に対し感受性がより強いということを示した。この感

受性は,本発明の水性製剤以外に,現在有用な全てのhGH製剤にとって典

型的である。非イオン界面活性剤の包接物は,発生するこの現象を防ぐのに

最も重要な因子である。
〈E.実施例V〉

水性製剤中での保存効果

…この実験の結果では,2種の細菌にとって,生存可能な細菌の濃度は,2

4時間後には初期濃度の0.01%未満に減少することが示された。

〈F.実施例W〉

塩によるマンニトールの代替

…これらの結果は,界面活性剤の存在下,マンニトールが中性塩で代替され

た製剤中で,予想外なhGHの安定性を実証するものである。」(4頁左上

欄26行目ないし5頁右上欄最終行)

ゲル濾過とは,分子の大きさの差を利用して物質を分離する方法であり,

網状構造を有するゲルビーズを充填したカラム内を溶離緩衝液とともに物質

が移動する際,小さい分子はゲルビーズ中の溶媒空間に自由に入るが大きい

分子は入れないため,大きい分子は早くカラムを移動するという原理に基づ

くものである。通常,カラムを通過した溶液は少量ずつ分取され,目的物質

を高純度で含む画分が,分離後の試料として利用されることとなる(甲15

の19及び20,甲17)。目的物質の濃度は分離の前後で変化し,分離後

の濃度は,目的物質がどのような濃度曲線で溶出されるのか,どのような量

ごとに分取し,どの画分を試料として用いるかなどに応じて異なるが,一般

には希釈されることから,精製物濃度の調整は不可避の操作である(甲2

1)。

上記のとおりの文献7の記載によれば,引用発明は,分解産物を許容し得

る程度に制御でき,激しい攪拌に対して安定であり,微生物汚染に対して耐

性である水性ヒト成長ホルモン製剤を提供するという目的を,ヒト成長ホル

モンと0.1ないし5%(w/v)の非イオン界面活性剤を混合することに

より達成するというものである。そして,「〈B.製剤調製〉」の項は,各

種安定性確認試験(実施例TないしW)に供するための水性ヒト成長ホルモ
ン製剤の調製方法を記載した部分であり,「ゲル濾過カラム上で緩衝液交換

する」とは,ゲル濾過カラムにヒト成長ホルモンを含む交換前緩衝液を加え

た後,塩化ナトリウム又はマンニトールのいずれか,緩衝剤及び非イオン界

面活性剤という三成分をそれらの「最終比率」で含有する溶離緩衝液を流す

ことによって,ヒト成長ホルモンを溶離緩衝液に溶解した溶液として溶出し,

回収する操作であると解される。

ここに,「比率」とは,@二つ以上の数量を比較したときの割合,及び,

A全体の中でその物事が占める割合,という二通りの意味がある(甲15の

17及び18)ため,上記「最終比率」については,@水性ヒト成長ホルモ

ン製剤中の上記三成分間の割合(この場合,製剤中の三成分の各濃度は最終

濃度に比例した濃度となる。),A上記三成分の各最終濃度,のいずれかに

解釈する余地がある。

しかるところ,引用発明が,非イオン界面活性剤を0.1ないし5%(w

/v)含む緩衝液により水性ヒト成長ホルモン製剤の安定化を達成しようと

するものであり,「〈B.製剤調製〉」の目的が,かかる効果を示すための

安定性確認試験において用いる水性ヒト成長ホルモン製剤を調製することに

あることに照らすと,ここにおけるゲル濾過カラム上での溶離緩衝液交換

は,緩衝液を上記濃度の非イオン界面活性剤を含む水性ヒト成長ホルモン製

剤の緩衝液に交換する操作と考えるのが自然である。

これに対し,引用発明の特徴や上記製剤調製の目的に照らすと,ヒト成長

ホルモンとその他の三成分の量比に着目する動機はないから,上記「最終比

率」を三成分間の割合と解することは不自然である。加えて,仮にそのよう

に解釈した場合には,緩衝液交換後に,ヒト成長ホルモンを所望の濃度まで

希釈するだけでなく,三成分を各最終濃度まで希釈(あるいは濃縮)する工

程が必要となるところ,緩衝液交換後のヒト成長ホルモンの濃度は様々な要

因により変化し,あらかじめ決定できるものではないから,三成分の濃度調
整をヒト成長ホルモンの濃度調整とは別に行う必要が生じることとなり,

「この結果として得られる溶液(判決注・緩衝液交換後の溶液を指す。)を

所望のhGH濃度まで希釈して,保存剤を添加した。」という,ヒト成長ホ

ルモン濃度の希釈を目的とする一度の希釈のみを開示する文献7の記載と整

合しない。

以上によれば,引用発明におけるゲル濾過カラム上での緩衝液交換に用い

る溶離緩衝液は,水性ヒト成長ホルモン製剤における濃度と等しい三成分の

濃度を含むものであって,上記「最終比率」とは最終濃度を意味するととも

に,緩衝液交換後の希釈に用いる溶液も最終濃度の溶離緩衝液であると解す

るのが妥当である。よって,これと同旨の審決の引用発明の認定判断に誤り

はない。

2 原告らの主張について

原告らは,文献7における溶離緩衝液中の成分に関する「最終比率」に

おける「比率」を濃度と解釈することは通常の用語例に反しており,文献7

に接した当業者が理解するのは,同文献の実験例においては,溶離緩衝液中

の各成分間の割合が最終的に得られる溶液における各成分間の割合と同じで

ある溶離緩衝液を緩衝液交換に用い,緩衝液交換により得られた溶液をヒト

成長ホルモンの所望濃度に応じて何らかの液を用いて希釈したことであり,

文献7には「濃度」について何らの記載はないから,緩衝剤及び界面活性剤

を「最終濃度」又は「最終濃度」に近い濃度で含有する溶離緩衝液が用いら

れたと認定することはできない,と主張する。そして,原告らは,かかる主

張に沿う証拠として,山口大学大学院医学系研究科応用分子生命科学系(工

学部応用化学科)教授の 作成の鑑定意見書(甲18。以下「 意見書」

という。)及び神戸大学名誉教授の 作成の鑑定意見書(甲21。以下「

意見書」という。)を提出する。

ア しかしながら,「比率」に「全体の中でその物事が占める割合」という
意味がある以上,これを溶離緩衝液中の成分の濃度として理解することが

通常の用語例に反するとはいえないことは,前記1 のとおりである。

イ また, 意見書は,@文献7から理解できることは,溶離緩衝液中の三

成分間の比率が一定に保たれていたことのみであり,少なくとも,溶離緩

衝液中の緩衝剤濃度及び界面活性剤濃度が,「最終濃度」又は「最終濃

度」に近い濃度であったと限定して理解することはできない,Aヒト成長

ホルモンと緩衝剤との比率,又はヒト成長ホルモンと界面活性剤の比率が,

ヒト成長ホルモンの安定性に影響を与える可能性を考慮した場合には,緩

衝液交換において使用する溶離緩衝液の各成分(例えば,緩衝剤及び界面

活性剤)のヒト成長ホルモンに対する比率を一定にすることが重要となる

ため,各成分間の比率も一定に保つことが重要になる,B緩衝液交換にお

いて,使用する溶離緩衝液の各成分間の比率を一定に保つことには,最終

的に得られる溶液の濃度調整を容易に行うことができるメリットがあり,

各成分間の比率に着目して溶離緩衝液を調製することは十分あり得ること

で特に目新しいことではない,とする。

しかし,文献7は,緩衝液中の0.1ないし5%(w/v)の非イオン

界面活性剤の存在が水性ヒト成長ホルモン製剤の安定性に寄与することを

専ら開示するものであり,緩衝液中の各成分の量比がヒト成長ホルモンの

安定性に影響を与えることを示唆するものではないから,これを前提とす

る上記Aの見解は妥当ではなく,上記@及びBの意見についても,文献7

の「最終比率」が最終濃度を意味することを積極的に否定するものではな

い。

ウ さらに, 意見書は,@精製物を所望濃度に希釈するのに用いる純水又

は様々な成分を含む溶液の組成及び量に柔軟性をもたせる必要があるため,

並びにゲル濾過分離操作において幅広い操作条件の探索を容易にするため,

文献7に記載される溶離緩衝液中の各成分の濃度を「最終濃度」より高く
すること,場合によっては2倍を超える濃度とすることは,十分あり得る,

Aタンパク質の安定性の観点から,タンパク質溶解緩衝液及び安定化成分

の濃度は至適濃度に極めて近くなければならないとはいえず,必要に応じ

少なくとも5倍,あるいは5分の1の濃度の液中で操作することはあり得,

ゲル濾過クロマトグラフィの溶離緩衝液濃度についても同様である,また,

ゲル濾過クロマトグラフィの間に限って至適濃度以外の濃度を利用するこ

とも一般的にあり得る,B該当成分を最終比率で含む液を用いた緩衝液交

換後に「適当な成分を含む液」又は「純水」で希釈し精製物濃度を調整す

ることは,利点こそあれ煩雑性を増すものとはいえない,とする。

しかしながら, 意見書は,「実験手法の一例としては(a)ゲル濾過

カラムを「最終濃度」の溶離緩衝液で平衡化する,(b)ゲル濾過カラム

にhGHを含む液を負荷する,(c)ゲル濾過カラムに「最終濃度」の溶

離緩衝液を流し,カラムから流出するhGHを含む画分を適切に採取し精

製製品とする,という手法も挙げられます。このような操作が選択肢の一

つであることは当業者において,一般的に理解されることでありますが,

最終濃度以外の溶離緩衝液を用いる可能性を排除するものではありませ

ん。」「この希釈に用いる液も最終濃度の緩衝液を用いることができます

が,それ以外にも他の安定化剤,保存剤等の成分を含む液,あるいは純水

で希釈する操作も,操作の簡便性,経済性から用いられることがありま

す。」と述べており,「最終比率」が溶離緩衝液中の成分間の割合を意味

することを積極的に肯定するものではなく,むしろ,溶離緩衝液中の成分

の最終濃度と解釈すること,希釈に当たっても最終濃度の溶離緩衝液が用

いられたと解することも当業者の一般的な理解の範囲内であるとしている

から,審決による引用発明の認定の妥当性を示唆するものであるといえる。

エ よって, 意見書及び 意見書によっても,「最終比率」を最終濃度

と解することが否定されるものではない。
原告らは,文献7と同一の研究グループによる発明が開示された文献6

の記載内容を考慮すれば,文献7の「最終比率」とは最終濃度ではなく,文

献6と同様に,緩衝液交換において溶離緩衝液の各成分の比率が一定に保た

れていたものと理解され,文献7において用いられた溶離緩衝液中の緩衝剤

濃度及び界面活性剤濃度は,最終濃度の2倍より高い濃度であったと主張す

る。

この点,文献6(甲6A)と文献7(甲7A)は,発明者及び出願人の記

載に照らして,同一の研究グループによる発明が開示されたものと考えられ

るところ,文献6には,ヒト成長ホルモン製剤の製造に関し,「最終製剤に

おけるタンパク溶液は,ゲル濾過カラムにて緩衝液を交換することによって

製造される。溶離緩衝液は,グリシン,マンニトール,緩衝液および非イオ

ン性界面活性剤をその最終割合で含有する。タンパクの濃度は,この得られ

た溶液を所望のタンパク濃度に希釈することによって得られる。」(7頁左

上欄3行目ないし7行目)と,文献7と類似する記載がある。

一方,文献6(甲6A)によれば,同文献に係る発明は,安定,かつ凝集

のないヒト成長ホルモン製剤を製造することなどを発明の目的とし(3頁左

下欄8行目及び9行目参照),ヒト成長ホルモンの各薬学的に許容し得る製

剤にグリシン及びマンニトールを含有させると,ヒト成長ホルモンの活性が

維持され,製造,再構成及び貯蔵の間にヒト成長ホルモンが受ける望ましく

ない反応を阻害することから(4頁右下欄10行目ないし13行目参照),

ヒト成長ホルモン製剤にグリシン及びマンニトールを含ませるというもので

あり,さらに,好ましい態様では,凝集及び変性を減少させるため,ポリソ

ルベート80のような非イオン界面活性剤を加えること(4頁右下欄14行

目ないし16行目),緩衝液はリン酸緩衝液であること(5頁右上欄5行

目)が開示されている。

加えて,製剤中のヒト成長ホルモンとグリシンのモル比は1:50〜20
0,好ましくは1:75〜125,最も好ましくは1:100であり,ヒト

成長ホルモンとマンニトールのモル比は1:700〜3000,好ましくは

1:800〜1500,最も好ましくは1:1100であり,ヒト成長ホル

モンとリン酸緩衝液のモル比は1:50〜250,好ましくは1:75〜1

50,最も好ましくは1:110であり,ヒト成長ホルモンとポリソルベー

ト80のモル比は1:0.07〜30,好ましくは1:0.1〜10,最も

好ましくは1:3であるとされている(以上につき,請求項1,5,6,1

2,13及び17,5頁右上欄2行目ないし同頁左下欄8行目,同頁右下欄

3行目ないし6頁左上欄3行目,同頁右上欄6行目ないし11行目参照)。

以上によれば,文献7と文献6は,いずれも同一研究グループのヒト成長

ホルモン製剤の安定化に関する特許出願を公表するものである点では一致す

るものの,安定化のための手段が,前者では緩衝液中に0.1ないし5%

(w/v)の非イオン界面活性剤を混合することであるのに対し,後者では,

製剤中のヒト成長ホルモンとグリシンやマンニトールなどの成分とのモル比

を特定の数値範囲とすることにあると認められる。そうすると,両者は,技

術思想が大きく異なるものであるから,各成分の量比について着目している

わけではない前者の発明に係る製剤の製造方法についての記載内容を理解す

るために,後者に特有の技術思想である各成分のモル比の概念を持ち込むこ

とは妥当ではない。

原告らは,文献7の「最終比率」についての審判段階での被告の解釈や,

本件特許の対応欧州特許に関する欧州特許庁異議部の解釈は,いずれも原告

らの主張する解釈に沿うものであったと指摘する。

しかるに,「最終比率」についての被告の従前の解釈が原告らの指摘する

とおりであったとしても,このことのみで上記文言の解釈が左右されるもの

ではない。また,本件特許の対応欧州特許の容易想到性に関する欧州特許庁

異議部の判断は,「D7は,希釈が2倍より大きな可能性,及び2倍以下の
可能性を含むため…D7を考慮すれば,クレーム1の要件に合致するプロト

コルにより発明が実施された(すなわち,成長ホルモンの安定製剤が調製さ

れた)とすることももっともらしいと思われる。」というものであり(甲2

2),最終濃度の溶離緩衝液を用いた緩衝液交換により成長ホルモンの安定

製剤が調製されたとの解釈,すなわち,「最終比率」が最終濃度を指すとの

解釈を排除するものではない。

原告らは,文献7の「〈B.製剤調製〉」において,保存剤であるフェ

ノールを希釈後に添加したのは,溶離緩衝液が最終濃度の2.5倍以上の高

濃度であったためフェノールを添加することができなかったことが理由であ

ると主張する。

しかしながら,文献7におけるゲル濾過において用いられる溶離緩衝液が

三成分を最終濃度で含むものと解することが妥当であることは前記1 の

とおりであるところ,ゲル濾過の工程自体はそれほど長時間を要する操作で

はないから,保存剤の添加はゲル濾過後に行うことで足りるのであり,保存

剤の添加が希釈後に行われたからといって直ちに,原告らが指摘する事情が

推認されるわけではない。

3 結論

以上のとおりであり,原告らの主張は理由がない。よって,原告らの請求を

棄却することとし,主文のとおり判決する。


知的財産高等裁判所第3部




裁判長裁判官 設 樂 z 一
裁判官 田 中 正 哉




裁判官 神 谷 厚 毅